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ほうれん草とベーコンのクリームパスタはほんのりしょっぱい。

最終話です。

「広島に転勤することになったんだ」


 久しぶりにおいしいレストランに連れて行ってくれた彼氏が、前菜をつつきながら放った第一声だった。

 チーズを口に含んでいた私は、噛み切れていないチーズが喉を通っていく感覚にむせそうになりながら、彼の言葉を反芻していた。

「うそ、え、じゃあ……」

「ついてきてくれないか?」


 体中が一気に熱くなっていく。ついてきてくれないか? その意味って?

 戸惑う私の手に、彼はその大きな手を重ねる。私のより体温の高い彼の手は、いつもより温かい。


「結婚しよう」


 ああ。込み上げてくる喜びが我慢できない。目頭が熱い。すぐにうなずいてしまいそうになる。

 だが、ふとよぎったのは、彼と送るであろう広島の生活だった。

 私は生まれてこの方地元から離れたことがない。知らない土地に行ったことがない。

 不安が「YES」という返事を飲み込んだ。

 遠く離れた土地、知っている人がいない場所、彼しかいない生活。怖い。そんなの、怖い。

 私は唾をごくりと飲み、彼の真摯な目から視線をはずしていた。


「……少し考えさせて」

 そう言うのが精一杯で、その後食べた食事の味はなんとも味気ないものになってしまった。

 彼の寂しそうな、少し怒っているような雰囲気がすごく怖かった。






「そういうのはさぁ、食事の後にしろっつーの」

 プロポーズの話を高校からの友人、律子に話すと、律子はぺペロンチーノをフォークでぶすぶすと刺しながらぼやいた。

「あんたがYESって言う確信があったから、前菜の時に話したんだろうけど。堪え性のない男だねえ。NOだったらその後、どんだけ食事がきまずいか、少しは考えられないもんかね」

 肩下まで伸びた茶色の髪を掻き分け、律子は不満そうにビールを飲み込む。


「まあ、その辺のことはぶっちゃけどうでもいいんだよ」

 律子が不満に思っていることは、私にとって重要なことではない。

 ほうれん草とベーコンのクリームパスタをフォークで巻き巻きしながら、私はずれそうになった論点を戻すことにした。


「なんかさ、広島って、遠くない?」


 関東地方から中国地方は新幹線で何時間かかるのだろう。ばびゅんって行ける距離じゃない。友達に会いたいって思ったらすぐに遊びに行ける距離じゃない。


「遠いっちゃあ遠いけど、飛行機ならニ時間くらいじゃないの」

「そうなの?」

「いや、テキトーに言っただけ」


 能天気なっ! こっちは大問題に直面してるっていうのに!

 仕事はもうそろそろ辞めたいと思っていたからいいとして、問題はあっちで孤独になることなのだ。

 私は根っからの寂しがり屋だ。友達のいない環境に行って、知っている人が彼氏だけしかいない生活なんて耐えられない。

 向こうで友達を作ればいいのだろうけど、どうやって? サークルに入る? 仕事をする? 交友関係の広め方なんて難しいことじゃないけど、それでもやっぱり気の置ける友達のいない環境に飛び込んで、今ほど仲の良い友達を作れる自信なんてない。


「律子とかみたいにさ、仲いい友達いないところに行くなんて考えられないよ。例えば、団地妻になったとするじゃん?」

「団地妻って、なんかえろいよね」


 ……こいつ、私の悩みを真剣に聞く気あるのか?


「団地で奥様同士のいじめとかってあるみたいじゃん! 私いじめられたらどうしよう!」

「無い無い」


 パスタがちゅるるんと律子の口に吸い込まれてゆく。こいつ、絶対真剣に聞いてない。


「例えば仕事を新しく始めて、仕事仲間にはぶられたら!」

「無い無い」

「……子どもが出来て、ママさんサークルに入ったのに、シカトされまくったら!」

「無い無い」

「どういう根拠で否定してんの」


 思わずフォークの先っぽをパスタの海に打ち付ける。

 律子は一瞬目を丸くしたが、ニタリと笑った。


「あのさあ、あんた、これまでの人生でいじめられたことある? あたしは見たことないけど」

 そう言われて、ふと過去を回想してみる。軽い無視とかは受けたことあるけど、いじめだといい切れるほどひどいものを受けたことはない。


「それってさあ、あんたがそういう人間だからいじめられないの。わかる?」

「いや、全くもってわからない」

「人徳があるんだよ。だから、これから先の人生だっていじめられたりしないよ」


 律子はフォークをくるくる回し、パスタをくるくる巻いている。奥二重の目はじっとパスタに注がれていた。


「あんたは大丈夫だよ。どこに行ったってうまくやっていけるよ。それがあんたの才能だよ。不安がることなんて何もない。彼氏についていきな」


 なんだよ、律子のバカ。ちゃんと話聞いてくれてたんじゃん。

 ぐっと鼻の先が熱くなる。

 ほうれん草とベーコンのクリームパスタがぼやけてよく見えない。


「私、律子と離れるの、寂しいよ」


 思わず出た本音。声がブルブルと震えてた。喉が痛い。


「あんたねえ。友達は距離があっても離れないけど、彼氏は距離があると離れやすいんだよ。手放していいの? 彼氏のこと」

「やだ」

「じゃあ、答えはひとつじゃん」


 なんで、こいつは。私をいつも正しい道へと導いてくれるんだ。凍った不安を意図も簡単に溶かしてしまうんだ。


「大丈夫だよ。行って来い」


 私は、私という人間が、どこへ行ってもうまくやっていける人間だなんて思えない。

 だけど。

 だけど。

 律子がそう言うなら、信じてみてもいいかもしれない。

 律子が言うなら、そうなのかもしれない。

 よくわからないけど、自分のこと、そんなに自信が持てないけど。

 律子の言うこと、信じてみよう。

 うん、信じる。


「結婚、おめでとう」


 にっと笑った律子の目が、少し潤んでいたことを見逃さなかった。

 さっきよりもしょっぱく感じるほうれん草とベーコンのクリームパスタを噛み締めながら、私は今日という日を忘れないでおこうと思った。


「ありがとう」

「幸せになれよ。広島、遊び行くから」

「うん。幸せになる! 広島焼きのおいしいところ、探しておくね」

「よろしく!」


 大丈夫。そう思えた。

 心底、そう思えた。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

私自身の体験や聞いた話を脚色してアレンジした物語ではありますが、こんな会話がどこかであったんだろうな〜なんて想像して楽しんでいただけたら幸いです。

今回の話も、脚色入れまくりですが、会話の一部は実話です。

女同士の友情も捨てたもんじゃないのです(^^)


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Sleeping on the holiday and sunny day.

きよこの小説のあらすじや人物紹介、裏話専門のブログ

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