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第11話 家族の形

第11話 家族の形


 そもそも、この壁は人が越えられるものなのか。

 そんな問いを浮かべては、忘れるように作業に没頭した。

 しかし、画面の数値はまた同じ場所で止まっていた。

「……あー、これもダメ!」

 聞き慣れたエラー音は、何の感情も呼び起こさなかった。

 椿は無表情にエラー内容の確認を終えると、エラー解除をタップした。

 部屋に静寂が戻る。

 何かに耐えるように歯を食いしばると、乱暴に前髪をかきあげた。

「くっ……あと少しなのに……!」

 机の上には、受肉に関する資料が並んでいる。

 何度も組み直した仮説。

 何度も越えられなかった壁。

 あと少し。

 あと少し。

 繰り返しては壁を越えた。

 その壁を越えた先には、いつも壁が広がっていた。

 それを数えきれないほど繰り返してきた。

 科学者の直観がつげる。

 これが最後の壁だと。

 その確信が椿を余計に苛立たせる。

 最後の壁なのに、どうしても越えられない。

 しかし時間は、誰にでも平等だ。

 どれだけ手を伸ばして願っても、無関心に過ぎ去っていく。

 沸騰した頭を冷やすように、椿は冷めたコーヒーを一口飲む。

「はあ……」

 ため息をつくと、疲れたように目を閉じる。

 すると、あの時の籠目の顔が浮かんだ。

『人間になりたいです』

 その声を思い出すと、胸の奥が苦しくなる。

「もう一年以上、待たせてしまっていますね……」

 伊織もきっと、お姉ちゃんと遊ぶのを楽しみにしているでしょうし……。

 そこは、旧北鎌倉にある椿専用の研究室であり、椿の生家でもあった。

 冬の森は雪化粧をまとい、静謐な美しさを感じさせる。

 まるで一枚の絵画のような住宅である。

 その敷地には、あまりにも不釣り合いな建物があった。

 防音性能。

 盗撮対策。

 盗聴対策。

 必要なものだけを過剰に詰め込んだ、少年が考える最強の秘密基地のような建物。

 籠目に言わせれば、なんとも淑女なプレハブ、とでも言うのだろうか。

 その時、チャイムが鳴った。

 椿は目を開けた。

 画面の数値は、変わらず同じ場所で止まっている。

「……はい」

 椿がモニターを見ると、軍服を一分の乱れもなく着た女が立っていた。

 大きな目と冷たい瞳が目を引く。

「あら。こんにちは」

「水無瀬少佐であります」

 水無瀬少佐と名乗る人物は、画面越しに美しい敬礼をした。

 女の名前は水無瀬 玲。

『鉄仮面の麗人』と評される冷静さと冷酷さを併せ持つ軍人である。

 日の丸内閣総理大臣の腹心、烏丸 時継の右腕を務める傑物だ。

 椿はモニターの解錠ボタンへ指を伸ばした。

「今開けます」

「恐縮です」

 ガチャ、と鍵の開く音としては驚くほど大きな音が鳴った。

「失礼いたします」

 玲は、扉の前で一礼した。

「玲さん。適当なスリッパを使ってください」

「お心遣い痛み入ります。しかし軍人はスリッパを使いません」

「そんなことないですよ」

 椿は穏やかに微笑んだ。

「いえ、自分は軍人で――」

「いいから使いなさい」

「はい。ありがとう存じます」

 玲は、きちんと足をそろえてスリッパを履いた。

「いま温かいものを入れますね」

「いえ。お構いなく。軍人は――」

「コーヒーでいいですね」

「はい。ありがとう存じます」

 玲は、直立不動のまま立っていた。

「玲さん。どうぞお好きなところに座ってください」

「いえ、自分は――」

「しつこいですよ」

「はっ! では失礼します」

 玲は、ようやく椅子に腰を下ろした。

 座ってなお、背筋は少しも曲がっていない。

 玲は、椿が座っていた席へ目を向けた。

「作業中でしたか、椿様」

 美しく、大きな目だった。

 ただ、その瞳だけは、光を通さないように冷たい。

「大丈夫ですよ。私もちょうど一息入れようと思っていたところです」

 椿は優しい微笑みを向けた。

「そっ! そうなんですね!」

 玲は恥ずかしそうに、露骨に目を背けた。

「玲さん、そんなに固くならないでください」

「お言葉ですが、固くなどなっていません。軍人として、しかるべき――」

「軍人何回目ですか?」

「いえ、しかし」

「話が進みませんよ?」

「し、しかし、軍人なのは事実であります」

「ふふふ」

 椿は口に手を当て、楽しそうに笑った。

「な……」

 玲の反応が娘に似ていて、自然と笑みがこぼれてしまっていた。

「それに、宗一郎から本日玲さんがいらっしゃることは聞いていましたから」

「ああ、あのグズ……失礼。クズから聞いていたのですね」

「玲さん、余計に悪化していますよ」

「はっ! 申し訳ありません!」

 玲は慌てて頭を大きく下げた。

「訂正いたします。あのカス? えっと、ゴミ? ダメだ。アレの呼称が思いつかない」

「私にはあなたの思考回路がわかりませんよ」

 椿は相変わらず楽しそうに笑っていた。

「名前を呼ぶのも私には拷問ですので、当該人物をメガネSと呼称させていただきます」

「あなた、相変わらず無表情ですごいことを言いますね」

「いえ。浅学のため、良い呼称を考えられず申し訳ありません」

「昔みたいに呼んだらいいではありませんか」

 玲は目を閉じた。

 そして、聞こえなかったかのように目を開ける。

「本日伺ったのは他でもありません」

「はい」

 玲は、そこで少しだけためらうように言った。

「籠目様の査察を行うようにと命令が下されました」

「はい。噂のメガネSから聞いていますよ」

「その、籠目様は……」

 玲は少しだけ気遣うような目を向けた。

「大丈夫ですよ」

 椿は静かに答えた。

 玲は一度だけ目を伏せた。

 次に顔を上げた時には、表情から迷いが消えていた。

「承知いたしました」

「なお査察は、椿様とアレの意見を尊重し、私が一人で責任を持って任務を遂行いたします」

「メガネSでもなくなってしまいましたね……」

「それでは作戦内容の通告となります」

 玲は美しい敬礼をした。

「作戦日時はヒトフタガツフタマルニチ(十二月二十日)、ヒトマルマルマル(十時)。作戦対象は籠目様です。椿様のご自宅にて査察作戦を行います」

「はい。了解しました!」

 椿は楽しそうに敬礼を返す。

「椿様、私はまじめに……」

「うふふ。ごめんなさい」

「……続けます」

 玲は姿勢を崩さず、淡々と続けた。

「作戦名は、籠目にお土産。繰り返します。ヒトフタガツフタマルニチ(十二月二十日)、ヒトマルマルマル(十時)。作戦名は、籠目にお土産。以上です」

「籠目にお土産ですか?」

 椿は怪訝な顔で玲を見つめた。

 玲はまたもや目をそらした。

「これ以上は機密事項につき、椿様でもお話しできません」

「そうですか」

「それでは私は業務中につき、ここで失礼させていただきます」

 玲は出されたコーヒーを飲み干し、美しい一礼をすると背を向けた。

「玲さん」

 玲は背を向けたまま、横顔だけで振り返る。

「はい。なんでしょうか」

 椿は、玲が息を呑むほど真剣な表情で見つめていた。

「籠目を、何卒」

 椿は深く頭を下げた。

「何卒、よろしくお願いいたします」

 玲は動かなかった。

「もし私に何かあ……」

「椿様」

「はい」

「それ以上はおやめください」

 玲の声は、静かだった。

「言霊という言葉もございます」

 椿は顔を上げる。

「籠目様は、お任せください」

 玲は、まっすぐに椿を見ていた。

「本当にありがとう。玲」

 玲は、ほんの少しだけ目を伏せた。

「……いえ、他人事ではありませんから」

 そう答えた玲の口元が、わずかに緩んだ。

「それでは、ドアを開けます」

 玲は扉へ向き直った。

 扉が開く。

「それでは、失礼いたします」

 玲は振り返り、美しい敬礼をした。

 その顔は、もう水無瀬少佐のものだった。

「はい。ご苦労様でした」

 椿は笑顔で、同じように敬礼を返した。

 扉が閉まる。

 椿は、ゆっくりと手を下ろした。

 そして、玲が出ていった扉をしばらく見つめていた。

 やがて、静かに目を閉じる。

「籠目と伊織は、今ごろ何をしているのかしら」

 小さく、笑みがこぼれた。

「早く会いたいですね」

 椿は目を開けた。

 画面の数値は、相変わらず同じ場所で止まっている。

「さて。もうひと頑張りするとしましょうか」

 そう言うと、椿は再び資料へ手を伸ばした。

 そのころ、白沢家では……

「いーおーり―!籠目お姉ちゃんが来ましたよー!」

「あー!」

「あーー!もう!あなたは本当に、淑女かわいいでちゅねー!」

 もう全力でお姉ちゃんをしている籠目である。

 言葉使いがなんともアレなステレオタイプ。

 そのあたりは流石籠目と言えるのかもしれない。

「お姉ちゃんに会えて嬉しいんでちゅか?」

「あーあー!」

「まあまあそうですか!伊織は世界で一番お姉ちゃんが好きでちゅか」

「うー!」

「可愛すぎて脳が蕩けまちゅー」

 もうやめてくれ。

 ここは、白沢家のリビングである。

 籠目の家ではない。

 なぜ籠目がリビングにいるのか。

 話は、少し前にさかのぼる。

 ある日の夕暮れ。

 宗一郎は、籠目家の居間に呼び出されていた。

 呼び出し理由は、伊織の教育について重大な疑義が生じた為との事である。

 居間の中央では、小さなちゃぶ台を挟んで、籠目と宗一郎が向き合っていた。

 籠目は厳しい表情で宗一郎を見つめている。

「え……なにこれ?」

 宗一郎は、思わず周囲を見渡した。

「僕、怒られるの?」

「宗一郎、聞きなさい」

「なに……いや、なんでしょうか?」

 宗一郎は、思わず敬語になった。

「私は伊織に、姉としての威厳を見せなくてはなりません」

「そ、そーだね」

「なので、等身大のホログラム装置を作ります」

「あなたも手伝いなさい」

「いや、それはもう僕が作り始めているけど」

「遅いです。淑女教育に遅れが出るかもしれません」

「淑女教育は、大丈夫な気がするけども……」

「何を言っているのですか。淑女は一日にして成らず、です」

「えっと、ごめん。つまり、もっと伊織に会いたいから早くしろってこと?」

「なんですか。それでは、私が寂しがっているみたいじゃないですか」

「まさにそれを言いたいんだけど」

そう言って苦笑いを浮かべた。

「はあ。全く心外です。あくまでも教育のためです」

 籠目はさも心外ですと言った顔で小さくため息をつく。

「それなら、もう少しで出来るから、椿の手伝いに集中してあげてよ」

「嫌です」

「え……教育の為でしょ?」

「生意気ですね」

 籠目は、少しだけ胸を張った。

「ええ、認めましょう」

 そして、きっぱりと言った。

「私は、伊織にもっと会いたい!」

「あ……うん。そうだよね」

「なんですか? 文句ありますか?」

「いや、文句ないよ。伊織、可愛いもんね」

「そうなんですよ。本当に可愛いのです」

 籠目は、深く頷いた。

「私に会いたがっているのが伝わってくるのです」

「そうなんだ……」

「いつもいつも、私と会うと嬉しそうに笑うのです」

 籠目は、さらに宗一郎を見つめた。

「しかし、今の私は自由に会えません」

「うん」

「これは、伊織にとっても由々しき事態です」

 籠目は、厳しい表情で言った。

「分かりますか?」

「すごい圧だね」

「伊織の悲しむ顔など、私は見たくありません」

「うん」

「そして、伊織は今、私を必要としています」

「うん?」

「ならば、父親のあなたが伊織の願いを早く叶えなさい」

 籠目は、そこで身を乗り出した。

「早く。今すぐにです」

「籠目?」

「伊織に会わせなさい!」

「いや、すごい早口だな」

「何を言っているのですか」

 籠目は、きっぱりと言った。

「可愛い妹のためです。私のためではありません」

「君も支離滅裂になるんだね」

「なんとでも言えばいいです」

 籠目は、さらに身を乗り出した。

「そんなことで、私たち姉妹の絆は引き裂けませんよ」

 そして、宗一郎をまっすぐに指さした。

「怪人メガネめ!」

「君、最近昔の特撮にハマってるもんね」

「まあ、いいです」

「特撮を伊織に見せすぎるのはやめてね?」

 籠目は、宗一郎の言葉を無視して話を続けた。

「基本プログラムの拡張は、私が完成させました」

「これを、あなたが端末に合わせて再設計してください」

 そう言って、籠目はデータを表示した。

 宗一郎は、表示された内容に目を通す。

「はは。すごいな、こりゃ」

 思わず、笑いが漏れた。

「何日でやったんだい?」

「空き時間になりますので、時間にしたら八時間と五分ほどです」

「早く会いたい気持ちは理解できるけど、本当にすごいな、これ」

 宗一郎は、表示されたデータを見ながら嬉しそうに笑った。

「娘の有能さに、父は自信を喪失してしまうよ」

「父親面とは生意気ですよ。……抗議します」

 籠目は、恥ずかしそうにそっぽを向いた。

「これを完成させたら、少しだけ認めてもよいですが」

「はは。では、父ちゃんの本気を見せますか」

「そうですね。それでは、父ちゃんの本気とやら、期待しています」

「了解。任されました」

「それでは最後に、重要な確認ですが」

 籠目は、再び厳しい表情に戻った。

「私は、あとどれぐらい我慢すれば伊織に自由に会えますか?」

「うーん。数日かな?」

「それは、無理です」

「えー」

 その後、宗一郎は籠目の協力も得て、二日で装置を完成させた。

 それからというもの、籠目は等身大のホログラムとして白沢家のリビングに現れては、お姉ちゃん風――いや、暴風を吹かせて去っていくようになった。

台風のような淑女が、ここに誕生したのである。

「伊織、どうしたんでしゅか?」

「あー」

「うん? なんてことですか。予定時間を四秒も過ぎているではないですか!」

 そう言って、籠目は宗一郎へ通信を繋ごうとした。

「伊織、待っててくだちゃいねー。ダメな方の親を今呼びまちゅから……」

 その時、宗一郎が離乳食を持ってリビングに現れた。

「え、えっと、籠目。なんていうかな」

 籠目は、顔を真っ赤にして固まっていた。

「あれだね。うーん、そうだ……」

「い……いやー! い、伊織! また後で会いに来ます!」

慣れた顔で見送る二人。

白沢家のありふれた日常であった。

「籠目お姉ちゃんは、相変わらずだねー」

「うー! うー!」

「あはは。伊織も面白がっているのかい?」

「あー!」

 そう言って、伊織は離乳食へ必死に手を伸ばした。

「ああ、普通にお腹が空いていただけだね」

宗一郎は楽しそうに笑うと、皿を少しだけ近づけた。

「はい、どうぞ」

「ああーー!」

 伊織は嬉しそうに、柔らかそうな小さなパンへ手を伸ばした。

小さな手でつかんでは、こぼす。

 口へ運んでは、またこぼす。

 いつ見ても、食べ散らかす伊織は――

「か……可愛いですー」

 籠目の声が、端末から聞こえた。

「視界だけオンにしたのか……」

宗一郎は軽く目を細める。

「今日も平和だね」

 そう言って、伊織の口元を拭いてあげた。

「そういえば、玲ちゃんが来るのは明後日だっけ」

宗一郎は玲の顔を思い浮かべ、少しだけ苦い顔をした。

「僕が言えたことではないけど、籠目と玲ちゃんが話しているところは想像できないな」

 伊織は、一心不乱に手を動かしていた。

「いいですよ! しっかり食べて大きくなるのです!」

 籠目は一心不乱に応援している。

 食べているのか、汚しているのか分からないな。

「椿が大丈夫って言っているんだから、大丈夫なんだろうけどね」

宗一郎は、伊織の口元を拭きながら小さく息を吐いた。

「なんて言っても、玲ちゃんは――」

「うわっ!」

宗一郎の顔に、柔らかいパンが飛んできた。

「あーー!」

「こら、伊織。食べ物を投げてはいけませんよ」

 籠目が、すかさず口を挟んだ。

「宗一郎に当たったからよかったものの、床に落ちたら先生に怒られますよ」

 「聞いちゃいない。」

宗一郎は、顔に当たったパンを手に取ると、そのまま口に入れた。

 それを見た伊織が、目を丸くする。

「ああああ!」

 伊織は、今度こそ本気で癇癪を起こした。

「あー! 何てことを! 伊織に返しなさい!」

 籠目はうるさい。

宗一郎は、伊織の前に新しいパンを置いた。

「うん。やっぱり今日も平和だわ」

同じころ。

ベッドの上に座る影はひどく楽しそうに見えた。

「計画は完璧です」

 その部屋の主は、何かを強く抱きしめていた。

「結果は見えています」

「これには、誰も抗うことはできません」

 その腕の中にあったのは、大きなクマのぬいぐるみだった。

「ふふ」

明るく可愛らしい部屋には、ぬいぐるみや小物がきれいに並べられている。

 その中で、部屋の主は冷たい瞳のまま笑っていた。

「あなたは、どんな顔を見せてくれるのでしょう」

 そっと、クマの頭を撫でた。

「ああ、お会いするのが楽しみです」



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