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波待ち。  作者: 阿部兄弟
5章 居場所と未来

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57話 「朝凪」

誰かに教わって始めたものが、

いつの間にか自分の好きな時間になっている。


そんな瞬間は、

きっと少し嬉しい。


仕事終わり。


アパレルショップのバックヤード。


澪はロッカーへ背中を預けながら、

スマホを見ていた。




『お母さん楽しかったってずっと言ってる』




少しして既読がつく。




『俺も楽しかった』




澪が少し笑う。




『めっちゃ気に入られてたね』




『距離感近すぎてビビったわ』




『ごめんね昔からあんな感じw』




『まぁ嫌いじゃない』




その言葉が、

なんだか少し嬉しかった。




「澪〜上がり?」




「はい!お疲れさまでした〜」




ロッカーを閉める。


夜風が少し涼しい。




帰り道。


コンビニでカフェオレを買って歩く。




『明日休みだー』




『いいな』




『海行こうかな』




送ってから、

澪は少し立ち止まった。




……自然にそう思ってる。




最初は、

蒼に教わる為に海へ行っていた。


でも今は、

なんとなく海へ行きたいと思う。





『お、いいじゃん』


『波も悪くなさそう』




『1人で行ってみよかな』




少し間が空く。




『行ってこいよ』


『もう普通に乗れるだろ』




澪が少し笑う。




『でも板どうしよ』




『この前お前ん家置いてっただろ』




「あ」




部屋の隅。


蒼が置いていったサーフボードが立て掛けてある。




『ワックス塗っとけよ』




『先生みたい』


_____


_____



『コーチである事に変わりはないしな』




『えらそー』




『事実です』




澪が笑う。




ベッドへ寝転がる。


海。


波。


朝の空気。




少し前まで、

全部知らなかった景色だ。




翌朝。




まだ空は薄暗い。




「……ねむ」




眠そうな声を漏らしながら、

澪はウェットとボードを抱える。




部屋を出る。




澪のアパートから海までは歩いて行ける距離だった。


早朝の住宅街は静かで、

車の音もほとんど聞こえない。




空は曇っている。


薄い灰色の雲が広がっていて、

夏の終わりの朝特有の湿った空気が漂っていた。




サンダルの音だけが、

静かな道に響く。




海が近付くにつれて、

潮の匂いが濃くなる。




堤防を越える。




波の音。




まだ人も少ない海。


灰色の空と海が繋がって見えた。




……なんか好きかも。




晴れた海も綺麗だけど、

こういう朝の海は静かで落ち着く。




澪は砂浜へ降りる。


湿った砂が足に沈んだ。




ふと、

最初の日を思い出す。




「あのー、サーフィンやってますか?」




あの日。


海で見た蒼は、

どこか遠い人だった。




怖そうで。


疲れてて。


でも優しかった。




「よし……」




ウェットへ着替え、

海へ入る。




冷たい水。


曇り空。


静かな波。




パドルする。


沖へ出る。




波待ち。




最初の頃は、

立つ事で必死だった。




でも今は、

少しだけ周りを見る余裕がある。




遠くの水平線。


風。


波の流れ。




波が来る。




澪はボードを返し、

勢いを合わせる。




立つ。




少しだけ不安定になりながらも、

波を走る。




風が気持ちいい。




「っ……!」




そのまま波を抜け、

海へ落ちる。




冷たい。


でも、

楽しい。




澪は海の中で笑っていた。




何本か乗る頃には、

少しずつ空が明るくなっていた。




雲の隙間から、

光が差し始める。




海の色も、

少し青く変わっていく。




「はぁ……」




澪はボードを抱えて浜へ戻る。




なんか今日、

1人でもちゃんと楽しかった。




それが少し嬉しい。




シャワー室へ向かう。


すると。




「あ!」




小学生くらいの男の子が、

澪を指差した。




「もしかして澪ちゃん?」




「あ!この間の!」




澪が笑う。




「なんで私の名前知ってるの?」




「あのお兄ちゃんから聞いたんだよ!」




「蒼の事かな?」




澪がスマホを取り出し、

蒼の写真を見せる。




「うん!このお兄ちゃん!」




「あーやっぱり」




男の子が笑う。




「この間のお姉さん怖かったって話したんだよ!」




「それはぼくが、おばさんって言うからでしょ〜?」




「ごめんなさいw」




澪が吹き出す。




「お兄ちゃん澪ちゃんの事ニヤニヤしながら話してたよw」




「えぇ〜?」




なんか想像つく。




「あのお兄ちゃんは蒼って言うんだよ」




「蒼君と澪ちゃんね!」




「カップルカップル〜!」




「お似合いだね!」




「やめなさいw」




澪が笑う。




「学校は?」




「今日振替で休みなの」




「そうなのね」




「気を付けて遊びなよ!」




「はーい!」




走って行く後ろ姿を見ながら、

澪は少し笑った。




……私、

おばちゃんみたいな事言ってる……w




でも。


少し前までの自分なら、

こんな風に誰かと笑って話したり、

海で知り合った子供に声を掛けたり。


そんな事、

多分出来なかった。




蒼と出会って。


海を知って。


波を待つ時間を知って。




少しずつ、

自分の世界が広がっている気がする。




空を見上げる。




曇っていた空は、

いつの間にか晴れ始めていた。




波の音が聞こえる。




その音が今は、

少しだけ心地良かった。



海は変わらない。


曇りの日も、

晴れの日も、

ただ静かに波を返してくれる。


その中で少しずつ、

人だけが変わっていく。

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