44話 「夜風」
幸せな時間ほど、
終わった後の静けさが、
少しだけ怖かった。
夜。
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駅前のロータリーに車を停める。
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楓がシートベルトを外しながら伸びをした。
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「はー楽しかったぁ」
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「お前騒ぎすぎなんだよ」
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「いいじゃん別に〜」
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楓が笑いながら後部座席から身を乗り出す。
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「澪ちゃん!」
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「ん?」
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「また遊ぼうね!」
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「もちろん!」
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「そんで!今度服見に行こ!」
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「行こ行こw」
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蒼がため息をつく。
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「勝手に予定増やすな」
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「いいじゃんねー?」
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「ねー?」
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二人で笑う。
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楓がドアを開ける。
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外の夜風が少しだけ車内へ入ってきた。
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「じゃ、お兄ちゃん」
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「ん?」
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「ちゃんと幸せにしなよ?」
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蒼が少し眉をひそめる。
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「……わかってるって」
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「ならよし!」
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楓が笑う。
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「じゃーねー!」
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手を振りながら駅へ向かっていく。
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その後ろ姿が人混みに消えていくまで、
澪は静かに見ていた。
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「……いい子だね」
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「まぁな」
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蒼が短く答える。
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車を走らせる。
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夜の街。
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窓を少し開けると、
冷たい風が入ってきた。
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ラジオが小さく流れている。
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澪が窓の外を見ながら口を開く。
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「なんか今日楽しかったなぁ」
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「墓参りなのに?」
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「だからじゃない?」
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蒼が少しだけ目を向ける。
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「なんかさ」
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「楓ちゃん見てて思ったんだけど」
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「蒼ってちゃんと家族に愛されてるんだね」
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「……なんだよそれ」
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「いや、なんか安心した」
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澪が笑う。
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「私さ、昔“家族”って言葉あんまり好きじゃなかったんだよね」
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蒼は何も言わず運転する。
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「結婚してた時も」
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「家族っていうより、ただ一緒にいるだけって感じだったし」
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「だから今日みたいなの、ちょっと羨ましかった」
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信号で車が止まる。
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蒼が前を見たまま言う。
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「楓は昔から変わんねぇよ」
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「うん。優しいね」
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「お前も懐かれてたしな」
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「嬉しかった〜」
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澪が笑う。
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「でもほんとびっくりした」
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「ん?」
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「蒼があんな普通に笑う人だったんだって」
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「失礼だなお前ら」
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「だって最初怖かったもんw」
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「お前もその話するのかよ」
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「だってほんとだもん」
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また笑う。
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その空気が心地よかった。
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何気ない会話。
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何気ない夜。
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でも、
こういう時間が、
今の二人には何より大切だった。
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コンビニへ寄る。
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蒼が缶コーヒーを二本持って戻ってくる。
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「はい」
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「ありがと」
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プルタブを開ける音。
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車のボンネットに寄りかかる。
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夜風が少し冷たい。
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澪がコーヒーを飲みながら空を見る。
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「なんかさ」
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「最近毎日楽しい」
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蒼が缶コーヒーを口に運ぶ。
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「そりゃ良かった」
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「……でもちょっと怖い」
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「またそれか」
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「だってさ」
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「急に全部無くなったら嫌じゃん」
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蒼が少し考える。
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「まぁな」
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「でも」
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「無くなる事考えて生きても仕方ねぇだろ」
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「今あるもん大事にしろよ」
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澪は少し黙る。
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それから、
ふっと笑った。
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「……うん!」
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「そうだね!」
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車へ戻る。
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澪の家の前。
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「今日はありがとね」
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「おう」
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「なんか今日、ちゃんと蒼の人生の中に入れた気がした」
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蒼が少しだけ目を逸らす。
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「大袈裟だろ」
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「ふふっ」
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澪がシートベルトを外す。
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降りる前、
少しだけ蒼を見る。
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「……好きだよ」
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「急だなお前」
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「言いたくなっただけ」
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澪が笑う。
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軽く頬にキスをする。
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「んじゃ、おやすみ」
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「おう」
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ドアが閉まる。
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澪が手を振る。
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蒼も軽く手を上げる。
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車を走らせる。
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バックミラー越し。
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澪がアパートへ入っていく姿が見えた。
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少しだけ口元が緩む。
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アパートへ戻る。
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階段を上がる。
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ポストに何か入っていた。
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封筒。
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差出人を見る。
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山口沙耶香。
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蒼の表情が止まる。
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部屋へ入る。
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静かな部屋。
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さっきまでの笑い声が、
もう遠く感じる。
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ソファへ座る。
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封筒を開ける。
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短い文章。
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再婚しました。
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蓮のためにも、
これからは新しい父親と暮らしていく事を考えています。
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だから——
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そこで読むのを止める。
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蒼は静かに俯いた。
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テーブルの上には、
開いたままの封筒。
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さっきまで感じていた幸せが、
少しだけ遠くなった気がした。
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部屋には、
時計の音だけが響いていた。
人生は、
前に進むほど、
置いてきたものを思い出す。




