第5話 あなたは、壊せない人だった
魔王城の門が見えた頃、
ヒルダの足は震えていた。
サミエルの亡骸を背負うたび、
肩に伝わる重さが胸を締め付ける。
(……伝えなきゃ。
あなたの魔法を……魔王様に)
それだけが、
ヒルダを前へ押し出していた。
魔王城は黒い岩で築かれ、
空を覆うほど巨大だった。
門の前に立つと、
衛兵たちが驚愕の声を上げた。
「ヒルダ殿……その背中の者は……!」
「……人間の治癒師、サミエル。
魔族を治してくれた人です」
衛兵たちは互いに顔を見合わせた。
「魔族を……治した……?」
「信じられん……」
ヒルダは震える声で言った。
「魔王様に……会わせてください。
この人の魔法を……魔族に伝えたい」
衛兵たちは躊躇したが、
ヒルダの目を見て頷いた。
「……通れ。
その覚悟、確かに見届けた」
門が開く。
ヒルダはサミエルを背負ったまま、
魔王城の奥へ進んだ。
玉座の間は静かだった。
黒い炎が揺れ、
空気が重く沈んでいる。
玉座には、
漆黒の鎧を纏った魔王が座っていた。
魔王はヒルダを見ると、
ゆっくりと立ち上がった。
「……ヒルダ。
その背にあるものは、人間か」
ヒルダは膝をつき、
サミエルの亡骸をそっと床に横たえた。
「魔王様……
この人は……魔族を治してくれた人です」
魔王の瞳が細められる。
「治す……?
人間が魔族を……?」
ヒルダは震える声で続けた。
「はい。
彼は……敵味方関係なく、
傷ついた者を治すために生きていました」
魔王はサミエルの顔を見下ろし、
静かに息を吐いた。
「……死んでいるな」
ヒルダは涙をこらえながら頷いた。
「人間に……処刑されました。
魔族を治したから……裏切り者だと」
魔王の瞳がわずかに揺れた。
「愚かだな。
治す者を殺すとは」
ヒルダは魔法書を差し出した。
「魔王様……
この魔法を……魔族に伝えたい。
サミエルが残した“治す力”を……
魔族の未来に繋ぎたい」
魔王は魔法書を手に取り、
ページをめくった。
その瞳がわずかに見開かれる。
「……これは……
肉体を再構築する魔法か。
今まで魔族にはない概念だ。
世界が変わるぞ」
ヒルダは頷いた。
魔王はしばらく黙り、
そして静かに問うた。
「ヒルダ。
お前は……この魔法をどう使ってほしい?」
ヒルダは息を呑んだ。
胸の奥で、
二つの願いがぶつかり合う。
サミエルのように“救いたい”。
でも、サミエルを殺した国を“許せない”。
その矛盾は、
言葉にならなかった。
「……分かりません。
正しく使ってほしい……
でも……憎しみも……消えません」
魔王は静かに目を閉じた。
「そうだろうな」
責めるでも、慰めるでもない声だった。
「ヒルダ。
お前は……復讐を望んでいる。
だが同時に……復讐を望まぬ自分もいる」
ヒルダは震えた。
魔王は続ける。
「その矛盾は……お前を壊す。
だが、壊れたまま選ぶこともまた……強さだ」
ヒルダは涙を流した。
「……私は……
サミエルの魔法を……
戦争に使わせたくありません」
魔王は静かに頷いた。
「ならば行け。
ヒルダ。
お前の選んだ道で魔族にその魔法を伝えよ」
ヒルダは深く頭を下げた。
魔王城を出たヒルダは、
サミエルの亡骸を背負い直した。
(……魔族領に埋めるのは違う。
あなたは……人間だから)
そして、
彼が守ろうとしたのは
魔族と人間の“どちらの命”でもあった。
だから――
ヒルダは決めた。
(あなたの墓は……境界に作る)
ヒルダは歩き出した。
サミエルの魔法書を抱きしめ、
彼の亡骸を背負い、
境界へ向かって。
(サミエル……
あなたの代わりに……私が治すよ)
ヒルダの旅は、
静かに始まった。




