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第4話 あなたは、私を一人にした

サミエルが旅立ってから三日後、

ヒルダは眠れない夜を過ごしていた。


焚き火の火は消え、

森の闇が彼女を包む。


(……嫌な予感がする)


胸の奥が、ずっと冷たい。

サミエルの背中が消えたあの日から、

その冷たさは消えなかった。


夜明け前、

ヒルダは立ち上がった。


「……行かなきゃ」


誰に言うでもなく呟き、

サミエルが向かった方角へ走り出した。


昼過ぎ、

ヒルダは戦場跡に辿り着いた。


焦げた匂い。

折れた武器。

乾いた血。


死体は――ほとんど残っていない。

回収されたか、持ち去られたか。


その中で――


丘の中央に、

一本の十字架だけが立っていた。


異様だった。


まるで、

“そこにあることを見せつけるためだけに”

残されたように。


白いローブが風に揺れる。


ヒルダの心臓が止まった。


「……サミエル……?」


足が勝手に前へ進む。


近づくほど、

胸が締め付けられる。


十字架に縛り付けられた男。

乾いた血。

動かない腕。


ヒルダは震える手で頬に触れた。


冷たい。


あまりにも冷たい。


「……嘘……」


膝が崩れ、

地面に手をついた。


「サミエル……サミエル……!」


返事はない。


風だけが、

彼のローブを揺らした。


ヒルダは縄を切り、

サミエルの身体を抱きとめた。


「大丈夫……大丈夫だから……!」


自分に言い聞かせるように呟き、

地面に横たえる。


そして、

震える手で魔法を発動させた。


「治れ……治れ……!

 お願い……戻ってきて……!」


光が溢れる。

ヒルダの魔力が流れ込む。


だが――

サミエルの身体は反応しない。


「どうして……!

 あなたの魔法なら……治せたのに……!」


ヒルダは泣きながら魔法を続けた。


手が震え、

視界が滲む。


「サミエル……お願い……

 私を置いていかないで……!」


しかし、

サミエルの胸は動かない。


ヒルダは魔法書を開き、

必死にページをめくった。


「どこ……どこに……!

 あなたを治す方法が……!」


ページが涙で濡れる。


サミエルの文字が滲む。


ヒルダは本を抱きしめ、

サミエルの胸に顔を埋めた。


「……嫌だよ……」


声が、崩れる。


「あなたがいない世界なんて……」


その時だった。

ヒルダの手が、何かに触れた。


サミエルのローブの内側。

小さな折りたたまれた紙。


「……?」


震える指で、それを取り出す。

濡れている。血と、土と、時間の匂い。


ヒルダはゆっくりと開いた。



ーーヒルダへ。


これを読んでいるということは、

俺はもう間に合わなかったのだろう。


まず謝らせてくれ。

お前に背負わせるべきではない形で、終わってしまった。


だが一つだけ、伝えておきたいことがある。


俺は後悔していない。


魔族であれ、人間であれ、

誰かが倒れているなら、手を伸ばした。


それだけだ。


それ以上の理由を持たなかったことを、

俺はずっと不安に思っていた。


だが、お前と旅をして、少しだけ分かった。


それでよかったのだと。


お前は迷うだろう。

怒るかもしれない。

なぜ俺が一人で行ったのかと。


俺は「治す者」でありたかった。

そして最後まで、それ以外になれなかった。


お前に渡した魔法書は、

ただの技術ではない。


誰かが死ぬ悲しみを、少しだけ減らすためのものだ。


それをどう使うかは、お前次第だ。


ヒルダ。


お前は強い。

俺よりずっと強い。


だから、生きろ。


そしてもし迷ったら思い出せ。


倒れている誰かの前で、

立ち止まれる者がいるということを。


それだけで、この世界は少しだけ変わる。


俺はそれを見たかった。


ありがとう。


短い旅だったが、お前といる時間は、嫌いではなかった。


ーーサミエル



ヒルダの指が止まっていた。

手紙の文字が、もう読めない。

見えているのに、意味が入ってこない。


「……なに……これ……」


声が遅れて落ちる。


サミエルの字。

間違いない。

あの淡々とした、無駄のない筆跡。


それが――

今ここにあることが、理解できない。

ヒルダはもう一度、サミエルの身体を見る。


「……ねえ」


声が震える。


「冗談だろ……?」


肩を掴む。

揺らす。


「おい……サミエル……!」


当然、返事はない。


わかっているのに、やめられない。


「起きろ……!

 これ……読めよ……!

 こういうの……一番嫌うだろ……!」


叫びながら、もう一度揺さぶる。

それでも――動かない。


ヒルダの呼吸が乱れる。

視界が揺れる。


「……違う」


首を振る。


「違う……違う違う違う……!」


手紙を握り潰す。

紙が音を立てる。


「こんなの……違う……!」


サミエルの胸に縋るように崩れ落ちる。


「ねえ……やめてよ……」


声が小さくなる。


「私……まだ……」


言葉が途切れる。

喉が詰まる。


(まだ何も……)


(まだ何も返してないのに)


(まだ……)


思考が途切れていく。

胸の奥が、空洞になる。

何かが抜け落ちている。


それなのに痛い。

痛いのに、空っぽ。


「……なんで」


やっと出た声は、かすれていた。


「なんで……置いていくの……」


風が吹く。


十字架の影が揺れる。

サミエルのローブが、音もなく動く。

まるで、まだそこに“いる”ように。


ヒルダはゆっくりと顔を上げる。


「……サミエルの魔法は……

 私が継ぐ。

 絶対に……無駄にしない」


涙で濡れた魔法書を抱きしめ、

ヒルダは魔族領へ歩き出した。


サミエルの死を、

魔族に伝えるために。


そして――

彼の魔法を、

魔族の未来に繋ぐために。


ヒルダの背中は震えていたが、

その歩みは止まらなかった。

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