第92話 心と怪我
新作投稿しました。末尾に詳細を書いているので、読んでいただけると喜びます。
どう言い訳しようか。
『僕は骨折しているんですか?』と大石くんに聞かれた瞬間、俺の頭に真っ先に浮かんだことはそれだった。
拳の小指側。第五中手骨のあたりで、骨の線が嫌な角度で途切れている。
間違いなく骨折だろう。この部分は折れていても拳が握れてしまう。
だからこれは治療が必要だ。
最悪なのは、治療せずにそのまま治ってしまうことだ。拳の握り方が永続的に変になってしまうことがある。
「……あの、どうかしました?」
俺が黙って手を見ていたせいだろう。大石くんが少しだけ身を引いた。
いきなり核心を言うわけにもいかない。
俺は医師ではないから診断できないし、それ以前に、見ただけで骨折を判断するのは変な話だ。
「ちょっと指、見せてもらっていいですか」
「そんな深刻な感じじゃないっすよ。確かにちょっと痛いですけど、指の方は試合中に当たっただけなんで」
彼としては、あくまでも主訴は痛みが強い腕の方だという。
まあ、そっちはそっちで問題だと思う。すごく腫れていて痛そうだし。
肘には過伸展が起きている。きっと靭帯に損傷が起きているんだろう。
ただ、こちらについては鍼で改善できる範囲内だ。
普通なら、骨折していれば痛みに気づくはずなんだけど、やっぱりボクサーだというのが大きいんだろうか。格闘技をしている人は痛みに対する反応が壊れている人が多い。
「当たっただけの手にしては、だいぶ立派に腫れてますね」
「そうなんですかね? これ、病院に行った方がいい感じですか」
「これで行かなくていいなら、整形外科のクリニックに閑古鳥が鳴いちゃいますね」
俺のジョークに大石くんは苦笑いした。多分、まだそこまで信頼されてないんだろうな。
繰り返すが鍼灸師にとって患者との信頼を築くことは最も難しいことの一つだ。
医師免許もないし、施術の結果を定量的に示せるわけではない。
「じゃあ、右の拳を握ってもらっていいですか」
「こう、ですか」
少しだけ歪な拳の握り方。それに対して俺は見本を見せて、ちゃんと握るように言う。
「っ……いや、これ以上はちょっと」
まあ、骨折しているからそこで止まるだろうな、という位置で止まった。
別に大石くんを痛がらせて楽しんでいるわけではない。
「じゃあ今度は開いてください」
「……あー、はい。これも地味に痛いっすね」
不意に俺は拳の外側を軽く押した。
大石くんの肩がわずかに跳ねる。わかりやすい。
今のは恐ろしい激痛が走ったはずだ。声ひとつあげないのはすごいな。
その様子を見て俺は宣言した。
「今日は鍼をしないことにします。料金もいりません」
「え?」
「うちで様子を見る感じじゃないんで。一回、画像を撮れるところで見てもらった方がいいです」
大きく目を開いて俺を見てくる大石くん。
鍼灸院に来て、治療ではなく病院の受診を勧められるとは思っていなかったんだろう。
「そこまでっすか? 放っておいても治ると思うんですが」
「あなたの症状だと、変な治り方をしてしまうと危険です。今後の競技人生に影響が出るおそれがありますね」
少しだけ間が空いた。俺の言い方はかなり曖昧だ。病名を診断できないからだ。
整形外科で診断をもらえれば話がしやすくなる。だが、勧める理由はそれだけじゃなかった。
骨が曲がったまま固まる、変形治癒という現象が起きたり、握力が低下してしまうおそれもある。
スポーツ外傷に詳しい医者に見せる必要がある。
大石くんは自分の右手を見た。さっきまでより、少しだけ真面目な顔で。
「……いや、でも。相手の方がよっぽど酷かったし」
ぽろっと出た言葉に、俺は顔を上げた。
そっちもか。手の怪我だけじゃなく、メンタル面にも問題がありそうだ。
相手を怪我させたことの自責の念で自分の怪我を軽視しているのかもしれないな。
「相手はどれくらいですか」
「……はい。たまたま当たりどころが悪くて。向こう、完全に折れてて、全日本への出場もできないって」
大石くんはそこで口をつぐんだ。
言葉の続きは飲み込んだが、飲み込んだ中身はだいたい分かる。
「それと、自分の治療は別で考えた方がいいです」
我ながら愛想のない言い方だ。
大石くんは俺から少し目を逸らした。俺の言葉が正論だと分かっているのだろう。
「……部にも、あんまり怪我の重さを知られたくないんですよね」
「まあ、そこは一旦病院に行ってから考えましょう」
そう言うと彼は黙ってしまった。
俺はスマホを取り出した。
「知ってる先生に連絡します」
「今から行く感じですか?」
俺は頷く。彼は精神的に不安定だと判断した。
俺が半ば無理やり連れて行かないと、もしかしたら受診しない可能性がある。
「今からです。少しだけ遠いところにあるので、送りますね」
「いや、そこまでしてもらうの悪いっす」
時計を眺める。曜日と時間を考えれば、そこまで迷惑はかけないはずだ。整形外科は基本的にいつも混んでいるが、午後は比較的マシなことが多い。
受付には数コールで繋がった。ありがたい。
「こんにちは、梅野先生って今日勤務されてますか?」
診察中との返事だった。到着時間を逆算して予約ができるか確認する。
短いやり取りのあと、今日中に診てもらえることになった。
「いけるそうです。じゃあ出発しましょう」
大石くんは少しだけ困った顔をしたあと、右手を見下ろした。
それから、小さく息を吐く。
「……分かりました」
なぜ彼が自虐的になっているのかはよく分からない。
だが、医学的に見ると彼は治療が必要な状態だ。
アパートを出て、彼を裏に止めてある車の後部座席に押し込む。ちなみに、これは先輩の車だが、ずっと借りっぱなしだ。あの人は最近、超忙しいからな。
派手な色で、女の子が好きそうな軽自動車を見て、彼は何か言いたそうだったが、黙っていた。
「さ、病院行きましょう。まずはそこからです」
俺は少し狭い運転席でハンドルを握り、アクセルを踏んだ。
カクヨムで恐縮なのですが、新作を投稿しました。かなり面白いと自負しているのでよければご覧ください。
新作も、この作品と同じ「お仕事モノ」です。
現代の建築知識を持つ主人公が、異世界で次々と持ち込まれるファンタジーならではの課題を解決していきます。
使うのは、剣でも魔法でもなく――「建築」の力です。
雰囲気としては、この作品にも比較的近い、平和で読みやすい物語になる予定です。ぜひ読んでいただけると嬉しいです
『ドラゴンの通り道に高層ビルを建てるな』
https://kakuyomu.jp/works/2912051601621876078




