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大蜥蜴

「……ウワー!? えぇっ……!? で、でか、なんだこれ」


 見上げるほど巨大な氷壁は、回り込んで向こう側に行くという発想が出ない程に、端から端まで続いていた。氷は白く濁っており、その先がどうなっているのか確認することは不可能。

 バベル側にルークとファルナの姿は無く、見える限り氷の中にもない。どうやら分断されてしまったようだ。


「ルーク! ファルナ! おぉい!」


 バベルは二人の名前を呼びながら氷壁に近づき、両手を叩きつける。

 不思議なことに触れて感じた温度は、氷にしては少しぬるかった。にも拘わらず、触れた部分も溶けることなく固体のまま。


「ん……? 氷かと思ったけど……氷かこれ? ひんやりではある……が、8度」


 これは恐らくモジュールによる構造物、本来の性質と異なるというのは不思議なことではないのかもしれない。

 

「……にしてもすごいな、こんなん出来ちゃダメだろ」


 改めて遠目で見てみると、やはりとてつもなく巨大。あまりにも無法な所業に、口からは常識的な意見が漏れ出る。


 重要なのは、誰がこれをやったのかという点。ナワバリというルールの強制力がそれほどでもなかった場合、一番疑わしいのはクローラーだ。

 だがもう一つの可能性として、『悪意を持った人間の仕業』という線もある。クローラー側が起こしたイレギュラーではなく、ナワバリなんて関係ない人間による仕業なのでは――、と。


「ふーむ……。あ、そうだ」


 バベルは瓦礫に腰を掛け、ルークから投げつけられたナップサックを開いた。

 こんな事態になるなんて彼にとっても予想外だったはずだ。だというのに彼は分断される刹那、これを投げ渡してきた。

 きっとバベルを思っての行動、この中には何か役に立つものが入っている。


「なに入ってるんだ……、ろ……」


 ――そう思って取り出した物は、どう見ても手榴弾だった。

  

「え……」


 個人が所持していていいものなのか、そんな疑問はさておいて、こんなものが入った袋を投げつけられた事実に震える。軽い怒りも覚える。


 中を確認すると、手榴弾に似たもう一つの爆発物らしきものが目に入った。書かれている文字は読めないが、見た目からして恐らく閃光弾。

 ゲーム程度の知識しか持たないバベルでも、何なのかすぐに理解できる程わかりやすい危険物達だ。


 どちらもピンが刺さっていることを確認し、彼はそっとナップサックに戻した。


「う、扱いきれない……」

 

――だがその時だった。手榴弾をしまった瞬間、爆発に似た音と衝撃が轟いたのだ。


「ウワァァァッ!?」


 鳴動は辺り一帯に響き反響した。扱いを間違えて爆発したのかと勘違いしたバベルは慌てふためき、座っていた瓦礫から崩れ落ちる。

 仰いだ空を背景に、ピンの刺さった手榴弾を確認。安堵すると同時に、彼はすぐさま瓦礫から顔を出した。


「なになに……!?」


 音が聞こえたのは氷壁側、原因は探すまでも無かった。土煙を纏った何かが、こちらに向かって歩いてきている。


 煙の中から徐々に姿を現したソレは、大柄な人の体躯を持ち、体表は黒く濁っていた。輪郭は歪で、ゴツゴツとしたシルエット。

 よく見ると全身からは陽炎のような揺らぎが立ち上り、太陽に差されたことで明らかになった顔は大型爬虫類のようだった。


「――略奪を開始する」


 驚くべきことに言葉も喋る。


「あぁ、ヤバ」


 隠れようにももう遅かった、バベルは顔を出してしまったことを後悔しつつ、ナップサックから手榴弾を取り出す。今の今まであれだけ恐ろしいと思っていたのに、なんということだろう、もう頼もしい武器にしか見えない。


 無意識に近い状態で、バベルはピンに指をかけていた。いつでも投げつけて吹っ飛ばせるよう構える。


「お前は……、やはりだ。お前は映っていなかった。何者だ」


 トカゲは瓦礫の上が歩きづらいのか、ちらちらと足元を確認しながらの接近。

 声は機械的で不気味に歪んでいたが、確かな人間味があった。明らかに感情が乗っており、その他の振る舞いも人間らしさがある。


「こっちのセリフですー!」


 何よりも、目の前の存在には理不尽さが無い。うさ耳やスライムを見た時に感じた理不尽さが。漂わせている雰囲気だけなら奴らの方がずっと驚異的だった。

 どちらかと言えば、昨日怒って銃を向けて来たファルナに似ている。


 ――直感で理解した。あの中身は人間だと。


「止まれ! 止まってくれる!? ね、ねぇ!」


「できない、私の目的はモジュールだ。渡してくれれば傷つけない」


(モジュール目的……? え、俺持ってないぞ……! ……いや、レヴィがいるか、多分だめだろうな)


「くっ! レヴィ……、なるべくばれないようにしてて……」


 残念ながら相手に襲われる理由は十分。

 仕方がないと、バベルは手榴弾のピンに指をかけ、迷いなく抜いた。殺意を抱く間も、命を奪う覚悟も挟まず。


「そーい」


 気が抜けるアンダースローを放った直後、すぐさま瓦礫の影に身を隠し、どこかで聞いた防御姿勢を取った。屈んで目を閉じ耳も塞ぐ、さらに口を開け、爆発の瞬間に備え叫ぶのだ。


「ア゚ー!!」


 果たして意味はあったのか、想定以上の爆音と衝撃を瓦礫越しに浴び、一呼吸置いて立ち上がる。

 そして、手榴弾がどれほどの成果を上げたか確認しようと振り向くも――、トカゲはまるでそこから生えて来たかのように、既に目の前まで来ていた。


「ぎゃあっ!?」


 バベルは予想外の事態に叫びをあげ、尻もちをついてしまう。

 最後の砦である瓦礫はやすやすと乗り越えられ、情けなく後退しながらほんの数メートルだけ距離を稼いだ。 

 

「……なんで手榴弾持ってるんだ? おかしいだろ」


「俺のセリフです!」


(全然効いてないじゃないか……! うまく当たらなかっただけか……? いやなんにせよまずいぞ……! 追い詰められ――)


 完全に追い詰められたと思ったその時、バベルの視界に、奇妙な見た目をした鉄パイプが入った。

 油膜のように光を不気味に反射させ、見たこともないネジ穴を持ったネジがいくつも打ち込まれている。丸まった先端には棘のようなものが付いており、見るからに武器として使えそうだ。


 ――頭をよぎるルークの『見本は無いが……多分見ればわかる』という言葉。


(ハッ!?)

 

 これは恐らく、本来の目的であったクローラーの残骸だ。


「や、やめてぇ~……!」


 怯えるフリをして目を背け、バベルはその鉄パイプに手を伸ばした。同時に足を後ろに回し、踏み込めるよう姿勢を整える。

 パイプに触れた瞬間沸き上がったのは、闘志と根拠のない自信。勢いに任せ、トカゲに対してバベルはすべてを込めたフルスイングを放った。


「なんてな! 食らえ!!」


 ――しかし、その魂の一閃はやすやすと打ち砕かれた。トカゲは想定よりも滑らかな首の動きを見せ、鉄パイプを正面から噛み砕く。

 そうする必要があったのかわからないが、なんにせよ驚きの咬合力。この程度の攻撃は通用しないようだ。


「ほっほほ~!? お前ふざけんなよ!」


「こんなのが通用するわけないだろ」


 トカゲはすかさず両腕を振るい、バベルを掴もうとして来る。それをギリギリで躱し、バベルは相手の股下を潜り抜けて逃亡を開始した。

 一瞬で明確になった力関係。最初から勝てる相手では無いと思っていたが、よくよく考えてみれば、逃げ切れる相手かどうかも怪しい。


 そもそもあの氷塊をどうにかしなければ、ルーク達の助けは期待できない。恐らく目の前にいるトカゲとは別で、あの氷を発生させた者がいる。

 もしルークかファルナがソレと対峙しているのなら、そのうちこの氷塊は消えるだろう。彼らが負けるというなら、その時はその時。


 最も重要で危惧すべきことは、バベルの敗北。これだけはあってはならない。

 もしここで逃げ切れずあのトカゲに捕まってしまった場合、バベルは人質として利用される可能性がある。

 敵の目的はモジュール。ルーク達を脅し、彼らがモジュールを差し出さなくてはならない状況に発展した場合は悲惨だ。


 自分が弱すぎたせいで、全員の大切な物(モジュール)が奪われる。どれほどの罪悪感に苛まれるのか、想像するだけでも恐ろしかった。バベルはそういうのを気にしてしまうタイプだ。


「いよっと……! サササッ……!」


 窓枠から廃ビルへと飛び込み、姿勢を低くしたまま目についた柱の裏へ隠れる。

 少し離れていた足音が一瞬止んだかと思うと、次の瞬間――、ビル全体に轟音と衝撃が走った。どうやら豪快に壁を破壊して入ってきたようだ。


「隠れたか、出てこい」


 当然ダメージは無いのだろう、重たい足音が徐々に近づいてくる。

 

(なんか使える物無いの……?!)


 一番強力な手榴弾はすでに使ってしまった。この中にあれ以上の物は入っていない。

 あるのは閃光弾と、小さなケースに入ったサバイバル用のアイテム一式、そしてレーション等の食料。


 ケースの中の道具はどれもちっぽけで、戦闘に用いるのは不可能に思える。

 可能性がありそうなのは閃光弾だが、手榴弾でも奴にはあの程度だった。逃げる時間を稼ぐために使う方がまだ効果的だ。


(無理そうか……。てかこの状況詰んでる。ミスった)


 もっと入り組んでいれば逃げることもできたが、飛び込んだビルは、柱と一部の壁しか残っていないスケルトン仕様。

 袋の中身を確認していたせいで、相手に近づく時間を与えてしまった。体格からして足の速度は向こうの方が上。柱から飛び出しても、もはやすぐに追いつかれる。


 足音は依然として接近中。


(まぁどっちみち逃げ切る自信なんてないし――)


 再び挑むしかないと、逃げるのを諦め、バベルは足元にあった瓦礫を握る。そしてトカゲの顔が現れるタイミングを見計らった。


(完全な不意打ちなら可能性あるだろ、と思いたい。ああいう全身鎧を纏ってるヤツには、鎧の隙をついて関節部分を狙うのが定石……、でもなんかそこすら守られてた気がするんだよなぁ見た感じ……。なので――)


「おっと……、見つけ――」


(格闘漫画知識……! 脳を揺らす――)


 顔が見えたと同時に、バベルは遠心力を利用した強烈な一撃を、トカゲの()に向かって振るった。全力も全力、肩が心配になるくらいの負荷を感じながら、正確に瓦礫を打ち込む。

 トカゲは躱す事が出来なかったのか、躱すまでもないと思ったのか、棒立ち同然の状態でその一撃を浴びた。


 手ごたえはあった。振るった瓦礫が当てた際の衝撃で壊れてしまうほどの威力。視覚的にも十分な手ごたえだ。


「え~、嘘~……!?」


 しかし、トカゲはその場から少しも動かなかった。あれほどの衝撃を受けたというのに、全く効いてる様子が無い。

 残念ながら、躱すまでもないと思われたようだ。


「残念だったな」


 伸びて来た手に襟元を掴まれ、地面から足が離れる。


「ぐぎっ……! うぐぐ」


 抵抗しようとバベルはトカゲの腕をつかんだが、その腕はなぜか熱を帯びており、思わず手を放してしまった。

 

「あちっ!」


「あぁ、すまない。少し()()()()()()()


 トカゲがそう言うと、首元にも感じられていた熱が徐々に下がっていく。

 どうやらただ硬いわけでは無いらしい。夏場のアスファルト程度だが、この鎧には熱を纏うという効果もあるようだ。


「ギブギブ……! 離して……」


「ならモジュールを渡せ、持っているだろう?」


「持ってない……!」


 持っているのはレヴィ(クローラー)であり、モジュールではない。――そんなのはこの状況じゃ屁理屈、通用しないなんて百も承知だ。わかった上で、バベルはとりあえずの嘘をつく。

 しかし。思いの外トカゲは目ざとかった。


「そうなのか? まぁどっちみち……、ん? これはなんだ?」


 カーディガンに張り付いていたレヴィを見つけ、手を伸ばしてきたのだ。

 剥がそうと試みたようだが、幸いそれを拒んだレヴィがバベルの全身に針金を伸ばし、全力で抵抗している。


 しかし、レヴィのしがみつく力は強いものの、針金自体の耐久力が足りない。場合によっては引き千切られてしまうだろう。


「くそっ……、オラぁ!」


 無駄な足掻きとしか思えない蹴りをトカゲに浴びせるバベル。

 恐らく、というより確実に、レヴィにはモジュール以上の価値がある。レヴィを連れ去るのは、当然トカゲの目的に当てはまるだろう。


 もう存在はバレた、なら覚悟を決めるしかない。

 手を伸ばせば届くものに、手を伸ばされたのだから、こちらも伸ばさなければならない。


「はやく渡せ。モジュール……なのかこれは? 変だぞ……」


「オラッ!」


「蹴るな、うっとおしい」


「オラァッ!」


「ちょ……、やめろ」


「目潰しっ……」


「邪魔だこのっ……」


「ラッ!」


「もうっ……、火傷させるぞ! 無駄な――もがっ……!」


 閃光弾は、光と音で対象を傷つけず無力化する非致死性兵器である。

 バベルはそれを今、トカゲの口にねじ込んだ。すでにピンが抜かれた物を。トカゲが叫び、大きく口を開けた瞬間を狙って。

 

「もがご?」


「……いや~、怖ぇ~」


 レヴィの針金で視界を覆い、手で耳を塞ぐ。

 次の瞬間、眩い閃光と強烈な爆音が二人の間で轟いた。


「――!?」


「ウアァッ!!」


 いくら閃光弾と言えど兵器は兵器、安全というわけじゃない。無害と言えるほど範囲が狭いだけで、爆発時の衝撃は人体に対して十分致命的。

 もし口内で起爆させた場合、他の爆発物と何ら変わらない結果が出るだろう。

 しかし、今回の場合、対象はその口内に至るまで武装している。


 ――つまり、この上なく都合がよかった。トカゲにのみ、脳を揺らす程度に留まった衝撃が追加で炸裂する。

 

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