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7. 本来なら、そうでないはずのこと

 あの行幸は一時の夢だったと、ルイ十六世は思ってやまない。


 大臣たちの険しい顔、報告される内容、書類に書かれた文章。それらが物語るのは、今のフランスが直面している問題。

 王が対峙しなければならない現実だった。



 しばらく机に向かっていたが、ふと息抜きがしたくなった。


 そういえば、彼は今日もいるだろうか。


 執務室を出た王は、書庫へと向かう。

 王には自分専用の書庫もあるが、今から行くのはまた別の部屋だ。


 扉を開けると、一人の少年がソファに座っていた。本を読んでいる。


「アングレーム公」


 近づいて声をかけると、甥は驚いたように顔を上げた。

 扉を開ける音や人の足音にも気づかないほど、集中していたようだ。


「今日も熱心だな」

「いいえ」


 甥は、手にしていた本を閉じる。

 膝の上に乗せていたもう一冊の本とともに持ち上げ、こちらに表紙を見せた。


「どちらを借りようか、迷っていました」

「両方借りればいいだろう」

「あまり持ち帰ると、次来る時までに読み終わらないかもしれません」


 見れば、すぐ横にあるテーブルに何冊か本が積まれている。


「なら、私から書庫の管理係に伝えておく。返すのが遅くなってもいいように」

「いいのですか?」

「構わないさ」

「ありがとうございます」


 甥の表情が少し明るくなる。

 手元にある本を、すべて持ち帰ることにしたようだ。


「あの、陛下」

「どうした」

「以前お聞きした話について、お尋ねしたいことがあります」

「シェルブールのことか?」


 前にこの書庫で会った時、アングレーム公にも土産話をした。それをまた聞かせてほしいのだろう。

 と思いきや、


「いいえ、別の話です」

「聞こうじゃないか。どんなことだ」


 甥の隣に、王も腰を下ろした。


「ついこの前、授業でアメリカ独立戦争の話が出てきて、気になったんです。陛下はどのようなお気持ちで、あの戦争を見守られていたのかと」

「なるほど」


 今の質問は、こう前置きすることから始めよう。


「最初に言っておくと、私がアメリカを助けたのは、そうしろと周りに迫られたからではない。私自身の信念で参戦を決めたんだ」

「え?」


 アメリカ独立戦争は、当時のルイ十六世が、英国への復讐心に燃える周囲の声に押し切られて参戦したと。世間の人々は思っているようだ。

 アングレーム公の今の反応からするに、彼の家庭教師も、教え子にそう説明したのだろう。


 このことについて、王自ら訂正するつもりはないが、質問された以上は正す必要がある。


 大西洋の向こうで独立戦争が起こった時、ルイ十六世の大臣たちは日和見、事の成り行きを見守っていた。

 外務大臣の制止も振り切り、王は植民地に加勢することを自らの意思で決めた。


 王の即位当時から、フランスが抱える問題は山積みだったが、そのほとんどは内政に関することだった。


 外交に目を向けたのは、言うなれば、はけ口を求めたため。


 七年戦争は、英国の一人勝ちで終わった。

 フランスの権威は失墜し、オーストリアとの同盟を解消しろという声も上がった。


 失ったものを取り戻す。

 そのために再び戦争をする。

 かといって、他国を侵略することでヨーロッパの均衡を変えることを、王は望まなかった。


 そうした願いを満たすための、ちょうどいい出来事が、大西洋の向こうで起こった。

 アメリカ独立戦争だ。


 王にとって、それは戦争というゲームだった。


 どこで行われた戦闘で、自軍はどれくらい健闘したか。敵軍の損失はどれくらいか。

 そうした報告に一喜一憂し、時には将校の死を無念に思う。

 だが兵士一人一人の死にまで目は向けない。


 戦争というゲームに、気づけば、のめり込んでいた。


 王が当時のことを話している間、甥はまっすぐとこちらを見ている。公式行事のときでも見られないような、真剣なまなざしだ。


「戦争とは、人間の歴史において、とてもありふれたことだ。それでも、はけ口を求めて始めた戦争で、人間の命を軽んじてしまった。そのツケが今、回ってきているのかもしれない。なにせアメリカ合衆国が独立したところで、フランスには大して得るものがなかったのだから。ただ私個人について言うなら、大きな学びを得られた」

「どのようなことですか」

「激情に駆られて武力に走ることほど、愚かしいものはない」


 こちらが話し終えても、甥は黙ったまま、考え込む様子を見せる。自分なりに納得いく答えを探しているのかもしれない。




 甥二人は、公式行事に出席するため、ここヴェルサイユ宮殿にやって来る。


 宮殿での用事が済むと、彼らの両親すなわちアルトワ伯とその妃は、それぞれの私邸にすぐ帰っていく。


 一方で、甥二人は宮殿に泊まり、翌日に帰る。

 それはセラン侯爵の教育方針だという。

 ヴェルサイユ宮殿は「王族が本来いるべき場所」なので、見ておく機会をもうけているようだ。


 ある時、アングレーム公は広大な宮殿内を散策しているうちに、この書庫に一人で迷い込んだ。


 そこで、偶然入ってきた王と会った。


 最初に会った時、アングレーム公は王に対して、よそよそしい態度だった。


 それでも、せっかくなので王の方から話しかけてみた。

 すると質問が返ってきた。どの本棚に何の本があるのかと。


 書庫に並んでいるのは、どれも王が一度は読んだことのある本。それらを甥に説明しながら、王はあることに気づいた。


 人と話すのが苦手で、いつも無表情、感情を表に出さない子供だと。アングレーム公について、かねてより話に聞いていた。


 だが、実際には違う。


 感情が表に出ないのは、分かりづらいだけであって、よく見れば分かる。

 書庫という静かな空間で、一対一で話をしたからこそ、そのことに気づけたのかもしれない。


 また同時に、その不器用な姿が、子供の頃の王自身と似ていると感じた。


 この甥を、気にかけてやりたいと思った。


 さりとて甥の子弟教育に王が意見すれば、アルトワ伯とその取り巻きから文句を言われるのが目に見えている。


 そういうわけで、書庫で会ったという名目で、二人の時間を過ごしている。


 宮殿内には、見るべき所が他にもあるだろうに、アングレーム公はいつもこの書庫に来る。

 本人が言うには、ここは落ち着く場所なのだそうだ。


 もう一人の甥ベリー公の姿は、ここで見たことがない。

 弟はにぎやかな場所が好きなので来ないと思います、というのがアングレーム公の言葉だ。


 二人で過ごす時間は、周囲に隠していることではない。だが人から尋ねられなければ、言う必要はないと思っている。


 もっとも長女がこのことを知ったら、大層うらやましがるのだろう。




【7. 本来なら、そうでないはずのこと】


≪本作のルイ十六世≫

 そろそろ「こいつ誰だよ」というツッコミが入りそうな主人公のお父さん。

 アメリカ独立戦争に関することは、参考文献で挙げた『ルイ16世』を元にしています。


 ものすごく意外に思われそうですが、ルイ十六世は自分で政治をする人でした。

 狩猟と錠前作りに明け暮れていたというのは、ねつ造された話。

 彼は正史において「革命で倒された暗君」という人物像なので、それに()()()()()()歪められた話が、世に広まっています。

 なお今回書いた、アングレーム公とのエピソードは創作です。


※正史とは、国家公認の歴史。つまり私たちが学校で教わる歴史のこと。


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