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57. 結婚計画のゆくえ

 皇帝フランツには、分からないことがある。


 弟カールは、まれに見る優秀な男だと思う。

 またマリー・テレーズも、そこそこ魅力的な女だと思う。

 それなのに何故、双方とも相手に興味を持つ様子がないのか。


 この春、弟はオーストリア軍最年少の司令官として戦場に向かった。それは誉れ高いことなのだが、未来の花嫁との間に大きな距離が出来たのは、結婚計画を進める側にとって厄介だ。


 一方、マリー・テレーズの胸中はどうなのか。

 女のことなら女。

 フランツは、妻に意見を求めた。


「あの子が魅力的? そうかしら?」


 何やら不機嫌そうな答え。虫の居所が悪いのだろうか。



 妹たちの意見も聞いてみよう。

 同じ宮殿に暮らす妹二人。年かさの方いわく、


「女心は、動かそうとして動かせるものではありませんよ」


 今年で十九歳。大人びたことを言うようになったものだと、フランツは思った。


「フランツお兄様」


 妹は、何やら改まった様子で言う。


「テレーズさんの心を気にする前に、お義姉様の心を気にされた方がいいのでは?」

「どういうことだ」

「マリー・テレーズ、マリー・テレーズって。あまり口にされると、お義姉様がテレーズさんに嫉妬しますよ」

「またその話か。何度も言っているだろう、私に邪心はないと」

「お兄様にそのつもりがなくても、お義姉様の気持ちはまた別です」


 大人びたことを言うだけにとどまらず、兄夫婦のお節介まで焼くようになった妹マリア・クレメンティーネ。



 そしてもう一人の妹は、


「決まってるでしょう。アングレーム公が、カールお兄様よりずっと格好よくて、テレーズさんは彼にぞっこんだからです」


 やけに自信たっぷりな物言い。


「マリー・テレーズがそう言っていたのか?」

「いいえ。彼のことを尋ねても、ちっとも教えてくれません」

「ならどうして分かるんだ。お前も面識のない相手だろう」

「女の勘です」

「は?」

「きっとテレーズさんは恋敵を増やしたくなくて、彼のことを隠してるんですよ」


 そこまで聞いて、フランツは察した。


「当てずっぽうに答えるな」

「失礼な。当てずっぽうじゃなくて女の勘です」


 末妹マリア・アマーリア。今年で十六歳。末の子というわけでもないのに、その物言いはどうにも幼い。



 この結婚計画について、また違う意見を言う者もいる。


「カール大公でなくとも、弟君は他に何人もおられます。どの大公でもよいので、陛下のご一存で決めてしまえばよろしいのに」


 大臣トゥグート。

 彼はフランツにとって最良の助言者だが、この進言に限っては、聞き入れることは出来ない。


 確かに、結婚相手をカールに限定する必要はない。だが何より大事なのは、


「それではマリー・テレーズの気持ちを無視することになる。余はそこまで薄情な親戚になるつもりはない」


 あくまでも本人の意思で、オーストリア大公を婿に選ばせる。

 それが、叔母マリー・アントワネットのことを助けられなかった皇帝フランツ、元よりオーストリアのせめてもの償いなのだ。


 このことは、かねてよりトゥグートに伝えているのだが、この老臣はいい顔をしない。


「陛下は、お人がよろしい。あの王女が、いかに厚かましく恩知らずであるかは、陛下もすでにお分かりいただけているはず。あのような小娘に、これ以上の恩情は必要ありません」


 頑なに主張するトゥグートだが、フランツには相手を黙らせる切り札がある。


「マリー・テレーズの母親は、マリア・テレジアの娘だ」


 途端トゥグートは目を丸くした。忘れていたことを、たった今思い出したのだろう。


「トゥグートよ、貴殿は元々平民の出であったが、女帝の目に留まったことで、将来の道が開けたのであったな。今こうして余に仕えているのも、その幸運があったからこそ。だのに亡き主の恩を忘れたわけではあるまいな」


 トゥグートは押し黙った。

 とはいえ、フランツの気持ちは複雑だ。

 老臣を黙らせるために、とうの昔に亡くなった祖母の名に頼る。それはすなわち、フランツが至らない若造だという証拠でもあるのだ。




■■■




 ウィーンが春めいてきた頃、テレーズはルイ十八世から手紙を受け取った。

 そこには、大変なことが書かれていた。



‘現地政府は、私がヴェローナにいることを望んでいない。この手紙があなたの元に届く頃には、私はもうここにいないだろう。

 次の亡命先は未定だが、腰を落ち着けたら、また便りを出す’



 読みながら、テレーズは溜飲を下げた。


(ざまあ見なさい、プロヴァンス伯)


 脳裏に浮かんだのは、あの叔父の困り顔。


 かといって、喜んでばかりもいられない。

 あの叔父は家族の仇ではあるが、今やテレーズにとって必要不可欠な男。

 彼の危機は、テレーズ自身の危機でもある。


 さっそく返事をしたためた。黒いインクで書く文章は、第三者に読まれても構わない内容。

 砂糖水では、こう書いておく。



‘陛下は、私の夫にアングレーム公を選ばれました。この結婚を、私は心から受け入れます。

 たとえ帝冠が差し出されようと、私の意思は揺るぎません。すぐにでも結婚式を執り行うことを切望しています’



 一見すると熱烈な恋文だが、アングレーム公への愛は一言もつづっていない。今や好きでもない相手なのだから、それで構わない。


 これは、甥と姪のことを結婚させたがっている男の機嫌をとっておくための手紙なのだ。




【57. 結婚計画のゆくえ】


≪補足≫

 人物像は、以下の著作を元にしました。三冊とも参考文献で挙げています。


皇帝

『Double Emperor: The Life and Times of Francis of Austria』


皇妃

『Die österreichischen Kaiserinnen 1804-1918』


カール大公

『Das buch vom erzherzog Carl für schule und haus』


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