18. 疑念
三部会の初日。
テレーズは両親と共に馬車に乗り、宮殿を出て、会場へと向かった。
ムニュ・プレジールの大広間に、父と母、テレーズが入る。
代表者たちは、何人もの人間が起立したままだった。本来であれば、うやうやしく、ひざまずくものなのに。
王と王妃には敬意を示さない。他方、オルレアン公には大きな拍手を送る。
そんな無礼者たちは、みな喪服のような黒い服をまとっていた。
(何よあれ。昨日の司祭もどきといい、オルレアン家の取りまきなの?)
王家の分家であるにもかかわらず、オルレアン公は、どういうわけか第三身分の席にいる。
隣には、長男シャルトル公の姿も。
親子そろって得意顔。
こちらに向かって、ほくそ笑むような笑みを浮かべている。
しばらくすると、不快な拍手や歓声が止んだ。
父が壇上の中央に立ったのだ。
「諸君、余が心より待ちわびていた日が、ついに来た」
この第一声から始まった父の演説。
それが終わると、ようやく割れんばかりの大喝采が起こった。
続けて、財務総監による演説が始まった。
国の財政難に関する説明。
始まってしばらくすると、財務総監の声がかすれてしまい、代わりの者が引き継いだ。
こうした一幕がありつつ、演説は一時間、二時間と続く。
テレーズの上下のまぶたは、何度もくっ付きそうになる。そのたびに、眠ってはいけないと自分に言い聞かせた。
大勢の人間が見ている前で居眠りをするなど、マダム・ロワイヤルにとって、あるまじきことだ。
十歳の王女が睡魔と闘っているのを尻目に、会場には、舟を漕ぐ頭がいくつあったことか。
なにせテレーズが座る席からは、会場内がよく見渡せたのだ。
居眠りをする無礼者は全員、この場から、いっそヴェルサイユから追い出してやりたい。
(お父様とお母様は、こんな無礼者たちとはちがって、ちゃんと起きてるんだから)
そう思いながら、テレーズは横に目を移した。
ところが、
(起きてください、お母様!)
なんと母までもが舟を漕いでいた。父は起きているのに。
演説は三時間以上に及んだ。
何を言っているか理解できず、内容が記憶にも残らなかったのは、テレーズがまだ子供だったからだろうか。
三部会の初日が終了した。
昨日と同じように、テレーズは控え部屋で、母と二人になった。
ソファに腰かけた母は、肘をつき、うつむいている。先ほど居眠りをしても、まだ疲れが取れていない様子だ。
母はムードンで弟の看病をしている。
そうテレーズは話に聞いている。
きっと眠れていないのだ。
きっと……。
(本当に、ジョゼフに会うためだけにムードンに行ってるんですか?)
母は今、目の前にいる。
だが尋ねられない。心の中では、いくらでも言葉に出来るのに。
テレーズの葛藤を止めたのは、扉のノック音。
「ベリーです。王妃様、マダム・ロワイヤル、いらっしゃいますか」
知っている声の、かしこまった口調。人が取り次ぐのではなく、扉越しに本人が名乗った。
「お母様、わたしが出ます」
テレーズは、はやる気持ちで扉を開けた。
「アングレーム公、ベリー公」
そこにはベリー公だけでなく、想い人もいた。
ベリー公が人さし指を立てて口元に当てる。
「静かに。僕らはお忍びなんだ。とにかく中に入れて。ほら、兄上も早く」
二人とも、先ほどの会場で舟を漕いでいたが、まさか会いに来てくれるとは思わなかった。
彼らが部屋に来たことに、母も驚いている様子だ。
「王妃様……えっと、なんていうか……」
ベリー公は母の前に立ったものの、かける言葉に迷っているようだ。昨日と今日のことがあったせいだろう。
「私は外した方がいいわね」
「お母様」
母がソファから立ち上がる。テレーズはとっさに呼び止めるが、
「あなたたちだって嫌でしょう。愛人が何人もいるだの同性愛者だの、大勢の人の前で悪口を言われた女性が近くにいるのは」
「お母様、昨日のあれはウソ」
「子供たちだけで、お話ししていなさい」
テレーズの言葉は、母の声に遮られる。
昨日の演説が嘘でたらめであることを、今この場で母の口から言ってほしい。そうしないと、想い人とベリー公が誤解をしてしまう。
こちらの思いも空しく、母は扉へと向かう。
すると、
「ま、待ってください!」
ベリー公が慌てた様子で、母の前に回り込んだ。
「王妃様ばかりがあんなふうに言われるなんて、絶対におかしいです。ねえ、兄上」
想い人は、ああ、と短く答えると、こちらへ顔を向けた。
「テレーズ」
彼がテレーズのことを見て、称号ではない名前で呼んでくれた。
こんなことは、いつぶりだろう。テレーズの胸は、ときめかざるを得ない。
「昨日の演説内容、王妃様にまつわる話に思い当たる節はないんだな」
さりとて恋する少女の気持ちでいたのは、ほんの一瞬。すぐ我に返り、真面目に答える。
「もちろんよ。どれもウソばかりだったわ」
「分かった」
想い人は、今一度ベリー公と顔を見合わせる。
そして、二人そろって母に向き直った。
「王妃様、僕たちはあなたのことを信じます」
普段の話し声よりはっきりと聞こえる、想い人の言葉。
そこにベリー公が加勢する。
「王妃様は、あんなひどい悪口を言われていい人じゃありません」
こんなにも身近に味方がいてくれた。
テレーズの想い人とその弟が。
嬉しい、心強いと思ったのは、母も同じはずだ。テレーズのいる場所からは、斜め前にいる母の顔は見えないが、その表情は和らいでいるのだろう。
「あなたたちの気持ちは分かったわ。私とテレーズのことを心配して、こうして来てくれたのね。ありがとう、アングレーム公、ベリー公」
照れくさそうにする想い人。
一方、得意げな笑みを浮かべたベリー公は、さらに続ける。
「王妃様、どうか負けないでください」
「もちろんよ。この程度のことで、マリー・アントワネットはへこたれないわ」
「僕は分かっていますからね。たとえ張型を愛用していても、王妃様の一番はフェルセン、いでっ!」
ベリー公の頭に、想い人の拳が落ちた。
「ったあ……何するんですか兄上、いきなりゲンコツなんて」
「馬鹿野郎」
「ば、馬鹿って」
「馬鹿を馬鹿と言って何が悪い」
「ひどい、馬鹿って三回も言った!」
「ひどいのはお前の方だ。もう十一にもなったんだから、少しは考えてから物を言え」
「ちゃんと考えてますよ」
「嘘吐け。今目の前に誰がいるか、よく見てみろ」
「王妃様とフェルセンとの仲なんて、みんな知ってることじゃないですか」
「そういう物言いが馬鹿だって言ってるんだ」
「四回も言った!」
想い人の口数が増え、テンポよくしゃべっている。
今がこんな状況でなければ、テレーズは驚き、想い人に見入っていただろう。
実際には、恨めしい気持ちで、おしゃべり少年のことをにらんでいる。
あの男の名前を出されたせいで、明るくなりかけていたテレーズの心は、またたく間に暗くなった。
張型とは何なのか。どうせろくなことではないだろうから、意味は尋ねない。
そこでテレーズは気づいた。
母の様子が変だ。両腕でお腹を抱え、うつむいている。
まさか体調が悪いのだろうか。ベリー公が変なことを言ったせいで。
テレーズは母に近づき、声をかけた。
「お母様、どうしたのですか」
「だ、大丈夫……」
大丈夫そうには見えない。テレーズがその顔をのぞき込むと、
「二人とも面白くて……」
母は笑っていた。
礼服姿のとき、女性は扇子で口元を隠して笑う。だが今の母はそうせず、口を開けておかしそうに笑っている。
母の様子に驚いたのは、テレーズだけではないようだ。言い合いを止めた想い人とベリー公も、母の方を見ている。
ほどなくして母の笑いは収まった。
「みんなありがとう。こんなに笑ったのは久しぶりだわ」
テレーズも同じことを思った。
こんなふうに笑う母を見たのは、本当に久しぶりだ。
従兄二人はお忍びで来たので、あまり長居は出来なかった。
退室する際、二人はテレーズに謝った。ここ一年近く、他人行儀だったことを。
どうして態度が変わったのか、教えてほしかったものの、答えは聞けなかった。
ただ想い人が言うには、
「今は理由を話せそうにない。でもテレーズたちのことを嫌いになったからじゃない。それは分かってほしい」
嫌いになったからではない。そのことが分かっただけでも安心した。
何より、想い人が言うことならテレーズは信じる。
続けてベリー公が、
「エルネスティーヌに伝えてほしいことがあるんだ」
何やら真剣な面持ちだ。
「自分で言えばいいのに」
先ほどフェルセンの名前を出されたせいで、テレーズはおしゃべり少年が恨めしい。わざとつっけんどんに答えた。
「頼む、一生のお願い」
いやに真面目に懇願する。
母がこの場にいる手前、従兄のことを邪険には出来ない。
とりあえず内容は聞こう。
万が一変なことを言い出そうものなら、親友には伝えずにテレーズで止めるつもりだ。
「分かったわよ。それで、何を伝えてほしいの?」
「名前のこと、忘れてないって」
「名前?」
「それだけ言えば、あの子には分かる」
それだけ言われても、テレーズにはさっぱり分からない。
とはいえ、変な内容でもなさそうなので、親友に伝えると約束した。
ベリー公は、テレーズと母に挨拶をして、そそくさと退室した。
気のせいだろうか、彼の頬が赤らんでいるように見えたのは。
続けて想い人も、
「ベリーのたっての頼みなんだ。聞いてやってくれ」
彼にも頼まれた以上は、伝えないわけにはいかない。
「では、お騒がせしました。二人とも、よくお休みなさってください」
想い人はベリー公よりも丁寧な挨拶をして、部屋を後にした。
扉が閉まると、室内は静かになった。
「よかったわね、テレーズ。二人が会いに来てくれて」
確かに、そのことは嬉しい。
だが、
「そんな寂しそうな顔をしないの。さあ、あなたはプチ・トリアノンに帰りなさい。私はこれからムードンに行ってくるわ」
違う。
テレーズの心はすでに陰りを帯び始めているが、それは寂しさのせいではない。
先ほど、ベリー公がフェルセンの名前を出した時、母はどんな気持ちになったのだろう。
ああして大笑いしたのは、動揺を隠すためだったのではないかと、ふと思った。
現に、これからムードンに行くと母は言うが、それは口実。本当の目的はフェルセンとの逢引なのではないか。
今尋ねれば、母は本当のことを話してくれるかもしれない。
「あの、お母様」
「何?」
「……早く元気になってねと、ジョゼフに伝えてください」
気になって仕方がないのに、尋ねることが出来ない。言葉にしようとすると、心が待ったをかけた。
テレーズは馬車に乗り、プチ・トリアノンに帰った。
正面入り口に馬車が停まると、親友とシャルルが建物から出てきた。
「ちちうえと、ははうえは?」
「ジョゼフのところに行ったわ」
不満そうに頬をふくらませる弟。
最近、父がここに来てくれない。母もあまり居てくれない。
それを寂しく思う気持ちは、テレーズも同じだ。
ふくれっ面の弟をなだめながら、テレーズたちは中に入った。
「テレーズの出席は、今日までなのよね」
「ええ。お父様は、明日からもずっとよ」
「アントワネット様は?」
テレーズはすぐに答えられず、口をつぐんだ。
「もしかして、あのこと?」
親友が声を落として尋ねる。
テレーズは小さくうなずく。
会話はそこで中断した。
前を歩いていた弟が、テレーズたちのことを呼んだ。ご飯の時間だと。
テレーズは気を取り直し、親友と共に、弟の元へ向かった。
その日の夜。
寝支度をしていた時、例の伝言を思い出した。
せめて今日のうちに伝えた方がいい。
親友の部屋に向かう。幸い、親友はまだ起きていた。
テレーズから伝える内容はふたつ。
ひとつは、ここ一年近く他人行儀だったこと。
そしてもうひとつ、
「ベリー公が言ってたわ。名前のこと、忘れてないって」
親友はすぐに返事をしない。
「ティニ、どうしたの?」
すでに日は沈んでおり、室内は暗い。
それでも、親友が驚いた顔をしているのが分かる。
「……う、ううん、何でもない」
嘘を吐いていると、その反応でまるわかりだ。
やはり、ベリー公は変なことを伝えようとしたのではないか。
テレーズはいぶかしんだものの、親友に尋ねるのは明日にする。
昨日今日と、いろいろなことがあり過ぎて、もうへとへと。早く眠りたかった。
親友にお休みの挨拶をして、テレーズは自分の部屋に戻る。
寝台に入れば、眠りに落ちるのはすぐだった。
【18. 疑念】




