17. スケープゴート
三部会とは。
テレーズと親友は、父からこう説明された。
身分問わず全国から人が集まって、国の問題について話し合いをするのだと。
国中の臣民が、ヴェルサイユに集まる。
公式行事のときよりも多くの人がやって来るというが、どれほどの大人数なのか、テレーズには想像がつかない。
ともあれ、自分のなすべきことは心得ている。
両親と共にマダム・ロワイヤルも出席する。寝たきりの弟、王太子の代理として。
四月末のある日。
テレーズと親友、シャルルは、プチ・トリアノンの一室に呼ばれた。
「お部屋のお片づけをしましょう」
母の言うことに、どうして突然、と思ったのはテレーズだけではないようだ。親友も弟も、不思議そうな顔をする。
「庭園と、あと建物の中を少しだけ開放するの。でも安心なさい。あなたたちの部屋にまで、知らない人が立ち入るようなことはないわ」
「知らない人?」
「ふだんのお客様ではないのですか?」
テレーズと親友が尋ねると、母の顔から明るさが消えた。
「……良くない噂が広まっているようなの。プチ・トリアノンで、私たちが贅沢三昧をしていると」
「それは、ヴェルサイユ宮殿の話なのでは?」
親友が聞き返す。テレーズも同じことを思った。
いいえ、と母は答える。
母はおもむろにその場を離れ、部屋の壁際で立ち止まると、壁に手を添えた。
「まるでおとぎ話だわ。壁一面と柱に、宝石が散りばめられた部屋だなんて」
テレーズたちは、そろって声を上げた。
「他にも、お父様が仕事をせずに、ここで一日じゅう酔っぱらっているとか。そんなありもしない話が広まっているそうなの」
一体誰がそんな話を。驚き呆れるばかりだ。
「だれかがウソを言いふらしているのですか」
テレーズが尋ねると、母は子供たちに向き直った。
「あなたたちも知ってのとおり、何もかも間違った話よ。三部会のためにヴェルサイユへ集まる人たちに、そのことを証明する。そのためにプチ・トリアノンを開放するの」
テレーズたちの部屋はそこまで散らかっていないが、改めて片づけと掃除をする。
それと合わせて、普段の生活態度も見直す。
三部会の代表者と、顔を合わせる場面があるかもしれない。たとえ平民であろうと、こちらが相手を馬鹿にするような振る舞いをしてはいけない……というのが母の話だ。
控えていた養育係が、今の話を弟に説明し直す。四歳になったばかりの子供にも分かりやすいように。
「ぼくも、ヴェルサイユにくるひとたちに、あいたい!」
弟の無邪気な言葉に、母と養育係は目を細める。
テレーズは笑顔になれない。
暗い気持ちが、また顔をのぞかせていた。
母やその周りにいる大人たちは、子供たちに隠し事をしている――こう思うのは、今年に入ってもう何度目だろう。
数日後。
テレーズは礼服に身を包み、マダム・ロワイヤルの姿になった。
三部会に先立ち、この日はミサが執り行われる。
場所はヴェルサイユ宮殿内の礼拝堂ではなく、宮殿の外にある教会。
テレーズと両親を乗せた馬車は、目的地の教会に向かった。宮殿の柵の向こうへ出るのは、テレーズにとって久しぶりだ。
沿道にあふれる見物人、建物から顔を出す人々。
みなが歓声を送っている。
全国から人が集まると、父が言っていた。
こんなにも大勢の人が、ヴェルサイユにやって来た。父の足元に集まったのだ。
そう思うと、テレーズは嬉しさと誇らしさを感じた。コルセットで姿勢を整えた体が、内側から自然と引き締まるようだった。
ところが、その気持ちは、ほどなくして打ち砕かれた。
目的の教会に到着し、テレーズは両親と共に馬車から下りた。
途端、歓声が止んだ。
遠くの声は聞こえるが、自分たちがいる周りだけ静まり返った。
何が起きたのだろう。
テレーズは目だけを動かして周りを見た。おおやけの場であちこちに顔を向けるのは、王女らしからぬ振る舞いだ。
視界に入るのは、不機嫌そうな顔や、にらみ付けるような視線。
異様な空気を感じ取り、テレーズは不安に襲われる。近くにいた両親の顔を盗み見た。
父も母も、そろって深刻そうな面持ちだ。
他の王族が乗る馬車が、後ろに続いている。想い人やベリー公は大丈夫だろうか。
気になりつつ、テレーズは両親の後に続き、教会へ入ろうとした。
その時、背後で歓声がわき起こった。
テレーズは思わず足を止め、後ろを向いた。
「オルレアン公万歳!」
沈黙していた見物人はもういない。
聞き間違いでなければ、歓声とともに呼ばれているのはオルレアン公の名前。
何がどうなっているのか。
テレーズにはまったく分からない。
この日一日、テレーズは耐えた。
今まで出席したどの公式行事でも、これほどの苦痛を感じたことはなかった。
教会内で始まったのは、ミサとは名ばかり、宗教儀式でも何でもなかった。
司祭服に身を包んだ男が登場するなり、嘘でたらめを並べ始めた。その内容は、テレーズの知らない言葉や、理解するには難しい部分もあった。
それでも、祭壇の前に立った司祭もどきの男が悪意を持っていることは分かった。
王族とりわけ母を、悪者に仕立て上げようとしているのだと。
酷かったのは、この司祭もどきだけではない。
はやし立てる声で、辺りが騒々しくなる。
ここは教会。神に祈る神聖な空間だというのに。
(もう止めて! だまって!)
そう叫びたかった。
一人では、きっと耐え抜けなかった。
父と母がそばにいてくれたからこそ、テレーズは自分を保つことが出来たのだ。
とんでもない集まりが、ようやく終わった。
テレーズは、母と控え部屋に入る。母が人ばらいをし、二人だけになった。
母は今どんな気持ちでいるのだろう。
こちらから母に声をかけようにも、気後れしてしまう。
すると母がこちらに向き直り、身を屈めた。
「頑張ったわね」
抱きしめられる間際に見えた顔で、分かった。
母が泣いているのだと。
「まだ十歳の女の子に、聞かせていい話ではなかったわ」
体を離した母は、テレーズの頬を両手で包む。自身の涙をぬぐうこともせずに。
「ごめんなさい。あなたは、何も悪くないのに」
どうして母が謝るのだろう。テレーズのことを心配して涙を流すのだろう。
母の方が、テレーズの何倍も何十倍も傷ついたはずなのに。
「あなたの出席は今日限りにするわ。明日はティニやシャルルと、お留守番をしてなさい」
娘のことを見つめる、涙で濡れた母の目。
「お母様、わたし……」
「どうしたの。まさか具合が悪いの?」
泣き顔が、不安そうな表情に変わる。
「明日も、お二人と共に出席します」
「でも、テレーズ」
「ジョゼフの分まで、マダム・ロワイヤルが王太子の代わりを務めます」
どうすれば、母の涙が止まるか。
考えて思いついたのが、この言葉だった。
【17. スケープゴート】
≪宮廷のしきたり≫
マリー・アントワネットは、フランス宮廷の礼儀作法やしきたりを重んじなかったことで知られています。
それの何が問題だったのか。宮廷の事細かなルールには、どんな意義があったのか。他の著作から説明を引用します。
出典は、参考文献で挙げている『Louisa of Prussia and her times』。
こちらは十九世紀に書かれた歴史小説。ナポレオンが活躍していた頃のヨーロッパを舞台にしています。
以下の文章は、当時のドイツにあったプロイセンという国でのこと。宮廷のルールに厳しい女官が、同国の王をいさめるセリフです。
“it is impossible to keep up the dignity and majesty of royalty if the king and queen themselves openly defy the laws of etiquette.”
(王と王妃が公然と宮廷作法に反しては、王族の品位と威厳を保つことは出来ません)
“Etiquette is something sublime and holy – it is the sacred wall separating the sovereign from his people. If that ill-starred queen, Marie Antoinette, had not torn down this wall, she would probably have met with a less lamentable end.”
(宮廷作法は崇高で神聖なもの、君主と臣民を隔てる、不可侵の壁なのです。もしも、あの不幸な王妃マリー・アントワネットがこの壁を壊さなければ、彼女の最期はああも悲惨なものにはならなかったでしょう)
“”が引用部分、一つ目の文章が上記文献P57、二つ目の文章がP58より。
()が翻訳サイトの力を借りた作者の訳。




