101. 叔父と姪の盟約 後編
ミタウを発って四日目、テレーズたちがたどり着いたのは小さな村だった。
村民は親切な人たちで、遭難同然でやって来たフランス王の一行を無下にしなかった。
一行は暖を取り、食事にもありつけた。
泊まる場所として案内されたのは、村にある教会。
寝台はひとつで、あとは全員が雑魚寝することになった。もちろん寝台は王が使う。
みなが寝支度をしている間、テレーズは周りに気づかれないよう、王に耳打ちした。
あとで二人で話がしたい、と。
夜が更け、みなが寝静まった頃。
近くで眠る者たちを起こさないように、テレーズは起き上がり、一人その場を離れた。
耳打ちで伝えた時間ちょうど。向かう先は王が寝ている部屋。
扉を控えめにノックすると、向こうから聞こえたのはダヴァレー伯の返事。
テレーズが名乗ると、扉が開かれた。
王は寝台の上で体を起こしている。
枕元に明かりを灯したダヴァレー伯は、話が終わるまで部屋の前で待っていると言い、退室した。
「夜分遅くに申し訳ありません」
「口先だけの詫びは聞きたくない」
二人きりで話がしたいと言えば、すぐに許しをもらえた。警戒されている相手では、こんなことは出来ない。
見せかけではあっても、相手との信頼関係を築くために苦労してきたかいがあった。
テレーズは断りを入れ、寝台の端に座った。
「言っておくが、余はな、この女とだけは絶対に寝たくないと思う者が二人いる。誰か分かるか」
唐突な質問。
二人いると言われたが、一人は誰かすぐに分かった。
「私の母ですか」
「そうだ。では、もう一人は分かるか」
答えは浮かんでいる。テレーズが言うより先に、王が自ら明かした。
「そなただ」
予想は当たった。
もう一人というのは、他でもないテレーズ自身。
「そなたは、あの淫乱王妃の股ぐらから生まれた娘。そんな女に欲情するくらいなら、人間をやめた方がまだいい」
当人の娘を前にして、こんなことを悪びれもせずに言う。
「そのお言葉を聞けて安心しました。死んだ方がましだ、などとおおせになったら、どうしようかと」
「もうよい。話とは何だ」
王も、すでに気づいているようだ。
テレーズがこれまで示してきた敬意や忠誠が、偽りであることに。
「革命などと呼ばれるものが、何故あんなにも狂気じみたものとなり、数多の臣民を殺人鬼にしてしまったのか。原因は誰にあるかと聞かれたら、叔父様はどうお答えしますか」
今は陛下とは呼ばず、叔父様と呼ぶ。
「考えるまでもない。愚兄と敵国女のせいであろう」
「確かに父と母にも非はあります。ですが、ルイ十六世とマリー・アントワネットだけが原因なのでしょうか?」
「自分の親は悪くないと言いたいのか」
「私の父と母は、王と王妃としてだけでなく、一個人としての名誉までをも散々にいたぶられた末、断頭台へと送られました」
そして、
「フランス共和国は、こう結論づけたのです。気が弱く無能な王と、悪行の限りを尽くした敵国女の王妃。愚かな夫婦がそろって処刑されたのは、当然の末路だったと」
物語にするとしても、実に分かりやすい筋書きである。
「特定の者を名指しで糾弾し、その者をつるし上げにした。そうやって嘲り貶して然るべき存在に仕立て上げた。私の父と母は、その最たる被害者です」
しかし、とテレーズは続ける。
「仕える者たちや臣民の良心を信じすぎたがゆえ、その暴悪を止められなかった。ですから父と母にも非はあります。そして、もちろん叔父様にも」
「余がどうした」
「己の憎き相手を目の敵にし、その相手を悪玉にすることで、自分の行いを正当化した。それこそが、叔父様を含むすべてのフランス人がしていたこと」
ブルボン家も、オルレアン家も。
貴い身分の者も、そうでない者も。
富める者も、貧しい者も。
新しい思想を拒んだ者も、賛美した者も。
「その結果が、麗しの国と称えられた王国で起こった地獄絵図なのです」
すると、王が笑い出した。こちらの話を滑稽だと思っているようだ。
「声を抑えてください。他の者には聞かれたくありません」
たとえ相手の言動に苛立っても、こちらが感情的になってはいけない。テレーズはそう自分に言い聞かせる。
王はすぐ笑うのを止めた。代わりに、
「ならば何故、そなたは今ここにいる」
機嫌を損ねたような低い声になる。
「そこまでの考えを持っているのなら、行く当てのない旅に付き従ったのは、何か思惑があってのことなのだな」
いいや、と王は続ける。
「今の話からするに、ウィーンにいた頃から企んでいたのであろう。皇帝フランツへの賛美が偽りであったように」
「お察しのとおりです。ルイ十八世を名乗る叔父様のことを、尊ぶべき君主などとは微塵も思っていません」
「タンプル塔の孤児も、とんだ食わせ者だな」
吐き捨てるように王は言う。
「そなたは何が望みだ」
「私には王が必要です」
「王が必要?」
「正当な継承順により、次の王となる存在が」
「その王を仰ぐ姪を演じるためにか」
「はい」
「そのためだけに、余に同行したと」
「ご理解いただけましたか」
「そなた、正気ではない」
言われるまでもなく、テレーズ自身も分かっている。
自分が、普通の女ではないことを。
「すべてのフランス人に、いいえ、全世界の人間に理解させる必要があります。自由だ平等だとわめきながら、たび重なる虐殺やギロチン刑によって国土を血で汚す。そんなものは栄光でも何でもない、もう二度と繰り返してはならないことだと」
「そのために王冠を取り戻すというのが、そなたの腹づもりか」
今から八年前。
父は処刑される前日、遺児となるテレーズと弟に言った。絶対に復讐はしないと、神に誓ってほしいと。
テレーズがしようと決めたことは、父の託した願いに背いている。そう自覚しているからこそ、これから先の人生、幸せも平穏も望まない。
進む先がいばらの道であろうと、父の願いに背いて生きると決めた娘への科せられた罰なのだ。
「あと、もうひとつ」
「何だ」
「今のブルボン王家の家長として、叔父様に謝罪をしていただきたいのです」
「何を謝るのだ」
「私の両親、とりわけ父の死を悼む態度は上辺だけ。そうした不誠実な人間は、なにも叔父様やダヴァレーに限りません。私が知る限り、ミタウの宮廷に、誠実な人間は片手で数えられるほどしかいませんでした」
白すなわち誠実な人間だと、テレーズが確信を持てたのは、たった三人。
エッジワース神父、マリ神父、そしてアングレーム公。
他の人間は、黒か不明のどちらかだ。
「不誠実な人間たちの集まり。その代表者として、父に対する侮辱を、遺族の私に謝ってほしいのです……と申したいところですが、さしあたり、それは後回しにして構いません」
「ほう」
「優先させるべきは、今目の前にいる相手に、心にもない詫びを言わせることではありません。悪いと思ってもいないことに対する謝罪に、一体何の意味があるでしょう」
「あいにくだが、心からの謝罪をそなたが望んでいるとしたら、願うだけ無駄なことだ」
「なら根競べといきましょうか」
「根競べだと?」
「叔父様が、私の父に誠意をもって謝るか。もしくは、私が心からルイ十八世の信奉者にでもなって『叔父様の娘として生まれたかったわ』などと言うか。どちらが先に実現するか」
「そなたも言うようになったな」
「私が叔父様に期待しているのは、ただひとつ、王冠に対する執念に他なりません。ですから、こんな場所で行き倒れにならないでください。肉親を無慈悲に見捨てて祖国から逃亡し、気が狂った皇帝の命令によって亡命先から追放され、ど田舎の雪道で死ぬなど。フランス王になり損ねた男のぶざまな最期ではありませんか」
「余にこうなってほしいという願望に聞こえるのだが」
こうなってほしいという願望。確かに、そうかもしれない。
亡き家族の仇も同然の叔父。もし死んだとしても、テレーズは一滴の涙も流さない。
だがそれは、あくまで一個人としての感情。
フランス王女としては、また別だ。
「いずれ王位を継ぐブルボン家の者は、もう誰も死んではいけないのです。死んだ私に何の価値もないのと同じように」
「言われるまでもない」
王が不敵な笑みを浮かべた。
「余はフランス王ルイ十八世だ。祖国に帰還して玉座に座るまで、決して死なない」
これで盟約は結ばれた。
ルイ十六世とマリー・アントワネットの娘は、この叔父のそばで生き、運命を共にする。最愛の家族を死に追いやった原因の一人である男を、名実ともにフランス王にさせる。
それこそが、マリー・テレーズ・シャルロットの生きる理由だ。
【101. 叔父と姪の盟約 後編】
≪作者の私見≫
主人公は、ギロチン刑の現場を見たことがありません。
家族が処刑された時の様子がどういったものだったのか。その場面の絵や、目撃者の証言を通じて知ってはいても、それは自分の目で見た光景ではありません。
一方で、虐殺の現場は何度も目撃しました。
作中の時代、まだトラウマという概念はありませんが、それに相当する心の傷を負っていた人はいたはずです。
作者が思うに、主人公の心に消えがたい傷を負わせたのは、家族の処刑という出来事以上に、殺戮の現場を何度も目にしたことだったのでは。
また史実の主人公は、生涯にわたり革命を非難し続けました。それはブルボン家の大義や家族の処刑という理由に加えて、
「おびただしい血が流れた事実を無かったことにして、良い部分にだけ注目しようとしている」
ということが許せなかったのではないでしょうか。




