第82話 刻限
ロロはグレイの戦闘を見ながら、
震えていた。
先ほどから悪寒が止まらない。
ロロは始め、
それを恐怖のせいだと思っていた。
慣れない戦闘、
そして恐ろしいゴブリン達の存在。
それらが自分の心を無意識に侵食してるのだと、
思っていた。
だが今はもう、そうではないと確信できる。
自分の中で感じていた違和感が、
ますます強くなっていくのを感じた。
それはノワールに来た時から徐々に。
そしてエシュゾに辿りついてからはより強く。
誰かが私を見ている。
呼んでいる。
そんな感覚。
ロロはその得体の知れない気配を、
堪らなく恐ろしいと感じていたのであった。
ロロは隠れていた瓦礫から身を乗り出し、
ふらふらと前に出た。
「お、おい。ロロ!危険だ!」
バロンが何か叫ぶが聞こえない。
ロロは朦朧し始める意識の中で、
自分を呼ぶ声にだけ耳を澄ませた。
そして気が付く。
暗い闇の底から、
自分に語り掛ける誰かの声。
よく聞けば、
それは助けを求める悲鳴であった。
誰かが自分に助けを求めている。
ロロは周囲を見渡す。
一体、どこから。
自分を呼ぶ声が強くなっていく。
悲痛な叫びが大きくなっていく。
やがてロロは、
それがどこから発せられているのかに気が付く。
「・・・え?」
驚くロロの視線が捉えたのは、
目の前でグレイと戦いを繰り広げる、
究極ゴブリンの姿であった。
・・・
・・
・
「・・いいかげんに・・っ!」
俺は究極ゴブリンの首元にしがみつき
時間加速を注ぎ込み続けていた。
究極ゴブリンの動きは一層激しくなり、
まさに最後の力を振り絞るかのような力で俺を引きはがしにかかった。
生への執着。
究極ゴブリンはこのような状態になっても、
なお滅びることを拒否していた。
「往生際が悪すぎるぞ!」
俺もまた最後の力を振り絞り、
時間魔法を再び注ぎ込もうとする。
だが、その瞬間。
俺は自分の身体からすべての力が抜けるのを感じた。
「あ」
そう思った時には、
俺は究極ゴブリンの身体から、
吹き飛ばされていた。
受け身も取れず、
背中から大地に叩き付けられる。
「・・・グ、ハッ・・・!」
呼吸が止まる。
だが今は酸素を求めるための呼吸すらままならない。
「・・・な、にが・・・」
俺は自分の状況が理解できなかった。
目に入ったのは沈みかけの太陽であった。
ゼメウスとの約束の刻限だ。
たとえ魔力切れを起こしたとしても、
ここまで突然に脱力はしない。
だが今は魔力どころか、
さらに体温が下がり、
全身の生気が抜けていくような気がした。
「グオオオオオオオオン!!!!!」
そんな俺に、
容赦なく究極ゴブリンが迫る。
究極ゴブリンはもはや進化と崩壊を繰り返し、
原型を留めていなかった。
それはまるで、ただの黒い肉の塊。
だがずりずりと這う様に、究極ゴブリンが近づいてきた。
俺はもはや指一本動かす事も出来ず、
ただそれを見ているしかなかった。
失敗した。
絶望する俺の前に、一つの影が立ちはだかる。
「・・・ロロ・・・?」
見覚えのある姿。
俺は彼女の背中に声を掛ける。
彼女が振り向くことはなかった。
代わりに、
ロロはブツブツと何かを呟いていた。
それはまるで、
究極ゴブリンに話しかけているようだった。
対する究極ゴブリンはロロを前に、
何やら苦しんでいる様子だった。
苦痛ではなく、苦悩に似た悲鳴があたりに響く。
一体どういうことだろうか。
俺はその行く末を見守ることしか出来なかった。
やがて、
ロロはふらふらと究極ゴブリンに近づく。
そして優しく手を前に出し。
究極ゴブリンの肉に触れた。
慈しむような姿。
その姿は神々しくすらあった。
そして、
彼女は俺の耳にも聞こえるようなはっきりとした声で、
それを呼んだ。
「・・・出て、おいで・・・迎えに来たよ・・・」
その瞬間、究極ゴブリンの肉が裂け、
中から何かが飛び出した。
「グギャアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
同時に究極ゴブリンが断末魔の叫びをあげる。
これまで何度も形を変えてきた身体から肉が落ち、
腐肉が大地を穢していく。
身体中から不気味な体液が漏れ出し、
究極ゴブリンの身体はどんどん小さくなっていった。
そして、究極ゴブリンは消滅する。
黒い肉一つ残さず、その場から完全に。
後には、ロロだけが立っていた。
俺は遠のく意識の中、
彼女が手に持ったものを見た。
それは20センチ四方の小さな箱で、
ロロの小さな掌にも乗るようなこじんまりとした箱であった。
だが、俺はその箱に見覚えがあった。
正確にはそれの色違いのものを見たことがあったのだ。
俺が見つけたのは、同じ形状のくすんだ灰色の箱。
ロロの手にあったのは、純白の箱であった。
「・・・白の・・・箱・・・?」
俺は掠れ切った喉でそう呟く。
そして俺の目に、
ゼメウスとの約束であった、
2日目の太陽が完全に沈む光景が目に入った。
・・・
・・
・
ロロは自分が置かれた状況を整理できていなかった。
つい今しがたまで、
自分が何をしていたのかよく思い出せない。
覚えているのは誰かに呼ばれた感覚。
だがあれ程煩かったはずのその呼び声は、
いまや嘘のように消え去り、
代わりに自分の手の中に正方形の箱が入っていた。
「・・・なんだろう、これ・・・」
ロロは呟く。
究極ゴブリンの体内から出てきたと言うのに、
その箱はとても美しかった。
特殊な鉱石でも使っているのだろうか。
とにかくその箱は、
純白に輝いている様にも見えた。
「・・・綺麗だな」
ロロは声を漏らす。
その箱はこれまで見たどんな宝石よりも美しく見えた。
そこでロロはハッとする。
「グレイさん!」
ロロは傍らに倒れるグレイに駆け寄る。
そこにいたグレイは力なくぐったりとしていた。
「・・・ロ、ロ・・・」
グレイは虚ろな表情でロロに話しかける。
「大丈夫ですか?今すぐに回復魔法を―――――」
そう言ってグレイの身体を抱き起した時、
ロロは背筋が冷たくなった。
グレイの身体は、
まるですべての熱を失ったように冷たくなっていた。
この感覚を、ロロはよく知っていた。
「主!すごかったです!大丈夫ですか!」
すぐ隣にバロンも駆けつける。
だが彼も異常を察知したようで、
驚きこちらを向く。
「よ、かった・・・間に合った・・・取り、戻せて・・・」
グレイがそう言って笑う。
取り戻せたとはどういうことだろうか。
何を言っているのか理解が出来ない。
「グレイさん、グレイさん。待ってください、今、回復魔法を・・・」
ロロは必死に魔力を集束し、
回復魔法を発動する。
だがグレイの身体からは、
熱と共に力がどんどんと抜けていった。
それはまるで底の空いた容器から、
水がこぼれる様であった。
「そ、んな。なんで・・・?なんでですか・・・・」
ロロは目から涙があふれる。
「・・・そう、いう。ことだったんだな・・・。ゼメ、ウスめ、先に・・・言え、よ・・・」
ロロにはよく聞こえなかったが、
グレイは一人ごとの様に呟いた。
そして、グレイの身体がだんだんと白い靄となり、
霞んでいく。
「・・・嫌です。グレイさん・・・グレイ、さん・・・」
「あるじっ!!」
二人はもはや目の前の事が受け止められず、
ただ涙を流し、
グレイの名前を呼び続けた。
「後は・・・たの・・・む・・・」
そしてグレイは最後にそう言って笑った。
そしてグレイの身体は完全に白い靄に代わり、
エシュゾの風に吹かれ消えていった。
後には、
ロロと、
バロンと、
ゴブリン達の死体だけが残された。




