表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無自覚聖女から始まる辺境山暮らし 〜婚約破棄されたけど、神獣と精霊に愛されています〜  作者: なな日々
第3章:山の恵みは規格外編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
62/123

第58話 山から流れる風

 最近、山の麓の空気が妙に澄んでいる。


 そんな噂が、街のあちこちで囁かれていた。


 山道近くで休むと息が楽になる。


 咳が落ち着く。


 長居すると身体が軽い気がする。


 もちろん、気休めかもしれない。


 それでも、黒花の広がりが止まらない今、人々は少しでも楽になれる場所を求め始めていた。



「……やっぱり、空気が違うな」


 山道を歩きながら、エリオは小さく呟いた。隣を歩くルークも静かに頷く。


「ええ。街中より明らかに呼吸が楽に感じます」


 二人は石鹸の材料を受け取りに、山を訪れていた。


 だが、山へ足を踏み入れた瞬間から明確な違和感がある。


 肺に入る空気が軽い。


 王都で胸の奥に張りついていた重い淀みが、スーッと薄れていくような感覚さえあった。


「黒花関係の患者が感じたっていう話、本当かもしれないな……」


 エリオは周囲を見回した。


 山の空気そのものが、丸ごと浄化されているような異常な感覚。普通ではありえない。


 そして、その原因に心当たりがあるであろう『神獣様』が、程なくしてエリオの視界に入ってきた。


「やあ、ノクス」


「ああ」


 お気に入りの岩場でくつろいでいたノクスへ、エリオは声をかけた。


「この山、何かしてる?」


「何か、とは」


「とぼけないでくれ。空気が澄みすぎてる」


 ノクスはしばらく黙っていたが、やがて面倒くさそうに小さく息を吐いた。


「……風呂の湯を撒いているだけだ」


「風呂?」


「セラが濾過し、高温の石で温めた湯だ。以前、残り湯で花が咲き乱れたことがあっただろう。不快な空気のせいで元気がない草木の為に、風に乗せ、山へ散らしている」


 さも当然と言うような態度のノクスに、エリオとルークは完全に無言になった。


 数秒遅れて、ルークが静かに額を押さえる。


「……なるほど。山から流れてくる空気が気持ちいい、という噂の原因はそれですか」


「そうであろうな」


 ノクスは興味なさそうに答える。


「淀むと、セラが嫌がる」


「規模がおかしいんだよなぁ……」


 エリオは深々と頭を抱えた。


 おそらく本人に、大それたことをしている自覚は一切ない。セラにとっては、本当に“庭の環境を整えている”程度の認識なのだろう。


 だが結果として、山全体が凄まじい規模で浄化され、その余波が麓の街にまで届いてしまっている。


 そこへ。


「何の話?」


 籠を抱えたセラが、不思議そうにひょっこりと顔を出した。


「あー……最近、山の空気が気持ちいいって街で噂になってるんだ」


「えっ、そうなの?」


 セラは少し考え込み、ぽんと手を打った。


「いい感じに湿度が保たれてるんだね!」


「湿度?」


「あとマイナスイオンとか!」


「……なんだそれは」


 聞き慣れない単語に、ノクスが眉を寄せる。


「えーっと、空気が綺麗な場所に多い、なんか体に良さそうなやつ?」


「随分ふわふわした説明ですね……」


 ルークが静かにツッコミを入れる。


「でも、森とか滝の近くって空気美味しく感じない?」


「あぁ……言いたいことは分かる」


 エリオは苦笑した。


 自分が原因だとはこれっぽっちも思っていないからこそ、見当違いな方向へ話が逸れていく。


「……まあ、空気の話はいい」


 エリオは気を取り直すように、小さく咳払いをした。


「それより、頼んでいた石鹸の材料はできているか?」


「うん! ばっちりだよ! こっちに来て!」


 セラに案内されてロッジの裏手へ回ったエリオとルークは、そこに並べられた光景を見て、再び言葉を失った。


 抽出された大量のオイル。不純物を一切感じさせない、きめ細かく精製された良質な灰。そして――。


「あ、お水はエリオたちがいつ来てもいいように多めに作っといたよ! すごく綺麗に濾過できた自信作! 沸騰させて殺菌も完璧!」


 セラが胸を張って指差した先には、清らかな水をなみなみと湛えた大きな木樽がいくつも並んでいた。


 それを見たルークが、息を呑んで硬直する。


「エリオ様……この水……」


「ああ……。間違いない」


 近づくだけで肌の表面が粟立つような、濃密で清浄な気配。


 それは、教会の最高位である『特級聖水』すら比較にならないほどの、凄まじい神聖力と精霊の祝福を帯びていた。


「でしょ? 飲んでみたらすっごく美味しかったんだー」


 ニコニコと笑うセラに、二人はもうツッコミを入れる気力も湧かなかった。


「……しかし、これほどの量をどうやって王都へ? 人力で運べる重さではありませんよ」


 ルークが困惑して眉を寄せる。


 すると、セラは得意げに腰のポーチをごそごそと探り始めた。


「ふふん、大丈夫! じゃーん! 今回は特別に、マジックボックスを貸してあげる!」


「……ああ、あれか」


 山に入る前にいくつか買っていたのは知っていた。機能重視の、装飾のないシンプルな小箱。


「この量持って帰るなら二つは必要かな? これに全部入れて持って帰りなよ」


 セラは事もなげにポンとエリオへ手渡した。


(相変わらず、準備がいいんだか豪快なんだか……)


 エリオは小箱を受け取りながら、苦笑いするしかなかった。


 王都を出る前、エリオの心は黒花がもたらす絶望感で押し潰されそうだった。


 怪しい聖女の企みを暴き、セラの存在を隠し通しながら、なんとか国を救わなければならない。


 その重圧と秘密だらけの日々に、最近は毎日のように胃痛に悩まされていた。


 だが――。


(……いや、本当にどうにかなるのかもしれない)


 セラを見ていると、王都のどんよりとした淀みも、自身の抱えていた絶望も、全部どうでもよく思えてくる。


 ただ目の前にある「出来ること」をこなし、気づけばとんでもない奇跡を起こしている。


 セラがいる限り、まだ終わってはいない。


 そんな確信にも似た安心感が、エリオの胸を満たしていった。


 やがて、笑いが漏れた。


「……ふっ、ははは!」


「エリオ?」


「いや……ありがとう、セラ。お前のおかげで、なんだかすごく元気が出たよ」


 エリオの顔には、王都での険しさは微塵も残っていなかった。


 毒気をすっかり抜かれたような、清々しい笑顔だった。


「よしルーク。ありがたくこれに詰め込んで、急ぎ王都へ戻るぞ」


「はっ」


 希望という名の特効薬を携え、エリオたちは力強い足取りで、澄み渡る山を下りていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ