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無自覚聖女のモフモフ山籠り生活 〜婚約破棄されたので山にこもったら、なぜか信仰対象になりました〜  作者: なな日々
第2章:広がる噂は規格外編

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第18話 それは、ただの水のはずだった

 エリオが山を下りた翌日。

 私は朝から、土まみれになっていた。

「よし、こんなもんかな」

 昨日の石窯には、まだほんのりと温かい余熱が残っている。これを使わない手はない。

 私は川から汲んできた水と粘土質の土を混ぜてこね、木の枠に入れて四角く成形していた。これを窯の熱でじっくり乾かして焼き固めれば、立派なレンガの完成だ。

 作業の区切りがつき、昨日作った自慢の『濾過装置』から滴る綺麗な水を器に受けて、一息つく。

「うん、やっぱり美味しい」

 そうやって満足感に浸っていた、次の瞬間だった。

「セラ」

 ふと、背後から低い声が落ちた。ノクスだ。

「なに?」

「少し、嫌な匂いがする。血と、瘴気が混じった匂いだ。この位置から東寄り、少し下った先だな」

 一瞬で、状況を理解する。

「怪我人? ちょっと見てくる!」

 私は急いで立ち上がり、泥のついた手を軽く払った。

「あ、そうだ。顔、土だらけだった」

 レンガ作りの最中だったのを思い出す。こんな顔で怪我人の前に出るのは気が引ける。私は足元にあった丈夫な布を適当に拾い上げると、目の下から下を覆うように顔に巻き付けた。

「ノクスは?」

「余は姿を見せぬ。弱った人間の前に余が出れば、恐怖で息の根が止まるやもしれんからな。だが、お前を一人にはせん。余はすぐ後ろにいる」

「驚かせちゃダメだよ。分かった、行こう」

 私は身軽な格好のまま、森の中へと走り出した。短いピンクの髪が風に揺れる。背後の気配は、音もなく私についてきていた。

 深い森の奥。

 大樹の根元で、魔術師のルークは絶望に顔を歪めていた。

「くそっ、しっかりしろ! 目を閉じるな!」

 腕の中でぐったりとしているのは、相棒の剣士だ。部隊が散り散りになり、相棒の腕には魔物の瘴気を纏った爪痕が深く刻まれている。

(俺の治癒魔法が、まったく効かない……っ)

 瘴気を浄化するには王都の教会の聖水が必要だ。こんな場所でどうすることもできない。相棒の顔色は、すでに死人のように土気色だった。

「頼む、死ぬなっ」

 ルークが祈るように声を絞り出した、その時。

 ガサッ、とすぐ近くの茂みが揺れた。

「っ!? 誰だ!」

 ルークが弾かれたように顔を上げる。現れたのは、短いピンク色の髪をした少女だった。顔の下半分を白い布で覆い、瞳だけを覗かせている。

 少女はルークの警戒など一切目に入っていない様子で、倒れている相棒の腕を凝視した。

「うわ、ひどい。ちょっと、何その傷!?」

 少女は顔を布越しに歪め、足早に近づいてくる。

「くるな! あんた、何者だ!」

 ルークが叫び、短剣を引き抜こうとした――その瞬間。

 少女のすぐ背後の暗がりから、びりっ、と空気を震わせるような圧倒的な重圧が放たれた。

「っ……!?」

 ルークは短剣を抜くどころか、その場に縫い止められたように固まり、顔面を蒼白にさせた。

(なんだ、この死の気配は。この娘の後ろに、とてつもない『何か』がいる……!)

(あ、ノクスが威嚇してる)

 私は内心でノクスを宥めつつ、目の前の惨状に改めて眉をひそめた。近くで見ると、傷口に絡みつく黒いモヤが本当に不気味だ。

「近くを通りがかったの。……それより、そんなに泥がついたままにしてたら、絶対悪化するよ。すぐに洗わないと」

「み、水がないんだ。それにこの傷は、ただの傷じゃ……」

「水がない? そっか、ちょっと待ってて!」

 私は立ち上がって踵を返し、拠点へと全力で駆け戻った。

 ロッジから綺麗な水が入った水袋を掴み、再び二人の元へ戻る。

「持ってきたよ!」

 相棒の男はさらに顔色を悪くしている。

「ちょっと沁みるかもだけど、我慢してね」

 私は迷いなく、男の傷口にじゃばじゃばと水をかけた。

 じゅぅぅっ、と。肉を焼くような、奇妙な音が響いた。

「っ!?」

 支えていたルークが、悲鳴のように息を呑む。傷口にまとわりついていた死の瘴気が、少女のかけた水に触れた瞬間、溶けるようにあっさりと消え去っていく。

(馬鹿な……!? 高位神官の聖水でも消しきれないほどの濃い瘴気が、ただの冷たい水で!?)

「ちゃんと流しとかないとね。……飲めそう?」

 少女は布を少しずらし、相棒の口元に水袋を運んだ。ごくりと水を飲んだ瞬間、男の顔に明らかな生気が戻る。

「痛みが、引いていく……。体が、軽い」

 それを見て、私は深く頷いた。

(うんうん、わかるよ。本気で喉が渇いてる時って、ただの水一口で『これで助かった!』って大げさに感動しちゃうんだよね)

 私は男の肩を、ぽんと優しく叩いた。

「わかるよ。すっごく喉乾いてたんでしょ? 本気で水がない時って、一口飲むだけで生き返ったー! って思うよね。うんうん、ゆっくり飲んでいいからね」

「……え?」

 ルークはポカンと口を開けた。

(いや、喉の渇きとかそういう次元の話じゃなくて……っ!?)

 ルークは魔術師だ。だからこそ、少女の周囲に小さな光が次々と集まり、狂喜乱舞して舞い踊っているのが見えていた。

「精霊が……」

 教会の聖職者でも不可能な奇跡を、少女は「喉が渇いてたんだね」という異常な一言で片付けてしまった。この少女は、ただの人間ではない。

「もう大丈夫そう?」

 少女は軽く様子を見てから立ち上がる。

「しばらく休んだ方がいいと思うよ。じゃ、私行くね」

 軽く手を振って、彼女は森の奥へと消えていった。それと同時に、あの恐ろしい威圧感も嘘のように霧散した。

 残されたルークと相棒は、しばらく動けなかった。

「なんだ、あれは」

 ルークは残っている水を口に含む。極限まで張り詰めていた疲労が、嘘のように全回復していく。

「ただの水じゃ、ない」

 彼は少女が消えた方角を畏怖の眼差しで見つめた。

「この山に、とんでもない聖女がいる」

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