踏み出すその一滴
ギルドの空き部屋に、またしても酸っぱい匂いと怪しい煙が立ちこめていた。カイは机に並べた薬品と試験管を見つめながら、黙々と作業を続けている。
そんな彼の背後から、軽い足音が近づいてきた。
「また変な匂いがするなと思ったら、やっぱりここにいましたか。」
振り向けば、リーナが立っていた。鼻をつまみつつも、どこか興味津々な様子で器具を覗き込んでいる。
「リーナか。どうしたんだ?」
「カイさんって、どうしてそんなに毒が平気なんですか? いつもケロッとしてるから、ちょっと気になって」
「え? ああ、俺? ……昔から、ひたすら毒を飲んだり食べたりして慣れてっただけだよ」
「……は?」
リーナの顔がピキッと引きつった。
「いやいや、何言ってるんですか!? 普通は死にますよ!? 毒をひたすら飲んで慣れるって、どこの脳筋ですか!」
「脳筋言うな。ちゃんと解毒薬も作ったし。分量も考えて調整してたっての」
「いやいやいやいや……」
リーナは頭を抱えたが、ふと顔を上げて真剣な目を向けた。
「……私にも、それ、やらせてください」
「…はあっ? いや、それはさすがに……」
「お願いします。もう、毒で動けなくなって、誰かに守ってもらうだけの私でいたくないんです。足手まといにはなりたくない」
その言葉に、カイはしばし黙った。彼女の目は、本気だった。
「……分かった。でも、無理はさせない。まずは毒耐性ポーションを飲んでから、弱いやつから試すぞ」
「はい!」
カイは慎重に、毒耐性ポーションを渡し、続けて極薄めの酩酊毒をコップに注いだ。通常なら少しフラつく程度の毒だ。
「よし、じゃあ……飲んでみてくれ」
リーナは一息に飲み干すと――
「……ふにゃぁ……カイさんって、やっぱり……優しいですよねぇ……♡」
「え!? ちょ、ちょっと!?」
「あはははははっ! 毒とかもうどうでもいいです~! ねぇ、カイさん、ほっぺ触ってもいいですか? やわらかそう……♡」
「やばい、完全に酔ってる!? っていうか、絡み方が厄介すぎる! 解毒薬! 解毒薬早く!!」
あたふたと解毒薬を飲ませるカイ。
しばらくして落ち着いたリーナだったが、どうやら記憶が曖昧らしい。
カイはその日、心に深く刻んだ。リーナに酒だけは呑ませないと。
その後も数日かけて、薄めた毒と耐性ポーションを使った訓練を繰り返した結果――
「……なんとか、人並みには毒に耐えられるようになりましたかね?」
リーナは小さく笑ってそう言った。かつては倒れていた濃度でも、今は耐えられる。少しずつだが、確かに成長していた。
「無理せず、少しずつでいいさ。焦らず行こうぜ」
カイの言葉に、リーナはうなずいた。かつての自分を、もう振り返らないために。




