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工事を終え、ささやかながらも開通式典を行ったカルケレニクス領の通路は、今回名もなき道から卒業した。その名も、ケルスス通路である。
エルフリートはカルケレニクス領の名を一部受け取った形となったその名を口にし、そっと笑む。
これで行き来が楽になる。有事の際、どうしようもなくなったら、この道を潰せば国を守ることができる。そういう使い方はしたくないけど……。
エルフリートは遠い未来――それも悪い方の――を想像し、それを否定する。
「備えておかなければ、最悪が現実に。備えておけば、最悪は夢の中。うん」
突拍子のない事を思いつき、行動する人間が現れないとは言いきれないのだ。だからこそ備えるだけ備え、いつでも対応できるようにしておく事が大切なのである。
綺麗に整えられた道を眺め、エルフリートは小さく頷いた。
編み物は順調とは言い難いが、何とか進んでいる。仕上がりの批評をしてくれる家族と離れるのは不安だったが、そうは言ってもいられない。
本来の目的は果たされたのだ。これを成果として持ち帰り、もとの業務に戻らなくてはならなかった。オズモンドとも、王都に入ればさようなら、である。
せっかく仲良くなったのに、残念だなぁ……。王都の門を潜り、解散の号令をかけたエルフリートはそんな事を思う。
言葉にはしていないものの、やはり彼はエルフリートの事情を知っていそうである。そんな彼とのやり取りは気が楽なのだ。
楽したいからってわけじゃないけど、色々助けてもらったし。とまで考えた時、お礼らしき事を一度もしていない事に気がついた。
何かお礼しなきゃ。何もお返しできていないのって誠実さに欠けるし。そりゃ、サポートしてやれって任務だったのかもしれないけど、本当に助かったもの。
さりげなくオズモンドの連絡先を聞き出して――というのは難しいから、正直に「お礼がしたいから」と説明して連絡先を聞き出す事に決めた。
「は? 別に気にしないのに」
「私が気にしちゃうから。どこか行ってみたいお店とかあったら教えてよ」
エルフリートは、相手の都合次第だけど話をしてみたい人とかでも良いよ、とつけ足した。すると、反応のあまり良くなかったオズモンドが「良い事聞いた」とでも言うかのように目を輝かせる。
彼はエルフリートの肩をぽん、と撫でて笑顔を向ける。
「じゃあ、ロスヴィータ嬢を頼むわ。それと、フリーデのお兄さん。せっかくだからレオンとブライスも頼もうかな」
「えっ!?」
そんなにいっぱい? 人数が多くてどうしよう、という気持ちと、そのメンバーを集める事に深い意味を感じてしまって落ち着かない気分になる。
「それなら、アイマルも話してみたい人に入ったり……」
「普通に人数オーバーだろ。一応二で割れる数になるように考えたんだが」
「あっ」
エルフリートにロスヴィータ、そしてエルフリーデとレオンハルト。ここにオズモンドが入ると端数になってしまう。それで、ブライスの登場か。
なるほど……? 確かに、ブライスをやめてアイマルにする事はできない。未だにアイマルの単独行動はあまり歓迎されない雰囲気なのだ。それに、アイマルがブライスを気に入っている様子もあった。
工事で王都を離れている内に状況が大きく変わっていたりしなければ、オズモンドの選択は説得力のあるものだった。
オズモンドはエルフリートの反応を見て苦笑すると、アイマルはまた今度紹介してくれと言った。思わず頷いてしまえば、彼は「もう借りも何もないのにそんな約束したら駄目だぞ」と笑う。
あ、そっか。でも、とエルフリートは思う。オズモンドは交友関係を悪用したりする人ではない。それが分かっているから、こんなゆるいやり取りをしているのだ。
「オズモンドは、大丈夫な人だもん」
エルフリートははっきりと言い切った。彼が所属している騎士団が背景にあるのはもちろんだが、実際にこうしてやり取りをしていての感覚も含まれている。
ブライスに似た思考の彼は、表立っての言動とは異なり、実際はとても誠実であるように感じられる。雑な感じがしても、やり取りを重ねていくと、その行動は意外と気遣いの延長線上にあるのだと分かる。
丁寧さを隠し、気さくさを演出。誰とでも打ち解ける人物像をわざと作り出し、どんなところにでもするりと割り込んでいく。それは、人間観察を得意としていなければできない事だ。
これだけだとただの密偵みたいだが、彼は違う。この上に誠実な配慮が入るのだ。
エルフリートに分かるように「やっています」とアピールをしてくれる。普通ならば、そこを隠すものだが、あえて表に出すのである。
「オズモンドは、信用できるから」
「あー! もうそれ以上言うな!」
オズモンドが淡々と語るエルフリートの口を慌てて塞ぐ。な、なにぃ!?
驚いたまま、もがもがと口を動かすエルフリートに向けて小さく叫ぶオズモンド。傍から見たらかなり怪しい風景である。
「ふぐふがむ……!」
「黙れって!」
「……一体何をしているんだ?」
あっ、その声は! 久しぶりでも間違えるわけがない。エルフリートはオズモンドの拘束を振りほどいてその声のした方に向いた。
「ロス!」
「……おかえり、フリーデ」
ロスヴィータがそっと両手を広げた。エルフリートは反射的にその胸に飛び込んだ。
「ただいまっ!」