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エルフリートは自室に戻る途中でラーシュに声をかけ、食事の用意を頼んだ。微笑んで「消化に良い、軽いものを用意しますと」だけ言ってすぐに背を向けたラーシュを見送ってから歩き出す。
スープかリゾットあたりかな。エルフリートはそんな事を考えながらのんびりと歩く。普段のような快活さはない。
ちゃんとエルフリーデらしくしなければ、とは思うものの「このくらいなら大丈夫」とつい自分の事を甘やかしてしまう。張りつめていた緊張の糸がゆるみ、伸びきっている事をエルフリート自身、自覚していた。
エルフリートは、本当にくたくただったのだ。
自室に戻り、コートを脱ぐ。雪まみれになったコートは屋敷の暖房のせいでずっしりと重い。特殊な加工が施された雪山用のコートとはいっても、コートの表面が雪でコーティングされるくらいの状態になれば、さすがに普通のコートと変わらない。
その雪が暖房で溶ければ、大雨の中で過ごしてきたかのような重たいコートのできあがりである。
「魔法で乾かすわけにもいかないしなぁ……」
ハンガーにひっかけたコートを見つめ、エルフリートは悩んだ。特殊な加工が魔法に反発する。そこを越えてしまえば、魔法は効果を発するだろうが特殊な加工の方が駄目になってしまう。
この加工はエルフリートの管轄外である。魔法とは異なる理にあるが、魔法具に通じる点もある。が、今はどうでも良いだろう。
「水浸しになりそうだな……タオル敷いとこ」
水でビチャビチャな床の上を歩きたいとは思わない。魔法がかけられないコートは少し不便だなあ。エルフリートはコートの下にタオルを敷き、ため息を吐いた。明日までに乾くだろうか。またすぐに使う事になるのだから乾いてくれないと困る。
食事が届くまでにできる事をしておいた方が良いだろう。エルフリートは乾いたタオルを使って可能な限りコートの水気を吸い取るのだった。
「フリーデ様、湯に入られなかったのですか?」
「え?」
「てっきり、湯で疲れを取ってから食事になさるのかと……」
ノックに対し、勝手に入るようにと回答してコートの処理を続けていると、ラーシュが驚きの声を上げた。わざわざラーシュ本人が現れた事からも、エルフリートが風呂上がりである可能性を考慮していたと分かる。
エルフリートは彼に指摘され、初めて自分が汗ばんでいた事に気が付いた。
「あ、そっか。ずっと動きっぱなしだったから」
「フリーデ様、さっさと料理を召し上がったら急いで湯に浸かってください。そしてゆっくりとお休みください」
「……ありがとう、ラーシュ。配膳はしなくて良いよ。忙しいだろうし、それくらい私にもできる」
「左様でございますか。では、失礼いたします」
ラーシュは心配そうにエルフリートを見やり、しかし小さく頭を下げて部屋から出ていった。一人残されたエルフリートは、彼が持ってきたワゴンの中身をテーブルに並べる。
ラーシュが用意してくれたのはパン粥だった。水分を吸ってふっくらとしたパンがおいしそうな湯気を立てている。木のスプーンが添えられていて、エルフリートが食べやすいようにという配慮が透けてみる。
さすが、気遣いのできる人間は違う。エルフリートは小さく笑んだ。
パンをひとかけらすくって、ふうっと息を吹きかける。そうして口に含めば、チーズのまろやかなコクが口内にふわりと広がった。
肉や香草を煮込んで作られただしが効いていて、優しい味がする。あっさりとしてしまう点をチーズがうまくフォローしているのが、ちょうど良い。
「思ったより、するっと食べれちゃった」
今日の厨房担当は誰だろうか、などと調理人のたちの顔を思い浮かべている内に、パン粥を食べ終えてしまった。
適切なボリュームだったはずだが、食べ終えてしまうと何となく物足りない気分になる。エルフリートは腹八分目が最適だ、これから寝るのだからこれくらいがちょうど良い、と自分に言い聞かせるのだった。
「はぁ……寝落ちそう」
少し熱めの湯が気持ちいい。エルフリートは伏せていた目を開いた。うっすらと湯煙に包まれたバスルームは今日のホワイトアウトを彷彿とさせるが、これはまったくの別物だ。
エルフリートはゆらゆらと揺れる柔らかな湯気を見つめ、ぐっと両腕を伸ばした。さんざん雪と戦いながら歩き続けたせいでこわばった筋肉がほぐれていくのが分かる。
ほかの筋肉も、同じようにストレッチさせてほぐしていく。湯の熱がエルフリートに移り、循環する姿を思い浮かべる。体がどんどんポカポカと温まっていく。
そろそろのぼせちゃいそう。熱い湯の中でゆっくり過ごすのは悪くないが、のぼせては意味がない。体を休ませる為の時間だしね。
エルフリートはゆっくりと立ち上がり、水気を拭っていく。ゆったりとした夜着に腕を通し、魔法で手早く髪を乾かした。
ふわふわとした柔らかな髪質のそれを簡単に編めば、寝る準備は完璧である。肌のコンディションを保つ為に化粧水などで肌のケアもした。
これで睡眠をとれば、明日からも頑張れる。
そうして準備万端となったエルフリートがいざ寝ようとすると、ドアがノックされた。
「ごめん、まだ起きてる?」
レオンハルトである。親友からの声掛けを無視する気はない。さっと立ち上がったエルフリートは足早に彼のもとへ向かう。
「何かあった?」
エルフリートがそう問えば、彼はふんわりと笑う。
「ううん。何も。倒れてないかだけ確認しきにたんだ。もう寝るところ? なら、良いや。おやすみ」
「……おやすみ?」
無事かどうかの確認とは、珍しい事もあるものだ。エルフリートはそう思いつつ、しかし親友の優しさを嬉しく感じながら、今度こそ眠りにつくのだった。
2025.12.25 一部加筆修正




