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第十七話「ブレインウォッシュの効果とはⅡ」

 愛里彩の髪を引きちぎり、家に帰宅した。


 はあ、はあ、はあ……全速力で走ってきたから息が苦しい。


 台所に行き、水道の蛇口をひねる。蛇口から水が勢いよく流れ、それをコップに注いでいく。

 コップに水が満タンになったら、口につける。


 ごく、ごく、ごくごく……。

 喉を鳴らしながら水を飲み、渇いた喉を潤す。


 ぷはあ〜、やっと人心地ついた。


 口についた水滴を手の甲で拭い、階段を上がる。

 自分の部屋に入ると、ドアのノブを右に回し鍵をかけた。


 あの女……マジでやばい。俺が思っていた以上に厄介な性格をしていた。


 愛里彩のあの様子では、被害届を撤回させるどころの話ではない。このまま手をこまねいていたら、痴漢冤罪以上の害を受けるに決まっている。


 助けは期待できない。結局、その後も麗良とは連絡がつかなかった。


 俺は俺の力でなんとかするしかない。


 洗脳機械ブレインウォッシュを使おう。


 あの性悪女相手なら、使っても罪悪感はない。あの女は絶対に反省しないし、これからも周囲を不幸にしていく。誰かが止めなければならないのなら、俺がやってやる。


 俺は押し入れの奥深くに手を伸ばした。手探りで探していると、冷たい金属の感触が指先に触れた。


 見つけた。


 慎重に取り出したのは、一見すると普通の小箱だった。しかし、その表面には奇妙な文様が刻まれており、触れるだけでかすかな振動を感じる。


 洗脳機械ブレインウォッシュ——俺がこの世界で唯一持つ、常識を超えた力。


 小箱を机の上に置くと、深呼吸をした。


「……やるしかないな」


 小箱の側面にある小さなスイッチに指をかける。


 カチッ。


 その瞬間、小箱が淡い青白い光を放ち始めた。機械的な起動音と共に、小箱がゆっくりと開いていく。


『起動中……システムチェック完了』

『洗脳対象のDNA情報を入れてください』


 俺は震える手で、愛里彩から引きちぎった髪の毛を取り出した。髪の毛を挿入口に入れると、それは機械の中に吸い込まれていく。


『対象を認識しました』

『関内 愛里彩(16歳・女性・血液型O型)の情報を取得しました』

『洗脳する内容をインプットしてください』


 液晶画面の上に、ホログラム式のキーボードが空中に浮かび上がった。


 洗脳内容は、もちろん小説「ヴュルテンゲルツ王国物語」に登場するキャラクターの記憶だ。


 さて、愛里彩をどのキャラクターに設定するか。


 女性キャラクターで愛里彩と年齢が近いのは、レイラとショコ・ゴッド。しかし、レイラは既に麗良に使用済みだ。


 となると——ショコ・ゴッドをベースにしよう。


 ただし、そのまま使うわけにはいかない。愛里彩専用にカスタマイズしなければ。


 新しいキャラクター名を考えた。


 愛里彩の「アリ」から取って、名前は「アリッサ」。

 そして姓は……彼女の性悪さを表現するなら「デビル」か? いや、あからさますぎる。


 デビール? ビーデル?


 よし、アリッサ・ビーデルに決定!


 新しいキャラクター設定を頭の中で組み立てていく。


 アリッサ・ビーデル:16歳、女性。王都スラム街出身の女戦士。


 両親は幼い頃に病死し、彼女は一人でストリートチルドレンとして生き抜いてきた。

 食べ物を得るために盗みを働き、寒さをしのぐために廃墟に隠れ住み、時には泥水をすすって命を繋いだ。


 そんな過酷な環境が彼女を最強の戦士に育て上げた。


 刃物の扱いに長け、毒の知識に精通し、どんな相手でも一撃で仕留める暗殺術を身につけている。


 しかし、より過酷な設定を追加しよう。


 両親はアリッサが5歳の時に、貴族の横暴により殺された。その貴族こそ、現実世界の小金沢グループに相当する悪徳商人だった。


 幼いアリッサは復讐を誓いながら、一人でスラムを生き抜いてきた。

 時には残飯を漁り、時には雨水を飲み、冬の寒さに震えながら廃墟で夜を明かした。


 そんな彼女を救ったのがショウだった。

 アリッサが悪徳商人への復讐を企てていた時、ショウが現れて彼女を説得した。


「復讐では何も解決しない。君の本当の望みは何だ?」


 ショウの言葉に、アリッサは気づいた。自分が本当に望んでいたのは復讐ではなく、同じような苦しみを味わう人がいない世界だったのだと。


 以来、アリッサはショウの理想に共感し、彼の右腕として戦うことを決意した。


 彼女のショウへの愛は、恋愛感情というより、救世主への崇拝に近い。ショウのためなら命も惜しくない。


 今回のターゲットである関内愛里彩——金持ちの家に生まれ、他人を苦しめることを娯楽とする最低の女。


 そんな彼女に、極貧の中で必死に生き抜いてきた記憶を植え付けてやる。


 今まで自分がどれだけ恵まれていたか、身を持って知るがいい!


 パソコンを起動し、「ヴュルテンゲルツ王国物語」の原稿ファイルを開いた。


 ショコ・ゴッドの部分をコピーし、新しいファイルを作成。名前をアリッサ・ビーデルに変更し、愛里彩の現実に合わせて細部を調整していく。


 容姿:ツインテールの美少女(愛里彩と同じ)

 年齢:16歳

 性格:クールで無口、だがショウには絶対的忠誠

 特技:格闘術、暗殺術、サバイバル技術

 弱点:ショウ以外の人間を基本的に信用しない


 設定を練り上げるのに一時間近くかかった。


 完成した原稿をUSBメモリにコピーし、洗脳機械の別のポートに挿入する。


『小説「ヴュルテンゲルツ王国物語」の情報のインプットが完了しました』

『対象キャラクター「アリッサ・ビーデル」の人格データを抽出しました』

『洗脳するデータ量を設定してください』


 空中につまみのようなホログラムが現れる。元の記憶と洗脳する記憶の比率を調整するためのものだった。


 左端が0%(洗脳記憶なし)、右端が100%(完全洗脳)。


 これは慎重に決めなければならない。


 愛里彩には、今まで生きてきた16年間の人生がある。憎たらしい奴だが、それを完全に無下にするわけにもいかない。やりすぎは危険だ。


 俺はつまみを慎重に3割の位置に固定した。


 7割は愛里彩本来の記憶、3割はアリッサの記憶。これなら愛里彩の人格を完全に破壊することなく、必要な変化を与えられるだろう。


 3割で小説でいうドルアガギール攻略までの記憶というところか。


 ドルアガギール——物語序盤の重要な敵キャラクター。ショウとアリッサが初めて共に戦った相手で、この戦いを通じて二人の絆は決定的なものになった。


『設定を確認します』

『対象:関内愛里彩』

『洗脳内容:アリッサ・ビーデルの記憶(0歳~13歳まで)』

『記憶比率:洗脳記憶30%、元記憶70%』

『効果時間:永続』

『これでよろしいですか? インストールを開始します』 


 最終確認のメッセージが表示される。


 赤い文字で「警告:この設定は対象に永続的な変化をもたらします。実行後の取り消しはできません」と表示されている。


 あとは、空中に映し出されたキーボードのEnterキーを押すだけだ。


 指先がキーの上で止まった。


 ボタンを押せば、もう引き返せない。

 愛里彩は永遠に変わってしまう。本来の彼女の人格は、70%しか残らない。

 これは一種の殺人と同じかもしれない。


 青白い光がキーボードを照らしている。部屋は静まり返り、自分の心臓の音だけが聞こえる。


 愛里彩のこれまでの所業が脳裏をよぎった。


 俺を痴漢に仕立て上げた時の、あの冷たい目。土下座させ、靴を舐めさせ、それでも足りずに百万円を要求してきた。善良なサラリーマンたちを食い物にしてきた過去。


 あの女は自分の行いを絶対に反省しない。このまま放置すれば、また新たな被害者が生まれる。


 迷いは消えた。


 やる!


 決意を込めて、Enterキーを強く押した。


『対象へのインストールを開始中……』


 画面に進行状況を示すバーが表示される。


 10%……30%……50%……


 バーが進むにつれて、機械の振動が強くなっていく。


 70%……90%……100%


『対象へのインストールを完了しました』


 ついに完了した。


 はあ、はあ……やってやったぜ。


 椅子にもたれかかり、深く息をついた。


 これで愛里彩も俺の言葉に耳を傾けるだろう。愛里彩の記憶の中では、俺は「ショウ・ホワイスト」——アリッサが最も信頼する救世主として刻まれている。


 俺は洗脳機械の電源を切り、再び押入れの奥に隠した。


 結果を待つ。やれることはやった。

 精神的な疲労が激しく、夕食もそこそこに眠りについた。



 ★☆



 翌日。

 起床し、机に座って考える。


 愛里彩は今、アリッサとなっているはずだ。アリッサなら自分がしでかした罪を深く反省し、被害届を撤回するために動くだろう。


 頼む!


 被害届が撤回されないと気が気じゃない。

 昼飯もろくに入らず、祈る気持ちで時間をつぶす。


 ……


 日が暮れかけた頃、携帯の着信音が鳴った。


 来たか!?


 携帯を手に取る。携帯のディスプレイには、「殺」の文字が表示されていた。


 警察だ。


 すぐに応答ボタンを押す。


 しわがれた声の担当刑事と話し、被害届が撤回されたことを知った。


 晴れて自由の身である。


 よかった。


 欲を言えば、ろくに取り調べもせずに痴漢と決めつけた刑事にも謝ってほしかったが、まあいい。とにもかくにも前科者にならずに済んだのだから。


 ほっとしたら腹が減ってきた。階段を降り、台所に向かう。


 テーブルには夕飯が用意されていた。俺の好物ばかりだ。近頃の俺は気分が沈みがちで暗かった。母さんが気遣ってくれたのかもしれない。


 席に着き、好物のエビフライをむしゃむしゃ食べながら思案する。


 後は、紫門だな。


 奴は、蛇のように執念深い。今回の痴漢冤罪のように、何度も嫌がらせを続けてくるだろう。


 麗良の力を頼れるかわからない今、アリッサという新たなカードを手に入れた。


 アリッサは、純粋な戦闘力では作中最強だった。だが、しょせんはそういう設定の記憶を脳にインストールしただけである。身体能力は、女子高生の域を出ない。


 せいぜい格闘技経験のある成人女性程度か?


 少なくとも、アリッサお得意の暗殺術なんてできようはずがないのだ。アリッサでは、紫門を完全に止められるかはわからない。となれば、最終手段を使うしか……いや、だめだ。あんなに危険な道具を安易に使用すべきではない。


 既にまさし君と麗良と愛里彩、三人に洗脳機械ブレインウォッシュを使用している。このまま誘惑に負けて使い続けていたらきりがない。


 確かに外道の紫門相手だ。


 自衛のため、義憤のため、正義のため。


 使う理由はいくらでも思いつく。


 だが、使わない理由は人柄が問われるという一点しかない。なんだそれぐらいと思うかもしれないが、人は品位を捨てれば、人として終わってしまう。


『恥も外聞もない人間になるな!』


 真面目な父さんから教えてもらった言葉だ。


 これから先の人生、大なり小なり嫌な人間とはいくらでも出会う機会があるだろう。そいつらと関わるたびに洗脳機械ブレインウォッシュを使うのか?


 ここで楽な道を覚えてしまえば、二度と自力で解決できない。人として成長する機会を失ってしまう。


 安易に危険な道具を利用し続ければ、いつか自分にしっぺ返しが来る。

 洗脳機械ブレインウォッシュは最終手段であり、できるだけ人間の知恵と勇気で乗り切るべきだ。

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