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第十五話「ヴュルテンゲルツ流剣闘術」

 午後の陽光が草乃月財閥本社ビルの最上階に差し込んでいた。


 執務室の窓辺に立ち、東京の街並みを見下ろす。高層ビルの群れが、春霞の中に浮かんでいた。


シモンクズめ、よくもやってくれたな」


 低く呟いた声には、前世からの深い憎悪が込められていた。


 三日前の出来事が脳裏に蘇る。


「麗良、お前に失望した」


 父・草乃月涼彦の声は、普段の温厚さを微塵も感じさせない冷たさに満ちていた。書斎の重厚な机を挟んで向かい合った父の顔を、今でも覚えている。


「紫門君から聞いた。お前が素性の知れない男に入れ込んでいるとな」


 シモンクズ——現世では小金沢紫門——がお父様に、私が悪い男に騙されていると報告したのだ。


「お父様、それは誤解です」

「誤解? 紫門君は証拠も持参してきた。お前がその白石という男と密会している写真、親密そうに話している動画もだ」


 怒りが込み上げる。シモンクズは前世の頃より、こういう工作が得意だった。


 しかし、お父様の記憶はまだ戻っていない。前世の話をしても、頭がおかしくなったと思われるだけだ。


「紫門は……信頼できません」

「お前は草乃月家の跡取りだ。個人的な好みで判断してよい立場ではない」


 父が立ち上がった。


「お前には当分、外部との接触を控えてもらう。特にその白石とかいう男とは、一切の関わりを断つことだ。そして、お前が担当していた新規事業の件は、すべて紫門君に引き継がせる」


 自分の顔が青ざめたのがわかった。長年かけて準備してきた事業を取り上げられ、身動きができない立場になりつつある。



 あの日から三日。


 私は自室に軟禁同然の状態に置かれていた。


 これ以上「権」を奪われては、大事なショウを守れなくなる。


 覚悟を決めなければならない。


 執務机の引き出しから、軍事レベルの暗号化通信機能を搭載した携帯電話を取り出した。


 お父様……譲歩は、ここまでです。


 通話が繋がった。


「ロック、私だ」

『お嬢様。お待ちしておりました』


 私が一番信頼している護衛である。


「例の件、始動する。父への対応は既定のプランBで」

『承知いたしました。小金沢グループの動きはいかがいたしましょう?』

「監視を続けて。必要があれば——」


 その時、執務室のドアがノックされた。


「麗良さま、紫門様がお見えです」


 メイドの声に、血管に氷が流れるような感覚が走った。


「麗良」


 ドアが開き、シモンクズこと小金沢紫門が姿を現した。午後の光を背に、笑顔を浮かべている。


 この忙しい時に、一番会いたくない男が現れた。


「やあ、麗良。元気にしてた?」


 シモンクズの声は親しみやすく、笑顔は人懐っこい。しかし、私にはその奥に潜む冷たさが見えていた。


 殺したい。


 右手が机の引き出しに向かいかけた。そこには護身用のスタンガンが入っている。


 いや、だめだ。落ち着け。ここは法治国家ジャパンだ。今は雌伏の時。


 シモンクズを無視して進む。しかし、シモンクズは前に回り込んできた。


「麗良、待ってくれ」

「……放しなさい」


 肩に手をかけてきたので、強引に振り払う。ハンカチでシモンクズが掴んでいた箇所を念入りに拭った。


「二度は言わせない。私の名をその汚らわしい口で二度と呼ぶな」

「白石は嘘を言っている。俺は麗良一筋だ。信じてくれ」


 シモンクズが胸に手を当てて誓う。真剣な表情だ。


 記憶が戻る前のお花畑な頭をしていた私なら、騙せただろう。


「誤解のないように言っておく。貴様がどこの雌猫と戯れようが、私には一切関係ない」

「ぷっ、なんだ。やっぱり嫉妬して怒ってたのか?」


 何を勘違いしたのか、シモンクズが軽口を叩く。


「それにしても、俺へのあてつけなら、もう少し人選を考えたほうがよかったんじゃないか? なにも白石のような底辺にしなくてもいいだろう」


 また私の大事なショウを侮辱した。


「ショウを侮辱するなら殺す。言ったはずだ」

「お、おい、正気か?」

「本気だ。私の理性が残っているうちに消えろ!」


 携帯電話でロックに指示をしながら、足早に進む。


「緊急事態だ。プランBを即座に実行」

「待ってくれ」


 シモンクズが追いかけてきた。


「白石が今どうしているか、知っているか?」


 ショウ!?


 きびすを返し、シモンクズの正面に移動する。


「ショウに何をした?」


 カバンから特殊警棒を取り出し、シモンクズへ向けた。この警棒は軍用グレードの特殊合金製で、人間の骨を易々と砕く威力を持っている。


「お、落ち着け。俺は何もしていない。あいつが勝手にやらかしたんだ」

「信じない。何をした?」

「だから、したのは白石だ。これを見てみな」


 シモンクズが携帯を見せてくる。


 動画が再生され、電車の車内が映し出される。ツインテールの女がショウに近づき、話をしている。


 ショウは少しおどおどしているが、終始笑顔で対応している。相変わらずだな。こんな尻軽女相手でも礼儀を忘れないのだ。


「くだらん。ショウは優しいから、こんな女でも笑顔で対応する。それだけだ」

「待て、待て。ここからだ」


 シモンクズは携帯の動画の続きを見せてくる。


 それから携帯の動画を見ていたら——


 ショウが尻軽女のお尻を触り、尻軽女が悲鳴を上げた。


「きゃあああ! 痴漢です。この人痴漢です!」


 動画の中で女性の絶叫が響く。周囲の乗客たちが一斉にショウの方を向いた。


「なっ! 俺は彼女に調査を頼んだだけだ。奴が性欲に負けて襲ってくるなんて夢にも思わなかっただろう」


 シモンクズが勝ち誇った顔で言う。


「白石は退学になる。電車内で痴漢行為を働いて警察に捕まったんだからな」


 血の気が引いた。


「……携帯を貸して」


 シモンクズから渡された携帯の動画を確認する。


 動画ではショウが痴漢をしたように見えるが、映像の中で女性がわざとショウの方に体を寄せている。そしてショウの手の動きは明らかに不自然だ。まるで何かに引っ張られるように、女性の方に向かっている。


 このシモンクズの手口は、わかっている。前世でも同じような偽装工作で多くの忠臣を陥れた。


 動画とか物的証拠とかどうでもいい。ショウが正しい。ショウがシモンクズにはめられたのだ。


 まずは、この捏造データを壊そう。


「ほかにデータは?」

「なんで……そんなこと」

「いいから答えなさい」


「……俺の調査に協力してくれた子が持っている」


 シモンクズの携帯からSDカードを取り出し粉砕、そのまま携帯も力任せにバキバキに壊していく。


「なっ!? お前いきなり何やってんだ!」


 シモンクズが携帯を取り戻そうと手を伸ばしてきた。


 その瞬間、特殊警棒が弧を描いた。


「へぶらぁああ!」


 シモンクズが鼻を押さえて絶叫する。鮮血が指の間から滴り落ちた。


 私の大事なショウを苦しめて、許さない。


 倒れているシモンクズの顔に、何度も何度も特殊警棒を振り下ろす。執務室の床に血が飛び散った。


 ゴキッ、バキッ!?


 シモンクズの前歯が折れて床に落ちた。


「くっく、いい顔になったじゃないか」


 私の表情は、前世の戦場で敵を見下ろした時の王女になっていることだろう。


「て、てめぇ、こっちが下手に出てたらいい気になりやがって! もう許さねぇ。ぶっ殺してやる」


 シモンクズの額に青筋が浮かぶ。アドレナリンが大量に放出されているようで、しっかりと立ち上がった。


「麗良ぁああ! てめぇが財閥の娘だろうと容赦しねぇ。ぼこぼこに顔を腫れ上がらせてやる」


 その言葉で、シモンの本性が完全に露わになった。前世でレイラを苦しめた残虐な大公の顔が現れた。


「ふっ、とうとう本性を現したか。いいぞ、それでこそ殺しがいがある」

「ほざけぇえ!」


 シモンクズがステップを踏みながら突進してくる。ボクシングスタイルだ。


 私はカバンから特殊警棒をもう一つ取り出し、両手で構える。


「二刀? くっく、素人が。俺のボクシングの腕知ってるよな。プロのライセンスも取った」


 シモンクズが頭を低くし懐に入ってくる。


「ヴュルテンゲルツ流武技、三の太刀」


 右手の警棒を眼前に、左手の警棒を上に構える。腰を落とし、相手を見据えた。


 この構えは、前世で何百回、何千回と反復練習した型だった。王宮に仕える近衛隊長直々に習った実戦剣闘術。血反吐を吐くほどの訓練を行った。


「ぷっ、ヴェルなんだって? 麗良、やっぱりお前頭がおかしくなったんだな!」


 シモンクズがニヤつき、右ストレートを放ってくる。


 拳が迫る。

 空気を切り裂く音。


 だが——遅い。


 世界がスローモーションになった。シモンクズの拳が、まるで水の中を進むように緩慢に見える。


 前世の記憶が身体を動かす。考えるより先に、筋肉が反応した。


 右手の警棒が弧を描く。

 金属と肉がぶつかる鈍い音。

 シモンクズの拳が軌道を逸れる。


 同時に、左手が動いていた。


 一瞬の静寂。


 左手の警棒が、シモンクズの顎を捉えていた。


 完璧な「三の太刀」だった。


 鈍い衝撃音。シモンクズの身体が宙を舞った。執務室の窓から差し込む午後の光の中を、影が弧を描いて飛んでいく。


 床に叩きつけられ、痙攣するように転がった。


「あ、あぐ、はぁ、はぁ、痛え。死ぬほど痛え」


 シモンクズは地面をのたうち回っている。


 特殊警棒についた血を拭いカバンにしまうと、シモンクズの傍まで歩く。床に落ちた影が、シモンクズを覆った。


「あ、あ、まさか……」

「ああ、そのまさかだ」


 私は満面の笑みを見せる。


「や、やめ、退院したばか——」

「死ねぇ!」

「ぐへぇらぁああ!!」


 最後は思いっきりシモンクズの股間を蹴り飛ばしてやった。


 泡を吹いて気絶するシモンクズ。このまま命まで絶つべきであろうが、今はまだ早計だ。


 シモンクズをその場に残し、携帯電話でロックに連絡する。


「ロック、緊急事態だ。ショウの居場所を調べろ」

『既に調査済みです。白石翔太氏は現在、渋谷警察署に身柄を拘束されています』

「保釈の手続きは?」

『弁護士チームを既に派遣しています。ただし、相手側に有力な証拠があると主張しています』

「すべて捏造だ。証拠隠滅も含めて、完全に処理しろ」

『承知いたしました』


 通話を終え、ビルの屋上へ向かった。


 風が強い。髪が激しく揺れる中、ヘリコプターが待機していた。ローターの回転音が、夕暮れの空に響いている。


「渋谷警察署まで、最短コースで」

「はい!」


 ヘリコプターが離陸した。眼下に東京の街並みが広がり、夕日に染まったビル群が遠ざかっていく。


「ショウ、待っていて。必ず助け出す」


 前世では、シモンクズの策謀によってショウを失った。


 今度は違う。今度こそ、愛する人を守り抜く。

【補足】

 ヴュルテンゲルツ流剣闘術は、二刀を縦横無尽に駆使しつつ、足払いや投げ技などの組討ちも含んだ実戦的剣闘術である。戦場での生存を第一とした武技であり、美しさよりも確実性を重視する。

 ヴュルテンゲルツ王国の王族・貴族に代々伝承されてきた秘伝の武術で、実際の戦場経験を積んだ近衛隊長クラスの武人によってのみ指導される。一般的な剣術とは異なり、「生きて帰る」ことを最優先とした殺人術の側面が強い。


二刀流の基本理念

 右手に攻撃用、左手に防御用の剣を持つのが基本だが、状況に応じて両手とも攻撃に転じることができる。相手の武器を一方で受け止めながら、もう一方で確実に急所を狙う戦法を得意とする。


後の先の技法

 相手の攻撃を受け流しながら反撃する「後の先」の技を多数含む。作中でレイラが使用した「三の太刀」も、この技法の一つである。敵の攻撃を一方の剣で捌き、その勢いを利用してもう一方の剣で反撃を繰り出す。この技法の真髄は、相手の力を利用することにある。強力な攻撃ほど、それを逸らした時の反動も大きく、より致命的な反撃が可能となる。


組討ち要素

 純粋な剣技だけでなく、接近戦での足払い、関節技、投げ技も体系に含まれている。武器を落とした際や、至近距離での戦闘に対応するためである。特に王族護衛の場面では、暗殺者との肉弾戦も想定されている。


十の太刀~四の太刀:基本技(初級~中級)

三の太刀:作中でレイラが使用した技(上級・習得済み)

二の太刀:奥伝(最上級・レイラは未習得)

一の太刀:流派の最奥義(秘伝・レイラは未習得)


三の太刀の詳細

 相手の正面攻撃を右手の剣で弾き、同時に左手の剣で顔面に突きを入れる技。一連の動作が流れるように行われ、相手に反撃の隙を与えない。ボクシングのような直線的な攻撃に対しては特に有効。


作者の白石翔太が創作する際に参考にした実在の剣術流派:

鏡新明智流:二刀流の基本構造

神道無念流:後の先の理論

北辰一刀流:実戦的な間合いの取り方

心形刀流:組討ち要素

天然理心流:足腰を重視した構え


 これら名だたる古流剣術の技法をミックスし、架空の王国の武術として再構築した結果、極めて実戦的で強力な剣闘術となっている。

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― 新着の感想 ―
[一言] 白石が自分に厨二病全開のブレインウォッシュかければ、めちゃくちゃ強くなるのか。
[良い点] すごいな、洗脳すると架空の技までを実際に 習得しそれを扱えるようになるのか ということは素人にものすごい強い戦いかたを 洗脳としていれたらボクシングのプロや 他のそういったプロにも勝てちゃ…
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