第十二話「最初のリベンジ、まずは賠償金だね」
春の暖かい陽射しが降り注ぐ学校の屋上。普段なら多くの生徒たちで賑わうこの場所が、今日は完全に貸し切り状態になっている。屋上への入り口には「立入禁止」の札が掛けられ、黒服の男性が警備に立っていた。
そんな特別な空間で、俺——白石翔太は草乃月麗良と向かい合って座っていた。
二人きりで、仲良く昼食を囲んでいる。
どうしてこうなった?
心の中で何度も繰り返してきた疑問を、また呟いてしまう。
答えは分かっている。俺が宇宙人からの贈り物「洗脳機械」を使ったからだ。
一秒で論破。原因解明、終了です。
あの運命の日から一週間。
学校では麗良と行動を共にするのが日常になっていた。朝の登校時には麗良専用の高級車で迎えに来てもらい、昼食は屋上の特等席、放課後も一緒に帰る。移動教室、休憩時間、すべての時間を麗良と過ごしている。
取り巻きたちはいいのか?
以前の麗良なら、常に財閥令嬢仲間や取り巻きたちに囲まれていたはずだ。桜井香織、神崎祥子、白百合聖子、金森雅美といった名家の令嬢たち。彼女たちについて、どう思っているのだろう。
気になって麗良に聞いてみたところ、答えが返ってきた。
「売国奴たちとつるむ気はない」
前世の記憶を取り戻した麗良にとって、以前の友人たちは「国を裏切った重臣たち」として映っているらしい。彼女の中では、現実と前世の記憶が完全に重なり合っているのだ。
「はは……」
乾いた笑いしか出てこない。
ちなみに、あの日麗良に制裁された紫門と佐々木は現在、緊急入院している。股間が腫れて全治二週間だとか。
いい気味だ。実にいい気味だ。
長い間俺をいじめ続けてきた連中が、今度は病院のベッドで苦しんでいる。因果応報とはまさにこのことだろう。
このまま紫門たちも洗脳してしまえば、完全に立場が逆転するのだが……
ちらりと正面にいる麗良を見る。
麗良は、満面の笑みで俺を見つめていた。
その笑顔は無防備で、純粋で、まるで大恋愛の末に結ばれた恋人同士が見せ合うような表情だった。
以前の高慢で冷たい表情とは正反対だ。
これは、人格を殺す道具なのだ。以前とは段違いの態度の変化がそれを物語っている。
自重だ。自重しよう。
欲望に負けてはいけない。
確かに今は紫門たちが入院中で手が出せない状況だ。そして麗良が味方になってくれている。それだけで十分なはずだ。紫門たちのいじめがなくなり、少しでも平穏な高校生活を送れるようになれば、彼女の洗脳を解けばいい。
解き方はわからないけど……
なんとかするんだ!
いつか必ず、麗良を元に戻す方法を見つけなければならない。
「ショウ、どうだ。美味いか?」
麗良の声に現実に引き戻される。
「う、うん、うまいよ」
正直に答える。嘘ではない。目の前の料理は確実に美味しかった。
「そうか、遠慮するな。おかわりもあるぞ」
テーブルの上には、まるで宮廷料理のような豪華な弁当が並んでいた。
五重の重箱。
それぞれの段に、松茸、キャビア、フォアグラといった高級食材がふんだんに使用されている。人参は職人が丁寧に彫刻した孔雀の形になっており、まさに芸術品のような仕上がりだ。
これは麗良が用意した弁当——いわゆる高級料亭の仕出し弁当である。しかも、総理大臣やVIPが通う「超」がつく高級料亭のものらしい。
総理大臣って……場違いにもほどがある。俺のような一般家庭の息子には、一生縁のない世界だ。
キャビアにフォアグラといった高級食材を、しがない高校生の身分で食べられようとは思いもしなかった。人生で初めて口にする味ばかりだ。
「はぁ~」
思わずため息が出てしまう。
いや、不満があるわけではない。俺が頼んだことなのに、文句を言うほど傲慢ではない。
ただ、この状況に至るまでの経緯を思い出すと、複雑な気持ちになるのだ。
麗良を洗脳したあの日のことを思い出す。
記憶を取り戻した麗良は、突然「償いをする」と言い出し、お金を渡そうとしてきた。
諭吉さん一枚や二枚ではない。札束の山だった。それも一束や二束ではない。
麗良のボディガードがいつの間にか持ってきたジュラルミンケースを見たときは、心底びびった。
ドラマでよく見る光景——ジュラルミンケースを開けて、バラバラと札束が零れ落ちる場面。まさにあの状況だった。
あんなに大量のお金、初めて見たよ。
一千万円はゆうにあっただろう。もしかしたらもっとかもしれない。
俺がパニックになっていたのに、麗良は涼しい顔でこう言ったのだ。
「ひとまず現金は、これぐらいあればいいか」
さらに驚いたのは続きだった。
「これ以上はかさばるから、お前専用のクレジットカードも用意してやろう」
草乃月銀行のプラチナカード。
VIPしか知らない特別なカードで、引き出し上限はないらしい。十億円ほど入金されており、好きなだけ使っていいとのことだった。足りなくなれば、すぐに補充してくれるという。
引くよ、引きますよ。
こんな大金をもらって、のうのうと生きていられるほど無神経ではない。俺は根っからの小心者なのだ。
「お金はいらない。勘弁してくれ!」
麗良に何度も懇願した。
必死に頭を下げ続けた。
しかし、麗良は「是が非でも償いをする」と言って、頑として譲らなかった。
双方の押し問答が続いた結果、俺は妥協案を提示した。
「代わりにお弁当が欲しい」
よくある光景を想像していた。
可愛い彼女が何かのお礼に手作り弁当を作ってくる——ドラマや漫画でよく見るパターンだ。おにぎりに卵焼き、タコさんウインナーが入っている、そんな庶民的で温かい弁当を。
正直、草乃月財閥を舐めてました。
麗良が用意した弁当は、想像を遥かに超えるゴージャスさだった。
テレビの特番で見た、数十万円もする高級おせち料理。一つ一つの食材が天然物で、有名な料理人が腕を振るって作られたもの。この弁当は、それに劣るどころか完全に上回っている。
この弁当、一体いくらするんだろう?
恐る恐る麗良に尋ねてみた。
「あの、これいくらかかったの?」
「なんだ、気になるのか?」
「そりゃね、あんまり高いと悪いし」
麗良は微笑みながら答えた。
「ふふ、気にするな。これは私の償いの一つだ。この程度ではとても償いにはならないが、お前のたっての頼みだからな」
「はは……そう」
「ちなみに値段は安くはないとだけ言っておこう」
その時の麗良のドヤ顔が印象的だった。
草乃月財閥が言う「安くない」という表現。一千万円を「とりあえず」と言って渡すような家だ。想像したくない金額だった。
もう聞かないでおこう。
これ以上詳しく知ったら、ストレスで髪が抜けてしまいそうだ。
ポジティブに考えよう。
これ以上深く考えたら負けだ。
最近は栄養を十分に摂っていなかった。ストレスで胃がキリキリと痛み、食事も喉を通らない日が続いていた。
この機会に美食を楽しもう。
そう決心して、箸を手に取った。
海老、蟹、イクラ……高級食材が次々と口の中に運ばれていく。
どれも絶品だった。普段食べている食事とは次元が違う。
次はメインディッシュだ。
西洋の至宝と呼ばれるフォアグラを箸で掴み、口に入れる。
「うっ!? うめぇ~」
ほろりとほぐれるやわらかな食感、そして濃厚なソースが舌を刺激する。これまで経験したことのない味わいだった。
美味である。美味である。
箸が止まらない。
次から次へと料理を口に運んでいく。
「もぐもぐ、うまい、うまいよ。こんなに美味い飯は初めてだ」
素直な感想を口にする。
「そうか、そうか。この程度のもので……清貧生活は辛かっただろう。安心しろ。お前に二度とひもじい思いはさせん」
麗良がハンカチで目元を拭っている。本当に心配してくれているようだ。
しかし、その表現には少し引っかかるものがあった。
いや、何気に家をディスってるな。
清貧生活ってなんだよ。俺の家は確かに草乃月家ほど裕福ではないが、普通の中流家庭だ。
確かに毎日ステーキは食べられないが、月に二回は好物のすき焼きを食べているし、外食だって普通にしている。
あまり中流家庭を舐めないでほしい。
「別に、ひもじい思いはしていないよ。普通に肉も食べるし、こんなに高級じゃないけど美味しい食事もしている」
俺の反論に、麗良は懐かしそうな表情を浮かべた。
「相変わらずだな。飢饉の時もそう言って、やせ我慢をしていた」
「飢饉って……」
事情を知っている俺だから平気だが、普通なら頭がおかしい人だと思われてしまう発言だ。
麗良は前世の話を事実として語り続けている。俺がヴュルテンゲルツ王国なんて知らないと言ったにも関わらず、いきなり前世の説明を始めた時は本当に引いた。
まあ、俺が原因だから仕方がないのだが。
とにかくだ。俺は、一応記憶が戻っていない設定だったはずだろう!
一応、突っ込んでおくべきだろう。麗良のためにも。
「麗良さん、飢饉って何?」
わざと無知を装って尋ねてみる。
「ふっ、そうだった。記憶が戻っていないのだったな」
麗良は一瞬ハッとした表情を見せた後、説明を始めた。
「うん、記憶は戻っていないよ。前世の話だったっけ?」
「そうだ。お前は私が最も信頼する家臣だった。前世、テンメリの飢饉という大規模な災害が発生してな。お前のおかげで多くの民が救われた」
「そ、そう……」
麗良の目が輝いている。誇らしげに俺を見つめながら話を続ける。
「あぁ、お前は民を優先し、寝食を忘れて政務に取り組んだ。周りが休めと言っても休まずにな」
うん、やめて。
確かにそんな話を書いた。小説の第一章、第三十話での出来事だった。
テンメリの飢饉が発生した時、ショウは即座に災害対策本部を設置し、事態収拾に取り組んだ。複雑で困難な案件の数々を、三日徹夜して二時間だけ仮眠を取り、また三日徹夜するという過酷なスケジュールで乗り切っていく。
その間、ろくに食事も摂らず、水だけで生き延びていた。各地を視察して貴重な食糧を手に入れても、すべて子供たちに分け与えてしまう。
極限の空腹を正義の心で乗り越えた男、ショウ。
どんな超人だよ!
聖人の中の聖人にしかできないようなことを、俺は小説の中で彼にやらせていた。
現実の俺は、そんな立派な人間ではない。朝食と昼食を抜いただけでフラフラになってしまう軟弱者だ。
俺は「翔太」であって、小説の「ショウ」ではないのだ。
無駄だとは思うが、理解してもらいたい。説得を試みてみよう。
「麗良さん、あまり前世の話をしないほうがいい」
「なぜだ?」
「いや、本当かどうかもわからないし……」
「事実だ」
きっぱりと断言される。
「そうだとしても、麗良さんが周りから変に思われるよ」
「ふっ、周りからどう思われようが構わん。それよりも、こうやって前世の話をして、ショウの記憶が戻るきっかけになればと思ってな」
「麗良さん、正直、前世の話って言ってもピンとこない。き、きっと夢を見たんだよ。ね、だからもう前世の話は忘れたほうがいいよ」
「ショウ、今は何を言っているかわからないだろう。だが、そのうちわかる」
麗良は確信に満ちた表情で答える。
これ、もうだめだ。本当どうしよう。
完全にお手上げ状態だ。
⭐★
数日後。
俺の栄養状態が悪いと判断したのか、お弁当が日増しに豪華になっていく傾向にあった。
まさか今日、ふぐ刺しを食べられるとは思わなかった。
専門の職人さんが学校まで来て、目の前でトラフグを捌いてくれたのである。まな板の上で鮮やかに包丁が踊り、見事な薄造りが完成していく様子は、まさに職人芸だった。
天然物のトラフグは絶品だった。上品な甘みと独特の食感が口の中に広がる。
明日は、ウナギの蒲焼だってさ。
熟練の職人さんのスケジュールも押さえているらしい。
その職人というのが、三ツ星ホテルの総料理長や、その道五十年のベテランシェフといった、料理界の重鎮ばかりだ。料理コンクールで数々の賞を受賞している人たちが、わざわざ高校生の昼食を作りに来てくれる。
超忙しいだろうに。
申し訳なさが募っていく。
また罪悪感が膨れ上がってきた。いい加減、この状況を終わらせるべきだ。
「麗良さん、昼食はもう——」
言いかけた時、麗良の携帯電話が鳴った。
「ショウ、手に入れたぞ。幻の宝魚が釣れたと連絡が入った。明日は魚料理だ」
麗良が携帯を片手に嬉しそうに報告してくる。
どこかの漁業団体と直接交渉したのだろう。クルーザーまで出動させているとなると、相当な金額が動いているはずだ。
うん、手遅れだね。
既に断れない雰囲気が完全に構築されている。明日も流されるまま、豪華な料理を平らげることになるだろう。
これ、どうしよう?
そんな俺の心配をよそに、麗良が静岡県産の最高級茶葉を使ったお茶を注いでくれる。
すごい玉露だ。
香りだけで高級品だとわかる。鼻腔をくすぐる上品な香りが、心を落ち着かせてくれる。
……と、とりあえず保留だ、保留。
悩みを抱え込むのは精神衛生上よくない。お茶を飲んで、まずは気持ちを落ち着かせよう。
お茶を受け取り、ゆっくりとすすっていると、屋上の扉が勢いよく開いた。
「く、草乃月さん、準備が整いました」
息を切らせながら宮本が現れ、深々と頭を下げる。
「……遅い」
麗良がじっと見つめながら、冷たく一言呟く。その視線には明らかな不満が込められていた。
「も、申し訳ございません」
宮本が米つきバッタのようにペコペコと頭を下げ続ける。以前の彼からは想像もできない卑屈な態度だった。
「ショウ、準備が整ったそうだ」
麗良が俺に向き直る。
「う、うん」
ついに来てしまった。覚悟を決めて、麗良と一緒に教室へ向かう。
廊下を歩きながら、心臓が激しく鼓動しているのがわかった。これから起こることを考えると、緊張せずにはいられない。
教室の扉を開けた瞬間。
「うぉっ!!」
事前にわかってはいたけれど、驚きの声が出てしまった。
教室に入るなり、クラス全員から土下座されたのだ。
男女の区別なく、全員が地べたに頭をこすりつけている。その光景は圧巻だった。
うちのクラスは家柄が良い生徒や成績優秀な生徒、プライドの高い連中が多い。そんな奴らが、これまで底辺扱いしていた俺に土下座をしているのだ。
納得していないだろうなぁ~。
案の定、悔しさのあまり肩をプルプルと震わせている者が何人もいる。内心では歯ぎしりしているに違いない。
あの騒動の日、麗良はクラスの皆を物理的に始末しかねない勢いで責め立てた。
麗良の精神構造は、絶対王政時代の王族そのものだ。躊躇なく元クラスメートを処刑する可能性だってある。
本気でやると決めたら、必ずやる女なのだ。シャレにならない。
俺は必死に麗良を止めた。必死に説得を重ね、なんとか慰謝料を徴収する形でけりをつけることができた。
慰謝料の内容は、現在持っている貯金のすべてと、今後親からもらう小遣いの七割という条件だった。
普通なら、こんな無茶な要求を聞く人間はいない。
しかし、普通ではない状況が出来上がっていた。日本経済を牛耳っている草乃月財閥、そのご令嬢の命令だからだ。
従わなければ、麗良に【敵】として認定される。麗良が本気だということは、もう全員が理解していた。なにせ、あの紫門のキンタマを容赦なく潰したのだから。
恐怖におののいた皆が、渋々従うことになったのだ。
俺はこれから、クラスメートたちからお金を受け取ることになる。
抵抗感はない。こいつらに同情する義理も義務もない。かといって、俺もお金を受け取らないほど聖人でもない。
いじめられていた時のことを思い出す。
ノートを破られ、上履きを隠され、教科書に落書きをされた。その度に新しいものを買い直さなければならず、出費がかさんだ。湿布や絆創膏代だって馬鹿にならない。
親には心配をかけたくなくて言えず、貯金を切り崩して対処していた。確実に損害は発生していたのだ。
何より、心の傷は深い。
遠慮なく頂いておこう。
最初の生徒から財布を受け取り、中から現金を抜き取る。
「ひ、ひっぐ……」
お金を徴収されたクラスの男子が泣いている。先週まで面白半分で俺を殴っていたのが、嘘のようだ。
諭吉さんが一枚、二枚、三枚……
す、すげー。
さすが金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんが通う高校だ。学生にしては相当な額を持っている。
「次だ」
麗良に促され、次の生徒が前に出る。
クラスの女子だった。男女の区別はない。皆、出し惜しみすることなくお金を差し出してくる。
プライドの高い連中まで、なぜここまでするのか疑問に思う人もいるだろう。実際、そこそこの家柄の子もいる。
最初は親の権威を利用して、麗良の要求を突っぱねようとした者もいたらしい。しかし、そういう輩に対しては、麗良が持てる力を十全に使い、その家ごと潰しにかかったのだ。
彼らの弱みを握り、脅しをかけた。草乃月財閥には、CIA並みの諜報機関があるという噂もある。あながち嘘ではないのかもしれない。
麗良曰く「彼らの弁慶の泣き所をがっちりと握っている。安心しろ」とのこと。
もしその情報が公開されれば、破産どころか一家が路頭に迷うレベルの破壊力があるらしい。
怖い、怖いよ。
恋愛経験がないため、小説内では婚約者に騙された残念王女という位置づけだった麗良。
しかし、本来の麗良は違う。三国志の武将で例えるなら、コーエー準拠で政治九十、魅力九十二という設定のハイスペック王女なのだ。
俺は麗良の設定を作る際、図書館やインターネットで調べた帝王学の知識をまるまる詰め込んでいた。リアル孫権と言っても過言ではない。
そんな絶対王政で辣腕を振るっていた王女様だ。たかが高校生程度の首根っこを押さえることなど、朝飯前だろう。
そんな次第で、続々と俺の前に積み上がっていくお金。
うなだれて教室を出ていくクラスメートたち。
立場が完全に逆転していた。
次は宮本の番だ。
こいつは間違いなく、いじめ戦犯の中心人物の一人である。許す気は毛頭ない。
俺は、よこせとばかりに乱暴に宮本の顔の前に手を差し出す。
「し、白石、てめぇ調子に乗るんじゃ——」
宮本が俺を殴ろうと手を振り上げた瞬間、黒服の男がその手を掴んだ。
「黒岩さん!」
麗良の筆頭ボディガード、黒岩さんだった。
黒岩さんは無言で頷くと、そのまま宮本を地面にたたき伏せる。一瞬の出来事だった。
麗良のボディガード、強すぎだね。
ちなみに、麗良のボディガードは何人かいたが、黒岩さん以外は全員クビになっていた。
以前のボディガードたちは、どこか冷たい連中だった。俺がいじめられている時、馬鹿にしたような目つきで見ていたし、指を指して笑っている者もいた。
中には、麗良の恋人である紫門へのポイント稼ぎのためか、いじめに加担してくる者さえいたのだ。
とにかく、以前のボディガードたちは麗良と紫門にだけ親切で、他の人間には冷淡だった。
しかし、黒岩さんだけは違っていた。
重そうな荷物を持って困っている女子生徒を手伝ったり、見えないところで俺がいじめられないよう配慮してくれていた。
ボディガードという本来の仕事があるため表立っては動けないが、裏で手を回して俺を守ってくれていたのだ。
黒岩さんのおかげで、いじめが幾分か軽減されていた。
スキンヘッドでごつい体型にもかかわらず、心は優しく大人な性格の黒岩さん。
だから俺は、小説の中で黒岩さんを良いキャラクターとして設定していた。王女レイラを獅子奮迅の働きで守り抜く忠臣として描いたのだ。
王女の近衛隊士ブラック・ロック。
ミナトガワの撤退戦で、レイラ王女を庇って壮絶な最期を遂げる。
敵の弓兵隊が雨あられのように矢を放ってくる中、レイラ王女を背にして仁王立ちになり、自分の身体で矢を受け止め続けた。全身がハリネズミのようになっても決して倒れず、ひたすらレイラ王女を守り抜く。
まさに弁慶の仁王立ちを彷彿とさせる最期だった。
ちなみに、他のボディガードたちは帝国側に寝返るか、王女を見捨てて真っ先に逃げ出すという設定にしていた。
その小説の影響だろう。
麗良が黒岩さんを見る目は、絶大な信頼に満ちていた。
逆に黒岩さんは、少しおどおどしている様子だった。突然の麗良の変化に戸惑っているのだろう。
それでも、さすがはプロフェッショナルだ。内心で動揺していても、仕事は確実にこなしている。
黒岩さんはもともと優秀な人物だったが、麗良の信頼を得てますます重用されるようになっていた。今では麗良の筆頭ボディガードに昇進している。
「草乃月さん、一体どうしたんですか! こんな白石のような底辺に、なぜここまでするんですか!」
地面にたたき伏せられた宮本が、必死になって叫ぶ。
その言葉を聞いた瞬間、麗良の表情が一変した。
「どうやらお仕置きが必要みたいだな」
そう言うと、麗良は自分のカバンから特殊警棒を取り出した。
まさか……。
教室にいる全員が、まさかと思ったに違いない。
この平和な日本で、学生が通う学び舎で、まさかそこまではしないだろうと。
しかし、俺は草乃月麗良という財閥の一人娘についてはよく知らないが、中世の絶対王政の世界で女王として君臨していたレイラ・グラス・ヴュルテンゲルツについては誰よりもよく知っている。
何せ作者だから。
予想通り、麗良は一切の躊躇なく、その警棒を宮本の顔面に叩き下ろした。
「うぎゃあああああ!」
宮本の悲鳴が教室中に響き渡る。
ゴキリという鈍い音が鳴り、明らかに鼻骨が折れたことがわかった。
宮本は大量の鼻血を流しながら、むせび泣き始めた。顔面は血まみれになり、鼻は明らかに曲がっていた。
「言ったはずだ。ショウへの侮辱は絶対に許さんと」
麗良の声は氷のように冷たかった。
「あ、あぐぅ、あ、あ、ひどい。こんなに血が……鼻が折れて……ちくしょう。舐めやがって。ここまでされたら、俺も覚悟を決める。警察に通報して……」
宮本が恨みのこもった目つきで麗良をにらみつける。
人ひとりを殺しそうな凄まじい視線だったが、麗良は少しも意に介さない。それどころか、望むところとばかりに口角を上げた。
「面白い。警察か……では戦おう。草乃月財閥の総力を挙げて貴様をつぶす」
「はぁ、はぁ……う、訴えてやる。こんな暴力、許されない。犯罪だ」
「そうか。ではまず法廷で戦おう。こちらは法律のエキスパートを勢ぞろいさせておく。巨額の負債を抱えさせ、貴様の家をまずは破産させよう。破産して売るものもなくなれば、その身を裏稼業の者にでも叩き売ってやるか」
麗良は冷酷な表情で、淡々と恐ろしいことを述べていく。
これは脅しではない。本気だ。本気で宮本を社会的に抹殺するつもりなのだ。
絶対王政時代の国王を舐めてはいけない。敵と判断した者は、一族郎党まで滅ぼすのが当然の世界なのだ。
麗良女王の凄まじい気迫を受けて、平和な日本で生きてきただけの高校生が太刀打ちできるはずがない。
宮本の顔色が見る見るうちに真っ青になり、全身をがたがたと震わせ始めた。
今更ながらに草乃月財閥の権力の恐ろしさを、そして麗良という人物の本質を再認識したのだろう。
そして……。
「うぅ、わかりました。申し訳ございません。私が間違っていました」
完全に屈服した宮本が、震え声で謝罪する。
「おいおい、謝る相手が違うだろう。まだ教育が必要か?」
麗良が再度、特殊警棒を構え直す。その動作だけで、宮本は恐怖で縮み上がった。
「ひぃひぃ、すみませんすみません。そうでした。し、白石さん、大変申し訳ございません。償います。なんでも償いますから、どうか、どうかお許しを」
宮本が震える手で財布を差し出してくる。
同情する気持ちは起こらない。俺も散々いじめられ、極限まで追い詰められ、ノイローゼ寸前まで追い込まれていたのだから。
宮本の財布を遠慮なく受け取る。
手に取った瞬間、その重みに驚いた。
某有名芸能人が愛用していると雑誌で紹介されていた、高級ブランドの財布ではないか。
高校生のくせに、けしからん。
宮本の財布から現金を取り出していく。
うぉ、諭吉さんが分厚いぞ。
宮本の財布の中身は想像以上だった。学生の身分でありながら、数十万円以上の現金を持っていたのだ。
紫門と佐々木が入院中の今、宮本がクラスでナンバーワンの金持ちということになる。
さらに驚いたことに、宮本の銀行通帳やクレジットカードまで使用できることが決まったのだ。
一気に懐が温かくなった。
今まで貯めてきた貯金など、お遊びレベルに思えるほどの大金だった。完全な黒字転換である。
どうしよう?
高校生の身分でありながら、車だって買えてしまうほどの金額だった。