第十二話「最初のリベンジ、まずは賠償金だね」
春の陽射しが降り注ぐ学校の屋上。普段なら生徒たちで賑わう場所が、今日は貸し切りだ。入り口には「立入禁止」の札、黒服の男が警備に立っている。
そんな空間で、俺——白石翔は草乃月麗良と向かい合って座っていた。
二人きりで、仲良く昼食を囲んでいる。
どうしてこうなった?
答えは分かっている。俺が洗脳機械を使ったからだ。
はい、一秒で論破。原因解明、終了です。
あの日から一週間。学校では麗良と行動を共にするのが日常になっていた。朝は麗良専用の高級車で迎えに来てもらい、昼食は屋上の特等席、放課後も一緒に帰る。
以前の麗良なら、常に財閥令嬢仲間や取り巻きたちに囲まれていたはずだ。彼女たちはどう思っているのだろう。
気になって聞いてみた。
「売国奴たちとつるむ気はない」
前世の記憶を取り戻したことになっている麗良にとって、以前の友人たちは「国を裏切った重臣たち」らしい。
「はは……」
乾いた笑いしか出てこない。
ちなみに、あの日制裁された紫門と佐々木は緊急入院中だ。股間が腫れて全治二週間だとか。
いい気味だ。実にいい気味だ。
ちらりと正面の麗良を見る。
満面の笑みで俺を見つめていた。
無防備で、純粋で、恋人同士のような表情。以前の高慢で冷たい顔とは正反対だ。
これは、人格を殺す道具なのだ。
自重しよう。欲望に負けてはいけない。
紫門たちのいじめがなくなり、平穏な高校生活を送れるようになれば、麗良の洗脳を解けばいい。
解き方はわからないけれど……なんとかするんだ。
人の人生がかかっているのだから。
「ショウ、どうだ。美味いか?」
麗良の声で我に返る。
「う、うん、うまいよ」
テーブルには、宮廷料理のような弁当が並んでいた。
五重の重箱。松茸、キャビア、フォアグラ。総理大臣やVIPが通う高級料亭の仕出し弁当らしい。
俺が麗良を洗脳したあの日、麗良は「償いをする」とジュラルミンケースを持ってきた。中には札束の山。一千万円はあっただろう。
さらに草乃月銀行のプラチナカード。十億円入金済み、好きなだけ使っていいと。
受け取れるわけがない。
「お金はいらない。勘弁してくれ!」
必死に懇願した結果、妥協案として「お弁当」を頼んだ。
おにぎりに卵焼き、タコさんウインナー。そんな庶民的な弁当を想像していた。
正直、草乃月財閥を舐めていました。
海老、蟹、イクラ……高級食材が次々と口に入る。
フォアグラを箸で掴み、口に運ぶ。
「うっ!? うめぇ~」
ほろりとほぐれる食感。濃厚なソースが舌を刺激する。
「もぐもぐ、うまい、うまいよ。こんなに美味い飯は初めてだ」
「そうか、そうか。清貧生活は辛かっただろう。安心しろ。お前に二度とひもじい思いはさせん」
麗良がハンカチで目元を拭っている。
いや、何気に家をディスってるな。
俺の家は草乃月家ほど裕福ではないが、普通の中流家庭だ。
「別に、ひもじい思いはしていないよ」
「相変わらずだな。飢饉の時もそう言って、やせ我慢をしていた」
「飢饉って……」
麗良は前世の話を事実として語り続けている。
「麗良さん、あまり前世の話をしないほうがいい」
「なぜだ?」
「麗良さんが周りから変に思われるよ」
「ふっ、周りからどう思われようが構わん。それよりも、こうやって前世の話をして、ショウの記憶が戻るきっかけになればと思ってな」
「そうだ。お前は私が最も信頼する家臣だった。前世、テンメリの飢饉という大規模な災害が発生してな。お前のおかげで多くの民が救われた」
麗良の目が輝いている。
「あぁ、お前は民を優先し、寝食を忘れて政務に取り組んだ。周りが休めと言っても休まずにな。極限の空腹を正義の心で乗り越えた」
うん、やめて。
確かにそんな話を書いた。小説の第一章、第三十話での出来事だ。
どんな超人だよ!
聖人の中の聖人にしかできないことを、俺は小説の中でショウにやらせていた。
現実の俺は、そんな立派な人間ではない。朝食と昼食を抜いただけでフラフラになる軟弱者だ。
俺は「翔」であって、小説の「ショウ」ではないのだ。
「麗良さん、正直、前世の話って言ってもピンとこない。き、きっと夢を見たんだよ」
「ショウ、今は何を言っているかわからないだろう。だが、そのうちわかる」
麗良は確信に満ちた顔で答える。
これ、もうだめだ。本当どうしよう。
*
お茶を飲んでいると、屋上の扉が勢いよく開いた。
「く、草乃月さん、準備が整いました」
息を切らせた宮本が、深々と頭を下げる。
「……遅い」
麗良が冷たく一言。
「も、申し訳ございません」
宮本が何度も頭を下げる。以前の彼からは想像もできない卑屈さだ。
「ショウ、準備が整ったそうだ」
ついに来た。覚悟を決めて、麗良と教室へ向かう。
廊下を歩きながら、心臓がうるさい。
教室の扉を開けた瞬間。
「うぉっ!!」
分かってはいたけれど、声が出た。
クラス全員が、土下座していた。
男女の区別なく、全員が額を床にこすりつけている。
俺を「底辺」と呼び、ノートを破り、上履きを隠し、教科書に落書きをしてきた連中。その背中が、今は俺の足元にある。
視線を巡らせる。
先週、俺の腹を蹴った男が震えている。
俺の机に「死ね」と書いた女が、唇を噛み締めている。
紫門に媚びて俺を殴っていた男が、悔しさで肩を震わせている。
胸の奥で、何かが弾けた。
ざまあみろ。
ざまあみろ。ざまあみろ。ざまあみろ。
熱いものが全身を駆け巡る。同時に、どこか冷めた自分もいた。
これは俺の力じゃない。麗良の力だ。洗脳という卑怯な手段で手に入れた、借り物の勝利だ。
でも——それがどうした。
俺がどれだけ苦しんだか、こいつらは知らない。学校に行くのが地獄だった。死にたいと思った夜もあった。
心の傷は深い。
「遠慮なく頂いておこう」
最初の生徒から財布を受け取り、現金を抜き取る。
あの日、麗良はクラスの皆を始末しかねない勢いで責め立てた。俺は必死に止め、慰謝料を徴収する形で決着をつけた。
貯金のすべてと、今後の小遣いの七割。
草乃月財閥のご令嬢の命令だ。従わなければ、敵認定。なにせ、紫門のキンタマを容赦なく潰した女だ。
恐怖に負けて、皆が従った。
「ひ、ひっぐ……」
金を取られた男子が泣いている。先週まで俺を殴っていたのが嘘のようだ。
諭吉さんが一枚、二枚、三枚……
さすが金持ちが通う高校だ。学生にしては相当な額を持っている。
「次だ」
麗良に促され、続々と金が積み上がっていく。
うなだれて教室を出ていくクラスメートたち。
立場が完全に逆転していた。
*
次は宮本の番だ。
いじめの中心人物の一人。許す気は毛頭ない。
俺は乱暴に宮本の顔の前へ手を突き出す。
「し、白石、てめぇ調子に乗るんじゃ——」
宮本が拳を振り上げた瞬間、黒服の男がその手を掴んだ。
「黒岩さん!」
麗良の筆頭ボディガードだ。
黒岩さんは無言で頷くと、宮本を地面に叩き伏せた。
黒岩さんは、以前から俺に親切だった。
困っている生徒を手伝ったり、見えないところで俺がいじめられないよう配慮してくれていた。他のボディガードが俺を馬鹿にしていた中、黒岩さんだけは違った。
だから俺は、小説で黒岩さんを良いキャラにしていた。王女レイラを守り抜く忠臣、近衛隊士ブラック・ロック。ミナトガワの撤退戦で、王女を庇って壮絶な最期を遂げる男だ。
その小説の影響だろう。麗良が黒岩さんを見る目は、絶大な信頼に満ちている。
「草乃月さん、一体どうしたんですか!こんな白石のような底辺に、なぜここまでするんですか!」
叩き伏せられた宮本が叫ぶ。
その言葉を聞いた瞬間、麗良の目が変わった。
「どうやらお仕置きが必要みたいだな」
麗良がカバンから特殊警棒を取り出した。
空気が凍る。
俺は草乃月麗良という財閥令嬢についてはよく知らないが、中世の絶対王政で君臨していたレイラ・グラス・ヴュルテンゲルツについては誰よりもよく知っている。
何せ作者だから。
止めるべきか——そう思った瞬間には、もう遅かった。
麗良の腕が振り下ろされる。
警棒が宮本の顔面へ落ちていく。
躊躇がなかった。
ゴキッ。
鈍い音。
血飛沫が床に散った。
「うぎゃあああああ!」
宮本の悲鳴が響く。
鼻が曲がり、血が流れ落ちている。
誰も動けなかった。俺も、クラスメートたちも。
麗良だけが平然と立っていた。
「言ったはずだ。ショウへの侮辱は絶対に許さんと」
麗良の声は冷たかった。
「あ、あぐぅ……ちくしょう。警察に通報して……」
宮本が麗良を睨みつける。
麗良は意に介さない。むしろ口角が上がった。
「面白い。警察か……では戦おう。草乃月財閥の総力を挙げて貴様をつぶす」
「う、訴えてやる。こんな暴力、許されない」
「そうか。ではまず法廷で戦おう。巨額の負債を抱えさせ、貴様の家を破産させよう。売るものもなくなれば、その身を裏稼業の者にでも叩き売ってやるか」
麗良は淡々と恐ろしいことを並べる。
脅しではない。本気だ。
絶対王政時代の国王を舐めてはいけない。敵と判断した者は、三族郎党まで滅ぼすのが当然の世界だ。
宮本の顔が青ざめ、全身ががたがたと震え始めた。
「うぅ、わかりました。申し訳ございません。私が間違っていました」
宮本が屈服した。
「おいおい、謝る相手が違うだろう」
麗良が警棒を構え直す。
「ひぃひぃ、すみませんすみません。し、白石さん、大変申し訳ございません。償います。なんでも償いますから」
宮本が震える手で財布を差し出す。
同情はない。俺も散々いじめられ、ノイローゼ寸前まで追い込まれたのだから。
財布を受け取る。某有名ブランドの高級品だ。
「高校生のくせに、けしからん」
中身は想像以上だった。数十万円以上の現金。さらに銀行通帳やクレジットカードまで使用できることになった。
一気に懐が温かくなった。
高校生の身分で、車だって買える金額だった。
——これが、俺の望んだ未来なのだろうか。




