幻を追う
学校では期末試験が始まっていた。あの真面目な奏海が定期試験すらも休み、野田の言っていた事は本当なのだと雅は実感する。
試験の日はどの学校も基本的に下校が早い。この冬の季節、最近では夜の下校が多く寒気が体を刺すようであったが、試験日に限っては昼前の暖かな日差しを浴びながら帰る事ができた。
雅はその日差しを浴びながら、幸せとは対極のような表情で病院へ向かった。病院の自動ドアを開き、エアコンで調節された暖かい空気に身を包まれる。雅が病院の中へ進もうとすると、既に受付の近くに野田が立っていた。
「話は僕の部屋でしよう。この前の部屋に行くから着いてきてくれ」
野田は手短かにそう言うと、雅を連れて例の部屋へと入った。
「本当はもう一人来てもらうつもりだったけど、まだ間に合わないみたいでねえ。とりあえず、雅君だけに来てもらった」
野田は表情の読めない顔で言った。
「どういう状況なんです?川野は、一体どうしてしまったんですか?」
雅は当然ながら、奏海の容態について尋ねた。
野田は何と説明しようか迷った様子で、溜息を一つついた。
「まず結論から言っておくと、川野さんはこの病院の医師によって人為的に容態を悪化させられている」
「……!?」
雅の喉から、声にならない声が出た。
「雅君、僕は脳について、夢について研究していると言ったね?ここは全国でも大きい部類に入る病院だが、脳医学については全国トップレベルと言ってもいい。だから、僕以外にも脳について研究している人がいる」
雅は質問が喉から出かけた状態で話を聞き続ける。
「それらの研究から、今話せる事を話しておくよ。まず、川野さんの容態を悪化させた医師を彼とするよ」
雅は乗り出し気味だった上体を元に戻す。
「彼は、川野さんを使って、分かりやすく言うと人体実験を行っているんだ。その実験は、夢の世界に行く実験」
雅にとって、何を言われているのかよく理解できなかった。いきなり人体実験と言われ、その内容もファンタジーのような感覚が甚だしい。
「僕たちは、夢が何なのかというものについて長く研究してきた。その結果、夢というのは何種類かに分かれる。一つは、過去の記憶が寝ている間に投影されるもの。一つは、空想や妄想の類い。そしてもう一つは、『あったかもしれない未来や現在、そして過去の世界を見るもの』だという事が分かった。そして彼は、その3つめの世界に行く事を目指して研究を続けていたらしい。それがうまく行くかどうかを、川野さんを使って確かめたって事だ」
雅はここで漸く、口から声が出た。
「ちょっと待って下さい。それなら何で、野田さんはそんなに落ち着いていられるんです?そんな悠長に語れ───」
「雅君。僕が落ち着いていると思うのかい?」
雅の言葉を遮るようにして放たれた野田の言葉が場の雰囲気を一瞬凍らせた。
「確かに、彼を気遣うような言い方もしているかもしれない。でも許して欲しい。彼は最愛の妻を亡くし、絶望の淵に沈んだ男なんだ。そして彼の目的はおそらく、その夢の世界で──「あったかもしれない現在」で、その奥さんに会う事。それを、彼の絶望を知っている僕らが気安く止める事はできないんだ」
「でも」
「そして僕には幸せな家庭と、妻がいる。この立場で、僕は彼に何と言えばいいんだい?」
雅は黙りかける。しかし、奏海の事を思い出し、言葉を絞り出す。
「でも、だからって放っておくんですか?川野は自分にとって、大切な人なんです」
野田は暗い表情を崩さなかったが、冷静さは保っていた。
「だから、君に来てもらったんだ。彼女を助けるためには、君の協力が必要だ」
野田は雅に向かって言葉を続ける。
「『寝言を言っている患者に声をかけると夢の世界から戻ってこれなくなる』という迷信があるが、あれと非常に似たような話だ。まず、彼はおそらく診察時に脳の検査として川野さんを寝させ、その間に脳に電波を送り込んで、夢の内容を変化させたはずだ。つまり、何重にも、いや数えきれない程の「あったかもしれない世界」を夢の中で旅をさせ、操作していたんだ。それこそ夢のような話かもしれないが、これが彼が何年も何年も研究し続けた成果なんだろう。どういう刺激を送れば夢の内容がどう変化するか、彼はずっと研究をしていたからね。まず、その世界から川野さんを連れ戻す必要がある。ただ、彼は川野さんの意思を捻じ曲げて夢の内容を操作したため、今彼から操作系統を奪って操作しても、川野さんは戻って来れない可能性がある。それをどうにかするためには、川野さんと関係がある君に、その世界に行ってもらう必要があるんだ。彼の研究を間近で見ていて、彼の最終研究結果も発見した僕ならば、君に対して彼と同じような施しをできるはずだ」
異様なまでに複雑な話のはずが、雅の脳にはスラスラと入って来た。つまり、雅も奏海と同じように「あったかもしれない世界」を旅し、奏海が迷い込んだ世界で奏海を発見し、「君がいるべき場所はここじゃない」と教えればよい。野田の話は、まとめるとこういう事だった。
「ただし、これは川野さんを引き戻すきっかけを作ったにすぎない。あくまで夢の世界は意識世界であり、この場合は平行世界だ。最終的には彼が操作している状況をどうにかして、川野さんを連れ戻さないといけない。そのための、きっかけ作りを君にやってもらいたい。やってくれるかい?」
野田の様子から、浮ついた様子は一切感じられない。未だ納得できないが、自分のために、野田のために、雅は野田の「夢旅行」の計画を承諾した。
「分かりました。それで川野が助かるなら」
雅は力強く頷いた。
「本来、これは病院として恥じるべき話だ。医師が患者を利用し、その医師を医師が擁護する。申し訳ないよ。ただ、理解してほしい」
雅にとって「彼」がどういう人物なのかは謎であったが、少なくとも実の父も母の死で変わってしまった状況を見ている。理解できないものではなかった。
「じゃあ、隣の部屋で行うよ。準備を始めよう」
頭の至る所にクリームのようなものを塗られたと思えば線のようなものを付けられ、いつの間にか準備は終わっていた。
「じゃあ、これから部屋を暗くする。雅君は睡眠状態に入ってくれ。睡眠に入った事が確認できたら、僕がその線から刺激を送って、君に思い通りの夢を見せる。君はあとはその夢の世界で、川野さんに『ここはいるべき世界じゃない』と伝えてくれればいい。それが終わったと思ったら、こちらからまた雅君を引き戻す。じゃあ、始めるよ」
部屋の電気が落ちた。
どれくらい時間が経ったか、雅の浅いながらも眠りに落ち、意識が夢に沈んだ。
なかなか稚拙な文章になってしまったような気がしますが、ご勘弁下さい。




