2.説得
俺のプロポーズに対して、白石は感極まった様子でしばらく返事をしてくれなかった。
「はい。こちらこそよろしくお願いしますっ!」
数分後、白石から返ってきた返事はこれまでの鬱屈とした雰囲気を吹き飛ばすような、快活な返事だった。
しばらく余韻に浸った俺達は、手を繋いで家路に着いた。
「それじゃあ、また明日」
「ああ」
一緒に乗った電車が彼女の家の最寄り駅に到着すると、自動ドアを挟んで俺達は別れを惜しんだ。
「……母体なんだから、あんまり無茶をするなよ? 何かあったら、連絡してくれ」
自動ドアが閉まる直前、ホームに発車ベルが響く中、俺は白石に言った。
「……は、はい」
白石は少しだけ照れ臭そうに俯いた。
そうして自動ドアが閉まると、白石は走り去っていく電車に乗る俺に向けて小さく手を振ってくれた。
……まさか、こんなに早く人の親になることになるなんて。
これまでの漠然とした自分の将来設計からは想像もつかない状況に陥った。
……しかし、その割には今の状況は、個人的には前向きに受け止められていることは言うまでもない。
白石が深刻に状況を受け止めていて、それを真横で見ていることも前向きになれている要因の一つだろうか?
わからない。
……が、悩んでいる暇は、今の俺には恐らくない。
「いらっしゃいませー」
気だるげな返事をする大学生くらいの男性がレジをしているコンビニに、俺は入店した。
コンビニに立ち寄った理由は、欲しいものがあったため。
その欲しいものとは、買い食いのお菓子だとかジュースだとか、そういう類のものではない。
「山本ー。陳列手伝ってー」
「すみません」
同じく大学生くらいの女性店員に、俺は声をかけた。
……女性に声をかけている今の俺の姿は、白石に見せることは出来ない。もし見せたら、買い物目的とはいえ発狂ものだ。
「あん?」
女性店員は俺にガンを飛ばしてきた。
中々に態度の悪い女だ。
「すみません。履歴書ってこのお店に置いてないですか?」
「履歴書? 何、バイトの面接でも受けようっての?」
「ええ、まあ」
「ふうん。頑張って」
「はあ。それで、履歴書の場所は?」
「……山本ー。履歴書って売ってたっけー?」
わからねえのかよ。
「すみません。ウチの店員が無礼な態度を」
レジにいた男性店員は、淡々とした口調で俺に頭を下げた。
「あ、いえ」
「履歴書ならこちらに」
「どうも」
お目当てのブツを購入した俺は、コンビニを後にした。
「ありがとうございましたー」
とりあえず、あのコンビニを利用することはもうないな。
「ただいまー」
家に着いた俺は言った。
「おかえりー」
「夕飯出来てるぞ」
両親の声がリビングから聞こえてきた。
俺は靴を脱いで、リビングへ。
「おかえり。今日は遅かったじゃない」
「ああ。まあ……色々あって」
「ふうん。勉強はちゃんとやってる?」
「勿論。抜かりはない」
……本来であれば、白石と共に妊娠報告をするべきところなんだろうが、俺達の年齢だったりその他諸々を考慮すると、報連相は怠るべきではないか。
「二人とも、夕飯の前に、少し時間を頂けませんか」
「何、いきなり敬語で」
スマホを弄っていた母が、訝し気な顔で俺を見た。
「大事な話がある」
「大事な話?」
父は興味なさそうに抑揚のない声で聞き返してきた。
「何よ、改まって。……あっ、もしかして白石ちゃんとのこと?」
父への紹介はまだだったが、母には既に恋人である白石のことは紹介済みだった。
……というか、紹介するつもりなんてなかったのだが、両親がいない日を見計らって白石を家に呼んだところ、母が家に帰ってきてしまい、紹介せざるを得なくなった格好だった。
ちなみに、白石の母にも俺の存在は知れている。
こちらはお家デートの際にバッタリ出くわしたというよりは……白石が自分の母に俺の存在を惚気まくった結果らしい。
「ああ、白石とのことで合っている」
「へー。お前、恋人がいたのかー」
「そうなの。すっごい可愛いのよ。……ただ、あんまり気落ちしなさんな」
「気落ち?」
「破局報告でしょ?」
「違う。年頃の男子が両親に恋人との破局を報告すると本当に思っているのか」
母は、確かに、と言った様子だった。
「え、じゃあ何よ。……もしかして身籠らせちゃった?」
……。
「あはは。まさかそんなはずないわよねー。あなた達、高校生だもの。そんなことありえないって」
……なんでこういう時だけ鋭いんだ、この人は。
「……え?」
冗談のつもりで言ったのだろう。
母は気まずそうに沈黙した俺を見て、困惑した様子だった。
……俺の報告に、当初興味がないと言った様子だった父は、母への問いに返事をしない俺を見て血相を変え始めた。
「……晃」
「そうだ」
「あきらっ」
「……俺は彼女を妊娠させてしまった」
いつの間にか立ち上がり、俺の前に立ちふさがっていた母は、目を血走らせていた。
そうして、怒りのままに俺の右頬を思い切り叩いた。
「何やってんのよっ! あんたはっ!!!」
……わかりやすい激怒だった。
「あんた……。あんたっ、自分が何を仕出かしたかわかっているの!?」
「わかってる」
「わかってない! わかっていたら、なんでそんなに落ち着いていられるのよっ!」
「落ち着きを失ったら、白石を妊娠させてしまった事実が消えるのか?」
「消えない! 消せるわけない!」
「そうだ。だから落ち着いている。自分の仕出かしたことを受け止めて、今後どうすればいいかを考えているんだ」
「開き直るんじゃないわよ!」
「開き直ってなんかない。俺の今考えていることは、言葉の通りだ。今後、どうすればいいか。俺と、白石と、二人の子をどうすれば幸せに出来るか。それしか考えていない」
「ち、ちょっと……!? あんた、子供を産む気なの!?」
「ああ」
「ああって……あんたって子は」
母は呆れた様子で頭を抱えていた。
「……晃。そこに座りなさい」
「はい」
ようやく口を開いた父に促されて、俺は父と対面する場所に腰を下ろした。
「君の言うことはもっともだ。恋人を妊娠させてしまった以上、その事実から目を逸らしても何も変わらない。そこは同意する。しかし、その後の君の選択が正しいとは思えない。学生での妊娠、出産。子育てがどれ程のリスクを孕むのか。それをわかった上で、君は……君達は子を産む、という選択をしたのかい」
「……本音を言えば、そうではないです」
「……」
「彼女、体質的に妊娠の兆候が出づらかったんだ。いや違うか。妊娠の兆候はわからずとも、間近で彼女を見ていた俺は、彼女の微かな変化に気付いていた。それでもその変化の理由を確認しなかった。だから結局、両者の落ち度だ。……ともかくそういうことで、今日初めて妊娠疑惑が出たから、産婦人科に寄っていた」
「それで帰宅が遅くなったのか」
「……妊娠二十三週目だった。今からの人工中絶は違法だそうです」
「……なるほどね」
「だから……言ってしまえば出産することになったのは成り行きだった。でも、もし中絶出来るタイミングだったとしても俺は中絶は選ばなかったと思う。勿論、父さん母さんや、相手方の両親にもキチンと納得してもらった上で出産してもらうつもりだった」
「……人の親として、学生での出産を納得すると思うかい?」
父の声は優しい。
しかし、俺が望む結末にする気はないと暗に告げてきていた。
「……相手を妊娠させてしまった、という責任を感じている君の気持ちはわかる」
父の声は、俺を諭すようだった。
「でも……幸い、君は男。示談金で場を収めることだって出来る」
「しないよ」
「お金のことなら心配するな、と言っても?」
「うん」
「……どうして?」
「決まってる」
俺は微笑んだ。
「俺が彼女のことを愛しているからさ」
彼女との間に子供が出来たとわかって、どんな結末であれ中絶させることはなかったと思う。
何故なら、俺が白石のことを、彼女に先程伝えたように愛しているから。
「……愛なんて感情、若造の君が本当に理解出来ているのかい?」
「愛なんて主観的な感情は、人によって定義も様々だ。ならば、理解も何もない。自分のものさしで、これが愛だと思ったなら、それが愛だよ」
「……わかった。君が君のものさしで恋人のことを愛していることは認めよう」
父は呆れたようにため息を吐いた。
「しかし、子供の方はどうだ。世間一般では未成年の出産はあまり良い顔をされない。それはどうしてだかわかるかい」
「色々あるに違いないけど、一番は子供に対して責任を取れないからだろう」
若いということは、人としての成熟が未熟である可能性が高い。
未熟な人間は、成熟した人間より責任能力が欠けている可能性が高い。
責任能力が欠けた人間が子供を育てるということは……つまりそれだけ、子供にすること。子供がすることに対する責任も取れないことを意味する。
だから、未成年の出産は世間からあまり良い顔をされない。
……俺達も、この年で子供を産んだら世間から冷ややかな目で見られるだろう。
「でも、それなら対策は簡単だ」
俺は微笑んだ。
「俺達は俺達の間に産まれてくれた子供に対して、必ず産んだ責任を取るよ」
そう出来る確信も俺にはあった。
「それなら文句ないだろう?」
「……そうだね」
父はため息を吐いた。
「君が本当に、責任を取り切れるのならね」
「……」
「愛している人のため、愛している人との間に産まれた子供に責任を取る。そういうことは簡単だ。というか、皆が必ずそう言うんだ。産む前は。でも、そういう耳障りの良いことを言う人の中には数割、自分の発言の責任も取らずに逃げ出す者もいる」
「俺の言葉は信用に値しない、というわけだね」
「そうだね」
「わかった」
「……夜逃げでも画策するかい」
「しない。夜逃げなんてしたら、それこそ責任能力に欠けていると取られるだけだろう」
「なら、どうする」
「明後日、また時間をください」
「……」
「明日は白石の家に話をしに行く。だから明後日。彼女も連れてくる」
「……」
「そこで、また判断してください。……俺達に責任能力があるか。ないかを」
……ここまで父に対して、熱い視線を送ったのはいつ振りだろう。
いや、もしかしたら初めてかもしれない。
そう思うくらい、今、俺は父に対して感情むき出しの瞳をぶつけていた。
「わかった。待ってるよ」
父は少しだけ苦笑して、肩を竦めた。




