白金の騎士
月が雲に隠れて辺りは薄暗く草が風に靡いている中、アーサーは空を見上げて何か黄昏るように立っていた。
「主よ。」
背後から静かな声でしかし聴き馴染んだ声が聞こえてきて、アーサーはゆっくりと振り返った。
そこには彼が跪いていた、彼はアーサーに話がある時はよく跪いて頭を深く下げていたが。
今回はいつもよりさらに深く、まるで地面に話しかけている様だ。
アーサーは目の端で彼を捉えると、再びゆっくりと自然を戻す。
アーサーにとって彼が近くにいるのは当たり前の事で、物心ついた時にはもう彼が後ろを歩いてきていた。
いやもしかしたら生まれた時から一緒にいたのではないかと思うほど、いつも自然に自分の近くに居て見守ってくれていた。
自分とは2~3歳しか違わない彼は、アーサーにとっては主従関係以外に特別な感情があるのかもしてない。
だからこそ返事をしなくてもわかってくれる、そう思って再び前を向いて目を瞑った。
「おねがいがあります。今回の戦いでは主の鎧を貸してはもらえないでしょうか。そして、自分に囮の第1部隊の指揮官をお任せ下さい。」
ゆっくりとした口調で一文字一文字しっかりとした発音をし、まるで自分の意思を伝えるように。
その時、急に辺りが明るくなり雲の割れ目から月が顔を出し光が降り注いできた。
彼は思わず顔を上げ、そこには主であるアーサーがこちらの方を向き自分の目の前に立っていた。
その黄金の髪の毛は月の光を浴びて、まるでホワイトゴールドの用に少し白みを帯びている。
そのせいか何か神秘的な雰囲気をだし、いつもより落ち着いているように見えた。
「それは、お前の意思だな。」
「はい。」
彼は即答していた、彼の中で今回の作戦は囮の部隊さえ役目を果たすことが出来れば、主が被害をこうむる心配はないと考えていた。
彼にとって主が最優先事項でそれ以外の事は取るにたらない事で、たとえ自分の命さえもただの道具にすぎない。
今回の作戦は第1部隊が敵部隊と接触誘き出して伏兵で仕留める。
単純に考えるとそうだが、彼にとっては違い彼がアーサーの白金の鎧を借りる事で、アーサーの名声を上げるための作戦を実行しようとしていた。
その内容は白金の鎧の兵士=アーサーであるという、思い込みと先入観を利用する方法だ。
先の戦いで「アーサー卿が白金の鎧を着て、戦場に出て敵大将を討ち取った。」と話が民の中で広まっている。
アーサー卿が先頭に立って敵部隊に突撃すれば、他の兵も続かないわけにはいかない。
相手はガイド卿で主を深く恨んでいた、ならば白金の兵士がいればアーサーだと勘違いして引けば追撃をしてくる。
もし自分が死んで部隊が崩壊しても相手は追撃をしてくる、これは偽装ではなく本当に敗走している。
騙さなくても、相手が勝手に来てくれる。
そして勝つことが出来れば、アーサー卿が戦死したから白金の兵士が死んだ。ただの兵士が死んだ。アーサー卿が勝利した。アーサー卿が大軍相手に勝利した。アーサー卿は再び奇跡を起こした。
数多の噂話が生まれそのたびに死んだのはアーサー卿ではなく、関係のない兵士が戦死したという事実にすり替わる。
話が広がるにつれて白金の兵士は薄れていく、だからこそ彼は主の鎧を借りて戦場に立とうとしていた。
彼は強い意志を持って大きな思いを背負っている。
その時再び月が雲に隠れ、風に揺れていた草たちも静かになった。
一瞬の静けさの後、彼は黄金の瞳に見つめられながら再び深く頭を下げる。
太陽が昇り辺りが明るくなった頃には、彼は騎乗したまま平原についていた。
その後ろには500名ほどの部下が列を乱すぜ整列している、彼はアーサーから白金の鎧と白い馬を借りていた。
彼は首を左右に動かし兵達を改めて見渡す、その仕草は大きく大袈裟にみえたが、兜のせいで少し視界が狭まっていたために大袈裟に見えていた。
「最初に言わないといけない事がある、この話を聞いてここから去る者がでるかもしれない。しかし、もし戦列を離れても構わない。罪にも問わない。だからこそ話を聞いたら決めてもらいたいことがある。」
突然の声に兵達は困惑な表情を浮かべ近くの者と何事かと話し始め、囀るような声から小声に変わり場を収集できなくなっていく。
馬上から見ていた彼の目には人の頭が風に揺られて動く草花の用に、左右にゆらゆらとゆっくりと動き兵士たちの話し声が草のせせらぎのように聞こえる。
「今回の戦いは。いや、これからの戦いは同じ国の者と戦う事になる。しかも今回の戦いは近くの町や砦から兵士が補充されている。もしかしたら、友人、親兄弟、家族と戦う可能性がある。顔なじみを前にして剣を振り降ろすことが出来るのか、もし命乞いをしてきた友人に対して剣を振り降ろすことは出来るのか。」
辺りは急に静まり返り、まるでこの場のすべての音が消えてしまったように。
「俺は戦える。俺の父親は王都に仕事に出かけて、その時反乱軍に襲われて死んだ。その仇を取るためだったら殺すことが出来る。」
沈黙を破り声を荒げたのは15~6歳の少年のように見え、過呼吸のように呼吸が荒く何度も息を吐いたり吸ったりを繰り返し興奮のあまり目が血走っていた。
その声に続く様に「戦える。」と叫ぶ者がでてきくが、それは皆先ほどの少年と同じくらいの年齢だった。
兵士の中には俯くものが多く、年齢が上がるほど目を合わせないようにしていた。
彼は馬上から右手を前に突き出して、首を上下に動かして頷くしぐさをしながら。
「君たちの覚悟は分った。」
若い兵士たちは手に持った槍を天高くかざし、気勢を上げるために叫び声を上げた。
周りから見る者にしたら最悪な展開で、若者が一時的な激情にかられ意味もなく命を散らそうとしているようにみえ。
血気盛んな若い者の士気は高まったが逆にそれ以外の者の士気は下がり、2つの間に溝を作ってしまっている。
最悪なことに上に立つものが、戦列を離れることを許している。
最悪部隊が崩壊しかねなかった、そんな中彼が次の言葉を放った瞬間空気が変わった。
「しかし誰でも親しい者や、同じ国の者と戦うのは辛い。辛いと表していいかは正直わからない。でも1つだけ言えることがある。お前は何のためにそこに立っている。想いは別でも理由があってその場に立っているのだろう。ならば戦え、この戦いで行う業も憎しみもすべて私が背負う。責任は私に押し付けても構わない、その代わりこの国を救うために力を貸してくれ。」
彼の言葉は若者の気持ちを落ち着かせ、冷ややかな視線を送っていた兵士たちの顔つきも変わり。
胸が熱くなり自分では抑えられない感情があふれ出し、いつのまにか手に持っていた武器を必死に握りしめ叫び声をあげている。
そして彼が剣を抜いて天高く掲げると、兵達も手に持った武器掲げ己を鼓舞するために叫び声を上げた。
その声は空気を震えさせて、肌がピリピリと焼けるようだった。
この時初めて兵達の心は1つになり、一致団結した兵ほど怖いものはなくある意味死兵のようだった。
これで倍以上の相手でも互角に戦える、彼は兜の下で汗を流しながら叫び声を上げていた。
彼にとっても部の悪い賭けで正直兵達の士気は部隊長ほどはなく、年齢が上がるほど低く。
兵が指示通り動くかは心配だからこそ、最初に逃げ道を提示してから己に決めさせて戦いに挑ませようとした。
そして兵達に自分が主であるアーサーだと勘違いさせることで、士気を上げまとめ上げようとしていた。
目論見自体は成功したが、主を装ったことで心に何か引っかかるような感情が芽生えたがそれを吹き飛ばすように歩き出す。
平原に風が吹き出しその風に乗って金属が擦れる音が聞こえだし、その音が段々と近付き大きくなるにつれ、兵達の心臓の鼓動も早く大きく聞こえてくる。
必然的に息が荒くなり額から汗が吹き出し、顔を伝わり地面に染みを作り出す。
この場には風に乗ってくる音と、兵達の息遣いのみが響き渡る。
前方から数人の男たちがこちらに向かって駆け込んでくる、皆鎧は来ておらず武器すら身に着けてはいなかった。
男たちは彼の間に倒れ付く様にしゃがみこみ、息を整える間もなく。
「敵部隊を発見しました、このままの、速さで行くと、10分後には、目視できるかと。数は輸送隊を抜いても、4000~5000は、いるかと思われます。」
男たちは息を切らせながら途切れ途切れに報告を始めた、この者たちは演説を行終えた際すぐに送りだした斥候隊の兵達だった。
馬上から彼が頷くと、兵達は一礼してよろよろとした足取りで部隊の後方の方に歩いて行った。
どのくらいの時間が経ったのだろうか、兵達にしたら何十分にも何時間にも感じられた、時間が止まっているかと錯覚する者さえもいた、しかし額を流れる汗と近付く音が自分たちを現実に引き戻していた。
平原の向こう側に黒い点の様なものが見えてきた、それが敵だと認識するまでにはそう時間はかからなかった。
彼は馬上で奥歯を強く噛み落ち着かせようとするが、うまく制御できず彼自身も息が荒く今すぐにも突撃したい衝動に駆られていた。
それを抑えるために両手の拳を強く握りしめ、無理やり心の奥に押し込める。
はじめは小さな点のように見えたが、点は少しずつ大きくなり、それにつれて音が大きくなってきた。
彼は天を仰ぐとそこには雲一つない青空が広がっていた、その光景になぜか心が落ち着き。
「美しい。」
そんな独り言を呟いていた、他の兵達には聞こえないほどの大きさだったが、はっきりとそう言っていた。
彼は少しずつ冷静さを取り戻し、そして視線を戻して敵部隊を見ていた。
敵前方には槍を持った兵が行進する様に並び、乱れなく歩いてくる。
その光景はまるで生きた黒い壁が、こちらに近付いてくるように見え想像以上の圧迫感を与える。
ここからだと弓兵は確認できず、前衛の重歩兵しか見つけることができない。
指揮官である彼はまるでここにある、すべての空気を取り込もうとしているように大きく深呼吸をすると、それに続く様に兵達も深呼吸をする。
兵達からは彼が深呼吸をしたのは見えていなかったが、同じタイミングで深呼吸をしていた。
彼は馬上から無言で右手を、自分の横に立っていた兵に対して突き出し何かを求めるように手を開く。
兵はすぐに持っていた槍を両手で、まるで宝物を献上すかのように差し出す。
槍は1.5メートルほどの長さで木製の柄の先に鏃を括り付け黒色の漆を塗り、持ち手には滑り止めに布が巻き付けられている。
彼は布の持ち手を何回も握りなおしながら、握り具合を確かめていた。
前方の点が線に変わった頃、彼は静かに馬の腹を蹴り締めていた手綱を少しだけ緩めた。
すると白馬はゆっくりと歩き出し、小さな歩幅でゆっくりと1歩1歩確かめるよな感じだったが少しずつだが歩幅が広くなりその背中を兵士達が追いかけていく。
兵達も段々と歩きから、早歩き、小走り、駆け足と変わっていった。
進むスピードが確実に早くなりそれにつれて兵達の緊張と興奮も高まり、心臓が破裂するほど鼓動がが上がっていた。
最初に飛んでくるであろう矢に耐えるために歯を食いしばり、全身に力を籠め痛みに耐えるために筋肉を強張らせる。
しかし予想に反して弓矢は飛んでこず、肩透かしを食らわされた気分になったがそれが罠の前兆であるのは誰の目にも明らかだったがそれでも勢いを殺すことができず走り続ける。
彼の背を追っていた兵士が矢の射程距離に入ると前方の敵兵が左右に分かれだす、それを確認した時罠だと本能的に感じたがここまで近づくと止まる事は出来ず、無理に止まろうとすると味方の兵がドミノ倒しのようになってしまう。
逆に進めば罠にはまるが止まれない、彼の頭の中ではその2つがグルグルと回っていた。
「Nothing venture,nothing gain。」虎穴に入らずんば虎子を得ず。
左右に分かれた兵の中央から、全身を黒い鎧で包んで身の丈ほどの盾を持った兵が出てきた。
全身を鎧で包み他の兵士より一回り大きい体格の兵士たちはそそり立つ黒い壁のように見える。
彼は速度を落とさず逆に馬の腹を思いっきり蹴り、右手に持った槍を鞭代わりにして馬の尻を叩き速度を上げた。
壁が近付くにつれて、相手の陣形を少しずつだったが見えるようになっていた。
彼は壁との距離が2~3メートルに近付くと、歯を強く噛んで衝撃に備えた。
普通ならここで体に力が入って落馬しないように体が硬直するはずだが、彼は逆に体中の力を抜いて手綱すら離していた。
馬が壁とぶつかった瞬間馬が前のめりになり、前に投げ出される力を利用して馬上から前方に跳んだ。
彼の目には景色がゆっくりと見えていた、彼は素早く体を動かそうとしたが自分が認識しているように体は動いてくれずまるでスローモーションの用にしか体も動かなかった。
彼は跳んでいる間に、奥の方に馬に乗った大柄な兵士が指示を出しているのが見えた。
彼の体が上昇から落下に変わる瞬間に体を捻って背中を下にして、空を見上げるように仰向けの状態に体制を変え歯を食いしばる。
覚悟していた通りに背中に強い衝撃が走り、彼の体は地面にぶつかるとその衝撃でまるでボールが跳ねるようにバウンドした。
彼の口の中には血の味が広がり、唇の下辺りに何かが流れているようだった。
地面に落ちた時唇を切ったようだったが、そんな事を気にする暇はなく彼はそのまま2度3度転がっていた。
お世辞にもかっこいい着地ではなく、受け身すらまともに取れていなかった。
彼は直ぐに立ち上がると、自分がどの位置に倒れているかわからず思わず後ろを確認していた。
人の本能か前方より背後を警戒していた、彼の目には盾を構えた兵士の後ろ姿が並んでいる。
その時自分は壁の向こう側に来たことを理解し、跳ね上がるように飛び上がり口の中の血をバイザーの隙間から吐き出すと右手に持っているはずの槍を握りしめようとした。
悲しいことに右手は空を切り持っていたはずの槍を握ってはいなかった。
兵士とぶつかるときに全身の力を抜いていたため、ぶつかる衝撃で槍を落としてしまっていた。
彼は軽く舌打ちをすると頭を切り替え腰のカレトヴルッフを引き抜く、そして2歩3歩と後ろから近付き剣の刃を下の方に向けるように持ち直し兜と鎧の隙間から剣を差し入れる。
いくら固い鎧を全身に纏っていても関節部分は弱く隙間がある、そうでないと関節を曲げることもできず満足に歩く事すらできないのだから。
彼は刺した剣を直ぐに抜こうとするが痙攣するように手が震え力が入らない、自分の恐怖を押し殺すように両手で柄を握り直しまるで岩から剣を抜く様に相手の背に足を当てて蹴る様に引き抜く。
先ほどの衝撃で体のあちこちが悲鳴を上げていた、そのため体がうまく機能せず痙攣を引き起こす。
彼はそれを自分の恐れで震えていると勘違いし、誤魔化す為に剣を空に掲げて叫び声を出した。
叫び声が、雄叫びに、唸り声に変わっていく。
彼の足もとは赤い水たまりができていた、それが足に付いて彼の足は赤く染まっていく。
彼が声を上げた瞬間戦場にいたすべての人が彼を見ている、もちろんガイド卿の兵達も白金の兵士の彼の方を見ていた。
一瞬の静寂が戦場を包み時間が止まると、今が好機と狙い澄ましていたように他の歩兵も黒い壁に襲いかかる。
まるで津波が防波堤に襲いかかる様に、壁を飲み込む勢いで兵達は重歩兵に襲いかかった。
1列目の重歩兵は後ろにいる彼の方に視線を向けていたため、いきなりの衝撃と構えていた盾の隙間から入ってくる槍に対応できず。
1人また1人と黒い兵士の黒い鎧を内側から赤く染め上がる。
その中には先ほどの少年の様な兵もいた、彼は右手に持った槍で白金の兵が開けた穴の右側に立っていた兵の脇腹を突いた。
相手の鎧を貫き槍が半分ほど刺さり少年の様な兵士は興奮で叫び声を上げ、そして彼のように雄叫びに変わろうとした瞬間。
胸を突き上げられるような衝撃があり顔をゆっくりと下に向けると、ちょうど胸の真ん中に1本の黒々しい棒が刺さっていた。
初めは何が刺さっているか理解できなかったが、少しずつ意識がはっきりとして冷静になっていくと自分の胸に槍が刺さっている事が理解すことができた。
右手で触れてみると、胸は赤色に染まり手の平にはべっとりと血がこびり付き急に夢から現実に戻される。
少年の様な兵の胸を貫いた槍を握っていたのは、今まさに自分が槍を突き刺した兵士だった。
「死ね。ガキが。」
そう言うと、重歩兵は自分が持っていた盾に寄り掛かる様にして動かなくなった。
今度は叫び声から、悲鳴に変わっていた。
白金の鎧を着た彼の耳には、戦場の至る所で上がる悲鳴や叫び声が入ってきた。
彼はその声を聴きながら再び後ろを振り返ると、そこには重歩兵の2列目があり2つ目の黒い壁がそそり立っている。
彼は走り出そうと足を上げたが体全体に軋むような痛みと、何か背中に乗っているのではないかと錯覚するほど体全体が重かくすぐには動くことができない。
戦場全体の空気が重く体にまとわりつくように体の自由を奪い続ける。
彼はそれを振りほどく様に無理やり走り出すと彼は地面を蹴りあげ右足を突き出す、気が動転していたのかそれとも冷静じゃなかったのか2列目の兵士に対してとび蹴りを放つ。
相手の兵士は目の前に敵がいる事に対して、頭が付いていってなかったのか。
盾を前に出してはいたが体を屈めることもなくただ立っているだけだったため、踏ん張りもしていない状態で前方から強い衝撃が来たために、そのまま仰向けの状態で倒れ盾が布団の用に兵士の上に覆いかぶさる。
彼は相手を蹴り倒すとそのまま盾の上から相手を踏みつけ動きを封じると、剣の柄を両手で握り頭の上まで掲げそのまま2度3度敵振り降ろされ倒れた兵士の兜の中で金属同士ぶつかる音が響く。
倒れた兵士の兜は至る所が凹み普段ではありえない凹凸を作り、その隙間から目を見開いた兵士の顔がみえる。
彼の息は荒く呼吸は段々と乱れ、周りの音が全く聞こえなくなる。
まるで自分の呼吸以外の音という概念が消えてしまって、音の出し方を忘れてしまったような感覚しさいなまれた。
彼の額から落ちた汗が右目に入り一瞬だが視界を奪う、目に走る痛みをこらえながらこれ以上汗が入らないように軽く頭を左右に振った。
その時目の端で今倒した兵が持っていた槍と、先ほど落ちていくとき見えた司令官らしい兵士を目が視界に入ってきた。
彼は反射的に槍を拾いあげると腰を回す様に巨漢の兵に向かって投げるが、元々投げ槍用でないため前後均一の重さになっておらず。
槍先が少し下を向いており、空気抵抗を大きく受け槍は思ったほどスピードも出ずうまく飛んでいかない。
しかし、彼にしたら当たる当たらないは関係がない。
ただ投げることによって自分が注目され、この場に白金の兵士がいたと印象付けたかった。
しかし、彼の思惑は外れ彼の投げた槍はニール卿の馬の頭に吸い込まれるように刺さり、馬が前足を上げるようにしてそのまま後ろ向きに倒れてしまった。
突然の落馬にニール卿は受け身をとることができず、頭から落ちる事によって自分の重い体重と馬の重さが加わって首の骨が折れて即死だった。
彼の思わぬ誤算で、戦場の流れはますます彼の方に流れていった。
彼はそんな事も知らずに再び1列目の兵士に近付くと、後ろから相手の脇腹に剣を突き刺した。
何度やっても慣れない感触が伝わってきた、吐きそうな気分だ。
平時だったらまずできない、しかし戦場という異常な空間だからこそ何度も行うことが出来た。
彼は剣をそのまま勢いよく抜くと、敵を再び押し倒しその兵の上を歩いて相手の陣を抜ける。
その体には至る所に小さな傷や凹みがあり、彼は剣を振り上げたまま走り出す。
恐怖に打ち勝つためと、自らを鼓舞するために声を上げながら走り続ける。
味方の歩兵は声を上げて撤退する彼を見るとすぐさま戦うのを止めて、彼の後を付いていくように後退していった。
彼は体を引きずりながら走ると少しずつ冷静になっていくにつれて、体の痛みが鮮明になってくる。
脳内で興奮物質が出ていた時は痛みを感じることがなかったが、けがが治ったわけではないため冷静になるにつれて痛み出す。
今は右足、背中、左腹部が特に痛みが激しく右足は先ほど蹴りを入れた時足首を捻ったみたいだった。
鎧の腹部には刃先で削ったような縦の傷が付いていて、その傷から薄らと赤いものが見える。
最初に兵士を飛び越えた時相手の兵士が持っていた槍先が当たっていたため、飛び越える反動が彼の鎧をえぐっていた。
その痛みが幸いし意識がはっきりとしていたおかげで、相手の距離を一定に保って引き付けることが出来た。
しかし、傷は体力を奪い足もとの草や石で何度も転けそうになる。
彼の後を追う兵士たちの中には足をもつれさせて転けて、そのまま追いつかれて殺される者もいた。
彼はそれでも、距離を開けすぎずに攻撃されるギリギリの距離を保って後退していく。
彼の目には伏兵がいる道が見えてきてあと少しで行けると心の中で安堵するが、その少しが遠くなかなかたどり着けない。
喉は乾きもう声すら上げる事は出来ない、それでも彼は足を止める事はせずに剣を振り上げ続けた。
味方の道しるべになる様にただ一心不乱に。
風が肌を刺す様に痛く体中にある打ち身や切り口に、風が当たる度に小さいが確実な痛みが伝わってきた。
彼はそれでも足を止める事はない、目の端では共に戦った兵達が倒れ、また1人と動かなくなっていく。
彼は背を向けたまま何度も後ろを確認しながら走っていた。
両脇に茂みがある道に差し掛り草は風で少し揺れていたが、兵の姿は見えなくうまく隠れているようだった。
彼は1歩1歩踏みしめながらその道を駆けていく。
前方に目印にしていた直径30㎝ほどの石が幾つも置かれている場所が見えてくると、一気にスピードを上げて石の横を抜けると今度は逆に走るスピードを徐々に落とし滑り込むように倒れこむ。
石を超えたあたりからゆるい傾斜になっており、倒れこめば身を隠すことは十分にできるほどのスペースがありそこに弓矢を隠していた。
彼等は急いで弓矢を拾うと、倒れたまま今まで走ってきた方に体の向きを変えると弓矢を構えた。
矢を持っている指先には汗と血が滲んでいて、恐怖と疲労で手は震えていたが弦に矢を添えると力いっぱい引く。
追撃していた兵士は、追っていた相手がいきなり目の前から消えたことに戸惑い足を止めた。
白金の彼は敵が止まったことを確認すると矢を放つ、力なく飛ぶ矢は弧を描くように足の止まった兵士の胸当てに当たり、金属の乾いた音が響く。
その音を合図に倒れこんだ兵士たちが一斉に矢を放つが、どれも力がなく敵兵まで届く矢は少なくほとんどが届かず地面に突き刺さる。
それでも突然の矢の攻撃に、敵兵は焦りを隠すことができず混乱をきたす。
「怯むな。怯むな。落ち着け。よく見れば大した量も力もない、ただの一時しのぎのこけおどしだ。陣列を乱さなければ刺さることなどない。」
チェンジャ卿は驚く馬をおとなしくさせながら、声を荒げ全体を落ち着かせようとする。
今は自分のミスで陣列が長く細くなっていて、全体に命令を下すことができないのはわかっていた。
確かに功を焦った自分の責任であるが、まだ体制を整えることは可能でもし混乱し無駄に兵力を消費することになれば目も当てられない。
「すぐに後方に伝令を送り行軍を止めさせろ。各自盾を構え矢を防ぎつつ部隊を横に展開しろ、幸い目の前は開けている。奴らの矢など恐れずに足らない。」
チェンジャ卿自ら馬を降りると、直径30cmほどの円形の盾を顔を隠すように持ち矢に備える。
その姿を見た兵士たちも手に持った盾で顔を隠すように持ちゆっくりと前進し、陣形を横に変えようとした。
その時敵後方から悲鳴のような叫び声が響き渡り、陣形を完成しつつあった兵士の足は止まり恐怖に顔を引きつらせる。
「終わった。」
チェンジャ卿は自分に言い聞かせるように言うと、手に持った盾を落とし倒れこんだ。
白金の兵士らは敵後方から聞こえてくる悲鳴に伏兵の成功を確信し。
「いまだ。あるだけの矢を打ち込め。」
兵士たちは最後の力を振り絞り矢を放ち続ける。
山なりに飛んでいた矢はいつの間にか弧を描き相手の頭上に矢の雨を降らす。
戦いはほどなくして、敵軍の後退によりアーサーの勝利に終わった。
彼は追撃の指示を出さずに味方の兵と敵兵の治療を命じ、足を引きずりながら茂みの方に歩いて行く。
そこにはアーサーとベディヴィアがいて、彼はすぐにアーサーと鎧の交換を行った。
アーサーが彼から鎧を受け取り、それを着ると中は血と汗で汚れており至ると事が凹み、大きな傷まであった。
アーサーは右手で左腹部の傷を撫でると、その傷の一つ一つに何があったのかは、容易に想像することが出来た。
それでもアーサーは後ろを振り返ることもせずに、そのまま部隊の中に足を入れていった。
今回の戦いで囮となった第1部隊の戦死または行方不明者約300他の兵はすべて負傷、この中には重傷者も含まれており、もう40~50人は数日以内には息を引き取るだろう。
そして一番の問題は捕虜の数だった、投降してきた者や捕えたものを合わせると1000人以上はいた。
これはアーサーの部隊を上回るほどで、これでは食料不足や捕虜の監視などで部隊が動くこともできない。
そこでアーサーは情報漏洩などを理解したうえで、すぐに捕虜の開放を指示した。
普通ではありえない事であるが、元々は同じ国同士殺すわけにもいかず捕虜にしておくだけでも兵站にどれほど負担をかけるかを考えるとそれしか思いつかなった。
しかしここでベディヴィアは解放した捕虜の中に、自分の部下を数人紛れ込ました。
この行為がのちにどんな結果を生むとは、アーサー達は知るよしもない。
クレータムはアーサーの領地の近くにある、エイヤード砦に後退していた。
エイヤード砦は平地に建ててあったが、お世辞にも砦には見えなかい。
石造りの兵舎の様な建物を中心に、長方形の形に木の柵で囲んで、その外側に1メートルほどの空堀があるだけだった。
その柵も長さはバラバラで、柵の先端はまるで波をうっているようだった。
この砦自体ここがまだ原住民達が住んでいた時に、その進行を抑えるために建てられた物で原住民にしたら難攻不落でも正式な軍隊にしたら、ただの野営地ほどにしかみえなかった。
クレータム卿が砦についた頃には、部下の数は1000人を切っていた、後退する途中に逃げ出す者や投降する者が出たためであった。
クレータム卿はすぐに砦には見切りをつけて、部下に対して砦の放棄を命じて、部下とともにさらに後退をした。
彼の中ではこの後退の中で兵はさらに減り、最終的には500もいればいい方だろうとそう思いながら
再び馬に乗るとすぐに王都への道を走り出した。