終わり悪ければ
「ようこそ、花嫁様」
召喚の間で、魔方陣の中に現れた少女は、魔術師の言葉に顔色一つ変えずこう答えた。
「私のことですか」
「はい。選ばれた方」
「そうですか」
混乱してるようには見えない様子が、逆に不気味だと魔術師は思った。今までのは大なり小なり怯えるか興奮するかしたのに、この冷静さ? は何なのだろう。相当なクレバーな性質なのか、または……。まあともかく。
「……お名前よろしいですか?」
「水城。水城香織です」
「香織様、元の世界ではさぞつらかったでしょう?」
魔術師は簡単な探りを入れる。今までの失敗を思えば、最初に少女の人となり、価値観を把握するのは重要だ。
「そうなんですか?」
この答えには魔術師も思わず微妙な顔をした。質問しているのはこちらなのだが。いやまてよ、動揺が顔に出ないタイプなだけで、実は召喚にかなりショックを受けている可能性もある。地雷を踏まないように気を付けつつ……。
「……違いましたかね? もしや元の世界に帰りたく思っておいでで?」
「そうなんでしょうか……よく判りません」
「…………ここで急いで結論を出すこともないでしょう。世話役を用意しております。あとはどうぞそちらに」
「はい、分かりました」
魔術師は結論を出す。香織はおそらく指示待ち人間だろうと。
◇◇◇
世話役の妖精に自室に案内された香織は、食べろと言われた夕食を食べ、入れと言われた風呂に浸かり、寝ろと言われてベッドに潜った。
大人しいし命令に忠実だし、今回の少女は楽でいいなとルセは思った。難があるとすれば、少し心臓が弱いことだろうか……。
身体検査で医師に「通常のものより弱いようです。本人も服用していた薬が手元にないのを不安がっています。何とか似たようなものを処方してみますが、期待はしないでください。今後のことですが、くれぐれも激しい運動、ショックを与えるようなことは控えるように。それと性行為も過激なものは厳禁です」 とのお墨付きだ。
まあ、召喚少女は本来なら動かなくてもいい身分だからな。優等生といっていいほどの香織にはこんな欠点? など欠点でもない。と思っていた。
「今日は……何をするんですか?」
朝、香織はルセに聞いた。
「何でもいいんだぞ。健康な人間なら色々やってもらうところだが、身体が弱いなら仕方ないからな」
「欠陥品……」
香織はぽつりと言った。
「欠陥品で……ごめんなさい……」
◇◇◇
香織は旧家の人間だった。母は後妻で、跡取りが出来ない前妻を父の一族が追い出したのち、家に嫁いだ。――――子が出来にくいのは、父のせいだった。それでも治療のすえ一子を授かったが、生まれつき心臓の弱い、しかも女ということで、祖父母と父は落胆したらしい。母も……。
『男だったらよかったのに。せめて健康なら……。女を産んだってあいつらうるさいったら』
『香織。一族を継ぐ者として相応の振る舞いをするように。まあお前に期待はしてないがな』
『クラスメートと話すのではない。あれは劣った人間だ。お前とは違うんだ』
母の望みは叶えてあげられない。父の望みは、体質のせいで体育はいつも2という不甲斐なさ。やっぱり叶えてあげられない。祖父母の望みには忠実だったつもりだけど、通信簿に『いつも一人で心配です』 と書かれてしまった。どうしたら私は完璧になれるの?
産まれて十五年、そんな調子で過ごした。そしてある日、夕飯の食卓で母は言った。
『妊娠しました』
そして産まれたのは待望の男の子。
『香織、見てよ男の子! 跡取りよ。今度はがっかりされなかったわ。でも、ほんとあいつらざまあみろ!』
『今度は欠陥品ではない五体満足の子だ。……香織は失敗だったな。今ではなんでいるのかも分からん』
『世間体があるから住まわせてやるけど、欠陥品が同じうちだなんて恥ずかしいったら』
私が欠陥品じゃなかったら、もっと上手くいったんだ。命令もこなせない私が全部いけないんだ。もう家にいてはいけない。弟の輝かしい未来をこんな存在で曇らせてはいけない。消えるべきだ。少なくとも、祖父母はそう暗に言っている。
色々迷ったすえ、樹海で死のうと思った。転落死は人を巻き込まないとも限らないし、電車に飛び込むのは通行の妨げになる。頭が悪いなりに頑張って考えて選んだ。でも樹海に入った途端――――。
ここに来たけど、やっぱり私は欠陥品のままだ。魔術師さんもルセさんも、私みたいな人間をわざわざ引き取ってくれる良い人。だからせめて彼らの言う事をちゃんと守ろうと思うのだけれど……。
◇◇◇
「どうだ、いい人はいたか?」
「分かりません……。ルセさんはどうですか?」
「いや俺の見合いじゃないし。お前のことだぞ、どうなんだ?」
「分かりません……ルセさんが選んだ相手でも、私、不満はありませんが」
「いやダメだろそれ」
ルセさんはちょくちょくあちこち連れて行って、私と色んな男の人と会わせる。結婚相手のためらしい。結婚……私なんかに選べると思えないし、ルセさんが選んでくれればいいと思うのだけれど。だって何人も少女を見てるっていうし、何がいけないの?
「……大事なのはお前の意思だろ。しょうがないな。ここは……」
ああまた困らせた。理由も分からない。やっぱり私は欠陥品だ。
◇◇◇
「そこ、段差になっていますから気をつけて」
数日後、私は一人の男性とデートをしていた。王子様らしい。名をエウルさんという。召喚少女は結構な割合で王族と婚姻すると聞く。私は何となく、この人と結婚するのが筋なのかなと思っていた。頑張って考えて、今の自分の立場からいっても、一番偉い人ならどこからも文句は出ないのではと考えたからだ。ルセさんにこれ以上苦労させられない。
「ありがとうございます、エウルさん」
「そんな、当然のことをしたまでですよ」
デートといったけれど、実際は王城内の中庭の散歩。でも今までのどの場所よりも素敵に感じるくらい、エウルさんは紳士的だった。彼ならいいなと思って、話を切り出す。
「あの、私は結婚しないといけないみたいなんです」
「そうですね。この世界は異界の力に縋るほど脆弱で……貴方には負担をかけて申し訳ない」
「負担? 苦労しているのはこの世界とルセさんですよ? ええとそれで、私あなたと結婚しようと思うんです」
「え?」
「嫌ですか? なら撤回します」
「いいえ! 嬉しいですとても! でも、僕とでいいのですか?」
「エウルさんこそ私とでいいんですか? 花嫁としても人間としても未熟な私で」
「もちろん……。初めて夜会でお会いした時から、ずっと好きだったのだから。そのどこか空虚な雰囲気を、自分が癒せないかと思っていました」
彼は、変わった人だ。私みたいな欠陥品が好き? 一番偉い人に命令されて、仕方なく言ってるだけかもしれない。気の毒だ。彼もこんな欠陥品を崇めないといけないこの世界も。
でも、彼の気遣いは嬉しい。
◇◇◇
子供が産まれた。数ヶ月間お腹にいた我が子。いざ産まれてみると、これは本当に私が産んだのだろうかと思ってしまう。手術も麻酔が使われたせいだろうか、いつの間にか生まれたような感じで、我が子が他人のように思えて仕方ない。生まれた時からぎゃーぎゃー泣いちゃって。あの女の子はちゃんとこの世界に適応できるのかなあ。ちゃんとお母さんの言う事を聞くのかな……。
『男だったらよかったのに。せめて健康なら……』
その夜、私は昔の夢を見た。
……私は、お母さんとは違う。女の子でも問題ない。でも周りは?
「もちろん。魔力をもつのに性別なんて関係ないからね。でもどちらかといえば、女の子のほうがやや強いかな? それに数年前の疫病で女の子が少なめだしね。むしろよくやったって感じかな?」
エウルはそう言った。そうか、価値観が違うものね。私は立派な跡継ぎを産めたんだ。あとはエウルの身分に恥じない教育を……。
『恥じない振る舞いを』
『また間違えたのか恥さらしめ』
『夕飯はぬきだ。そこで反省していなさい』
……だめだ、私みたいな欠陥品が、貴重な跡取りを育てるわけにはいかない。乳母を雇おう。ルセさんは苦い顔をした。ああ、やっぱり欠陥品だから……。
何十人と産み育てた女性が選ばれ、娘は教育された。慣れた手つきであやす仕草に、私は安堵を覚えた。
「王妃様も抱いてみます?」
ずっと見ていたらそう乳母に言われた。慌てて断る。
「む、無理です。……壊れそうで」
「壊れる、ですか?」
乳母は不思議そうな顔したけれど、そう感じるほうが不思議だ。あんな小さいもの、どうやって扱っていいか分からない。後ずさる私。ルセさんは少し悲しそうにそんな私を見ていた。
◇◇◇
ある日、乳母の息子が倒れたと使者が伝えてきた。乳母は帰らせてくれと頼んだ。
「……でも、あなたの実家には医師も薬も、お金もそれなりに出しているのに」
何気なくそう言ったら、場が凍った。 ?
「そういう問題じゃないだろう。とにかく帰らせてやれ」
ルセさんがそう言うから帰らせた。けど……分からない。私の時は、高熱だろうと両親が看てるなんてことはなかったのに。
この世界は価値観が違うから仕方ないのだろう。今はそれよりも……娘どうしよう。急なことで変わりがいない。私が面倒みるの?
ベビールームに行くと、案の定、寝ていた娘が泣いていた。毛布をまくって確認するが、うんちやおしっこではない。ミルクは少し前に与えられたばかり。……駄々をこねてる?
「どうした、娘だろ? 抱いてやれ」
ルセさんはそう言うけれど……実行しなくちゃいけないんだろうけど……。
『ごめんなさい、だして、だして』
赤点を取った日、土蔵に閉じ込められた。どんなに泣いても朝まで出られなかった。世の中なんてこういうものだ。早いうちから慣れなくてどうする。
赤ん坊は、まだ泣いている。
「香織! いいから抱いてやれ! 俺じゃ潰れるだけなんだ!」
赤ちゃんより小さなルセだから、確かに彼には無理だろう。エウルは視察でいない。私が……私が……。おそるおそる手を伸ばす。
抱いてやったが、赤ん坊は泣き止まない。
「どうしたの……何がいけないの……」
「赤ん坊は泣くのが仕事なんだよ。今はじっと、抱いていてやれ」
私は、両親に抱かれた記憶などない。その私が抱っこ? このまま? おぞましい。しかめっ面でひたすら抱っこを続ける。
「せっかく抱っこしてるんだ。乳母がやってたみたいに、笑顔であやしたり歌ったりしてみたらどうだ?」
「……あ、はい……」
唇の端をそれっぽく作って、ゆらゆらゆらしてみる。相変わらず泣いているけど、しだいに疲れてきたのか、泣き声は小さくなっていった。あとは……子守唄?
「……ねんねん ころりよ かわいいこ
ははに だかれて おねむりよ
ちちに あいされ おねむりよ
ねんねんころり わたしのこ
どうか このこに さいわいを」
乳母が歌っていた、この世界の子守唄。見よう見まねで歌ってみる。聞きなれたフレーズに安心したのか、娘はスヤスヤと眠った。ほっとしてベッドに戻そうとするが、体温が無いのにすぐ気づくのか、戻そうとするとむずかる娘。
「……どうしよう……」
「今日くらい、抱いててやれよ」
「……私が? でも……」
「娘も、香織の側にいたいんだろ」
ちらっと娘を見る。縋るようにくっついて安眠している。その寝顔を見て、心にふつふつと愛おしさが込み上げる。同時に、私にその資格があるのかという暗い考えもよぎる。今の今まで、娘を無視していたではないか――――。
「私が母親なんて出来るのでしょうか」
「今やってたじゃないか」
この世界に召喚されてよかったと思う。ルセさんがいるから、私が虐待したら、きっと止めてくれる。お目付け役がいるのは心強い。
◇◇◇
「まま、だいすき!」
四歳の誕生日に、娘にお絵かき帳を与えた。喜ばれた。でも、今の私はきっと、娘以上に喜んでいる。私は、昔を克服したんだ。家族のみの部屋で、無心にお絵かきする娘が可愛くて仕方ない。
「あのね、これぱぱとままと、わたしなの」
白いノートには、青い服来たエウル、リボンのたくさんついた服を着た娘、そして紅い服を着た私が並んでいた。
「そう。何をしているところなの?」
「おでかけー。あ、こっちにうばの、みりあさんいるの。『わすれものありませんか!』『きをつけていくのですよ!』」
娘の物まねに、夫と一緒に笑ってしまう。こんな日常が、幸せだった。
「あれ、ルセは?」
ふと、もう一人のお目付け役、ルセが今日はいないことに気づく娘。そういえば、私も今気づいた。
「ああ、魔術師様のところへ報告らしい。今日と明日の二日くらいいないって」
「そうなの……」
その時思いついた。私はこの世界に召喚されて幸せだ。魔術師様とルセさんにサプライズ的に会いに行って、お礼を言おうかしら? と。
特に召喚した魔術師様には恩が返しきれないほどにある。夫と娘とめぐり合えた幸せをくれた張本人なのだから。なにもやましいことはないのだし、会いに行くくらいいいだろう、と、軽く考えていた。
◇◇◇
王宮からそう遠くないところに、魔術師の館はある。森の中にひっそりと隠れるようにそれは立っている。私は御者を置いて館へ出向き、息を殺して扉に近づき――――ここに来たことを後悔した。
「香織は幸せそうだ。……魔法を使って正解だったな」
ルセさんの声。魔法って、何? 数年痛まなかった胸がじくじくと疼く。
「従順なのはいいが、意思がないというのも問題だったな。惚れ薬というか、媚薬に近い魔法は好きではなかったのだが、覚えておいて良かった」
え? それ……誰に使ったの? まさか。
「王家も召喚少女の血が濃くなって万々歳だよな、今回」
「そういえば世にも愛らしい姫が産まれたと聞いたぞ。余り接しない母にも懐く愛嬌ある娘だとか」
「よく言うぜ、まったく」
まさか、まさか、エウルが優しいのは、魔法のせい? 娘が可愛いのは、魔法で操られてるの? あの幸せな日々は、故意に作られた偽りのもの? そう考えた瞬間、胸に激痛が走った。
扉の向こうで何かが倒れる音がした。地震でもあったか? と思いながらゆっくり扉を開けると、まさかの香織の姿があった。
「お前、いつから、いや今の話聞いて」
「……だまし……ずっと…………ひどい……」
苦しい息の下で、ルセと魔術師への恨み言が述べられた。
「魔術師! 香織を助けてくれ!」
ルセは魔法を使える魔術師を呼ぶが、魔術師は首を横に振るだけだった。
「俗に言う回復魔法は、私の専門外だ。心臓マッサージくらいが関の山だ」
処置を施そうと魔術師は動くが、当の香織に拒否される。
「……よくも……エウルを……娘に魔法を」
かすれてよく聞き取れないが、魔術師には香織が勘違いしているのが分かった。
「待て、魔法を使ったのは」
「……!」
ひときわ大きな痙攣のあと、香織はぴくりとも動かなくなった。最後にかすかに口を動かしていたが、「かみさま」 だった気がする。
「香織……?」
ルセは名を呼ぶが、返事はいつまでも返ってこない。心臓発作で亡くなったのだろうということに、二人は時間をかけて納得した。魔術師は嘆いた。
「魔法を使ったのは……香織、お前にだったのに……」
エウルにも娘にも何もしていない。彼らは自発的に香織を好いているのだ。今は買い出しに行っている館の召使達がそれを誇らしげに話していた。仲むつまじい夫妻だと。ルセはそれを知っているから「何を初めて聞いたように言ってるんだよ」 と呆れたのだ。
◇◇◇
すぐに王宮にとんだ。エウルは驚いたが、事情を聞いて魔術師が驚くほど早く納得した。
「……小さな頃から、貴方様を救世主として教えられているせいでしょうか。恨む気にはなれません。それに、それが本当なら、僕は彼女に信じてもらえなかった。結局、僕では彼女の空虚さを埋められなかったのですね」
寂しそうに言うエウルに、逆に居た堪れなくなった二人。責められないのがむしろ罪悪感を煽る。罵られたほうが気分的にマシだろうと思った。
「ぱぱ、ままは?」
そこに三歳の娘がやってくる。出かけたきり帰らない母を捜しているらしい。何も分からないその様子に、乳母は部屋の隅でエプロンを目に押し当て、声を殺して泣いている。
「ママは遠くへ行ったよ」
「……いつかえってくる?」
「いつかは……。ねえセラ、パパだけじゃ嫌かな?」
セラは聡明なのか、エウルの言外の意図を感じ取ったらしい。少しだけ悲しそうな顔で、こう言った。
「ううん。でも、ぱぱはきゅうにいなくならないでね……」
◇◇◇
召喚少女の死後報告もかねて、三日連続で魔術師の館に泊まることにした。昨日までは盛り上がっていたが、今日は二人とも目の下にクマを作って死人のような形相だ。
「……何がいけなかったんだろうな」
「……分からん」
「こんな最後でも、数に入れるのか?」
「最後以外は理想的だ。数に入れて充分だろう。それに、苦しみは僅かで逝ってる」
少女をモルモットみたいにいいやがって。とルセは心中で悪態をつく。同時に、じゃあ過去の自分は何だという葛藤も、ルセの中には芽生え始めていた。




