第65話:夜明けの港
ドクン――!!!!
次の瞬間。
ルナの周囲で暴走していた碧い魔力が、暴風のように吹き荒れた。
「――ぁぁぁぁぁぁッ!!」
悲鳴とも絶叫ともつかない叫びが、崩壊する地下空間を震わせた。
制御を失った莫大なマナが、暴走寸前の旧式魔導炉と共鳴した。空間そのものが、凄まじい悲鳴を上げて軋み始めた。
白い蒸気が渦を巻き、周囲を覆い尽くしていく。
赤熱した亀裂が蜘蛛の巣のように床一面へ走り、もはや足場としての原型を留めていない。
魔導将軍の黄金の瞳が、今夜初めて、明確な驚愕と戦慄に見開かれた。
「馬鹿な……! 触媒がこの規模で炉心と直接同調しただと――」
その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
耳を裂く轟音。
白い蒸気と赤熱光が一斉に弾けた。地下空間そのものが内側から粉々に爆散した。
「ぐッ――!?」
全方位へ吹き荒れた衝撃流が、将軍の巨体を呑み込んだ。
大剣の漆黒の雷が力ずくで吹き飛ばされ、鉄骨や石塊が宙を舞う。将軍の巨体が、崩壊する壁面へ吹き飛ばされ、叩き付けられる。
その刹那の隙を突き、ニーナは視界を埋め尽くす粉塵を掻き分け、床へと倒れ込んでいたアッシュの元へ一直線に駆け寄った。
「立てる!? アッシュ!!」
「……ぐ、ぁ……」
喉の奥から漏れ出るのは、まともな返事にならない、骨を軋ませるような呻き声だけだった。
全身の筋肉は千切れ飛び、指先一つとしてまともに動く気配がない。
それを見たニーナは、悔しげにきつく奥歯を噛み締めると、半ば無理矢理にアッシュの細い腕を自らの細い肩へと回し、その身体を引きずり上げた。
「絶対に死んだら許さない!!」
瓦礫が降り注ぐ中、ニーナたちは崩れゆく通路を駆けた。
次の瞬間――
ゴォォォォォンッ!!!!
地下空間の底が、上方向へと激しく跳ね上がる。
連鎖的な巨大爆発。
解き放たれた莫大なエネルギーが衝撃の波となって膨れ上がり、一瞬の遅れを伴って背後から襲いかかってきたのは、肌を灼くような熱風を孕んだ破壊的な衝撃波だった。
通路そのものが、後方から波打つようにドミノ倒しで崩壊を始める。
「走れぇぇぇぇッ!!」
誰かの絶叫が響く。
ニーナは奥歯が砕けるほど歯を食いしばり、アッシュを抱きかかえる腕に、残る力すべてを込めた。
床が砕け、足元が失われていく。
壁が吹き飛び、鋭利な破片が肌を掠める。
背中を焼くような熱風が迫る。
それでも、止まれば終わりだった。
ニーナは焼けるような呼吸を漏らしながら、出口へ向かって無我夢中で駆け続ける。
そして――。
アッシュたちは、崩壊する地下工場から文字通り転がり出るようにして、冷たい夜気の満ちる港へと飛び出した。
直後。
背後で、かつて栄華を誇った旧式魔導工場が、轟音と共に完全崩壊を遂げた。
赤熱した禍々しい閃光が暗い夜空を縦に引き裂き、凄まじい爆炎の柱が天へと激しく吹き上がる。
遅れて広がった爆風が港中を薙ぎ払った。波止場に停泊していた大型船の船体を受け止め、ギチギチと音を立てて大きく揺らした。
誰もが、その光景を振り返ったまま、しばらくの間、言葉を失って動けなかった。
それはまるで怪物の断末魔だった。
「……生き、てる……」
レジスタンスの兵の誰かが、呆然とした声で呟く。
その場へ糸が切れたように崩れ落ちたニーナは、肩を大きく上下させながら荒く息を吐き、すぐ隣へと倒れ込んだアッシュの顔を覗き込んだ。
アッシュは、辛うじて、本当に辛うじて呼吸を繋ぎ止めていた。
全身は痛々しいほどに血塗れで、意識もほとんど残っていない。
それでも、その胸は確かに上下し、微かな生命の鼓動を刻んでいる。
ニーナの全身から張り詰めた緊張の糸が、ようやく抜け落ちた。
「……馬鹿」
掠れた声が、漏れ出る。
涙が一粒、熱を持った視界から零れ落ち、ぽたりと冷たい石畳の上で弾けた。
「……ほんと、馬鹿……」
ニーナは顔を伏せた。
肩だけが、小さく震えていた。
ルナは、そんな二人の傍らへと、物音も立てずに静かに歩み寄る。
空間を破壊せんと暴走していたあの碧い魔力は、地下の崩壊と共に、すでに嘘のように収まっていた。
小さな手で自らの胸元をきつく押さえながら、ルナは消え入りそうな、不安に満ちた瞳でアッシュを見つめる。
「……しな、ない……?」
ニーナは、袖で乱暴に自らの涙を拭い去った。
「死なせないわよ」
ニーナは即答した。
「こんなところで死ぬのなんて、あたしが絶対に許さない」
その強い言葉に、ルナは胸元を押さえたまま、何度も頷いた。
遠くからは、リヴォルノの街中に響き渡る港の警鐘が、けたたましく鳴り響き続けている。
大規模な工場崩壊、連続する大爆発、そしてレジスタンスによる一連の襲撃。
リヴォルノ港で吹き上がった爆炎は、街のどこからでも見えたはずだ。
まさに――それこそが、彼らの好機だった。
ルカが煤まみれの顔で重い息を吐き出しながら、夜霧の立ち込める港の海路を見つめる。
「……今なら、西方海路の封鎖網は完全に機能停止しているでしょう」
ロザリアが衣服の血を払いながら、吐き捨てるように言った。
「アイゼン連邦の本隊も、港湾の警備部隊も、今頃はこの大騒ぎの収拾だけで頭がいっぱいのはずよ。こちらの離脱を追う余裕などないわ」
「つまり」
ラグナが血と煤で汚れた口元を、不敵に吊り上げる。
「今夜、この瞬間しかねぇってことだな」
一瞬の沈黙が港に落ちた。
誰もが言葉にせずとも理解していた。
ここへ少しでも留まれば、いずれ体制を立て直したアイゼン連邦の執拗な追撃が始まる。あの魔導将軍が、もし生きていたとするならば、なおさらだ。
もう、この自由の港には、彼らの居場所はどこにも存在しない。
その時だった。
佇むルナを見つめていたルカが、眼鏡の奥の瞳を、小さく伏せる。
「……本来なら、彼女は作戦通り連邦側へ返却される予定でした」
ニーナが、ピクリと美しい眉をひそめる。
ルカは視線を伏せたまま続ける。
「上層部の考えたシナリオは、商品を返却して敵の隙を作り出し、その隙に生じる混乱を利用して、我々本隊を離脱させる計画だったのです。あの魔導将軍がいたのも想定外で、余計にそれ以外、全体の生存率を確保する術がありませんでしたから」
ロザリアが、自身の傷口を押さえながら苦々しく顔を歪めた。
「……ええ。正直、反吐が出るほど胸糞悪い作戦だったわ。でも、あの化け物相手に綺麗事を並べていたら、今頃あたしたちは全員死んで、灰すら残ってなかった」
ラグナが乱暴に自身の頭を掻き回す。
「だが結局、返すタイミングそのものがクソ真面目なアッシュとルナの暴走のせいで消えちまった。おかげでこうやって生きてるがな」
ルナの暴走。魔導将軍の想定外の行動。魔導工場の自壊。
上層部の汚い作戦は、誰にも想像できないことの連続で途中から完全に狂っていた。
「結果的に、その嬢ちゃんはこっち側に残っちまった。……ただ、それだけのことだ」
ラグナの投げやりだが確かな言葉に、ルナは怯えたように小さな肩を震わせる。
ニーナはそんなルナの怯えを視線に捉え、小さく舌打ちをした。
「……今さら連邦に返すだの何だの、そんな話、もう関係ないでしょ」
「……ちげえねえ」
その言葉を否定する者は、この場に一人としていなかった。
『……やっと繋がった!? みんな無事なの!? ねえ、あの爆発――』
悲鳴じみたサナの声が、通信魔導器越しに叩きつけられる。
ルカは荒い呼吸を押し殺しながら、短く言い切った。
「生存しています。ですが、状況説明は後です」
一度だけ、背後の爆炎を振り返る。
「敵が混乱している今しかありません。――直ちに合流地点へ」
—
ニーナは、未だ意識を失ったまま静かに横たわる、大切な相棒の寝顔を見下ろす。
そして、その先にどこまでも広がる、漆黒の水平線へと視線を向けた。
西。
境界の海の向こうには、巨大な大陸があるという。
アッシュは、ずっとそこを目指していた。
だが現実は、そんな願いだけで辿り着けるほど甘くはない。
金も、船も、後ろ盾もない。
封鎖された海の向こう側は、あまりにも遠かった。
だから今夜の混乱は、彼らにとって最初で最後の好機だった。
夜明け前の港。
冷たい潮風が吹き抜ける静かな桟橋の最果てで、一隻の大型帆船が、静かに、しかし力強く出航の準備を始めていた。
その暗い海へと突き出た船影を見つめながら、ニーナは決意を込め、静かに呟いた。
「……行くわよ、西へ」
その言葉を最後に。
長いようで短い、金と欲望にまみれた自由の港での戦いは、ようやく終わりを迎えた。
第3章:自由の港・潜蝕編 完
この回をもって更新はストップします。
ずっと前から決めていたことで、カクヨムに執筆の場を移すからです。
カクヨムでは内容を大幅に改修し、新装版として再開しますので、その際はもしよければご覧いただけると幸いです。
いままでありがとうございました。




