香澄
十二月に入って空気は一気に冬の顔を見せ始めた。
肌をピリピリ蝕むような痛みを、手をこすり合わせて追い払う。
冬枯れた木々が両脇に並ぶ石畳、暫く進んでいくと空間が開けて空が見えた。
周囲にはリズムを刻むように色と形の異なる墓石が並んでいる。その風景に陰鬱さは感じられない。オブジェのような墓石が多いのは近代的な意匠を取り込んだ新しい墓所だからなのかもしれなかった。
網の目のような通路を抜け、璃子は一つの墓の前に立った。
母の葬儀は宮越らのお陰でつつがなく執り行われた。当然親族の死というスキャンダルに纏わりつくマスコミも多かったが、事務所が確りと対応を取ってくれたので生活する上で大きな問題は無かった。
とはいえ、家の前にはマスコミの群がりもあったし、状況が状況なだけに出演番組のキャンセルなども連発し、事務所はてんやわんやだと聞いている。
何も言わず手を尽くしてくれた社長含め、宮越らには感謝の言葉もない。活動が再開したら出来得る限りの恩返しはするつもりだった。
璃子は墓石を眺めた。
石柱というより石板と言うべきだろう。光沢のある御影石の角は面取りがされ、丸みを帯びた柔らかな印象がある。日本的というより西洋風な墓石には左右対称にタンポポのレリーフが施され、黄色い花弁が明るさを感じさせている。花立には瑞々しい花が供えられていて、掃除もしっかり行われている。きっと月命日で手入れにやって来ているのだろう。そうでなければこれだけ綺麗に保てるとは思えなかった。
墓石には名が彫り込まれている。
『香澄』ただその名前だけが美しい筆跡で刻まれている。
璃子は小さく微笑んだ。
花守香澄。
彼女は璃子の幼馴染だった。
その名のように華やかで、幸福を絵に描いたような少女だった。
出会いは幼稚園の頃。
内気な香澄に対して活発だった璃子が声をかけ、それからは彼女の手を引く姉のように仲を深めていった。
香澄は心根が優しい性質で、優しすぎるが故に気弱と断じられ、からかわれ苛められることもあった。そんな香澄を守るように、璃子はいつも一緒だった。
彼女の家は裕福で、デザイナーの父、元ピアニストの母を持つ一流の家庭だった。夫婦仲も良く、こんな出来すぎた家庭が世の中にあるのかと思うほどだった。
父の居ない璃子にとって、理想としか言いようのない家族の形。そんな家庭で育った香澄の優しさや大らかさは璃子にとって憧れだった。
そして、香澄もまた璃子を慕っていた。男子にも引けを取らない文武両道とも言える璃子の闊達さは、自分には無く、憧れを抱くには十分だった。そんなお互いに憧れる二人が仲良くなるのは自明だったのだろう。
内気な香澄を心配していた両親も、璃子に影響を受けて明るくなっていくのが嬉しかったのか、璃子のこともまるで二人目の娘のように良くしてくれた。
本来なら小学校は別々になるはずだった。
香澄の両親はより良い教育環境を与えるために私立の学校に進ませるつもりだったのだが、璃子と別れることをひどく嫌がった香澄を無理矢理引き離すことが出来なかった。璃子と一緒にさせる方が安心だという気持ちもあったのだろう。思案の末、私立進学は中学校からにしようということになった。
そして香澄は璃子と同じ小学校に通うことになった。クラスも一緒、まるで二人で一人であるかのように、璃子と香澄はいつも一緒にいるのが当たり前の生活を過ごしていった。
そんな二人は小学校三年生になった。
その頃の香澄の夢はアイドルになることだった。
ステージの上で歌い、踊り、演じる女性の姿に憧れを抱いたのだろう。一生懸命に映像を観て、家でも真似て歌ったり、踊ったりしていた。
一方の璃子にはそこまでの情熱を傾けるものも無かったので、香澄の一生懸命さが羨ましかった。家庭の事情もあるから贅沢も出来なかった。一緒にアイドルになろうと香澄は何度もそう言ったが、璃子はなれたらいいねと言っただけだった。
きっと香澄はアイドルになる。
贔屓目無しで容姿も良い、歌も上手いのは母親の音感を受け継いでいるのだろう。彼女の歌は子供とは思えない表現力に溢れていた。成長すれば一流も夢じゃない、とお世辞なしに誰もが認めるほどの才能を感じさせる歌声だった。
今の時点ですら明らかに輝きを放っているのが香澄という少女だ。
あえて欠点を挙げるなら内気さだが、それだって大人になれば解消されるだろう。
引き換え璃子はどうだ。
容姿は凡庸。成績は良いし運動も出来る。だがそれは必死の努力の上にあるものだ。気を抜けば簡単に崩れる不安定な土台の上にある。
子供のうちはまだいい、だが成長すれば周りもみな努力するし、能力を引き上げる高度な教育やトレーニングを受けられるようになっていく。そうなれば経済力の低い自分の成長率などたかが知れていて、周囲の連中はあっという間に成長し追い抜いていくだろう。
だからこそ早く手を打つ必要がある。
子供のうちから誰よりも早く学び、誰よりも早く動く必要がある。
アイドルなどというものに現を抜かしている場合ではないと思っていた。