過去を追う◇過去を追う3
※若干残酷な描写が含まれています。
どうしても産めない――。当初はそう言っていたユレンが、難産の末にとても可愛いらしい男の子を誕生させた。
不慣れな手つきながらも赤子をあやす姿は幸せそうで、ユギハもまた幸せを感じる。
「この子は私を母親だと選んで、私の所にきたんだ。そのことに、罪はないから…」
そう呟くユレンから、とても複雑な想いが伝わってくる。
――…やはり、と思う。
母親と死別して以来、母親という存在に対して強い感情があるユレン。そのユレンが何故、堕胎を望んだのか。それに…、身籠った時期の計算も合わない。
疑惑はついに確信へと変わった。シュウが誕生して間もなく、祖父である朱の総裁が死んだのだ。
年齢からすると、満足のいく往生。朱の人間も蒼の人間も、故人を手厚く弔った。
そして。朱の総裁には、ユタバが就いた。これも周囲からすれば自然だった。
しかし――…。
葬儀に参列したユギハは、ひとりになった隙に、祖父の遺体を調べた。そして、確かに見たのだ。――毒殺による紫斑を。
…祖父は、他殺だ。
そしてユタバは朱の総裁になった。――産まれてきたシュウから逃れるかのように。
ユギハは確信した。兄ユタバに殺意すら抱き、強く問いただそうと考えた。
しかし――。
赤子の笑い声に振り返ると、優しい手拍子を交えて歌うユレンが見える。天使の笑顔で健気に母へ手を伸ばすシュウが見える。
…事実を明らかにしたとして、それが何になるだろう? それでユレンが、シュウが、幸せになるだろうか?
事実などどうでもいい。そんなものは必要ない。
――…シュウは、俺の子なのだから。
4年後、ユレンは再び身籠った。…だが、今度はユギハが反対した。今回は諦めるべきだ、と。
シュウを産んだ際、ユレンの体にとって出産は非常に困難な行為だ、と判明した。医者のディンからは、次の出産では間違いなく母子共に命を落とす、と断言されている。
当然ユギハもユレンも避妊をしていたが…、年月の経過が油断を生んだ。
完全な避妊をしなかった自分を激しく後悔しつつ、ユギハは説得し続けた。
「無理に産んだら、お前もこの子も死ぬんだぞ?
もう少し…、ディンと相談しながら――」
悲痛に顔を歪ませるユギハにユレンは笑う。
「私はこの子じゃなきゃ駄目なんだよ。
ユギハは『油断した』とか『失敗した』と思っているだろうけどね…、逆に言えば、奇跡、なんだよ。この子が『私達と家族になりたい』って、強く願っている証拠。
こんなに小さな命の必死な願いを踏み潰すなんて…、私には出来やしないよ」
「ユレン…。俺だってな、簡単な気持ちで言ってるわけじゃない。可能なら、この子には産まれてきて欲しいさ」
「夢に見るんだよ。この子はユギハに良く似ているんだ。ユギハと同じ黒髪で、同じ目をしていて――」
穏やかな表情のユレンに、ユギハはますます沈痛な思いを抱く。
「あえて冷たく言うけどな――…。俺は今、その子の命よりも、お前の命が何倍も大事だ。
シュウはどうなる? あの子に母親のいない人生なんて送らせたくない。
――…俺もお前を失いたくない」
決死の思いで告げる夫に、ユレンは怒りや憎しみを抱くどころか――、とても穏やかな微笑みを向けた。
そして、赤子がいる腹を幸せそうに優しく撫でた。
医師ディンの表情は常に険しく、ディンに密かに呼ばれたユギハはついに「覚悟をしておくように」と告げられてしまった。
騙してでも堕胎をさせるべきか、と酷く悩むユギハ。
それがわかったのか、ユレンは不思議な強さを湛えた眼差しで「心配はいらないよ」とまっすぐとユギハの目を見つめて頷いた。その目には迷いや不安は微塵もない。
――彼女は自分の命とひきかえに、新たな命をユギハとシュウに残そうとしている。
これほど固く強い母としての決意をつくがえすなど――…。ユギハは自分の迷いにすら迷い…、だからと出産に両手をあげて賛同などできないままでいた。
そんなユギハとユレン、ディンの機敏を敏感に感じ取ったのは、まだ幼いながらもとても優しく繊細な心を持ったシュウだった。
目に涙を浮かべて不安いっぱいに甘えるシュウ。そんな我が子を膝に乗せ、ユレンは慈しみを込めてそのやわらかな髪に顔を埋めた。
「シュウは、お兄ちゃんになるんだよ。赤ちゃんをいっぱいいっぱい愛して、いっぱいいっぱい幸せにしてあげてね」
「…あかちゃん…、おげんきなの?」
「どうして?」
「だって…、とーさんもディンも、こわいお顔してたの。か、かーさんも…、かーさんも…しんぱいなの…」
「シュウちゃん…」
母を心配させまいと涙を我慢するシュウを愛情深く抱きしめ、ユレンはその頬と自分の頬を寄せる。
「ありがとう、シュウちゃん。かーさんも赤ちゃんも、大丈夫。元気だよ。
さぁシュウや、お腹の赤ちゃんにいい子いい子してあげて」
「…あかちゃん、男の子?」
ユレンはフワリと優しく笑う。
「シュウちゃんは、赤ちゃんが男の子、ってわかるの?」
「んーと…、うーん…?」
首を傾げるシュウの頭を、ユレンは優しく撫でた。
「じゃあシュウちゃん、赤ちゃんのお名前を考えよっか」
「おなまえ?」
「そう。男の子のお名前だね」
「でもでもっ――…あ! 男の子のおなまえと、女の子のおなまえがいいよっ!」
パァッと顔を明るくさせたシュウに、ユレンはにっこりと笑って頷いてみせる。
「いいねぇ〜。さぁ、どんなお名前がいいかなぁ?」
「はいはーいっ。ぼくね、あかちゃんのおなまえ、わかるのっ」
「シュウちゃんは、赤ちゃんのお名前を知ってるの?」
目を丸くする母にシュウは「うんっ!」と満面の笑みだ。
「あかちゃんは『ユウちゃん』だよ…! ユウちゃん、いい子だよっ」
「そっかぁ…、ユウちゃんかぁ。シュウちゃん、ユウちゃんといーっぱい遊んであげてね」
「うんっ」
「――シュウ」
少し離れた机で会議の資料を眺めていたユギハが口を開いた。
「シュウは、赤ちゃんが好きか?」
「だぁーい好きっ。キラキラしてるの。おはなしもするのっ」
「おなはし?」
「おはなしして、ねんねして、ねんねして、むにゃむにゃなの〜」
「はぁ〜…、そうか…」
不思議な話を聞いたものだ、と感心していると――…、シュウの表情がまた曇ってきた。
小さな両手をキュッ…と握りしめている。
「…あかちゃん…、おげんきないの。いっぱいおなはししてたのに、ねんねしてるの。ずっとねんねしてるの…。
ねぇとーさん…、あかちゃんキライ?」
――この小さな子からの突然の質問。
思わず思考が止まる。
「…どうして?」
「あかちゃん…、キライはやぁだよ?」
「………」
「――さぁシュウちゃん、お昼寝のお時間だよー? お歌を歌おうね」
「おひるねー…、ぽんぽんもやってーぇ」
当然のようにユギハのベッドへと入る母子。毛布の上から優しくぽんぽんとあやされて、シュウは子守唄を聴き終わる前に寝息を立て始める。健やかな寝顔。
「…ユギハ、お腹の子を嫌いにならないで。憎まないで。
ユギハにお父さんになって欲しくて、来たんだからね…」
「ユレン、俺は――…」
複雑な思いに口をつぐむが、ユレンは優しい笑みのまま目を閉じた。
――…月足らずで赤子が産まれ、それと同時にユレンが死んだとき…、この子は産声をあげてはいなかった。
そう、まるで――…産まれてきたことを申し訳なく思っているかのように…。
ユギハは、この子まで逝ってしまったのか、と全身から血の気が引き…、とてもその場に立ってはいられない状態となった。
シュウのときよりも一回りは小さな体、命…。ユレンが以前話していたとおりに、自分にとても良く似た姿の我が子。
だが…、ぐったりと力がなくて――…。
ディンが汗だくで懸命に泣かせようとし、この子はようやく産声をあげた。…しかし、それもシュウのそれと比べれば遥かに小さく、か細く、弱々しいものだった。
産声とは、この世に生を受けた歓喜の叫びだ、と聞いたことがある。
産声は聞く者に明るく微笑ましい気持ちをもたらすというのに。
だがこの子のそれは――…、とても辛い感情に満ちていて。
まるで、この世に生を受けたことを――…母を死なせたことを、父の反対を押しきって産まれてきたことを、この小さな命の灯火を削りながら謝罪しているかのようで…。
――…こんなことならば、反対などしなければ良かった…。
全身全霊でユレンを、シュウを支えれば良かった。
そして、堕胎ばかりを考えるのではなく――…この子に産まれてくる喜びを、自分達の元へ来た感謝を、伝えてくれば良かった…。
こんな、ことならば…。




