過去を追う◇キオウの友人
「またまた前世の君のお兄ちゃんに会ったよ。君への伝言を頼まれた」
賢者が集う白亜の神殿へと続く長い階段。その途中に腰掛けていた青柳の賢者に、明星の賢者が話し掛けた。
陽の光を反射させる湖面を見つめるキオウは、顔すら向けずに「ふぅん」と応える。
「『この間は手伝ってもらって助かった』って。人間達は戦好きで困るね。おかげで師匠は大忙しだ」
「その『人間達は』って言葉、アンタが人間じゃないように思えるからやめろよ。アンタはとっくに人間の域を超過しているんだろうが」
「おや、それではまずは人間とは何かを説かねばならないかな。その他にも言い返したいことが多々あるけれど、この場は誉め言葉として受け止めるだけにしておこう。
お前がヘコんでいないかと心配していたよ。自分が叱ってから元気がない、って」
「…怒ってるんだろうな、あいつは」
ザッ…、と音を立てて隣に座ったスィードは、その小さな呟きを聞き逃さなかった。若き同僚に優しく先を促す。
「前世の記憶ってほとんどないけどな――…、最近思い出したんだ。俺は前世であいつに誓った」
「あぁ…、『あの事件』の後に君は激しく後悔をして…、そして誓った。もう兄を裏切らない、って」
「…あいつ、アンタに言いやがったのか?」
「彼は怒っていないよ。多少のショックを受けはしたようだけどね」
「…無理もないさ」
――かつて自身の弟であった魂の持ち主が、死を渇望して自分を喚んだ…。
「そんな最悪な形での再会、だったんだからな…」
「だが――君は今、生きている。君が魂に纏う輝きは実にみずみずしい。
そんな君を、彼はとても喜んでいるよ。もちろん私もね」
「…」
どこまでも広がる空に浮かぶ白い雲を見つめ、キオウは密かにため息をつく。
「あぁそうそう、秋津のに叱られたよ。『ウチの弟子に変な知恵を吹き込んだだろう』って。これだから、頭でっかちな賢者は困るね。老いてもあぁはなりたくないものだ。やっぱり秋津のの脳みそは漬物石で出来ているに違いない。それも相当に使い込まれた漬物石だ」
「アンタの脳みそはゼラチン製だろ?」
「ゼラチンねぇ。ふむ、柔軟で自由自在に変化が出来るという点では間違いではないか。うん、お前にしてはなかなか良い喩えだね」
「…。俺はそのアンタのポジティブさが時々無性に羨ましくなる瞬間がある」
「ところで青柳の、リンゴは食べたかい?」
「食った」
「どうだった?」
「なかなかイケた」
そうか、と満足げに笑うスィード。
「君もリンゴを気に入ってくれたし、御伽のは狙いどおりに50年契約をしてくれたし、最近はまったく絶好調だ。あはは」
「一応言うが、俺は契約してないからな」
「うんうん。でも、たまぁ~に持ち帰っておくれよ。あはは」
空に向かってバカ笑いをする明星の賢者だが、今日は珍しくマトモな恰好をしている。美しい金と橙の絹糸で編まれたローブ。
余裕と自信に満ちた姿。
「それにしても青柳の、最近よくこの地へ来るね。少し前までは寄りつかなかったのに」
キオウは少し顔をしかめて眉間を掻く。
「そりゃ…、賢者って能書きをそろそろ受け止めていかなきゃな…、って」
「君は本当にいい子だね。可愛いなぁ」
「俺は幼稚園児か何かかよッ」
「私に協力できることがあれば、遠慮なく言っていいからね。あの漬物石な生ける化石的な師匠には頼みにくいこともあるだろうから。
あぁそうだ。この際だから、秋津のから私に鞍替えするかい?」
「アンタの弟子に〜ぃ? 全力で拒否するわ」
「んー、何故に全力で拒否されたのか、私にはイマイチ理解出来ないなぁ。お前が私の弟子で、私がお前の師匠。うんうん、やっぱり絶対に面白いと思うけどなぁ。師匠も喜ぶと思うよ」
「あいつが死なずに存命でいたら、俺はあいつに弟子入りしたかったな」
「もしそうなっていたら、私は君の兄弟子か。うん、悪くない」
「あいつ、転生する気はねぇのかな…」
「ないだろうね。そうでなきゃ、死神なんてやってはいないさ」
軽く笑んだスィードが、静かに空へと視線を移した。清々しい表情で気持ち良さそうに目を細めている。
その横顔をチラリと見るキオウ。見えたのは、陽の光を浴びた優しく穏やかな笑み。
「…なぁ」
「なんだい?」
「アンタには悩みなんてないんだろうな」
「おや、私にだって悩みはあるよ。最近ウチの神殿周辺を不良のライカンスロープ達がたむろしていてね、いつも遊びに来ていたグリフォンの幼生が怖がって来なくなってしまったし。シルフとバシリスクが『種族の壁を越えて夫婦になりたいから、どちらかをどちらに転生させてくれ!』なんて無理難題を毎日のように言いに来るし。
他にもあるよ。つい先日、近所の火山で友人でもある水の龍族の坊やが迷子になってね。急いで捜してチビちゃんを見つけたけれど、酷い火傷で。『何故もっと早く見つけられなかった!』って言われて、私も大人げなくつい言い返したら、そのまま喧嘩になってしまってね。まだ仲直りが出来ていないんだ」
「ふぅん」
賢者の悩みらしいようでらしくない悩みの数々である。
「青柳の、今を楽しんで生きるんだよ」
「なんだよいきなり」
「だってお前、先日《時間飛翔》をしたろう?」
「あれは自分のためにじゃない」
「お前は、過去を変えたい、という誘惑に負けそうになったことはないのかい?」
「………」
空を仰ぎ見るキオウ。
その表情はどことなく硬くて。
「――…俺は…」
「…。いいかい、青柳の。先輩からの助言だ。
この『今』を、存分に楽しむんだよ」
「…ああ。そうするよ」
キオウは笑みを浮かべて目を閉じた。




