理解すること◇理解すること
ジークは朱の要塞を振り返り見た。分厚く高く堅牢な外壁が、侵入者を頑なに拒んでいる。
人は心にこれほどの壁を作るなど不可能かもしれない、と。ふと思った。
「…キオウ!」
空に喚ばれた声は時空を超え、若き賢者の元へと届く。
久しぶりに見た緑の風と光の魔法陣を、本当に美しいと素直に感じる。
フワリ、と地面に足を着けたキオウが、風で乱れた前髪を軽く掻き上げた。
「――…久しぶりだな。船に帰るのか?」
「……。いや、まだ帰らねーよ」
「…ふぅん?」
キオウの眉が跳ね上がった。うっすらと笑みを湛えたままジークの瞳を捉え、その真意を見いだそうとしている。
大きく深呼吸をし、ジークは慎重に口を開く。
「――キオウ。お前は時間を超えることができるか?」
「へぇ? また、なんで?」
「必要だからだ」
いつものジークとは違う、とても真摯な目。
笑みを湛えたまま、スッ…、と碧の目を眇める賢者。
「俺にそれが可能だとして――、お前は一体何を望む?」
「過去が知りたい」
「過去を?」
ああ、と頷く。
「俺が産まれる前。
――アイツの不良時代から、今にいたるまでを知りたい」
否、知らなければならないのだ。
あの人を許したわけではない。
それでも、あの人は。
俺の。
「――…過去と未来への干渉、これは神から禁じられたことだ。だが賢者は、時を超えることだけは許されている。だから賢者は確実な未来を視ることも、目の前にいる人物の歴史を視ることもできる。
時間を超えた先で、俺は何もしてはならない。過去や未来への干渉は歴史が変わるだけでなく、すべての《運命》や《絶対》に影響を与えてしまうからな」
「俺は歴史を変えようだとか、そんな大層なこたぁ思っちゃいねぇ」
「本当にそうなのか、胸に手を当ててよく考えてからモノを言え」
――賢者が放つ強い覇気に圧され、ジークは思わず後退しそうになる。
「お前は伯父が抱く問題の解決を望んではいないか? 母親の不幸を回避したくはないか? かつての自身に幸せな時間を与えたいと思わないか?父親を助けたいと思わないか?」
「………」
――すべて、魅惑的な誘惑だ。
シュウが実兄であったら。
母が生きていたら。
幼い自分が恵まれていたら。
父が――…病にかからなければ。
心の葛藤に強く強く握り締めた拳。うち震える感情。
青柳の賢者は、今一度、目の前に在る者に静かに問う。
「お前の望みはなんだ? ――ユウガ」
「…ッ」
――…賢者に真名を呼ばれた瞬間に押し寄せた、とてつもなく巨大な畏怖と重圧。
それらを強く退けて――、まっすぐとその目を捉え返した。
「…。過去を知りたい」
時を超え、過去を視る。
「それが俺の望みだ」
「…」
ふと――…、キオウも同じだ、と思った。
彼は母の死の回避したいと望まないのか。かつての悪夢を消し去りたいと思わないのか…。
銀髪の賢者が碧の瞳を静かに伏せる。
「…わかった。お前が過去を知るための手助けをしよう」
――この助力は師との約束に違反してはいない。
自身のために知らなければらないことを知りたい、そう望む仲間を助けるだけのこと。
キオウがこれまでとは違う魔法陣を広げた。
透明な緑と青と白の光。透き通る風。不思議な文字と星が緻密に編み込まれた魔法陣。
一瞬の閃光の後。
そして――――。
賢者と黒髪の青年は、その場から姿を消していた。