理解すること◇キオウとレイヴ
目の疲れには塩水が効く。
料理人にそう推薦したのは、同郷の賢者サマであった。
「………」
塩水を入れた洗面器に顔を突っ込んで目をパチパチさせていたインパスは、いきなり頭をグイッと押されてパニックに陥った。
ぶくぶくぶくぶくぶくっ
ばしゃーーーーッ!
「げほ…っ、げほげほっ…。おえぇ…っ」
「こらこらキオウ、殺生な」
ひっくり返した洗面器の塩水でずぶ濡れとなりもがくインパス。
その隣にいる犯人は、レイヴの諫言に悪戯っ子の笑いを浮かべる。
「だってコイツ、2分以上あのままだったから」
だからとやっていいはずがない。
良い子は真似をしないように。
「息止めは俺の方が得意かな」
「さすがトレジャーハンター」
「それもあるけど、小さい頃から水に潜るの好きだったからね。近所の川と池でよく泳いだよ」
「おいインパス、生きてるか?」
「…っ」
咳き込みつつ涙目でキオウを見たインパスは、無神経な発言にますます表情を崩した。
「キッ…キオウなんて、だいッきらいだぁぁぁぁ〜ッ!!」
どたどたどたッ
ばッたーーんッ!!
……ごろごろごろ…
「あーあ、可哀想に。いじめちゃダメだよキオウ。閣下に“まーくん便”でチクるよ?」
「へいへい」
「インパスに何か遭ったら、今夜の夕飯が困るでしょ?」
「…。お前もさりげなくひでぇな…」
悪意のない笑みで白い歯を見せたレイヴ。インパスが乱暴に閉めたドアの振動で床に転がったジャガイモを拾っていく。
レイヴを手伝うことなく、力なくシンクに寄りかかるキオウ。
「なぁレイヴ、両親は健在か?」
「健在だよ。気が向いたら里帰りを手伝ってちょうだいな。クレイバーは内陸だからね、船旅だと行けないから」
唐突な話題を振るキオウにも慣れているので、レイヴは根気よく応じた。
床にこぼれた塩水を交わして転がってきたまーくんを拾い、キオウは物憂げに窓の外を見つめている。
その様子にレイヴは手を止める。
「…どうかした?」
「ん…。知り合いにさ、言われたんだよ。
…『生きているうちに親孝行しろ』って」
「知り合い?」
「同僚」
「賢者サマ?」
「超自己中の変人コスプレマニア」
酷い言われ方をされている明星の賢者であった。
そんなキオウに苦笑するレイヴ。
「キオウはちゃんと親孝行しているよ。閣下、元気なんでしょ?」
「この前まで風邪ひいてたけど、薬飲んで復活したみたい」
「薬?」
「お前に飲ませたアレ」
あぁアレね、とレイヴは苦々しくひきつって笑う。
「俺なんて可哀想なモンだよ? ウチの母親、俺でガッツリ金儲けしてるんだから」
「金儲け?」
「レイヴ饅頭とか」
「…まんじゅうっ?」
「笑わないで。レイヴさんはちょっぴり傷ついた」
「悪い悪い」
ひとしきり笑ったキオウだったが…、やがて静かに深く呼吸をした。消えていく笑み。
あどけなく主を見上げているまーくんの頭を、爪の先で掻くように撫でている。
「――…俺…、母上に親孝行できなかった」
掠れた声の小さな呟き。
レイヴは言葉に迷う。
「ん、それは…」
「ドゥの所に行ったんだけどさ」
「誰だっけ?」
「死神」
「わぉ。素敵なお友達がいるね、賢者サマ」
「あいつとは昔から縁があるから」
「それで?」
気持ち良さそうに甘えてくるまーくんを見つめ、キオウは静かにため息をつく。
「……母上に会いたいな、って…」
とても寂しげな声音。
「キオウ…」
「…けど、怒られた」
「怒られた? 死神サマに?」
「分別のない賢者に会わせる者などいない、って」
そっか…、とレイヴは優しく笑う。
「キオウの母上、どんな方?」
「ん…。母上が逝ったのは俺が小さい頃だし、記憶はほとんどないけどな」
――あたたかなぬくもり。優しい子守歌。
それらはまるで、心地よい風が吹く野原の太陽のような――。
「さすがあの閣下が愛された女性、キオウは幸せ者だよ。
ウチの家族、見たことある?」
「実際にはない」
「すっげー豪快でワイルドな母に、すっげー筋肉馬鹿な父。そして凶暴な姉が3人もいます。
キオウは言われた経験なんてないだろうけど――」
「なに?」
「俺は小さい頃に姉貴達からしつこく言われたんだよ。
『お前はそこの橋の下から拾われてきた子だ!』って」
似たようなことを言われた経験がある人も多いだろう。
「俺、幼心に真に受けたんだよね。
『俺の本当の親は誰だろう?』って」
「ふぅん」
「だから、小さい頃から思ってたんだ。
『冒険家になって世界中を旅して、そして本当の親を見つけるんだ…!』って」
「で、いたの?」
「…へっ?」
「本当の親」
「……ちょ、ちょっと待ってよキオウ。真顔モードのお前に言われると、本当の本当に真に受けちゃうでしょ」
まっすぐと目を捉えられ、ひきつった笑みを浮かべるレイヴ。
賢者は目を離さない。
「お前が真実を知りたいと言うのなら――」
「ちょ…ッ、キオウやめてってば! 世の中には知らない方が幸せなこともあるんだよッ」
慌てて止めるレイヴ。
だがキオウは無言でその目を捉え続け――…、ふいにニヤリと笑った。
「…焦ったな? どんなにお前が悪く言おうが、お前が家族を家族だと思っている証だ」
「…」
軽く手を振りつつ退室していく賢者サマ。
対するレイヴはしばし呆然とした後、微妙な笑いを浮かべた。
「……なんか…、ハメられた気がする…」




