理解すること◇大掃除は大会
「スタートはここだよ。ここからぐるっと行って、デッキの階段もちゃんと拭いて、舵を折り返しに戻ってくる。コレを3周ね。わかった?」
「わかったーっ」
「オッケー!」
「よぅし。そんじゃあキオウ、スタートよろしくね」
キーシとラティとレイヴの3人が、雑巾を構えて横一列に並んでいる。月に一度の大掃除に開催される「賞品付き雑巾がけレース」のスタート地点である。
ちなみに、レース不参加者もサボっているワケではない。インパスは食糧庫の整理清掃、カイはすべての船室の窓拭き、そしてキオウはこの後に海へ潜って船底の点検及びフジツボ除去をするのである。
見事な快晴の下、半袖にズボンというラフな格好のキオウが腰を叩く。
「んじゃ、スタート切るぞ?」
「俺はいつでも平気だよ」
「あたしも全然オッケー!」
「ボクもいいよー。おとなと一緒のスタートは、ちょこっとだけ不満だけど」
「そーだなぁ…。レイヴ、こいつらよりも遅くスタートするか?」
太陽の光に目を細めつつ提案するキオウ。レイヴは「いいよー」と緊張感のない返事を返す。
「よし。じゃあ、お前らだけ先にスタートな。
位置について――」
よーい…。
――パンッ!
「おりゃおりゃおりゃーーーッ!」
「うわぁっ!? いぃ…っ、痛いようぅぅぅ〜…」
「…キーシ、いつになく張り切ってるなぁ」
「女の執念を感じるよ。今回の優勝者には『インパス特製ケーキをワンホール』だもんなぁ」
甘党のレイヴはそれでエントリーしているのである。
キオウは苦笑しつつ、親指と人差し指で作ったピストルを空へと向ける。
「じゃあレイヴ、お前もスタートな」
「おうよ」
よーい…。
――パンッ!
「れっつらご〜〜っ!」
だっだっだっ、と快調にスタートしたレイヴ。キーシの迫力におされて転倒したラティをあっさりと追い抜き、鬼気迫るキーシを追い掛けていった。
失笑ぎみにそれらを見送るキオウ。潜水に向けて、軽く準備運動を始める。
そこへひょっこりと現れたのは、割烹着とほっかむりと雑巾とハタキを装備した、元宮廷料理長。
「キオウー、フジツボは捨てずにバケツか何かに入れといてー。立派な食材だからね」
「えー…。確かに不味くはねぇけど、食える所が少ねぇし…」
「あ、王子サマがわがまま言っているーぅ…。贅沢言うならお父様と晩餐してくれば? どーせキオウは俺よりおとーとのごはんのほーが好きなんでしょーからっ」
先日キオウが弟作『やわらか地鶏の甘煮』を絶賛したので嫉妬しているらしい…。キオウは苦笑して「はいはい。ちゃんと取るよ」と手を振った。
この位置では見えない通路から響く、激しいデッドヒートの足音。キーシの「レイヴさん邪魔ッ!」という怒声からして、どうやらレイヴがキーシの前にいるらしい。
それからかなり遅れて平和な足音。…ラティは優勝を諦めたようだ。
「さて、俺もやるかぁ…。めんどくせぇなぁ」
魔法で済ませてしまおうか…、キオウはその誘惑に負けそうになる。
ごとんごとんごとんごとん
がらがらがらがらがら
「…?」
足元で謎の音が続いている。視線を移すと、何故かそこには大きめの洗面器があった。
一人歩きをしたワケじゃあるまいし…、と観察していると、その陰から緑色の物体が現れる。
「ん、お前の仕業か。
…へ? コレにフジツボを入れろ? いっぱいになったらボクがバケツに入れ替えるよー、だ?」
どうやら「ごとんごとん」は洗面器を、「がらがら」はバケツを押してきた音だったようだ。少し離れた位置にバケツが置かれている。
まーくんはご主人のお手伝いがしたいらしい。
キオウは身を屈めてまーくんと目を合わせた。いつもの「の〜ん」とした顔だが、どこか誇らしげである。
遠くに「どたどたどたっ」という爆走音(どうやら折り返したようだ)を聞きつつ、キオウはまーくんに問い掛ける。
「俺が海に潜ってフジツボを取るだろ?」
うん。
「洗面器を海に浮かべて、フジツボを入れる」
そうそう。
「で。洗面器がいっぱいになったら、お前がバケツにフジツボを移す」
そのとーりっ。
「…カナヅチのお前が、どうやって?」
………………あ。
それまで嬉々と頷いていたまーくんであったが、飼い主の疑問にピタリとフリーズ。そして、何事もなかったようにその辺をころころ転がり始めた。
キオウの深い深いため息が青空に消える。
キキキキーーーーッ…!!
ドリフトでコーナーを制したのは推定年齢12歳のキーシ! 続いて現れたのは“探求のレイヴェイ・グレイド”誕生日は桜が咲く時期の24歳! 両者とも凄まじいスピードでスタートラインを突破し2周目に入る!
おおーっとぉーっ!?キーシの前に出たまーくんが轢かれたぁーっ! タイミングよくドアが開いたカイの部屋へとふっ飛んでいくーッ!
がしゃーーーんッ!!
「…キオウ。まーくんが飛んできたぞ」
「すっげー音がしたけど…、なんか壊れたか?」
「時計がな…」
見事に大破した陶器の置き時計を手に低く呟くカイ。…カイお気に入りの品である。
それをよく知るキオウは一瞬、しまった…、と硬直し「ごめん…、直す…」と珍しく素直に頭を下げる。
その傍らを平和に通過していくラティ。反則技の「足で拭きつつ低空飛行」をしているので、ややバレリーナのようである。
やはり1日に1度は何かが起こる、相変わらずのデスティニィ号であった。