理解すること◇深夜
今宵の風はいつも以上に冷たかった。
片手に持つグラスに少し口をつけた彼は、重いため息を吐き出しつつ星々が瞬く夜空を見上げる。
――――蒼。
山の中腹にあるこの要塞は、周囲の切り立つ崖により難攻不落の要塞として知れ渡っている。
遠く眼下の暗い海を眺め、彼は再びため息をついた。
室内に人気を感じ、振り返る。
「…まだいたのか」
暗い室内から月明かりへと歩んできた息子に少し笑った。
息子は軽く眉をひそめている。
「父上…、約束が違いますよ?」
「まだ1杯目だ」
「そういう問題じゃありません」
足音なく父に近寄り、手すりに置かれていた酒瓶を取り上げる。
「夜風に当たれば酔いはこないさ」
「だから、そういう問題じゃありません」
さっさと棚に酒瓶を戻して振り返り、父の様子に小さく笑った。
「そんなにショックだった…?」
「何がだ?」
わざととぼけた口調の問い返し。…しかし、こういうときの父は参っているのだ、とわかっている。だから静かな目で父を見据えた。
息子から目を外した彼は、軽く頭を振って苦々しく自嘲する。
「あれはもう…、私に懐きはしないだろうな」
「さぁ、どうでしょうかね」
詠唱も面倒なのでマッチ箱を取り出し、燭台に静かに火を灯す。暗闇だった室内を照らす、暖かなオレンジ色の明かり。
引き出しにマッチ箱を戻したシュウは、父に振り返って口を開いた。
「思っていたんですが…」
「ん?」
「あなたとあいつはよく似ているな、って」
「どこがどう似ているんだ?」
静かな笑みを浮かべる父を見つめた。力なくソファに身を沈めた父は酔っているように思える。…1杯目というのは嘘だろう。
「素直じゃない所ですよ」
どんな顔をするかと変化を観察してみたが、父はその笑みをまったく崩しはしなかった。
「私に対してのその評価は認める」
「あなたは本当に意地っ張りだ。自分の過ちを素直に認めやしない」
「そのとおりだ。弁明する気も起きんな」
「…」
父上――、と。
シュウは父に問い掛けた。
「あなたはあいつとの関係をこのままの状態で続けるつもりですか? 理解されないまま――恨まれたままでいいのですか?」
「私は、そのつもりでいる」
「なぜ?」
「…」
「あいつはあの日のことを――熱を出したときのことを誤解していましたよ? あの日あいつが熱を出したのは、父上が加減なく鞭打ったからだ、って。
本当は――…僕が前日に水遊びをさせて、遅くまで連れ回して、それで風邪をひかせただけなのに…。
あいつはいろんな記憶がごちゃ混ぜになっている」
――…着替えの機会にその背中を見たが、ユウガの背に酷い鞭の痕などなかった。
シュウは苦しい胸を無意識に掴む。
「自身を罰しているつもりですか? 恨まれ続けることで――そうやって自分を痛めつけ続けることで」
「………」
「…やはり、よく似ています」
ため息混じりに言い、シュウは父に背を向ける。
「あいつも自分を罰しています。暴走した自分の心のままに手に掛けた者を想って。剣を扱うことしかできない自分に絶望し、その行き場のない感情を殺しへと向け続けた自分にますます絶望して。
今のあいつは人を殺す世界にはいない。でも…、多くの血を吸い続けたあの剣を持ち続けることで、あいつは今この瞬間も自分を罰し戒めているんだ。心を更に痛めつけ続けているんだ」
「――…あれがそれを背負うべきではない」
父の呟きにシュウは振り返る。
「あれをそうさせたのは――…私だ」
「なら、あなたが助けてやって下さい。僕には絶対にできない。あなただけが、真の意味であいつを解き放てるんだ」
「………」
黙り込んだ父に、シュウは更に続ける。
「あいつは報酬を得て人を斬ってきました。それは、自分が望んで殺ったのではなく頼まれたから殺ったのだ、と自分への言い訳を作るため。
…こんな子供じみた言い訳でもしなければ、あいつは生きることができなかった。蒼から飛び出した頃のあいつには何もなかった。この蒼で――蒼の中でも隔絶されて育って」
「…お前は手厳しいな。痛いことばかりを言ってくれる」
「父上…」
シュウは優しい声音で目を和ませる。
「お願いです。今この場で僕に命じて下さい。
――ユウガを捕らえて連れ戻すように、と」
「…」
父の眉が微かに動いた。
シュウはキュッと握りしめた拳を見つめる。
「あいつの実力なんて僕には生ぬるい。僕の独断で強引に連れ帰ることは容易です。身勝手をした罰は自分から受けましょう。…でも、それじゃあ意味がないんだ。
言って下さい。あなたの口で。ユウガを今すぐに連れ戻せ、と。
――あの子に会いたいのだ、と」
「…」
シュウは真摯な眼差しで必死に訴える。
「あいつはこう言いました。『会えない』と。『会いたくない』ではなく『会えない』のだと。
…あいつの気持ち、あなたならわかるでしょう?
言って下さい。あなたの意志で。ユウガに会いたい、と。
――…この機会を逃すと、二度と会えないかもしれませんよ!?」
「………」
父は静かに目を伏せたまま動かない。その姿は痛ましくすら感じる。
――…駄目、か…。
もし命令なく自分の判断で連れ戻したとしても…、このままでは両者は相容れないだろう。
深いため息をつき、シュウはドアへと向かう。
「…では、用件を済ませがてら、ユウを朱に連れて行きます。あいつが自由を得たのを確認した後、僕はガヌアスに行き、整えた後に本番の舞台へ向かいます。
僕が不在の間は呑み過ぎないで下さいよ? 言質をとりましたからね。約束ですからね。破ったら酷いですからね」
念をおすように繰り返すと、ようやく父はフッ…と表情を和らげた。
――シュウがよく知る、父親としての顔。
「あぁもうわかった。わかったから、さっさと行け。あまり俺を虐めるな」
「あなたが説教をかまされるような真似をするからでしょう?」
「やれやれ…。お前はユレンに似て、一度キレると恐ろしいからな。おかげで俺は、お前がいつキレるかと怯えながら呑むしかない」
「怯えるくらいなら呑まなければいいのに…。ディンにも『酒は控えろ』と言われてますよね?」
「お前は俺からささやかな楽しみを奪う気か?」
「それで少しでも長生きしてくださるのなら、僕はまた蒼にある酒をすべて処分します」
「ははっ。前に一度やって、俺には無意味だとわかっただろう?」
「威張らないで下さい。それに、今度という今度は徹底的やりますからね。コレクションのビンテージ物も、厨房の料理酒も、兵卒がクローゼットに隠し持つ酒も。全部その場で微塵の容赦もなく床に叩き割りますから。文字どおり、蒼からアルコールの類いを完全に滅しますから。
あぁそうだ。医務室の消毒液も破棄ですね、破棄。追い詰められたうわばみは呑みかねませんからね。
思ったが吉日…と言うけれど、さすがに今は時間がないか。作戦から戻ったら、さっそく実行します。父上が悔い改めないのなら。本気の僕は自分でも何をしでかすわかりませんから、手加減が難しいでしょうけれど」
「………すまないな」
ふいに神妙な声音での謝罪。
シュウは深く大きなため息をつく。
「…その一言。僕にでなくユウに言えば、すべてが済むんですよ?
はぁ…。意地っ張りなんですから。変な所で、無駄に意地っ張り」
わざとらしく嫌みをたっぷりと含ませ苦笑する息子。
妻の面影を持つ愛子に、ユギハはもう一度謝罪の言葉を呟いた。




