家族って何だろ◇蒼のこと
古びた帽子のギター弾きが陽気な音楽を奏で、ふわりと重みのあるスカートの踊り子が軽快に踊っている。盛り上がる観客達。
ジークはそれらに目を向けることなく、まじまじと隣の青年を見つめていた。
「どうかした?」
「…いや、なんか――…久しぶりにその名前で呼ばれたな、って…」
「ユウは、ユウだよ。今のお前が偽名を名乗っているからって、僕にとってお前は『ユウガ・ティスカル』以外の誰でもない」
「………」
うつむいた頬に触れる冷たいグラス。
「ほら、呑みな。お兄ちゃんがおごるって言っているだろう? 久々に兄弟で呑もうよ」
「…シュウと呑むの、初めてだけど」
「そうだったっけ…? 父上と重なっていたみたいだ。ごめんよ」
その言葉に、グラスを持つジークの手の力が抜けた。
グラスの底がカウンターとぶつかり、冷たい音が響く。
カツン…ッ
「………」
「…父上は本当に後悔してる。お前に詫びたいって言ってるんだ。
ユウが嫌がるのも無理はないし、僕はお前にどうこう言える立場じゃない。
僕はお前と違って――…、普通に父上と一緒だったから」
「…」
「でも…」
シュウは優しい目を送る。
「ユウ…、あれから9年だ。お前が蒼から飛び出して…、もう9年なんだよ?」
「…」
ユウ、と。
シュウは語りかけるように弟の名を呼ぶ。
「ユウはもう蒼には戻らないのかい? 父上と二度と会わないつもりなのかい?
父上は本当に後悔しているんだ。…毎晩毎晩、泣いているんだよ?」
ジークは少しだけシュウを見る。
兄は目を合わせてゆっくりと頷いた。
「本当だよ? あの父上が泣いているんだ。父上はね、本当は弱い人間なんだよ。
お前はただ生まれてきただけなのに――…、なのに」
「………」
――息子を産んだその場で息を引き取った母。
産まれたばかりの息子のせいにしなければ、最愛の人の死を受け入れることができなかった父――。
「父上はお前を愛してるよ。自分の子を心の底から愛しているんだよ。
だからこそ、お前を――」
「…」
「――…お前を塔に閉じ込めたこと。あれは決して、恨みや憎しみからじゃない。
父上は、本当は」
「お前は昔話をするために俺を捜していたのか?」
無感情の冷たい声音。
シュウは悲しげな目を隣の弟に向けるが――…、まっすぐ前を見たまま目を合わせようとしない弟に、ひとつため息をつく。
「…本題に戻ろう。
父上――総裁は、お前を保護したいんだ」
「………は?」
「『は?』じゃないよ。我が蒼の総裁は、お前を保護しようとしているんだ」
「なんで、俺を」
「お前は蒼以外の〔組織〕を知っているかい?」
「…それなりに」
「じゃあ黒蛇は?」
「名前だけなら」
――どの国にも属さない集団。相応の報酬があれば如何なる仕事もこなすのが〔組織〕。
生まれ育った蒼以外の〔組織〕などほとんど知らないが…、船に乗る前は闇の家業をしていたのだ。噂は嫌でも耳に入る。
シュウは笑みをたたえながらも、真剣な眼差しでジークを見据えた。
「蒼は今、ある大きな仕事を抱えているんだ。――お前は脱走兼仲間殺しだからね、詳細は話せない。
この仕事で蒼の雇い主の敵対側に黒蛇が雇われていてね、連中はお前を捜しているらしい」
「な、なんでそこで俺が出てくるんだよ?」
「利用価値があるからだよ」
「意味わかんねーよッ。そんなゴタゴタ事に巻き込まれるなんざ、俺は勘弁だぜ…!」
「お前の意思は関係なく、お前の身柄さえ手に入ればいいんじゃないかな。蒼に不利を作ることが目的なんだから」
「俺ひとりで四大組織のひとつが揺れる? おもしれぇな」
「その四大組織が相手だ、向こうは少しでも有利になりたいんだろう。
――そのための手段は、選ばない」
「は?」
「だから『は?』じゃないよ。
つまり、父上はお前を見殺しにはできない。お前は父上の唯一とも呼べる弱点だ。
あははっ、聞きたくなさそうだねー」
「ああ、聞きたくねぇよ」
不機嫌にグラスの酒を一気に呑み干した弟に、シュウはやれやれと苦笑している。
「今回の仕事は本当に大きい。いつもなら味方ひとりの命なんて無視するくらいに。
でも…。お前の命を盾にされて何らかの要求があれば、父上は無視できない」
「馬鹿馬鹿しい」
「言ったろう? 父上はね、本当は弱い人間なんだよ」
肩をすくませるシュウをジークは睨み、グラスの中身を再びあおった。
店内ではギター弾きと踊り子が客に会釈し、帽子と手を振りつつ舞台裏へと退散していく。
騒がしかった店内が、少しずつ静けさを取り戻していく…。