黒のまにまに Ⅲ
果実の表面に、一本のひび。
シャルロットの背筋を、冷たいものが走る。
──バキ、バキッ。
ひびが、広がる。
内部から、何かが押し広げている。
「逃げて!!早く!!」
繰り返し叫ぶ。
だが、人々はもう動けない。
恐怖で、足がすくんでいる。
そして──砕けた。
内側から弾けるように、果実が崩壊する。
赤い殻が飛び散り、その中心から現れたのは──異形。
巨大な鶏の頭。
爬虫類のような鱗に覆われた体。
鋭い鉤爪。
濁った黄色の瞳。
──コカトリス。
「ひっ⋯⋯!」
誰かが悲鳴をあげた。
次の瞬間。
「ひ⋯⋯ひぃいぃぃ!!」
栄光騎士団が、真っ先に背を向けた。
「お、おい!?」
「待てよ!!守るんじゃなかったのか!?」
「無理だ!死にたくねぇ!!」
統率も何もない。
我先にと逃げ出す。
──守る者はいなくなった。
コカトリスが、甲高く鳴いた。
その音が、合図になる。
「うあぁあぁあ!!!」
人々が、一斉に逃げ出した。
押し合い、潰し合いながら。
「きゃっ!?」
小さな悲鳴。
人波に弾かれ、一人の少女が転ぶ。
迫る足。
踏み潰される──
「危ない!」
シャルロットが飛び込んだ。
少女を抱き寄せ、その身を庇う。
地面に転がる。
「だ、大丈夫⋯⋯?」
問いかけると、少女は、泣きながらしがみついてくる。
「こわい⋯⋯っ、こわいよぉ⋯!!ママぁ⋯⋯」
小さな体が、震えている。
その震えが、腕を通して伝わってくる。
──怖い。
自分も、同じだ。
でも。
シャルロットは、ゆっくりと笑った。
「大丈夫」
優しく、頭を撫でる。
「私が⋯⋯必ず守るから」
嘘じゃない。
願いでもない。
──決意だ。
近くにいた大人に少女を預ける。
「この子を連れて、逃げてください!」
「は、はいっ!」
少女が引き離される。
泣きながらも、運ばれていく。
それを見届けて──
シャルロットは、立ち上がる。
剣を、抜く。
視線を上げる。
コカトリスが、こちらを見ていた。
標的を定めるように。
──逃げればいい。
本能が叫ぶ。
──勝てない。
分かっている。
それでも──
「もう⋯⋯誰も死なせない!」
コカトリスが鶏鳴をあげ、シャルロットへ飛びかかる。
動きを慎重に読み、かわす。
巨大な鉤爪が地面を叩きつける。
石畳の街路が抉られている。
シャルロットの額から汗が垂れる。
恐怖の感情を押し殺し、踏み込む。
コカトリスの翼に突きを放つ。
だが──
「っ⋯⋯!」
通らない。
弾かれる。
硬い。
ミノタウロスやバイコーンと同じだ。
コカトリスが口を開く。
紫色の霧が、溢れ出す。
(あれは⋯⋯?)
シャルロット目掛けて、霧を吐き出した。
「うわっ!?」
間一髪、かわす。
紫の霧が建物に吹き掛かる。
次の瞬間──建物が、石化した。
(石化の毒霧⋯⋯!)
シャルロットは喉を鳴らす。
(物理攻撃だけじゃない⋯⋯!)
しかし、逃げるつもりはない。
あの少女と、約束した。
私が守る、と。
体勢を調え、再び剣を構える。
剣に全神経を集中する──
自然と、強ばっていた体の力が、抜ける。
周りの喧騒が聞こえなくなる──
目の前のコカトリスだけを、見据える──
もっと、深く、深く──
シャルロットは、微動だにしない。
コカトリスが鉤爪を構え、飛びかかる。
それでもシャルロットは動かない。
爪の先が胸に突き刺さるか否かの刹那──
シャルロットは爪をかわし、神速の突きをコカトリスの腹部に放った。
幼き頃、亡き父から教わった、光速の剣術──白帝剣。
偶発的に辿り着いた無我の境地。
その一閃が──奇跡を起こした。
剣先が、絶対防御の『何か』を超えて、コカトリスの腹部を貫いた。
「ギィィイィ!!!」
コカトリスが悲鳴をあげる。
「はぁっ⋯⋯はぁっ⋯⋯」
呼吸が苦しい。
体が追いつかない。
思考が鈍る。
剣を持つ手に、力が入らない。
脚が震えて、立ち上がれない。
コカトリスが再び鶏鳴をあげ、シャルロットを威嚇する。
口を開け、息を吸い込む。
そして──シャルロット目掛けて、毒霧を吐き出した。
──動けない。
回避が、間に合わない。
その瞬間──
毒霧が、視界を覆う。
死ん──
ぐい、と体が引かれた。
「え⋯⋯?」
視界が、ぶれる。
次の瞬間には、安全圏まで引き離されていた。
腕の中に、温もり。
「⋯⋯ユーリ、さん」
抱えられていると、気づく。
ユーリは、何も言わない。
ただ、コカトリスを見ている。
ゆっくりと、シャルロットを下ろす。
「よく耐えた」
「え⋯⋯?」
「埋め合わせとしては、充分だ」
シャルロットは小さく、笑った。
改めて、ユーリはコカトリスを見る。
コカトリスが、威嚇するように鳴く。
しかし、今までとは何かが違う。
ユーリを──恐れている。
コカトリスは両翼を広げ、羽ばたく。
その巨躯が空へと舞い上がった。
間合いでは──届かない。
魔術も、通じるとは思えない。
ユーリが、静かに刀を抜く。
そして、構える。
その姿勢は、シャルロットが得意とする『突き』の構え。
刃先をコカトリスへと向ける。
次の瞬間──
踏み込まない。
ただ、腕が動いた。
天空に向けての、突き。
──空を裂く。
見えない何かが、一直線に走る。
それが──
コカトリスの首を、貫いた。
遅れて、破裂するように血が弾ける。
「なに⋯⋯?今の⋯⋯」
呆然と呟く。
コカトリスの巨体が、崩れる。
そのまま──霧散。
辺りに静寂が戻る。
ユーリが、刀を収める。
「黒刃流──弐式・闇射」
淡々とした声。
振り返った視線が、シャルロットを捉える。
天空で消滅したコカトリスを目撃したのか、街の人々が、様子を窺うようにおずおずと戻ってきた。
「神獣は⋯⋯どうなったんだ⋯⋯?」
「何か、急に消えちゃったけど⋯⋯」
シャルロットが口元をあげて報告した。
「神獣は、討伐されました!みなさん、もう大丈夫です!」
その言葉と同時に、歓声があがる。
大勢の人が、ユーリとシャルロットを囲み、礼を言う。
そこへ、戻ってきた栄光騎士団の男達。
町民達が、彼らに鋭い視線を向けた。
「お、おう、終わったようだな?」
「さすが俺達が見込んだだけの事は──」
「ふざけんな!」
「私達を置いて逃げたくせに!」
「何が騎士団だ!金返せ!」
周囲から罵詈雑言が飛び交う。
それに苛立ちを見せた男達が、剣を抜く。
「ああん!?うるせえなぁ!魔獣から守ってやったのは事実だろうがよ!文句があるなら、自分で魔獣を退治してみろってんだ!」
「そうだ、そうだ!俺達は命を張って、てめぇらを守ってやってた騎士様だぞ!」
「なにが⋯⋯命を張って、よ」
低い声が、空気に響く。
皆の視線が、シャルロットに集中する。
「みんなを見捨てて、一目散に逃げた人が⋯⋯命を張ってるなんて、軽々しく言わないで!」
「何だと?このガキ──」
風が、抜ける。
シャルロットに向けられた剣が、真っ二つに折れ、地面に転がった。
「⋯⋯え?」
それだけではない。
男達の持つ鎧が、盾が、次々とバラバラに崩れ落ちていく。
ユーリが、男達の背後に立っている。
いつの間にか。
「失せろ」
強い殺気のこもった一言。
騎士団の男達は、途端に震え上がる。
腰が砕けたように、這うようにして逃げ出した。
周囲から、再び歓声があがった。
幸い、被害は広場周辺に留まっていた。
ギルドが復旧に動き出し、街は少しずつ日常を取り戻していく。
シャルロットは、へたりとその場に座り込んだ。
緊張の糸が切れ、腰が抜けてしまった。
シャルロットの前に影が伸びる。
見上げると、ユーリの無表情が目に入った。
「コカトリスに一撃、与えたな」
淡々と言う。
シャルロットは苦笑いを浮かべた。
「実は、よく覚えてないんだ。何となく、必死だった感じ?もう一回やれって言われても、無理だと思う」
「⋯⋯そうか」
シャルロットの言葉に、それだけ返した。
◆◆◆◆◆
宿に一晩泊まり、翌朝。
次の場所へ向かうため、街を出発する。
街の門に差し掛かったところに、一人の少女が立っていた。
あの時、泣いていた女の子だ。
少女は、シャルロットの姿を見かけると、タタタと音を鳴らして駆け寄ってきた。
「どうしたの?」
シャルロットは前屈みになって少女に問いかける。
「これ⋯⋯」
少女の手には、綺麗な赤いリボンが乗っていた。
それをシャルロットに向けて差し出す。
「え?私に?」
「うん。たすけてくれたおれい」
シャルロットは笑みを浮かべて、リボンを受け取る。
「ありがとう」
受け取ってくれたことが嬉しかったのか、少女も笑顔になる。
「それから、やくそく⋯⋯まもってくれて、ありがとう」
シャルロットの心に、温かい感情が流れてくる。
シャルロットは笑顔で少女に手を振った。
少女もまた、二人の姿が見えなくなるまで、手を振っていた。
次の目的地までの街道を、二つの影が進む。
迷いのない足取りで前を行くユーリ。
シャルロットは、その背中に置いていかれないように続く。
少しだけ、その関係に変化が生じた。
「お前が、コカトリスと対峙した時──」
「え⋯⋯?」
不意にユーリが話しかける。
「お前の意志、覚悟を聞いた」
──(私が⋯⋯必ず守るから)
──(もう⋯⋯誰も死なせない!)
「それが、どこまで通用するか──見ていた」
ユーリは歩みを止め、振り返る。
緑の瞳が、シャルロットを真っ直ぐに見つめる。
「その結果が、あの一撃だ」
「い、いや⋯⋯でも、あれはまぐれで⋯⋯」
「まぐれじゃ、神獣に傷一つ付けられない」
シャルロットの謙遜を、ユーリが即否定する。
「お前に、可能性を見た」
「え⋯⋯?」
シャルロットの目が、大きく開かれる。
「戦い方を、教える」
その目は、真っ直ぐだった。
「強くなりたければ、死に物狂いで、ついて来い」
「⋯⋯はいっ!!」
意味は、充分すぎるほど伝わった。
ユーリに、認めてもらえた──
こみ上げてくる歓喜の思いを抑えきれず、ついにやけてしまう。
ユーリは、再び前を見て歩き出す。
そして、自然と呼び掛ける。
「何してる。行くぞ、シャル」
シャルロットの時間が、止まる。
次第に、胸の奥が熱くなる。
「⋯⋯うんっ!」
シャルロットは、笑った。
「改めて、よろしくね。⋯⋯ユーリ!」
シャルロットは笑顔で駆け出す。
その背中を、追いかける。
──強くなるんだ!
今度は、ただの追従じゃない。
隣に立つために。




