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263話:(1878年11月/師走)師走の東南アジア経済圏

十一月、師走を目前にした北海道・函館の港は白い雪に覆われつつあった。

 岸壁には氷混じりの風が吹きつけ、港湾労働者たちは分厚い外套をまといながら荷を積み込んでいる。

 石炭、木材、乾燥海産物、さらに北の鉱山から運ばれた銅や鉄鉱石――それらが蒸気船の貨倉に整然と収められていた。


 黒田清隆は港を見渡し、清水昭武に声をかけた。

 「これで南洋へ向かう船団は予定通り出港できる。

  雪に閉ざされる北を出発点に、熱気に満ちた南洋へ至るとは、不思議なものだな」


 清水は手帳に数字を書き込みながら答えた。

 「鉄道と港湾の連結が功を奏しています。

  室蘭からの鉱石、札幌からの木材、函館の港で一括管理し、出港まで二日もかかりません。

  旧来の半分以下の時間です」


 まるで時計仕掛けのように正確な運用。これが、北海道物流網の真髄であった。



 船団は順風に恵まれ、南へと進んだ。

 数週間後、熱気と香辛料の匂いが混じるシンガポールに到着すると、坂本龍馬が現地商人を引き連れて待っていた。

 白いシャツを腕まくりし、港の倉庫前で笑みを浮かべる。

 「これが北海道から来た石炭か! 質も量も申し分ない。

  こいつを燃やせば蒸気船も機械工場も一気に動き出すぜ」


 彼が立ち上げた総合商社は、すでに現地商人との合弁契約を数十件結んでいた。

 米、胡椒、織物――交易品は倉庫に積み上げられ、契約書に次々と署名がなされていく。

 現地商人の一人は目を丸くしながら呟いた。

 「欧州人は我らを客とは思わず支配者として振る舞った。

  だが、日本の坂本氏は同じ机に座り、利益を分け合う。これが本当の商売というものか」



 さらに南下し、バタビアでは岩崎弥太郎が物流拠点を構築していた。

 港には日本式の大型クレーンが据え付けられ、荷の積み降ろしは従来の三倍の速さで進む。

 倉庫には日本から来た帳簿と管理札が整然と並び、在庫が一目で把握できた。


 弥太郎は労働者たちの作業を眺め、胸を張った。

 「物資はここに集まり、我が倉庫を経て各地へ散る。

  この仕組みが動脈となり、商業の血を流し続けるのだ」


 現地の労働者は最初こそ戸惑ったが、日当が公平に支払われ、休憩時間に水と食事が配られるのを知ると、一転して協力的になった。

 「こんな扱いを受けたのは初めてだ。日本の商館は我らを人として見ている」

 彼らの声は町中に広がり、日本への信頼を高めていった。



 一方、マニラでは渋沢栄一が冷静に机へ向かっていた。

 銀行と保険制度の導入により、商人たちは初めて大口の融資を受け、航海に保険をかけられるようになった。

 「資金と信用がなければ、交易は博打にすぎない。

  だが、ここに制度を築けば、商売は安定し、誰もが拡大を恐れなくなる」


 渋沢の言葉に、現地商人の表情は明るくなった。

 「我らが船も大きな荷を扱える。もし損をしても立ち直れる。これで安心して交易できる」


 渋沢は微笑み、書類に判を押した。

 「これでアジアの経済に、ようやく“信用”という柱が立った」



 シンガポールの商社、バタビアの倉庫群、マニラの銀行――。

 三つの拠点は同時に、そして緊密に連携を取り始めた。

 船団は北海道から資源を運び、シンガポールで取引され、バタビアで保管され、マニラで金融の力を得て再び世界へ流れる。


 欧州列強が築いた植民地経済は「搾取の一方通行」であった。

 だが、日本が構築したのは「循環の網」である。

 資源は日本と現地で共有され、利益は分け合い、人材は双方向に交流した。



 その仕組みの始動を見届け、黒田清隆は深く息をついた。

 「ついに動き出したな。

  北の大地の寒さと、南の海の熱気が一本の航路で結ばれた。

  これが日本の未来を拓く“東南アジア経済圏”だ」


 清水昭武も大きく頷いた。

 「もはや夢ではありません。北海道からマニラまで、一本の糸で繋がれたのです」


 師走の鐘が遠くで鳴り響き、時代の変わり目を告げていた。

東京・築地に設けられた臨時研究室は、冬の冷気に包まれていた。

 だが室内では南洋の熱気を帯びた品々が机の上に広がっていた。

 シンガポールから送られてきたゴムの塊、バタビアの錫鉱石、マニラの香辛料の袋――いずれも船団によって数週間前に運ばれてきたものである。


 義親(四歳)は、小さな体を椅子に預けながらも真剣な眼差しで顕微鏡を覗いていた。

 「ゴムは乾燥の温度を一定に保てば、分子の並びが乱れにくい。

  さらに硫黄を加えることで、弾力と耐久性が増す」


 幼い声ながらも確信に満ちた説明を、助手が克明に記録していった。

 その報告書は数日後には印刷され、船団に託されて南洋の商館へと届けられる。



 バタビアから届いた錫鉱石を前に、義親は黒板に数式を書き連ねた。

 「炉の角度を変え、風を均一に送り込む。

  すると精錬効率が上がり、純度は二割向上するはずです」


 傍らで控える技師たちは驚きの表情を見せた。

 「この年で、ここまで炉の理屈を理解しているとは……」


 計算式と図面は即座に清書され、岩崎弥太郎の倉庫群に送られた。

 現地で指示通りに炉を改造すると、錫の輝きは一目でわかるほど向上し、鉱夫たちの間に歓声が広がった。



 マニラから送られてきた香辛料の袋を開くと、義親は手に取った粒をしばらく観察した。

 「湿度を調整するために石灰を小袋に入れ、袋の底に忍ばせればいい。

  さらに粉末化して金属容器に密封すれば、輸送中にカビが生えることはなくなります」


 助手が指示を整理し、渋沢栄一の銀行へ送る。

 現地で試した商人は驚き、口々に言った。

 「これなら品質が落ちない! 二倍、いや三倍の値で売れるぞ!」



 東京で義親は机に広がる資料を前に、小さく頷いた。

 「資源をそのまま売るのではなく、工夫して価値を高めること。

  それが住民の収入を増やし、日本の利益にも繋がります」


 その幼い言葉は、研究室にいた大人たちの胸を震わせた。

 彼は現地に赴くことはなくとも、まるで南洋と対話しているかのようだった。



 数週間後、南洋の市場では確かな変化が現れ始めた。

 ゴムは安定した品質で輸送され、錫は現地で精錬され、香辛料は長期保存が可能になった。

 農民や労働者の収入は目に見えて増え、町の子供たちは学校に通えるようになった。


 「日本との協力で、生活が豊かになった」

 「欧州人は搾取したが、日本は知識を分け与えてくれる」


 その声は市場から村々へと広がり、やがて列強の耳にも届くことになる。



 東京の冬空の下、義親は窓の外を眺めて呟いた。

 「遠い南の海と繋がっている……。

  僕の学んだことが、人々の暮らしを変えているのなら嬉しい」


 その幼い横顔には、未来を照らす知の光が確かに宿っていた。

東南アジアの市場は、かつてない活気に包まれていた。

 シンガポールの倉庫街では、日本式に乾燥・加工されたゴムの塊が山のように積み上げられ、安定した品質により高値で取引されていた。

 「これなら輸送に耐える! 日本が指導した通りだ」

 現地商人の喜びの声が港に響き、労働者の顔にも誇らしげな笑みが浮かんでいた。



 バタビアの精錬所では、改良された炉が赤々と燃え、純度の高い錫が次々に取り出されていた。

 鉱夫たちは額に汗を光らせながらも、以前より明らかに意欲的に働いていた。

 「歩留まりが上がれば、収入も増える。家族に肉を食わせられるぞ!」

 彼らの声は歓声に近く、その喜びが町全体を明るく照らしていた。



 マニラの商人たちは、香辛料の新しい包装に驚嘆していた。

 湿気を防ぐ小袋、密封された容器、粉末化された香辛料――どれも長期保存に耐え、味と香りを失わなかった。

 「これなら欧州の港でも高値で売れる」

 「日本は我らに知識を与え、共に利益を分け合う」


 農村の農民もこう語った。

 「日本の制度で学校ができ、子供が字を覚えた。

  畑の収穫で得た金で、本を買うことができた」

 かつて搾取と隷属しか知らなかった人々の生活は、確実に変わりつつあった。



 この経済圏の根幹は、搾取ではなく循環であった。

 北海道から運ばれる資源が南洋で加工され、現地の労働者に利益をもたらし、その製品が再び日本や欧州へ運ばれていく。

 利益は双方に還元され、教育と医療の資金となり、さらなる発展を呼び込む。


 「日本の進出は、欧州列強の植民地化とは異なる」

 この噂は瞬く間に広がり、各地の住民は日本を「共に働く国」と呼ぶようになった。



 やがて欧州列強の耳にもその報せは届いた。

 ロンドンの新聞は社説でこう書いた。

 「日本の東南アジア進出は、植民地的搾取ではなく、真の協力関係に基づく。

  労働者は人として扱われ、知識は分け与えられ、利益は共有される。

  この手法は、我々の植民地主義に対する痛烈な挑戦である」


 パリの学者は講演で語った。

 「もし欧州が日本式の経済モデルを学ばねば、南洋における影響力は失われるだろう」


 驚きと警戒、そして尊敬が入り混じった視線が、日本へ注がれ始めていた。



 東京・築地の研究室。

 義親は机に広げられた報告書を読みながら、静かに呟いた。

 「南の人々が笑顔で働き、子供が学んでいる……。

  遠く離れていても、僕の学んだことが役に立っているなら嬉しい」


 その幼い声は、研究室にいた学者や技術者の胸に深く響いた。

 搾取ではなく共存――。

 それこそが、日本が築こうとする東南アジア経済圏の真髄であった。

師走の寒風が東京を包み、街路樹には枯葉がわずかに残るのみとなった。

 だが外の冷たさとは対照的に、東京城の会議室には熱気が満ちていた。

 南洋から続々と届く報告は、誰もが驚くべき成果を示していたからである。



 藤村総理大臣は分厚い報告書を手にし、閣僚たちを見渡した。

 「シンガポール、バタビア、マニラ――三大拠点は稼働を開始し、北海道の物流網と結ばれた。

  現地住民は利益を分け合い、教育と医療が進み、生活は豊かになりつつある。

  欧州列強でさえ、この経済圏を“協力のモデル”と呼び始めている」


 その声は力強く、会議室の空気を一層引き締めた。



 坂本龍馬の報告書には、シンガポールの商人たちが日本式契約を歓迎し、

 「搾取ではなく共存だ」と口々に称えている記録があった。

 岩崎弥太郎の倉庫群は南洋の物流を掌握し、労働者は公平な賃金に感謝していた。

 渋沢栄一の銀行は信用を築き、マニラの商人たちは「未来を恐れず交易できる」と笑っていた。


 後藤新平は机を叩き、短く言った。

 「制度と物流がここまで噛み合えば、崩れることはありません。

  日本が築いたのは、一時的な利権ではなく、持続可能な循環の経済圏です」



 北里柴三郎は報告書を掲げた。

 「医療物資の提供により、南洋の港湾都市で疫病の流行は抑え込まれています。

  現地の住民が健康であってこそ、労働も交易も安定するのです」


 慶篤副総理は深く頷いた。

 「軍事力に頼らず、制度と科学、そして信頼で築いた経済圏――。

  まさに日本が世界に示すべき姿ですな」



 三兄弟も席にいた。

 義信(十一歳)は地図を見つめ、真剣な声で言った。

 「満州の作戦と同じです。兵や民を守り、環境を整えれば、力は自然と集まります。

  南洋でもそれが証明されました」


 久信(十歳)は微笑みながら続けた。

 「現地の人々が“日本となら安心できる”と思うことが一番大切です。

  友好があれば、どんな制度より強い絆になります」


 義親(四歳)は小さな声で、しかしはっきりと言った。

 「資源に工夫を加えれば、価値は何倍にもなります。

  それを分け合えば、みんなが幸せになります。

  僕はもっと研究して、さらに良い方法を考えます」


 その言葉に、会議室の大人たちは静かに感嘆した。



 藤村は深く頷き、総括を口にした。

 「満州の軍事、朝鮮の統合、そして東南アジアの経済圏。

  三正面戦略はすべて動き出した。

  これで日本は、軍事・政治・経済のすべてで世界に伍する地位を築いた。

  だが、これは終わりではない。

  むしろ、これからが本当の始まりだ」


 窓の外では、冷たい風に雪が舞い始めていた。

 それは新しい時代の幕開けを告げる白い旗のように、静かに夜空を舞っていた。

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