257話:(1878年5月/初夏)初夏の満州作戦計画
若葉が濃さを増し、初夏の光が城下の瓦を白く照らしていた。
祭り囃子のような風に鯉のぼりがたなびき、人々は田植えの準備に勤しんでいる。
その賑やかさとは対照的に、東京城大広間では静謐な緊張が張り詰めていた。
ここで、満州進出作戦の骨格を定めるための会議が開かれていたのだ。
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大机の上には満州一帯の詳細な地図が広げられ、鉱山、港湾、鉄道敷設予定地が色鮮やかに記されていた。
その端には人口推計の表が置かれている。数字は膨大で、筆で記された桁の大きさが、この計画の重みを雄弁に物語っていた。
大村益次郎は、地図の中央に手を置き、ゆっくりと語り出した。
「藤村様より託された満州進出――これは単なる遠征ではありません。
国家を一から築く作業に等しい。補給、情報、防疫、行政すべてを統合せねばならない」
河井継之助が帳面を開き、長岡での経験を引き合いに出す。
「私はかつて、わずか数十万石の藩で財政を立て直しました。
その経験を拡大し、資源と人員の流れを数値で管理すれば、大規模軍事作戦も制御できるはずです。
たとえば都市人口を二十万規模に抑えて……」
言葉を切ると同時に、参列者たちの眉がわずかに動いた。
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義信(11歳)が机の端に立ち、落ち着いた声で応じた。
「父上から学んだ令和の軍事理論では、戦の勝敗は兵の数ではなく情報と補給の安定にあります。
補給線を三重化し、衛生管理を兵站に組み込めば、三正面同時作戦も実行可能です。
しかし……人口推計が鍵を握るのです」
大村がうなずき、言葉を重ねた。
「そうだ。補給や防疫の設計は、想定人口に依存する。
河井殿の二十万都市モデルは魅力的だが、現実の満州にはすでに数千万の人口が存在する。
加えて周辺からの流民が押し寄せれば、計画は容易に瓦解する」
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広間は静まり返った。
人口表に記された「三千万」という数字が、墨の黒さ以上の重みで迫っていた。
それは、兵站や防疫を語る上で避けて通れぬ現実だった。
後藤新平は巻物を広げ、行政面からの指摘を行った。
「人口爆発を無視すれば、都市は過密化し、治安と衛生が崩れる。
つまり作戦は軍事行動にとどまらず、国家建設そのものへと格上げされねばならぬ」
北里柴三郎は、用意していた疫学表を机に置き、低い声で言った。
「過密による流行病――コレラ、ペスト、チフス。
いずれも数十万単位で人を死に至らしめる。
防疫を最初から兵站の中枢に組み込まねば、戦う前に都市が死にます」
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河井は帳面を閉じ、深く息を吐いた。
「……なるほど。二十万は赤子のような数値にすぎなかったか。
ならば私は学び直す。藤村様の知を授かり、数千万規模を前提とした管理法を組み立てましょう」
藤村総理大臣は、席から立ち上がり、広間を見渡した。
「その意気でよい。満州は征服の地ではない。
ここを“帝国の母体”とするならば、数千万を受け入れる制度を整えねばならぬ。
今日の議論をもって、満州作戦は軍事計画から国家建設計画へと進化する」
障子の外から初夏の風が吹き込み、地図の端がわずかに揺れた。
そこには軍だけではなく、未来の人々の生活が描かれ始めていた。
広間の机上には、再び地図と人口推計表が並べられていた。
墨で書かれた「三千万」という数字が、まるで墨痕そのものに重みを宿したかのように人々を黙らせていた。
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最初に口を開いたのは後藤新平であった。
「二十万都市を基準にした計画は、早晩破綻する。
なぜなら満州は“呼び込まれる地”だからだ。安定と職を求め、周辺から雪崩のように人が押し寄せる。
我らが制度を敷けば、その吸引力はさらに増す。人口流入は抑制ではなく、分散で処理せねばならぬ」
彼は巻物に線を引き、幾つもの円を描いた。
「満州全域に計画都市を複数配置する。二十万規模の都市を百作るのではない。百万人規模の基幹都市を複数築き、その周囲に農村ネットワークを張り巡らせるのだ」
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北里柴三郎はすぐさま頷き、医学の観点から補足する。
「人口過密は必ず疫病を呼ぶ。
ゆえに各都市には初期段階から上下水道、隔離病院、検疫所を標準設計として組み込むべきだ。
これを怠れば、流民の都市集中によって数十万単位の死者が出る。
防疫を都市計画に先んじて導入することが肝要です」
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河井継之助は帳面に新たな数字を書き込みながら言った。
「配給制度は“固定制”ではなく可変枠にすべきです。
二十万を想定しても、倍増、三倍増の人口に即応できるよう、段階的に拡張可能な仕組みを設ける。
各都市の食糧備蓄量は最低でも一年分、輸送路の分岐ごとに補給拠点を設置する。
長岡で学んだ資源管理を、この数千万規模に拡大します」
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義信(11歳)は机の端に立ち、静かに声を張った。
「兵站システムも同じです。
鉄道と港湾を重層化し、輸送経路を複数持たせる。
一つの路線が塞がれても、他の路線が代替できる。
さらに、情報戦を組み込み、敵の攪乱を利用して我らの輸送を守るのです」
彼は指先で地図に赤と青の線を描いた。
赤は鉄道、青は河川。両者を結び、補給網が網の目のように広がっていく。
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榎本武揚は腕を組み、海軍の視点から口を挟んだ。
「港湾の拡張も急務だ。二十万都市の港では足りぬ。
百万都市を支える港湾を複数用意し、輸送船団を倍増させる。
制海権を維持するのは我ら海軍の役目だが、港がなければ何も送れない」
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陸奥宗光は外交の観点から厳しく指摘した。
「人口救済こそ国際的な正当性の要だ。
我らが掲げるべきは“征服”ではなく“数千万を養う責務”。
医学・食糧・都市計画――これらを前面に押し出せば、列強も我らを非難できまい」
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藤村総理大臣は全員の意見を聞き終え、深く頷いた。
「よくわかった。
満州は単なる戦場ではなく、数千万の人々が暮らす大地だ。
これを無視した計画はすぐに瓦解する。
ゆえに満州作戦は――軍事計画ではなく、国家建設計画として推進する」
その言葉に広間は静まり返った。
やがて一同は深く頭を垂れ、この決意を心に刻んだ。
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障子の外では、青葉の間を吹き抜ける風が強さを増していた。
人口という見えぬ大軍をも受け止める覚悟が、いま国家の中心に芽吹きつつあった。
会議の緊張が続くなか、若き義信(十一歳)が進み出た。
その小さな体は広間の巨きな地図に比してあまりに華奢だったが、彼の声は大人顔負けの落ち着きを帯びていた。
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「父上から学んだ令和の軍事理論を、この作戦に実装します。
陸海空を一体化した統合作戦――情報戦と心理戦を含め、全体を制御します。
戦場は兵が動くだけでなく、情報と補給の流れでも形作られるのです」
義信は、赤と青の線で描かれた補給網に黒の点を打ち込んだ。
「ここが交差点。陸軍の進撃路、海軍の制海権、そして空に相当する通信網が交わる地点です。
この三要素を一体化すれば、敵は虚を突かれ、我らは必ず優位に立つでしょう」
参謀本部に集う将校たちは目を見開き、低くざわめいた。
十一歳の少年が語る理論は、彼らの長年の常識を超えていた。
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北里柴三郎は、義信の隣に進み出た。
「理論があっても、兵は病に倒れれば動けません。
ゆえに私は満州の気候を解析し、夏冬の気温差、湿度、疫病の季節性を整理しました。
コレラ、チフス、ペスト。これらを防ぐために、各補給拠点に移動検疫所を設置します」
彼は巻物を広げ、検疫拠点の配置を示した。
「兵站の列ごとに一つ、補給隊には必ず医療班を同行させる。
隔離施設は仮設ではなく常設とし、現地住民にも開放する。
防疫は軍を守るだけでなく、数千万の民を救う行為となるのです」
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後藤新平は手帳を開き、行政の視点から補足した。
「私は兵站を制度で縛ります。
補給効率を従来の三倍に引き上げるため、三層構造を設ける。
第一層は鉄道と港湾による幹線輸送。
第二層は馬車と河川舟を併用した地域輸送。
第三層は歩兵単位の即応補給――。
この三層を常時監査し、数値で可視化する。行政と軍を一体化した兵站システムです」
彼はさらに、現地の村落制度を利用する計画を示した。
「補給所を設けるごとに、現地自治体に役務を委託する。
その対価として医療・教育を提供すれば、住民は協力者となる。
兵站は単なる物流ではなく、帝国と現地を結ぶ契約でもあるのです」
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榎本武揚は、海軍の立場から即座に応じた。
「港湾は既に設計を進めている。
制海権の確保と同時に、港を百万都市規模に対応させる。
輸送船団を倍増させ、陸と海の連携を切れ目なく繋ぐ」
陸奥宗光は外交の席から声を重ねた。
「この計画の正当性を示すために、国際的には“人口救済計画”と位置づける。
疫病防止、食糧供給、都市建設――これを前面に押し出せば、列強も日本の進出を支持せざるを得ない」
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義信は、北里と後藤の図面を見渡し、静かに結んだ。
「これで、戦場は兵だけでなく人々の暮らしをも包み込む。
軍事、行政、医学が一体となれば、戦は最小の犠牲で最大の成果を得られるでしょう」
藤村総理大臣は立ち上がり、広間を見渡した。
「よし。
義信の理論、大村の補佐、河井の学び、北里と後藤の制度――すべてを結び合わせよ。
満州作戦はもはや戦争ではない。数千万を抱える大地を守り、導く国家建設計画である」
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障子の外では、青葉を揺らす初夏の風が吹き込んだ。
その風は冷たくもなく、熱すぎることもなく、未来への道をそっと示しているようだった。
会議は終盤に差し掛かっていた。
広間の机上には地図と表が幾重にも重なり、墨の香りと熱気が漂っていた。
全員の知恵と経験が結集し、一つの形にまとまりつつあった。
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榎本武揚が立ち上がり、海軍案を提示した。
「制海権の確保はすでに見通しが立っています。
日本海から遼東半島沿岸まで、港湾拡張を進め、補給船団を二倍に増強。
海路からの兵站は切れることはありません」
その自信に満ちた声は、地図の青い線に力を与えるようであった。
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次に陸奥宗光が外交面を整理する。
「国際的正当性――これこそが最大の鍵です。
我らは“征服”ではなく、“人口救済”を旗印とする。
数千万の人々を飢えと病から救い、生活を安定させる。
この理念を全面に掲げれば、欧州列強は日本の進出を非難できまい。
むしろ協力を申し出る国さえ現れるはずです」
その言葉に、一同は深く頷いた。
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大村益次郎は短く総括した。
「補給、情報、防疫、都市計画――これらを一体化させた作戦は史上初だ。
この“国家建設型作戦”により、我らは戦うことなく満州を掌握できる」
河井継之助も静かに言葉を添えた。
「私はまだ学ぶ立場ですが、ここで得た知を現場に実装し、数千万の人々を支える仕組みを整えます」
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義信(十一歳)は机上の地図に手を置き、力強く結んだ。
「この作戦は勝利のためではなく、人々の生のためにあります。
戦を起こさずに戦を制する。
その理想を、満州で証明してみせます」
久信(十歳)は弟を見守りながら微笑んだ。
「人々の心をつなぐ役目は、私が担います。
民が笑顔で暮らせるよう、外交と信頼を広げたいです」
義親(四歳)は小さな声で、しかし真剣に言った。
「化学の力で、資源を無駄なく使います。
鉱石も農産物も、全部を組み合わせて最大の成果を出せます」
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藤村総理大臣は立ち上がり、深く一礼した。
「よくぞここまでまとめてくれた。
大久保の政治、大村の軍政、黒田の開発、河井の学び。
北里の防疫、後藤の行政、榎本の海軍、陸奥の外交。
そして三兄弟の未来。
このすべてを合わせてこそ、満州作戦は成り立つ」
彼はゆっくりと広間を見渡した。
「満州は戦場ではなく、帝国の母体だ。
ここから始まるのは、征服ではなく共生である。
この作戦計画をもって、我らは世界に示そう。
日本はただの列強ではない。人類を導く知識帝国なのだと」
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障子の外で、初夏の風が一段と強く吹き、若葉がざわめいた。
その音はまるで、数千万の人々の声が未来を訴えるようであった。
広間に集った者たちは、その声を背に、新たな歴史を刻む覚悟を固めた。