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254話:(1878年2月/春)春の国際会議

梅の花が咲き始め、かすかに春の香が風に混じる二月。

 白い雪の名残が瓦に点々と残りながらも、東京の城下には柔らかな陽光が差し込み、人々は肩をすくめながらも心なしか足取りを軽くしていた。

 新しい年を迎え、まだ二月とはいえ、その空気には確かに「変わり目」の予感が漂っていた。


 その只中、東京城大広間では、かつてない規模の会議が開かれようとしていた。

 城門を抜ける馬車列には、各国の国旗が翻り、礼装に身を包んだ財務担当者たちが次々と到着していた。

 イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ――列強の財務大臣が、今ひとつの部屋に集おうとしている。



 鼓が鳴り、式次第が読み上げられる。

 藤村総理大臣は壇上へ進み、ゆっくりと口を開いた。


 「諸君。本日ここに、東京国際財政会議を開催する。

  我らが一年余りで成し遂げた七千万両の無増税債務処理――

  この手法を世界に広め、国際標準とすべきであると提案する」


 広間に集う各国代表の視線が、一斉に藤村へと向けられた。

 その空気は張り詰めながらも、好奇と期待が混じり合っていた。



 松平春嶽財務大臣が立ち上がり、深々と一礼した。

 「我が国は、藩札七千万両という巨額の債務を、無増税で処理いたしました。

  その手法を、国際社会の共通の財政規範として採用していただきたい」


 続いて小栗上野介財務副大臣が、巻物を広げて説明を始めた。

 「手法の柱は四つ――専売証券化、宝くじ公債、収益連動債、永久コンソル債。

  これらを組み合わせ、国家財政に柔軟性と安定性をもたらしました」


 彼は詳細な数字を示し、実際の収支推移を解説していく。

 「これにより、年間実効負担は九十五万七千両に収まり、当初想定の六割強に圧縮。

  余剰資金は満州進出基金として積み立てられました」



 会場の前列に座るイギリス財務大臣が、驚きの声を上げた。

 「日本の手法は、我々の常識を覆すものだ。

  我が国は産業革命以来、債務処理を増税に頼ってきた。

  しかし、この四本柱システムなら、国民を疲弊させずに財政を立て直せる」


 フランス財務大臣も、深い感慨を込めて言った。

 「ナポレオン時代から続く我が国の財政赤字……。

  これこそ、その解決の糸口ではないか。

  “東洋の知恵”に、ようやく光を見た気がする」



 壇上の藤村は、各国代表の反応を見渡しながら静かに結んだ。

 「諸君。債務は国を縛る枷であり、戦争を招く火種ともなる。

  だが、知恵を以てすれば、それは国を育てる糧となる。

  我らが示した道を、世界に共有しようではないか」


 広間は大きなどよめきに包まれた。

 歴史に残る瞬間――東京国際財政会議は、こうして幕を開けたのである。

東京国際財政会議の熱が冷めやらぬうちに、同じ都内では二つの会議が並行して進められていた。

 街道には異国の言葉が飛び交い、宿場や茶屋には各国の学者や官吏が集まり、町人たちは「世界が東京に来た」と囁き合った。



 ひとつは、国際細菌学会議。

 場所は増築された東京研究所の講堂。

 壇上に立つ北里柴三郎の前には、フランスからパスツール、ドイツからコッホをはじめ、世界を代表する医学者が勢揃いしていた。


 北里は顕微鏡を指し示しながら語った。

 「病を防ぐには、病原を知ることが肝要です。

  我らは細菌学という新しい学問を礎に、人類全体の健康を守るべきです」


 その声に、各国の学者たちが深く頷く。

 議論は夜更けまで続き、日本が世界医学界のリーダーシップを握ったことを誰もが実感していた。



 もうひとつは、アジア太平洋都市計画会議。

 議長を務めるのは後藤新平である。

 会場には上海、香港、シンガポール、バンコクから都市行政官が集まり、欧州からもパリ改造に携わった技術者が参加していた。


 後藤は都市模型を前に、力強く語る。

 「科学的都市運営――これが近代社会を支える鍵です。

  上下水道の整備は病を防ぎ、街路の拡張は物流を促す。

  都市は人を養い、人は都市を育てるのです」


 出席者の一人が感嘆の声を上げた。

 「この理論を我が国に導入すれば、民の暮らしが一変する!」


 会場は熱気に包まれ、東京が都市計画の国際標準を生み出す場となった。



 この二つの会議には、三兄弟も参観者として列席していた。

 福沢諭吉は小声で彼らに耳打ちする。

 「世界の指導者と直接交わる、この機会を逃してはならぬ」


 義信(11歳)は軍事理論を記したノートを抱え、各国参謀本部の武官と議論を交わした。

 「兵站と衛生の統合こそ勝敗を決する要素です」

 その言葉に、ドイツの参謀将校は「我が部も参考にしたい」と真剣に頷いた。


 久信(10歳)は外国の青年官僚と親しく言葉を交わし、互いの暮らしや祭りについて語り合った。

 「国が違っても、人が幸せを望む気持ちは同じですね」

 その柔らかな言葉は、会場に和やかな空気を広げた。


 義親(4歳)は顕微鏡を覗き込み、パスツールに質問を投げかけた。

 「もし化学で産業を発展させても、自然を壊したらどうしますか?」

 年端もいかぬ子の問いに、世界的学者たちは目を見開き、「未来の賢者だ」と囁いた。



 大村益次郎は、その様子を見届けて静かに呟いた。

 「三兄弟は、すでに国際社会で通用する力を身につけつつある」


 福沢は笑みを浮かべた。

 「彼らは学んでいるだけではない。世界と共に語り合う段階に入ったのだ」



 こうして東京では、財政・医学・都市計画――三つの国際会議が同時に進行し、

 日本は政治・学術・行政の三本柱で世界の中心に立つ国となった。


 その姿を見た町人たちは誇らしげに語った。

 「東の果ての島国が、ついに世界を導くようになったのだ」

財政、医学、都市計画――三つの会議が同時に進む東京は、まさに世界の心臓のように鼓動していた。

 各地の宿では異国の言葉が飛び交い、往来には軍服や学者風の人影があふれ、茶店の娘が「今日は外国人ばかり」と驚くほどであった。

 そして二月半ば、三会議合同の全体会合が城内大広間で開かれることとなった。



 壇上に立つのは藤村総理大臣。

 その前には、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカの財務大臣、各国参謀総長、医学会長、都市行政官――国際政治の中枢に座す人々が一堂に会していた。


 ビスマルクの使節が立ち上がり、声を張った。

 「日本の藤村首相の見識は、我らヨーロッパ人も学ぶべきものです。

  彼こそ“東洋の賢者”と呼ぶにふさわしい」


 その言葉に広間がざわめき、やがて大きな拍手が湧き起こった。

 各国の代表はうなずき、藤村の言葉に耳を傾けた。


 藤村は静かに告げる。

 「債務処理、医学、都市計画――それぞれは国家の内務にとどまらぬ。

  世界を繋ぎ、人類を進ませる道具である。

  我らは東の地に立ちながら、西の叡智と手を取り合い、共に未来を築く責任を負う」


 会場は深い沈黙に包まれ、やがて重々しい頷きが広がった。



 その場で、まだ小さな義親(4歳)が父の後ろから歩み出た。

 外国の大臣たちは一瞬戸惑ったが、彼の瞳に宿る光に押されるように耳を傾けた。


 「みなさま……。

  国を豊かにするために工場を増やすのは大事です。

  でも、煙や汚れた水で病気になる人が増えたら、それは本当に発展でしょうか?」


 会場にざわめきが走る。

 義親は小さな手で巻物を広げ、拙いながらも真剣な声で続けた。


 「化学を使えば、もっと無駄の少ない方法で物を作れます。

  煙を減らす工夫や、水をきれいにする技術を一緒に研究すれば、

  産業の発展と自然の保護を両立できるはずです。

  だから、国ごとに競うのではなく、国際協力の仕組みを作りませんか?」



 イギリス財務大臣は眼鏡越しに少年を凝視し、フランス都市計画局長は手を止めた。

 「……四歳の子どもの言葉か?」

 「いや、これは未来の設計図そのものだ」


 ドイツ参謀総長は椅子を鳴らし、低く呟いた。

 「この子は、我らの誰より先を見ている……」


 会場全体が震撼した。

 やがて一斉に拍手が湧き上がり、外国の大臣たちは幼子の前に歩み寄って深く頭を下げた。



 陸奥宗光外務大臣は感慨を込めて言った。

 「藤村首相の発言力と、三兄弟の才覚により、日本の外交はかつてなく有利に進んでおります。

  この国は今、政治と学術の双方で、世界の中心に立ったのです」


 藤村は義親の肩に手を置き、壇上を見渡した。

 「彼の言葉は子どもの夢に見えるかもしれぬ。

  だが、未来を開くのは常に夢であり、夢を形にするのは我ら大人の責務である」


 再び大きな拍手が広間に響き渡った。



 この日を境に、藤村は**“東洋の賢者”**として国際政治における揺るぎない地位を確立し、

 義親の発言は「未来を指す東洋の声」として世界の学者や政治家たちの間で語り継がれることとなった。


 雪解け間近の庭から、梅の香りが漂い込む。

 それは、東洋から吹き始めた新しい風の香りでもあった。

東京国際財政会議、国際細菌学会議、アジア太平洋都市計画会議――三つの会議はすべて閉幕した。

 その夜、東京城の大広間には、世界各国からの代表と日本の閣僚、そして藤村家の人々が一堂に会していた。

 長い宴席の上には、旬の鯛の焼き物、牛鍋、蒸した小豆、そして色鮮やかな果物が並び、灯火が金の器に揺れている。

 国際会議の余韻が漂う中、晩餐会は祝賀と未来への誓いを兼ねて進められていた。



 藤村総理大臣が杯を掲げ、静かに言った。

 「諸君。本日の会議により、日本は財政・医学・都市計画の三分野で、世界のリーダーシップを確立した。

  これからは東と西が共に歩み、知を分け合い、人類全体を進ませる時代である」


 その言葉に、各国代表が一斉に盃を掲げた。


 イギリス首相は微笑を浮かべながら告げた。

 「日本は我らの師となった。国を導く知恵は、いまや東洋にある」


 フランス大統領は声を張り上げた。

 「ナポレオンの遺した借金さえ、日本の手法なら解決できる。

  我らは“東洋の智慧”を学ばせていただく」


 ドイツ皇帝からの親書を読み上げた使節は、短く結んだ。

 「ビスマルクに伝えよ――日本を見習え、と」



 福沢諭吉は杯を置き、三兄弟の方を見やった。

 「諸君。今日の会議で、三兄弟は各国の指導者と対等に議論した。

  彼らの国際的教養が、ついに世界に認められたのだ」


 大村益次郎は深く頷き、言葉を添えた。

 「義信の軍事理論は参謀本部レベルと評価された。

  各国の軍人が彼の言葉を聞き、真剣に記録していた」


 北里柴三郎は、ワイングラスを掲げながら言った。

 「医学界における日本の地位は揺るがぬものとなった。

  最新研究を発表し、世界の学者が東京を中心に研究を進めることを決めたのだ」


 後藤新平は力強く笑った。

 「都市計画の理論もまた、国際標準となった。

  パリもロンドンも東京に学ぶ日が来る。

  これで、日本は世界都市の師として立った」



 三兄弟は席を正し、それぞれ言葉を述べた。


 義信(11歳)は真剣に。

 「世界の平和と発展のため、軍事面で貢献したいです。

  戦を起こすためではなく、戦を防ぐための軍事を築きます」


 久信(10歳)は穏やかに。

 「外国の方々と話し、文化や暮らしが違っても、幸せを願う心は同じだと知りました。

  人々の友好を広げる役割を果たしたいです」


 義親(4歳)は瞳を輝かせて。

 「化学技術で世界を導きたいです。

  工場の煙を減らし、水をきれいにしながら物を作る――環境と発展を両立させたいです」


 その言葉に、各国代表の間から驚きの声が上がり、やがて深い拍手が広がった。



 慶篤副総理が立ち上がり、杯を掲げる。

 「副総理として、この国際的地位の確立を心から誇りに思います。

  だが、この地位は始まりに過ぎない。

  今こそ我らは、永続的な協調の仕組みを築かねばならぬ」


 松平春嶽は続けた。

 「財務省としても、国際協調の資金基盤を整える。

  資金は潤沢、投資は増大、研究費も世界から集まっている」



 最後に、藤村が静かに立ち上がり、広間を見渡した。

 「諸君。本日の会議で、日本は真の意味で世界の指導国家となった。

  だが、その地位は四師匠の教えと三兄弟の成長によってのみ、永続的に保たれる。

  人類史上最も理想的な国際協調体制――その中心に、日本が立つことをここに誓う」


 盃が一斉に打ち合わされ、澄んだ音が冬空に響いた。

 障子の外では梅が香りを放ち、夜空の星はひときわ明るく瞬いていた。

 東洋の賢者とその国は、こうして世界の舞台で永遠の存在となったのである。

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