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245話:(1877年5月/梅雨)梅雨と成長持続

五月、江戸の空は低く垂れこめた雲に覆われ、しとしとと雨が降り続いていた。

 石畳には小さな水たまりがいくつもでき、軒先から滴る雫が途切れることなく落ちている。

 町人たちは笠や蓑を肩にかけ、行き交う声もどこか湿り気を帯びていた。

 湿った風に土と若葉の匂いが混じり、江戸の町は梅雨の色にすっかり染め上げられていた。


 しかし江戸城大広間の空気は、外の重苦しさとは裏腹に、熱気と確信に満ちていた。

 蝋燭の炎が湿気に揺らぎながらも、机上に広げられた数多の巻物と帳簿に光を投げかけている。

 そこには、これまで積み上げてきた国家再建の成果がびっしりと数字で記されていた。



 藤村総理大臣が立ち上がり、深く息を吸い込むと、広間に集まる重臣たちに向けて宣言した。


「諸君。――我らはついに、債務処理と経済成長の完全な両立を実現した」


 重々しい声が広間を満たす。

 雨音が障子を叩く中、その言葉は鮮やかに響いた。


 松平春嶽財務大臣が目を輝かせ、扇を閉じた。


「通常であれば、巨額の債務処理は緊縮を生み、景気後退は避けられませぬ。

 しかし我が国は、成長を維持しながら債務削減を成し遂げている。

 財政史に前例のない快挙です」


 小栗上野介が机上の数表を示し、冷静に補足した。


「鉱山・鉄道・港湾への前倒し投資が功を奏しました。

 雇用が創出され、民間経済は活性化。

 借換えシステムは完全に軌道に乗り、景気を冷やすどころか温めております」



 慶篤副総理が腕を組み、低い声で続けた。


「借金返済が国の発展につながる――従来の常識を覆すこのシステム。

 民衆にとっては『国の借金が減るほど暮らしが豊かになる』という実感が芽生えています」


 島津久光内務大臣も頷き、地方からの報告を読み上げた。


「薩摩でも、鉄道工事の雇用で若者が職を得ています。

 東北では港の整備が進み、米の流通が格段に早くなった。

 各地から“景気が良くなった”との声が続々と届いております」


 春嶽はしみじみと呟いた。

「これはもはや、単なる債務整理ではない。新しい国づくりそのものですな」



 藤村は深く頷き、広間を見渡した。


「債務処理は国を締め上げるものであってはならぬ。

 むしろ、未来を拓く踏み石であるべきだ。

 我らの設計した成長型債務処理システムは、その証明である」


 障子の外では雨脚が強まり、庭の青葉を濡らしていた。

 だが大広間の中では、梅雨の湿気を吹き払うような熱気が渦巻いていた。


 その熱気こそ、成長と安定を同時に手にした国の新しい息吹であった。

雨脚は弱まらず、江戸の屋根を黙々と叩いていた。

 通りの水溝は勢いよく流れ、店先に吊るされた反物の端は、湿りを逃すように高く括られている。

 そんな梅雨の昼、江戸城の大広間には、逆に乾いた熱が宿っていた。


 渋沢栄一が巻物を広げ、指先で要点を示した。

 「宝くじ公債の改良案――実物賞品の採用が奏功しました。米・塩・反物の“物価連動”により、当選価値が生活実感に直結します。追加発行分はほぼ完売、庶民人気は継続中です」


 春嶽が扇を畳み、小栗は帳簿を引き寄せる。

 「銭の当選金は、市中の価格ぶれに弱い。しかし米十俵、塩百斤、反物三反――数量で約束すれば価値がぶれない」

 「はい。実物なら“今の暮らし”を支える。雨続きで商いが鈍っても、家計に直接効く当たりは強い。結果、購入意欲が落ちません」


 藤村は頷き、視線を向けた。

 「義親。お前の見立てを聞こう」


 小さな身体が机の縁に寄り、幼い指が巻物の上をすべった。

 「父上、実物賞品による物価連動は、“インフレ・ヘッジ機能付き債券”の先駆的実践です。

  当選が数量で規定されることで“購買力”が守られ、買い手側の期待効用は雨の日でも下がりにくい。

  つまり、リスク分散と需要の安定化を同時達成しています」


 広間が一瞬だけ静まり、次いで小さなざわめきが起きた。

 春嶽が目を細める。

 「四歳にして、その言い回し……度肝を抜かれるな」


 義親は言葉を続ける。

 「さらに、“夢を買う”楽しさはそのまま残します。

  抽選という娯楽効用と、実物という生活効用を重ね合わせる設計。

  これにより、低所得層の参加も維持され、税外収入の裾野が広がります」


 坂本龍馬が声を上げて笑った。

 「そりゃええ! 楽しく国を支える――それが一番じゃ」

 岩崎弥太郎も真顔で頷く。

 「商人の勘定でも筋が通る。実物なら物流と結びつく。問屋・回船の動きまで活性化する」


 渋沢が指で示す。

 「物価連動型の賞品は、在庫や配送計画と結べば、流通コストの変動にも耐性を持たせられます。

  当選者の引換え所を両替商と共同運営にすれば、不正も抑止できます」


 小栗は頷き、朱筆を入れた。

 「引換えの台帳は数量単位で統一、刻印と発行簿で照合……偽装の余地は少ない」


 島津久光が地方の書状を読み上げる。

 「『雨で畑が働けぬ日も、くじの当たりを楽しみに頑張れる』――薩摩の農家の声じゃ。米が当たれば籾に回せる。塩は保存食を増やす。反物は嫁入り道具になる。暮らしを支える当たりは、気持ちも支える」


 義親が小さく息を吸った。

 「もう一つ。実物賞品を“季節品”に拡張すれば、景気の谷で消費を下支えできます。

  梅雨には保存性の高い品、夏には干物や晒、秋には新米の前渡し――季節のポートフォリオで需要を均せます」


 慶篤が目を細め、ゆっくり笑んだ。

 「借金返済を娯楽と生活に繋ぐ……政治の形が、柔らかくなるな」


 藤村は巻物を閉じ、結んだ。

 「宝くじ公債は、資金調達の器であると同時に、民の生活と心理に寄り添う政策だ。

  雨の日にも灯る火でなければならぬ」


 障子の外で、唐傘を打つ雨音がわずかに強まった。

 しかし広間にいる者の表情は、どこか晴れていた。


 その頃、町の茶店では、当選札の貼り紙を囲んで人だかりができていた。

 「見ろよ、米十俵やって」「塩あったら梅干し漬けられるぞ」「反物当たったら、娘に持たせよう」

 笑いとため息が交じる輪の中に、濡れた番傘がいくつも立てかけられている。

 夢と台所が、同じ紙一枚で結ばれている――そんな空気が、しっとりと町に染みていた。


 渋沢は最後の一枚を藤村に渡した。

 「追加発行、江戸・大坂・京とも即日捌け。引換え所の混雑対応は、回船問屋の空蔵を借り受けて拡張します」


 藤村は短く頷く。

 「よい。――数字の上でも、雨の中の心でも、下がらぬ火を守れ」


 雨は降り続く。

 だが、くじの当たり札を懐にしまう人々の足取りは、どこか軽やかだった。

 湿った日にも、家へ持ち帰れる“確かなもの”がある――それだけで、人は前に進めるのだ。

梅雨の雨は途切れることなく江戸を覆っていた。

 路地の水たまりには雨粒が絶え間なく波紋を広げ、軒先の桶はあっという間に水で満ちる。

 湿気が衣に染み込み、火鉢の炭もなかなか勢いを保てない。

 しかし、経済の空気は不思議なほど軽やかで明るかった。



 江戸城大広間。

 藤村総理大臣の前に、財務役人が巻物を広げて報告を行った。


「旧札の短期吸上げ九割五分達成、新札と郵便貯金への転化により、通貨流通量は適正値に安定。

 米価は昨年比一割以内の変動、塩も反物も同様であります」


 藤田小四郎が補足する。

「市場に余剰通貨が滞留せず、貯蓄が自然に吸収しております。

 結果、インフレは完全に抑制されました」


 春嶽財務大臣は扇を畳み、感慨深げに言った。

「債務整理と同時に物価を安定させる――従来なら不可能とされた離れ業ですな」


 小栗上野介も頷き、冷静に言葉を重ねた。

「緊縮ではなく、成長を維持したまま物価を制御できている。

 これにより、国民生活は乱れるどころか安定を増しているのです」


 慶篤副総理が目を細め、声を添えた。

「この“持続可能な成長”こそ、政治の理想形だ」



 一方、海の彼方。

 欧州の学術都市では、別の熱気が渦巻いていた。


 パリ医学アカデミーの講堂。

 壇上に立った北里柴三郎が、静かな声で細菌学の新発見と血清療法の成果を語る。

 聴衆の学者たちは身を乗り出し、時折ざわめきと拍手が沸き起こった。


「細菌を原因とする疾患は、適切な血清によって抑制可能である」


 簡潔な一言が、聴衆の心を射抜いた。

 やがて講堂は拍手の波に包まれ、新聞記者たちは一斉に筆を走らせた。



 同じ頃、ロンドン王立協会では、北里の名を冠した講義が行われていた。

 学者だけでなく銀行家や政治家までもが列席し、「日本は医学の新時代を切り開いた」と口々に語った。

 ベルリン医学会でも大成功を収め、彼は「東洋の医学革命者」として国際的尊敬を一身に集めた。


 陸奥宗光外務大臣が江戸に報告を持ち帰り、広間で読み上げる。


「欧州各国の報道は、“日本は科学をもって世界を導く”と記しております。

 各国の医学会誌は日本の名で溢れています」


 榎本武揚海軍大臣が声を張った。

「北里殿の成果は軍事医学にも直結します。

 遠洋航海の兵士たちが病に倒れる数は激減するでしょう」



 藤村は静かに頷き、言葉を添えた。


「金融政策が物価を守り、医学の飛躍が国際的威信を高める。

 財政と科学、この二つの車輪が揃えば、我らの国は揺るがぬ」


 障子の外では、梅雨の雨がなおも降り続いていた。

 だが広間に漂う空気は、灰色の雲を突き抜けた青空のように明るかった。

夜の江戸は雨音に包まれていた。

 瓦を叩くしとしとという音が絶えず続き、堀の水面には灯籠の光が揺れている。

 町の通りは人影もまばらで、炊き出し場から立ちのぼる煙すら湿気に溶けていった。

 だが江戸城の一室、藤村家の座敷には、梅雨の湿り気を吹き払うような温かな熱気があった。



 食卓には、雨の日にふさわしい素朴な膳が並んでいた。

 麦飯に小豆を添えた一椀、芋がらの味噌汁、塩鮭の焼き物、そして香の物。

 外の雨音をBGMに、灯明の火が揺れるなかで、家族と閣僚たちは膝を突き合わせていた。


 藤村総理大臣は盃を掲げ、静かに言葉を切り出した。


「諸君。――債務処理、経済成長、物価安定、国際的評価。

 すべてを同時に達成するという離れ業を、我らは成し遂げた」


 春嶽財務大臣が深く頷き、感慨を込めて言った。

「従来、債務処理は必ず経済を冷やすものでした。

 しかし今回は逆に、景気を支え、雇用を生み出している。

 財務省としても、これは後世に残すべき大成功です」


 小栗上野介は帳簿を広げ、冷静に付け加えた。

「旧札回収率九五%。通貨量は適正化され、インフレは完全に抑え込まれました。

 市場は安定し、庶民は安心して生活を営んでいます」



 慶篤副総理が盃を置き、重々しく言った。

「経済成長と財政健全化の両立――これこそ理想的な政治の姿です。

 短期的利益に走らず、長期的視野で国を運営する重要性を実感しました」


 島津久光内務大臣も扇を畳み、静かに頷いた。

「地方からも“景気が良くなった”との声が届いております。

 鉄道や港湾の整備は農村にまで波及し、民の生活を豊かにしています」


 後藤新平が杯を掲げ、力強く言った。

「この経済基盤があれば、社会保障制度の拡充も安心して進められます。

 国民全体を支える網をさらに広げましょう」


 北里柴三郎は少し照れたように笑い、穏やかに言った。

「欧州講演は思いのほか成功し、日本の名は広く知られるようになりました。

 “東洋の医学革命者”などと呼ばれていますが、それは国全体の努力があってこそです」



 そのとき、義信が真剣な顔で口を開いた。

「父上、今回の成功は経済史に残る快挙です。

 債務処理と経済成長の両立は、まるで未来のケインズ理論を先取りした実践のようです」


 義親が幼い声で続けた。

「父上、この成功モデルは“持続可能な成長理論”として体系化すべきです。

 外貨獲得戦略としても活用できます。発展途上国に技術移転を行えば、新市場創出も可能です」


 久信は目を丸くし、思わず笑った。

「義親の頭の中はどうなっているんでしょう……。でも僕も頑張ります」


 篤敬が感嘆の声を漏らした。

「義親君の分析力は、もはや専門家の域です」


 篤守も真剣に頷き、言葉を添えた。

「複雑な経済理論を分かりやすく説明できる能力――羨ましい限りです」



 清水昭武からの電信が読み上げられた。


「北海道でも成長持続効果が顕著に現れ、開発事業が加速度的に進展しております」


 藤村は深く頷き、盃を高く掲げた。


「諸君。これで“持続可能な発展”モデルは完成した。

 日本は世界に学ばれる存在となった。

 そして次の世代――義信、義親、久信に知識を継ぐことで、この国の未来はさらに明るくなる」


 一同の盃が打ち合わされ、澄んだ音が雨音に重なった。

 障子の外では雨が竹林を濡らし、葉から滴る雫が月明かりに光った。


 その光は、確かに未来を照らす灯火であった。

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