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231話:(1876年1月)新年の地租改正実施

正月の江戸は、澄み切った冬の青空の下で凛とした空気に包まれていた。元日の鐘の音が響き渡る中、町は新年の活気に満ち、白い息を吐きながら人々が往来を行き交う。松飾りを掲げた町屋の軒先には、子どもたちの笑い声がこだまし、商家では早くも新年の帳簿を開いていた。だが今年の正月は、ただの年の始まりではなかった。


 ――全国統一の地租改正が、いよいよ本格的に施行される。


 江戸城の西の丸には「地租局」と刻まれた新しい表札が掲げられた。朝靄の中、役人たちが続々と登庁し、廊下を行き交う足音が響く。白壁と瓦屋根を持つ近代的な庁舎の内部には、机が整然と並び、帳簿や地籍図が山と積まれている。壁には大日本全土を示す巨大な地図が掲げられ、各地の地価や人口、収穫高の数字が赤や青の墨で記されていた。


 藤村晴人は裃ではなく、紺地の羽織を纏い、机に置かれた分厚い法令書を開いた。冷たい空気がまだ残る室内に、筆の走る音が小気味よく響く。新年の実施に合わせ、全国の役人や農民に伝えるべき布告文の最終確認をしていたのだ。


 「全国統一、地価三パーセント課税」――これが本日の布告の核心であった。


 従来の石高制や年貢米納に代わり、地価に基づく貨幣納付へと完全に移行する。長く続いた米納制の歴史は、ここで終わりを告げた。農村では、米俵を蔵に納める代わりに、小判や新貨幣「常陸銀」「常陸金」を手に納税所に赴く光景が広がる。


 窓際に立ち、外の寒気を吸い込みながら、藤村は小さく呟いた。

 「ついに、我らは近代国家としての基盤を築いた……」


 机の上には、各地から届いた報告書が並んでいる。越後からは「米納から貨幣納へ移行し、農民が安心して市場に米を出せるようになった」との報。薩摩からは「これまでの藩札に代わり常陸銀が流通し、商人の取引が円滑化した」との声。さらに奥州からは「土地ごとに税額が明確になり、百姓一揆の火種が減少した」との評価が届いていた。


 かつて一揆や逃散が頻発した農村が、今は落ち着きを見せている。数字が公平であることが、人心を安定させる最良の薬だった。


 その日、江戸城大広間では、全国の代官・町役人を集めた布告式が行われた。寒風を防ぐために障子が閉じられ、火鉢の炭が赤々と燃える。壇上に立った藤村は、静かに布告文を読み上げた。


 「本日より、全国統一の地租を施行する。地価三分、課税一律。これにより税の公平を期し、国家の財政を安定させる」


 広間には、ざわめきと共に安堵の溜息が広がった。長年、藩ごとに異なる課税方式に苦しんできた役人や商人たちは、この統一を待ち望んでいたのだ。ある町役人は思わず涙をこぼし、「これで村の者たちを納得させられる」と声を震わせた。


 藤村は続けた。

 「税は国を支える礎である。だが、それは人民を苦しめるためのものではない。国家の財源を安定させ、人々の暮らしを守るためのものだ。我らは、この制度を以て『国と民が共に歩む』新しい時代を築く」


 役人たちは一斉に頭を垂れた。


―――


 その午後、藤村は江戸郊外の農村へと足を運んだ。雪の積もる田畑には、まだ春耕の気配はなかったが、農民たちは早くも今年の納税について話し合っていた。


 納税所には木札で「地租取扱所」と掲げられ、農民たちが列を作って並んでいる。ある農夫は、布袋から取り出した小判を震える手で役人に差し出した。


 「……これで、我が家の畑一町三反分です」


 役人は帳簿を確認し、印を押した。農夫の顔には安堵の笑みが浮かんだ。米俵を運ぶ労力も、計量をごまかされる心配もない。数枚の小判が、彼にとっては重荷からの解放だった。


 傍らの若い農婦が呟いた。

 「銭で払えるなら、市場に米を売りに行けます。子らに着物も買えましょう」


 藤村はそのやり取りを見つめ、胸の奥に確かな手応えを覚えた。税制改革は、人々の暮らしそのものを変えつつあった。


―――


 夕刻、地租局に戻ると、机の上には新しい統計表が広げられていた。数字は冷徹でありながら、美しくもあった。全国の歳入は安定し、債務返済の道筋は明確になった。


 火鉢の赤い炎に手をかざしながら、藤村は筆を取り、日誌に記した。

 「本日、全国統一の地租改正を実施。国家の財源は安定を得たり。これより、医学、教育、産業の発展を支える基盤となるべし」


 窓の外には冬の星が瞬き始めていた。その光は、冷たい空気を透かして地租局の白壁に淡く反射し、まるで未来の道筋を指し示すかのようであった。

冬の江戸は凍えるように冷たく、石畳の上を渡る風は鋭く頬を刺した。だが、江戸城内に新設された「衛生研究所」の一室には、別の熱気が充満していた。火鉢の赤い炎が研究机の端で揺れ、硝子瓶の中に並ぶ液体が光を反射して青白く輝いている。机には顕微鏡、注射器、ガラス管、ピペットが整然と並べられ、奥の壁には大きな解剖図が掛けられていた。


 北里柴三郎は白衣を着込み、額に汗を浮かべながら顕微鏡に目を凝らしていた。窓の外には雪が舞い落ち、硝子越しに小さな白点がひらひらと舞うのが見える。しかし北里の視線は、顕微鏡の中に見える「敵」から逸れることはなかった。


 「……破傷風菌、確かにここにいる」


 彼は小さく呟き、硝子プレパラートを慎重に調整した。顕微鏡の視野の中には、わずかに動く細長い菌糸があった。それは人の体に入り込み、傷口から全身を蝕む恐怖の元凶。農民の鍬の傷から、工事現場の鉄片の切創から、兵士の戦場での銃弾から、無数の命を奪ってきた見えぬ死者の軍勢である。


 「これを制する術を見出せば……」


 後ろから声がした。藤村晴人が羽織を纏い、静かに立っていた。彼の表情は厳しくもあたたかく、机の上の実験器具を見下ろしながら低く言葉を続けた。


 「北里、君はこの時代を十年、いや二十年早める使命を持っている。血清療法……その理論は私の胸にある。君ならば実現できる」


 藤村は「令和の知識」を抱えながらも、それをすべて明かすことはできない。ただ核心を、慎重に、しかし確実に伝える。


 「毒素そのものを滅するのではない。血液に抗う力を育て、それを別の者に与える。――血清とは、体内の盾を分け与えるものだ」


 北里の目が燃えるように輝いた。

 「つまり、動物に免疫をつけ、その血液から取り出した成分で人を救うのですね……!」


 「そうだ。実験を重ねよ。失敗は恐れるな」


 北里はすぐさま実験台に戻り、用意していたモルモットを扱った。菌を接種し、一定の時間を置いて血液を採取し、遠心分離機にかける。硝子管の底に沈殿する赤い血球と、上澄みに残る透明な血清。それを細心の注意を払い、別のモルモットへと注射する。


 数日後。


 研究室の空気は、張り詰めるような緊張に包まれていた。白衣の北里は手帳を握りしめ、檻の中のモルモットを凝視していた。破傷風菌を接種したにもかかわらず、その小さな体は痙攣することもなく、穏やかに餌を食んでいる。


 「……生きている」


 北里の手から鉛筆が落ちた。長年人々を死に追いやってきた病が、初めて防がれた瞬間だった。


 「成功だ……血清が効いた……!」


 声が震え、次第に高くなっていった。隣で記録を取っていた助手が思わず涙を流す。


 その瞬間、背後から拍手が響いた。藤村だった。

 「よくやったな、北里。君の成果は兵士を救う。農民を救う。子どもを救う。数えきれぬ命が、今日この瞬間から変わるのだ」


 北里の頬を涙が伝った。顕微鏡を握る手は震えていたが、その瞳には確かな誇りと使命感が宿っていた。

 「私は……必ずや、この道を進みます。人類を病から解き放つために」


―――


 数日後、江戸城の大広間で小規模ながらも発表会が催された。榎本武揚海軍大臣、松平春嶽財務大臣、陸奥宗光外務大臣らが列席する中、北里は壇上に立った。


 「破傷風血清療法に成功いたしました。これにより、戦場や農村における外傷感染による死は劇的に減少する見込みです」


 ざわめきが広がった。榎本は思わず立ち上がり、拳を握った。

 「これで兵の命が守られる。戦場での死者を減らせるのだ!」


 陸奥は深く頷き、国際舞台での意義を見抜いていた。

 「西洋に先んじてこの成果を上げたとなれば、日本の医学的威信は世界を震撼させるだろう」


 藤村は壇上から北里を見つめ、静かに言葉を添えた。

 「医学は軍事だけのためではない。民の生活、農の営み、工の現場、すべてを支える。血清療法は国家を強くし、人を生かす礎となる」


 大広間は静寂に包まれた後、万雷の拍手に揺れた。


―――


 夜。研究室に戻った北里は再び顕微鏡を覗いた。冷たい外気の中、炎が揺れ、菌の影が浮かび上がる。


 「私は……必ず世界を変えてみせる」


 その背後で、藤村は誰にも聞こえぬ声で呟いた。

 「君ならできる。……この成果は、未来の日本を守る柱となる」


 窓の外では、冬の夜空に星が瞬いていた。冷たさと光が交じり合う中、新しい時代の鼓動が、確かに江戸の研究所で始まっていた。

雪がちらつく江戸城西の丸。石垣の上に積もった白雪が溶けかけ、薄い水滴となって滴り落ちていた。冷気のなか、内務省の新庁舎では、まだ二十代の青年官僚・後藤新平が机に向かっていた。机の上には厚い帳簿と統計表が積み重なり、蝋燭の火が紙面に揺れる影を落としていた。


 「病に倒れるだけで、一家が破綻する……これを救わねばならぬ」


 後藤は鉛筆を走らせながら、独り言のように呟いた。彼の前には、藤村晴人が渡した分厚い資料――「令和」という未来から持ち込まれた知識を、時間をかけて書き写させた秘伝の文書が広がっている。


 その頁には、まだこの時代には存在しない概念が、簡潔に、しかし確固たる理論として記されていた。


 「保険料」「給付基準」「医療契約制度」――どれも江戸の人々にとって馴染みのない言葉だ。だが後藤は、それを理解するだけでなく、この国の現実にどう適用するかを必死に考えていた。


 藤村が背後から静かに声をかけた。

 「新平。病を恐れるのは人だ。だが病を理由に貧困に沈むのは、制度の欠陥だ。君の役目はそこを正すことだ」


 後藤は顔を上げ、力強く頷いた。

 「殿、私は確信しました。人々が少しずつ保険料を払えば、大病のときに大きな助けとなる。健康なときには気づかないが、病に倒れたときに国が支えてくれる。――これこそ文明国の証です」


 彼は統計表を指で叩いた。そこには人口別、年齢別の死亡率、病気別の発症率が細かく記されていた。後藤はこれを基に、保険料の徴収基準を計算していた。


 「農民には年に十二文、職人には二十四文、商人には四十八文……職業ごとに応じた負担を定め、町村ごとに集める。集まった資金を医師や病院と契約して給付する」


 彼の声は熱を帯びていた。まだ若き官僚の顔に、未来を切り開く者の強い光が宿っていた。


 藤村は微笑を浮かべながらも、厳しい声で続けた。

 「だが、新平。人々は新しい制度に戸惑うだろう。『病にかかる前から金を払うなど不思議だ』と。そこを説得するのもまた、君の務めだ」


 後藤は深く息を吸い、ゆっくり吐いた。

 「承知しております。私は人々にこう語ります――“病は誰にでも訪れる。だが、一人で背負う必要はない。皆で分け合えば恐れるに足らぬ”と」


 窓の外、雪はしんしんと降り積もっていた。その静けさのなか、後藤の言葉は一層響きを増した。


―――


 数日後、内務省の会議室。長机を囲んで松平春嶽財務大臣や島津久光内務大臣らが並び、若き後藤が立ち上がった。手には新たにまとめた「国民皆保険制度設計草案」。


 「殿方。この制度により、我が国の民は病を恐れずに生きられる社会を手にします。徴収は公正に、給付は確実に。制度を支えるのは数字と信頼。必ずや日本を強くする柱となります」


 松平春嶽は長年の政治経験を持つ老練な眼差しで、後藤を見つめた。

 「新平殿、君は二十代にしてよくここまで体系を組み立てた。かつて藩政で農民が病に倒れ、一家が破綻するのを幾度も見てきた。これで救えるならば……」


 彼は深く頷いた。

 「賛成しよう」


 榎本武揚もまた、軍人らしい視点から口を開いた。

 「戦場では弾丸よりも病で倒れる兵が多い。だがこの制度があれば、兵も民も守られる。国を強くするのは剣だけではなく、こうした仕組みだ」


 会議室は静かにざわめき、やがて一つの合意が形を取った。


―――


 その夜、後藤は机に向かい直し、再び草案に朱を入れていた。


 「病なき国……それは夢ではない。制度が人を支え、人が国を支える。私は必ずこれを完成させる」


 筆を置いたとき、蝋燭の炎が揺れ、雪明かりが障子に淡く映えていた。外の寒さとは裏腹に、室内には未来を温める熱気が満ちていた。

正月の冷気がまだ抜けきらぬ朝鮮半島、漢城の総督府。広間の奥には西郷隆盛がどっしりと座し、周囲には朝鮮の官僚と日本の顧問団が並んでいた。窓の外には、白い霜に覆われた瓦屋根が広がり、吐息さえ凍りそうな静けさが漂っていた。


 西郷は低い声で切り出した。

 「我が国で行われた地租改正は、米納から金納へと変わり、公平で安定した税制を実現した。朝鮮でもこれを導入すれば、財政の基盤は確かなものとなる」


 朝鮮の高官が眉をひそめる。

 「しかし、長年続いた年貢の習慣を急に改めれば、民が混乱するのでは……」


 藤村から派遣された書役が巻物を広げ、統計表を示した。そこには、日本での改正後の歳入安定推移が克明に記されていた。

 「ご覧いただきたい。徴収率は九割を超え、農民の生活も改善し、暴動も減った。数字が証明しております」


 西郷は頷き、力強く言い添えた。

 「大事なのは急ぐことではなく、段階を踏むことじゃ。まずは一部の州で試行し、成功を示してから全土に広げればよか」


 会議室に沈黙が落ちた。やがて朝鮮の高官が小さく頷いた。

 「……試行であれば」


 こうして、朝鮮における地租改正の第一歩が踏み出された。


―――


 その頃、江戸では三大財閥が次々と動きを見せていた。


 坂本龍馬と岩崎弥太郎が共同で設立した政商組合は、藩札買い上げ事業で得た資本をもとに軍需供給を独占し、朝鮮遠征に必要な武器・糧秣・輸送船を一手に担う仕組みを整えていた。岩崎は計算尺を弾きながら笑った。

 「戦いではなくとも、補給線を押さえた者が勝つ。今の日本には、商いこそ武器ですきに」


 渋沢栄一は別の机で、鉄道会社設立のための計画書に筆を走らせていた。

 「民間の力で線路を延ばし、物流を早める。国家の財政に頼らずとも、経済は自らの力で膨らむのです」


 さらに、北方に目を向ければ、清水昭武が北海道の開発計画を進めていた。札幌の広大な平野に鉄道網を敷き、炭鉱・農地・漁港を一体として結びつける構想だ。彼は北の青空を見上げ、胸を張って語った。

 「資源と交通を一つにすれば、北海道は帝国の心臓部となる」


―――


 江戸城に戻った藤村晴人の机には、三大財閥から届いた報告が山積していた。紙面の数字はどれも黒字を示し、次々と新しい事業の芽が吹き出している。


 「地租改正で財政の基盤を整え、北里と後藤が人を救い、政商と実業家が産業を広げる……」


 藤村は書簡を閉じ、静かに呟いた。

 「この力が合わされば、日本は誰にも追いつけぬ速度で進むだろう」


 障子越しに差し込む冬の陽光が、机の上の地図を照らし出していた。そこには、日本から朝鮮へ、さらに大陸へと伸びていく太い赤線が描かれていた。

江戸の正月。雪はすでに解け始め、庭の松には正月飾りがまだ残っていた。藤村邸の広間には、書物と地図が広げられ、子どもたちがそれぞれの課題に向き合っていた。


 義信(十一歳)は背筋を伸ばし、地図の上に筆を走らせていた。描いているのは東アジアの軍事回廊図だ。海峡、要塞、補給線――細かな書き込みは大人顔負けである。傍らに座るのは大村益次郎。冷静沈着な表情で、少年の図をじっと見つめていた。


 「兵の配置は悪くない。しかし、補給線が細すぎる。戦は刀でなく、糧道で決まるのだ」


 大村の言葉に、義信は目を輝かせてうなずいた。

 「なるほど……兵站を軽んじれば勝利はない。父上の政治も、軍の糧を絶やさぬ仕組みを作っているのですね」


 その理解力に、大村はわずかに微笑んだ。

 「この若さで兵站を語るとは……将来、国家の軍略を担う器かもしれぬ」


―――


 一方、久信(十歳)は帳簿を広げ、数字の列に向かっていた。渋沢栄一から学んだ簿記の手法を使い、収支計算を自分の力で試みている。墨の匂いが漂う中、少年の額には真剣な汗が滲んでいた。


 「兄上は戦を学び、私は政を学ぶ。国を治めるには両輪が必要です」


 その声に、広間にいた政治顧問の一人が微笑んだ。

 「数字は嘘をつかぬ。君のように幼き時から正確さを重んじる者こそ、政治を支える柱になるだろう」


 久信は嬉しそうに頷き、筆を進めた。


―――


 義親(四歳)はその様子を母の膝から見ていたが、突然、広間に置かれた『学問のすゝめ』を手に取り、すらすらと声を出して読み上げた。


 「“人は生まれながらにして独立し、自由の権利を有す”……。父上、この思想は国民皆兵と国民皆学の根拠になりますか?」


 広間の空気が一瞬、止まった。義信と久信はもちろん、大村益次郎でさえ驚いた表情を浮かべる。


 藤村は深く息を吐き、静かに答えた。

 「そうだ、義親。お前の言う通りだ。兵も学も、すべての民に開かれねばならない」


 四歳の子の口から「国民皆兵」「国民皆学」という言葉が飛び出した瞬間、大人たちは戦慄を覚えた。


 大村が低く呟いた。

 「この子は……常識の枠に収まらぬ。十年もすれば、我らを追い越すかもしれん」


 藤村は義親の頭を撫でながら、胸の奥で思った。

 ――令和の知識を持つ私だからこそ、この才覚の恐ろしさが理解できる。だが、この力を国家のために正しく導かねばならない。


 障子の外では風が鳴り、春を待つ梅の枝が揺れていた。藤村は心の中で、子ら三人それぞれの未来を描き、その歩みを支える覚悟を新たにしていた。

江戸城西の丸。新年の冷気が張り詰める中、地租局の広間では帳簿の束が積み上げられていた。蝋燭の灯りに照らされた数字は、もはや揺らぐことのない国家の基盤を示していた。


 藤村晴人はその中央に立ち、静かに周囲を見渡した。渋沢栄一は財政の成果を誇らしげに示し、後藤新平は新制度の図面を手にしている。北里柴三郎は新しい血清の瓶を胸に抱え、大村益次郎は軍略図を広げて黙然と立つ。彼らはそれぞれの分野で国を動かす力を蓄えていた。


 「地租改正は、単なる税制の刷新ではない」


 藤村の声は、静かだが深く響いた。


 「安定した財源は、兵を養い、学を広め、病を防ぎ、民を守る。北里の医学が命を救い、後藤の制度が生活を支え、大村の軍学が国を護る。そして、この制度を受け継ぐのは、我が子ら――義信、久信、義親である」


 人々の視線が三人の子に集まった。義信は凛とした瞳で応じ、久信は真剣に頷き、義親は幼いながらも誰よりも冷静に広間を見渡していた。


 藤村は続けた。

 「不安に満ちた世の中から、安心して暮らせる社会へ。世界に先んじて、日本は“健康と安寧”を国是とする文明国家となる」


 その言葉に、広間は静寂に包まれた。やがて、重臣たちの胸から深い息が漏れた。これは単なる宣言ではない。現実に積み上げられた成果が裏打ちする未来への確信であった。


 障子の外では、雪の間から顔を出した梅の蕾がほのかに揺れていた。

 藤村はその景色を目に焼き付けながら、胸中でつぶやいた。


 ――地租改正で築いた財政基盤、北里の医学革命、後藤の制度改革、そして義親の天才的頭脳。この国は、世界を変える力を確かに手にした。


 その確信が、春を待つ厳冬の空気をも揺るがし、新しい時代の鐘を鳴らしていた。

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