215話:(1874年5月/初夏)台湾の夏、茶と砂糖
初夏の陽射しが眩しく降り注ぎ、台湾の山野は鮮やかな緑に包まれていた。島の中央を走る山脈から吹き降ろす風が茶畑を渡り、無数の若葉を揺らして涼やかな音を立てる。標高の高い丘陵地帯には、白い布をまとった茶摘みの女たちが列をなし、しなやかな指で新芽を丁寧に摘み取っていた。かごの中には柔らかい茶葉が山のように積まれ、太陽の光を浴びて青みを帯びた光沢を放っている。
「これほどの出来は数年ぶりだな」
監督役の老農が感慨深げに呟いた。彼の声に若い女たちが笑い、軽やかな歌声を響かせながら作業を続ける。その声は風に乗って山裾の村々にまで届き、季節の豊饒を告げる合図のようであった。
摘まれた茶葉はすぐに籠に入れられ、担ぎ手の青年たちによって山道を駆け下りていく。石畳を叩く足音が連なり、村の製茶場へと続く。製茶場では既に大きな釜が熱せられ、蒸気と共に香り立つ茶の匂いが漂っていた。職人たちは巧みな手つきで茶葉を炒り、揉み、乾かす。ひとつの葉が市場で高値を生む商品に変わるまで、幾重もの工程が絶え間なく続けられていた。
その頃、平野部の広大な土地では砂糖製造が最盛期を迎えていた。サトウキビ畑は風に揺れる細長い葉で一面を覆い、農夫たちが鉈を振るって茎を刈り取っていく。積み上げられたサトウキビは荷車に載せられ、牛に引かれて製糖所へと運ばれた。製糖所の煙突からは白い蒸気が立ち上り、島の空に帯を描いていた。大釜に投入されたサトウキビからは濃厚な甘い香りが立ちのぼり、集まった子供たちが鼻をひくつかせて見入っていた。
「父ちゃん、もう砂糖はできたの?」
小さな子が訊ねると、職工が笑いながら指先に少し垂れた蜜を与えた。舌に触れた瞬間、子は目を輝かせ、仲間たちと歓声を上げた。甘味は日々の労働の苦しさを和らげ、人々の心に活力を与えていた。
こうして茶と砂糖という二つの産物は、台湾の大地が生む双璧として、同時に最盛期を迎えていたのである。
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港町・台南。埠頭には積み荷を待つ船が列をなし、甲板の上では水夫たちが忙しなく行き来していた。倉庫の扉が開かれると、山積みの木箱が姿を現した。ひとつは茶葉、ひとつは砂糖である。木箱には「NIPPON TAIWAN」と焼印が押され、出荷先の港名や商会名が墨で記されていた。商人たちが伝票を手に数を数え、帳簿に書き込む。その姿は、もはや台湾の産業が本土の一部として確固たる仕組みに組み込まれていることを物語っていた。
「次の船はパリ行きだ。砂糖を三百箱、茶を百五十箱積み込め」
荷役頭が声を張ると、屈強な男たちが木箱を担ぎ、綱で船腹へと降ろしていく。港には各国の商人が集まり、熱心に商品の出来を確認していた。英国人商人は茶の香りを嗅ぎ、フランス人商人は砂糖の粒を指先で転がして溶け具合を試す。
「実に芳醇だ。これならロンドン市場でも争奪戦になる」
「この砂糖の純度は、我が国の精製品に匹敵する。フランス料理には最適だ」
異国の言葉が飛び交い、通訳が忙しく行き来する。台湾の茶と砂糖はすでに「商品」以上の意味を持っていた。それは、日本の統治と産業政策の成功を示す旗印であり、国際市場における信頼の証そのものであった。
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江戸城に届いた報告書には、詳細な収支が記されていた。台湾特会の収益は過去最高を記録し、その黒字が中央政府に還元される仕組みが確立されていた。かつては海外統治の採算性が疑問視されていたが、いまやその不安は完全に払拭されていた。茶と砂糖の輸出は安定した外貨収入を生み、同時に現地の住民にも確かな利益をもたらしていた。
「茶の輸出量、前年比一五〇%増。砂糖も一三〇%増加……」
渋沢栄一が帳簿を読み上げると、評定の間にざわめきが広がった。財政担当官は目を輝かせ、勝海舟は感慨深げに扇を仰いだ。
「これで海外統治は“夢物語”ではなくなったな」
藤村晴人は静かに頷き、言葉を添えた。
「数字は揺るがぬ証拠だ。台湾は今や“収奪”ではなく“共栄”を体現している。ここにこそ、日本独自の統治の理念がある」
その言葉に、室内の空気が引き締まった。単なる経済的成功ではない。政治的な理念と倫理的な基盤が合わさってこそ、統治は持続可能となるのだ。
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夜、台南の港町では灯火が揺れ、酒場には労働を終えた人々の歌声が響いていた。茶摘みの娘が踊り、砂糖工場の職人が笑い声を上げる。異国から来た商人たちも加わり、杯を交わす。文化が交わり、交易が結びつき、人々が共に繁栄を享受する。台湾の夏は、茶と砂糖を媒介にして世界と繋がり、日本の未来を豊かに照らしていた。
台湾の経済的成功を支えるためには、行政の器をさらに拡げねばならなかった。台南の中心部にそびえる統治庁舎では、新たに拡張工事が行われ、白漆喰の外壁が陽光を浴びて輝いていた。正面玄関の上には大きな庁章が掲げられ、左右に翼を広げる鳳凰の意匠は「繁栄と守護」を象徴していた。
落成式の日、庁舎前の広場には住民と役人が入り混じり、整然と並んでいた。藤村晴人は江戸に留まりつつも、代官から送られた詳細な報告書と挨拶文が式典で読み上げられた。
「この新庁舎は、台湾の統治をより確かなものとする拠点である。産業を興し、交易を広げ、住民の暮らしを豊かにすることこそ、我らの使命である」
読み上げられた言葉に、人々は大きく頷き、拍手が広場に響いた。庁舎内部には新設された部局が並び、産業振興局では茶や砂糖以外の作物の研究と市場開拓を担当し、貿易促進部では外国商人との契約交渉や為替取引を監督、インフラ整備課では道路や港湾、水利工事を計画的に推進する体制が整った。
特に産業振興局の会議室では、地元農民代表と日本の技師が膝を突き合わせて議論する姿が見られた。黒板には「新品種茶苗」「水車式製糖装置」といった文字が書き付けられ、農民が指でその文字をなぞりながら質問を繰り返す。技師は丁寧に模型を示しながら答え、農民の目は次第に輝きを増していった。
「これなら、我らの畑も豊かになる」
ある農夫が声を上げると、周囲に安堵と期待の笑みが広がった。
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この統治理念を支えていたのは、慶篤の講義であった。江戸の学問所で開かれた「植民地経済」講義は、台湾から派遣された若い役人たちにとって必修科目となっていた。慶篤は板書に「収奪 → 開発」と大きく記し、振り返って語った。
「これまでの欧州列強は、資源を奪い、民を酷使し、やがて反乱と衰退を招いた。だが我らは違う。台湾の地を豊かにすれば、日本もまた豊かになる。住民の生活を守り、教育を施し、文化を尊重することが、永続する統治の道である」
受講する役人たちは真剣に頷き、筆を走らせた。その中の一人が思わず問いかける。
「住民に学校を設け、彼らに読み書きを教えることは、支配を難しくしませんか?」
慶篤は微笑み、答えた。
「学んだ者は未来を築く力となる。知識を与えることは支配の終わりではなく、共栄の始まりだ」
その言葉は、従来の「文明化の使命」を掲げる西欧型の支配理念とは異なり、日本独自の開発型統治を明確に指し示すものだった。
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台南の住民たちは新庁舎の姿を見上げながら口々に語った。
「昔はただの軍営のようだったが、今では堂々とした役所だ」
「我らの生活の声も届くようになるだろう」
行政の建物が単なる権威の象徴ではなく、人々の生活に寄り添う場として認識され始めていた。その変化こそが、台湾統治の深化を示す何よりの証であった。
台湾庁舎の拡張と機能強化が着実に進むなか、日本の統治理念を国際的に裏付ける作業が江戸と札幌で進められていた。中心となったのは、北方統治を担う清水昭武である。松平容保との養子縁組を解消して清水徳川家を相続した彼は、いまや北海道とアラスカを含む北方方面の総責任者となり、その領域は五十万石に匹敵する膨大な資源収入を誇っていた。その立場から、欧州各国の植民地経営を徹底的に調査し、日本の台湾統治と比較する報告をまとめ上げたのである。
江戸城の会議室。木製の長机の上には分厚い洋書と帳簿が積まれ、出席した幕臣や若い役人たちが緊張した面持ちで座していた。清水は静かに立ち上がり、手元の資料を広げた。
「諸君、まずはオランダ東インド会社の財政構造を見ていただきたい。彼らのジャワ統治は、収奪を基軸としたものだった。砂糖、香辛料、コーヒーを現地住民から低価格で買い上げ、高値で欧州に売りさばいた。その利益は確かに莫大であったが、現地社会には荒廃が残った」
清水は黒板に数字を書き並べた。「輸出総額の九割が宗主国利益」「現地投資比率わずか二%」――。会議室の空気がざわめいた。
「次にイギリスのインド統治。こちらは軍事力を背景にした土地税制、すなわち『恒久地税制度』である。土地を地主に固定し、そこからの税収を基幹とした。短期的には安定した収入を得たが、農民の窮乏と飢饉を繰り返した」
机の上に並ぶ報告書には、インド各州の飢饉被害の統計が示されていた。昭武は重々しい口調で続けた。
「フランスのインドシナ統治もまた同じ。現地の資源を収奪し、住民を労働力として酷使した。表面上は鉄道や道路を敷いたが、それは資源搬出のためであり、現地社会の利益にはならなかった」
沈黙が流れた。欧州列強の植民地会計の実態は、確かに宗主国を富ませた。だがその繁栄は現地の貧困と引き換えであり、永続性を欠いていた。
清水はそこで声を強めた。
「対して我ら日本の台湾統治はどうか。台湾特会の収支を見れば明らかだ。茶と砂糖の輸出益の半分は現地に還元され、灌漑、学校、医療に投じられている。結果として住民の生産力は向上し、統治コストは年を追うごとに減少している。これは欧州の収奪型統治とは全く異なる、開発型統治の証である」
机上に並んだ台湾特会の収支帳簿には、「歳入:茶砂糖輸出益」「歳出:港湾改修、学堂建設、農業改良費」と明記されていた。数字は雄弁であり、制度の正当性を語っていた。
若い役人が手を挙げ、恐る恐る問うた。
「殿……このやり方は、いずれ日本にとって不利益にはなりませぬか? 利益を現地に多く残すことは、国庫を痩せさせるのでは?」
清水は穏やかに首を振った。
「いや、逆だ。現地が豊かになれば貿易額は増え、結果として中央にも利益が還元される。住民が安心して働けば反乱は起きず、軍事費も削減できる。短期の利ではなく、長期の利益を見据えるのだ」
彼の言葉に、会議室の空気は一変した。人々の目に「日本独自の統治モデル」が鮮やかに浮かび上がったのだ。
窓の外では秋風に煽られた木の葉が舞っていた。清水の声はその風を切るように響いた。
「日本は、欧州の後を追うのではない。我らの道を行くのだ。台湾の成功はその証であり、やがてはアジア全域を照らす光となろう」
江戸の藤村邸。夏の兆しを含んだ風が庭を渡り、縁側に干された簾を揺らしていた。障子を開け放した座敷の中では、藤村の子どもたちがそれぞれ台湾への思いを形にしていた。
義信は、机いっぱいに広げた台湾の地図に没頭していた。細い筆先で山岳地帯をなぞり、河川の流れを丹念に描き込み、さらに港の位置に赤い印を付けていく。彼の前には、台湾特会から送られてきた産業分布表と航路図が置かれていた。
「ここは砂糖工場が多い……だから港に近いんだな。茶畑は山の斜面にあるから、雨の水をうまく使っているのかもしれない」
独り言のように呟きながら筆を走らせる義信の表情は真剣そのもので、大人顔負けの集中力だった。藤村は傍らからその姿を眺め、「この子は既に地図の中で未来を見ている」と胸の奥で静かに感嘆した。
一方、久信は机の上に並べられた茶碗と急須を前にしていた。台湾から送られてきた様々な等級の茶葉を、丁寧に急須に入れ、お湯を注ぎ、湯気と香りを確かめながら試飲を繰り返していた。まだ幼い手つきではあるが、その目は驚くほど真剣であった。
「この茶は渋みが強い……けど香りは深い。こっちは甘みがあるけど、薄いな……」
彼は飲むたびに小さな帳面に感想を書き記していった。やがて顔を上げて言った。
「父上、もし茶葉の乾燥をもう少しゆっくりしたら、味が変わるのではないでしょうか」
藤村は目を細め、頷いた。
「そうだな、久信。君の感覚は侮れぬ。生産者の工夫が、やがて国の競争力を決めるのだ」
その言葉に久信は照れくさそうに笑い、次の茶碗に手を伸ばした。
義親は母・篤姫の膝の上で、色鮮やかな台湾の伝統人形を握って遊んでいた。赤や青の布で彩られた小さな人形が揺れるたびに、彼は声をあげて笑い、小さな手を伸ばした。篤姫はその様子を見て柔らかく微笑んだ。
「この子は、まだ言葉を持たないけれど……きっと台湾の風を感じ取っているのでしょうね」
藤村は縁側に立ち、庭に舞う新緑を眺めながら答えた。
「国を結ぶのは剣でも金でもない。こうして家族が、文化を受け入れ、楽しみ、尊ぶことだ。台湾の茶も砂糖も、地図も人形も……すべては未来の絆になる」
その言葉に、座敷の空気がふっと和らいだ。義信の筆の音、久信の湯呑の音、義親の笑い声。それらが一つになり、台湾という遠い土地が、確かに藤村家の日常に溶け込んでいた。
台南の統治庁舎では、近藤勇と土方歳三が現地役人と顔を突き合わせ、巡回計画を確認していた。地図に赤い印をつけながら近藤は言う。
「市場や港は人が集まる。警備を怠れば騒ぎになる。だが、刀を抜くな。まず声を聞け」
土方は頷き、筆で記録をつけ加える。
「住民の信頼なくして統治は続かぬ。子どもが安心して遊べるかどうか、それが治安の尺度だ」
かつて「恐れられる武士」として名を馳せた二人は、今や「信頼される守り手」として変わりつつあった。
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江戸城西の丸。藤村晴人の机に、台湾からの報告が届いた。藤田小四郎が添えた意見書には、こう記されていた。
「経済的成果のみをもって統治の正当性とするのは危うし。住民の権利を尊び、文化を保護し、共に歩む姿勢こそ永続の道なり」
藤村はその文面を読み、深く頷いた。
「砂糖や茶の黒字も誇らしい。しかし最も尊ぶべきは人心と文化だ。台湾統治が真の成功と呼ばれるのは、住民が“共に生きている”と実感できるときだろう」
障子越しに差し込む初夏の光が机上の報告書を照らし、遠く台湾からの便りと響き合うように、藤村の胸には静かな確信が芽生えていた。
初夏の夕暮れ、江戸城の石垣を渡る風は、どこか遠い南の島の匂いを運んでくるようだった。藤村晴人は西の丸の高窓から空を仰ぎ、遠く台湾を思った。
机の上には、台湾特会の黒字決算報告と、茶や砂糖の輸出契約書が重ねられている。その横には、近藤勇と土方歳三からの治安報告、藤田小四郎の意見書も置かれていた。すべてに共通していたのは「経済の数字」と「人心の安定」が揃って初めて統治は成り立つ、という事実だった。
藤村は静かに扇を閉じ、独り言のように呟いた。
「茶の香りも、砂糖の甘みも、結局は人の暮らしを豊かにするためにある。収益だけを追えば、いつか必ず軋む。だが、人の心を支えにすれば、数字は自然と後からついてくる……」
障子の外からは、義信と久信が声を張り上げて郵便取扱の真似事をしているのが聞こえた。封筒に見立てた木の葉をやり取りし、義親はその小さな手で嬉しそうに受け取っている。
藤村はその光景を眺め、胸の奥で確信を新たにした。
――未来を築くのは、この子らの世代だ。その時、台湾も、朝鮮も、北海道も、本土も、みな同じ地図の上で繋がっている。
夕陽に照らされた江戸の町並みは、まるで台湾の海に沈む夕日とひとつに重なり合うようだった。藤村は目を閉じ、その確信を心に刻みつけた。
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