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186話:(1871年10月/秋) 北の煙、南の甘味

十月の江戸城西の丸は、秋の澄んだ光に包まれていた。欅の並木は赤や黄に色づき、落ち葉が敷石を覆っていた。冷たい風が障子を揺らし、勘定所の広間に張り詰めた空気を運んでくる。その中央、机の上には二通の分厚い報告書が並んでいた。


 一通は北から。榎本武揚が札幌から送った炭鉱報告である。もう一通は南から。近藤勇と土方歳三の名が連なった台湾製糖工場の収支報告であった。


 藤村晴人は二つの書類を交互に見やり、静かに扇を置いた。


 「北は石炭、南は砂糖。――これが、わが国の二つの翼だ」


 その言葉に広間の空気が震えた。列席した老中や代官、渋沢栄一ら経済担当者が一斉に身を乗り出す。


―――


 榎本の報告には、石炭の黒い力強さが詰まっていた。


 「札幌炭鉱の稼働率、予想を上回り四割増。日産千五百石に達し、年間収益は四十万両を突破」


 読み上げた書役の声が、紙面を飛び出して広間に響いた。かつては荒涼とした原野だった北海道が、今や国を動かす燃料の心臓部となっている。


 榎本自らの手で添えられた報告の一節にはこうあった。


 《労働者の住居を石造長屋に改め、食糧と衣服を安定供給した結果、病人が減り、作業能率も二割上昇。現場の士気はかつてなく高し》


 藤村は扇を軽く叩いた。

 「人を使うのではなく、人を生かす。榎本の現場は、数字でそれを示している」


―――


 次に南の報告が開かれた。


 「台湾製糖工場の収益、二十五万両」


 ざわめきが走った。四十万両の石炭に加え、二十五万両の砂糖。合わせて六十五万両。これまでにない規模の資源収益が、一度に報告されたのである。


 報告文には近藤勇の筆で、こんな記録が残されていた。


 《現地住民との協力体制が確立。作業を分担し、収益の一部を地域に還元したことで、反乱の芽を摘むことができた。住民は“砂糖は命を甘くする”と笑みを浮かべている》


 傍らに署名した土方歳三の筆跡は力強く、簡潔だった。


 《治安安定。盗難・暴動ともに前期比半減》


 藤村は報告を閉じ、広間に向けて言葉を放った。


 「北の煙は工業を支え、南の甘味は外貨を稼ぐ。この南北の連携が、わが国の資源戦略の神髄である」


―――


 渋沢栄一が机上の帳簿を広げ、指先で数字を示した。


 「外貨収支、昨年比で三割改善。これまで赤字続きだった国際収支が、ついに黒字に転じました」


 年配の代官が思わず声を上げた。

 「黒字……! 借金に追われていた頃が嘘のようだ」


 勝海舟は腕を組み、にやりと笑った。

 「やっとだな。これでようやく、列強に“借りる”のではなく“売る”立場に立てる」


 藤村は静かに頷いた。

 「この六十五万両は、ただの数字ではない。国の背骨を強くする血流だ。炭鉱と製糖、北と南――両輪が回れば、もはや小国ではない」


―――


 その夜、藤村邸。庭には虫の声が響き、秋の月が庭石を淡く照らしていた。


 義信は炭鉱報告を広げ、幼い指で坑口の図をなぞった。

 「前より深い坑道になってる。支柱が増えてる……これなら崩れにくいはずだ」


 その分析に、同席していた教育係が目を見開いた。幼いながら、報告書を技術的に読み解いている。


 久信は笑いながら、庭に置かれた荷車を引いてみせた。中には砂糖俵を模した小さな袋が積まれている。

 「見てくれ! 俺が引けば台湾の甘味だって江戸まで届く!」


 その無邪気な姿に、母のお吉が微笑み、篤姫も頷いた。


 藤村は縁側に座り、子どもたちの声を聞きながら思った。

 ――資源は数字であり、人であり、笑顔である。北と南、そのどちらも育てねばならぬ。


―――


 翌朝。江戸城天守の窓から、藤村は北と南を同時に思い描いていた。


 北は煙。力強く立ち上り、工業と軍を支える黒き息吹。

 南は甘味。人々の舌に広がり、交易と友情を育む白き結晶。


 その両方を手に入れた今、日本はかつての島国ではなかった。地理の制約を資源に変え、世界に羽ばたく新しい姿を確かに描き始めていた。

十月の札幌は、すでに初雪の気配を帯びていた。澄んだ空気の中、白い息を吐きながら石造庁舎の前に人々が集まっていた。厚い石壁と高い煙突がそびえ、軒下には氷を防ぐための雨樋が堅牢に組み込まれている。


 榎本武揚が正門前に立ち、工事責任者の棟梁と固く握手を交わした。


 「これで北海道の政庁は形を得た。寒さに凍える仮小屋から、ようやく人の集まる庁舎へと変わる」


 その言葉に、労働者たちの顔が誇りに輝いた。石を一つひとつ積み上げた自らの手が、この北の地に秩序を刻んだのだ。


 庁舎内では、すでに机や椅子が並べられ、測量技師や官吏が試験的に業務を始めていた。石壁は厚く、薪を焚いた炉の熱を逃さない。榎本は視察に訪れた役人に向かって言った。


 「北の政治は、この石壁の中から始まる。雪嵐が襲っても、政は止まらぬ」


―――


 同じ頃、台湾南部。湿り気を帯びた空気の中、統治庁の拡張工事が進んでいた。木材に代えて煉瓦を多用し、風と湿気を通す格子窓が設けられている。


 土方歳三が建設現場に立ち、現地の監督官と話していた。


 「石より煉瓦が良い。湿気が抜けなければ、建物も人も腐る」


 現地の技師が頷き、赤い煉瓦を積み上げながら答えた。

 「日差しは強く、雨も多い。だがこの設計なら空気が巡る。日本の知恵と我らの経験を合わせれば、建物も長くもつ」


 庁舎には大広間が設けられ、住民との定期会合の場として使われる予定だった。土方は工事を見渡し、静かに呟いた。


 「剣を抜かずとも、庁舎ひとつが人心を掴む」


―――


 江戸城。藤村晴人の前に、北と南の建設報告が届いた。机の上には札幌の庁舎図面と、台湾庁舎の煉瓦設計図が並ぶ。


 渋沢栄一が横から図面を覗き込み、感慨深げに言った。

 「北は石で寒さに挑み、南は煉瓦で湿気に勝つ。気候に即した統治こそ、長く続く政の礎ですな」


 藤村は頷き、扇を閉じて答えた。

 「建物はただの器ではない。そこに集まる人々が安心できてこそ、統治の基盤になる」


―――


 札幌庁舎では開庁式が行われた。雪を踏みしめた農民たちが列を作り、扉の奥に入っていく。暖炉の火に迎えられた彼らは、石壁に守られた空間の暖かさに驚きの声を上げた。


 「これなら冬でも役所に来られる」

 「凍えずに相談できる……」


 庁舎に集まる人々の表情には、信頼の色が浮かんでいた。


―――


 一方、台湾庁舎の広間では、初めての公開会議が開かれていた。赤煉瓦の壁を抜ける風が広間を涼しく保ち、現地の農民や商人が集まって議論していた。


 「税の使い道を示してほしい」

 「道路を改修してくれれば、もっと多くの砂糖を運べる」


 役人たちは丁寧に答え、要望を記録していった。庁舎の壁に飾られた日章旗と現地布の装飾が並び、双方の文化が一つの場に調和していた。


 会議を見守っていた近藤勇は低く言った。

 「武力で従わせるより、庁舎で声を聞かせる方が強い」


―――


 江戸の藤村邸。夕暮れの庭で義信が炭鉱の模型を手に取り、久信が煉瓦の欠片を掲げていた。


 「兄上、石の庁舎と煉瓦の庁舎、どうして形が違うんだ?」

 久信の問いに、義信は少し考えて答えた。

 「寒さと湿気。違う気候には違う答えが必要なんだ」


 そのやり取りを聞いた藤村は心の奥で思った。

 ――国を支えるのは、剣でも金でもなく、人と土地に合わせた仕組みだ。


―――


 こうして北と南、それぞれの地に適した庁舎が完成した。


 札幌の石壁からは煙突の煙が立ち上り、台湾の赤煉瓦からは涼やかな風が吹き抜ける。


 その光景は、日本の統治が気候や文化に寄り添いながら根を下ろしていく証であった。

十月半ば、江戸城の学問所。障子を通して射す秋の光が黒板に反射し、室内を白く照らしていた。講義室の中央に立つのは慶篤であった。机には野帳、鉱山収支表、製糖工場の生産記録が積まれている。


 「諸君、資源とはただ掘り出し、絞り取るものではない。限られたものを、どう使い、どう残すか――そこに国の命運がある」


 慶篤の声は静かでありながら、強い響きを帯びていた。黒板に白墨で円を描き、その周囲に「採掘」「加工」「流通」「再利用」と書き込んでいく。


 「この輪を回し続ければ、資源は尽きぬ。逆にどこかで止まれば、国家は衰える。資源管理とは、経済と軍事の“血流”を守ることなのだ」


 聴衆は息を呑んだ。勘定所の書役、鉱山官僚、製糖所の監督官――皆が一斉に黒板を見つめていた。


―――


 一人の若い役人が手を挙げた。

 「殿、炭鉱は掘れば掘るほど収益が増えます。しかし“掘り過ぎるな”とは、商いの理に反するのでは……」


 慶篤は頷き、机上の収支表を掲げた。

 「見よ。昨年の札幌炭鉱収益は四十万両。だが坑夫の過労による事故件数もまた増えている。人が倒れれば生産は止まり、村も荒れる。資源を守るとは、人を守ることと同じだ」


 その言葉に、場の空気が変わった。経済の数字と人の命が一本の線で結ばれた瞬間だった。


―――


 同じ講義の後半、昭武が登壇した。机に積まれたのは、欧州各国の鉱山法の翻訳資料である。


 「これはドイツ・ザール地方の鉱山法、そしてイギリスの鉱山監督制度だ。両国はすでに“資源の科学的管理”を始めている。採掘量を制限し、安全基準を設け、事故を減らしている」


 役人の一人が声を上げた。

 「では、日本の炭鉱も同じように法を定めるべきでしょうか」


 昭武はゆっくりと首を横に振った。

 「そのまま真似るのではない。日本には日本の地形と風土がある。だが原理は同じだ。“資源は無限ではない”という認識を持つことだ。掘り尽くすのではなく、管理し、未来へ残す」


 彼の指が翻訳文を叩くたびに、紙の上の外国語が日本語の現実へと変わっていくようだった。


―――


 その後の討論で、勘定方の一人が問いかけた。

 「もしも資源が尽きたならば、国家はどうなるのでしょう」


 慶篤は黒板に大きく「輸入」と書き、静かに言った。

 「資源が足りぬなら、外から買えばよい。だがそのとき、金がなければ買えぬ。つまり資源を残すことは、財政を守ることに直結する。資源とは“埋蔵された貨幣”なのだ」


 藤村晴人が後方で頷いた。

 「数字と資源を結びつける――これが現代国家の要だ」


―――


 翌週、札幌炭鉱。坑口の前で新しい規則が張り出された。


 「一日の採掘量は規定以内」「坑夫は六時間ごとに交代」「安全点検を経ずして坑内に入るべからず」


 坑夫たちはざわめいた。

 「掘れば掘るほど稼げたのに……」

 「いや、怪我をすれば家族も困る。規則があれば守られる」


 監督官が声を張った。

 「これは殿の命だ。人を守ってこそ、炭も守れる」


 坑夫たちは顔を見合わせ、やがて黙って頷いた。


―――


 台湾製糖所でも同様の変化があった。甘い香りが漂う工場で、新たに導入された品質管理票が配られた。


 「湿度、糖度を測り、基準を超えたものは輸出に回す。基準を満たさぬものは国内で使う」


 現地の農民が驚いたように言った。

 「これまでは一括りに“砂糖”として売っていたのに……」


 監督官は微笑んだ。

 「区分することで値段も上がる。努力がそのまま収入になる」


 農民たちの顔に、納得の色が浮かんだ。数字で示される基準が、彼らの働きに誇りを与えていた。


―――


 江戸城に戻った慶篤と昭武は、藤村の前に報告を並べた。


 「北の炭鉱は規律を守りつつ増産を続けております」

 「南の製糖は品質区分で収益が伸びております」


 藤村は報告書を閉じ、低く言った。

 「資源を守り、数字を立て、人を活かす。……これで日本は、世界と肩を並べられる」


―――


 その夜、藤村邸の縁側。義信が炭鉱の模型を指で示し、久信が砂糖の袋を抱えて遊んでいた。


 「兄上、この炭を掘りすぎたらどうなる?」

 久信の問いに、義信は即座に答えた。

 「炭がなくなれば、国の力も尽きる。だから掘る速さを決めるんだ」


 久信はしばらく考え、砂糖袋を指さした。

 「じゃあ、甘いものも数を決めて食べるんだな」


 その言葉に藤村は思わず笑った。子どもの遊びにも、資源管理の本質が滲んでいた。


―――


 こうして資源管理の理論は、数字と人、北と南を結びつけながら形を成していった。


 札幌の煙突から立ち上る煙と、台湾の製糖所から漂う甘い香り。その両方が、同じ理念のもとで日本を支えていた。

江戸の藤村邸。秋の午後、縁側の前に木机が据えられ、上には北海道から運ばれた黒々とした石炭の塊と、台湾から届いた白く輝く砂糖の結晶が並んでいた。


 「これが、北と南の力だ」


 藤村は子どもたちに向かってそう言い、両方を手のひらに載せて見せた。


 義信は真剣な眼差しで石炭を手に取り、掌で転がす。

 「……軽そうに見えるのに、重い。火をつければ長く燃えるのは、この密度のせいだ」


 傍らに置かれていた絵図を覗き込み、採掘坑道の断面図に指を走らせる。

 「ここで空気を通し、ここで水を抜く。仕組みを工夫しなければ、人も石炭も生き残れない」


 教育係は驚きに息を呑み、藤村は内心で頷いた。まだ七つにも満たぬ子が、石炭をただの黒い石ではなく「燃料」として理解し、図面を通じて構造を把握しているのだ。


 久信は一方で、砂糖の結晶を手に取っていた。光を反射してきらきらと輝く粒をしばらく眺めた後、そっと舐めてみる。

 「……甘い!」


 顔をほころばせ、周りの侍女や書役に見せて回る。

 「これは人を喜ばせる力がある。みんなに分ければ、笑顔になるんだ」


 幼い言葉ではあったが、場を包んだのは確かな温かさだった。義信が「知」を伸ばすなら、久信は「和」を広げる。その対照が、かえって鮮やかに浮かび上がる。


 縁側からその様子を見守る藤村は、静かに呟いた。

 「北の煙は力を、南の甘味は潤いを……。そして子らの目に宿るのは、未来のかたちだ」


 秋風が庭の萩を揺らし、石炭の黒と砂糖の白が夕陽に照らされて、まるで北と南が一つに重なった象徴のように輝いていた。

秋も深まった江戸城西の丸。評定所の広間には、蝋燭の灯に照らされた地図が広げられていた。北の札幌と南の台南、その間を繋ぐ航路が赤い線で描かれている。


 藤村晴人は扇を閉じ、集まった重臣たちに言葉を投げかけた。


 「北の炭は煙を立て、工廠を動かす。南の糖は甘味となり、外貨を呼び込む。――両方が揃ってこそ、日本は歩めるのだ」


 勝海舟が笑みを浮かべ、扇で肩を叩いた。

 「まったくだな。昔は“借金地獄”に沈んでいたのに、いまや自分の力で北と南を回している。……大したもんだ」


 榎本武揚からの報告文が読み上げられる。札幌の石造庁舎は完成し、労働者の住まいも改善された。炭鉱は規律正しく働き、収益は前年の倍に達した。


 続いて、台湾からの報告。近藤勇と土方歳三の筆致は異なるが、共に「現地住民と手を取り合い、治安は落ち着き、糖の収益も安定」と記していた。


 広間の空気は重くも温かい。財政官も外交官も軍人も、同じ地図を見つめていた。


 「北を支えるのは石炭の黒、南を潤すのは砂糖の白。その両方を手にした今こそ、日本は新しい色を得た」


 藤村の言葉に、一同が深く頷いた。


―――


 夜、藤村邸の書斎。子どもたちは既に眠りについていたが、机の上には炭と砂糖の小さなサンプルが置かれていた。


 藤村は炭を手に取り、指先を黒く染めながら呟いた。

 「これは冷たい石だが、国を温める炎を宿す」


 次に砂糖を掌にのせ、白い粒を見つめた。

 「これは甘き粉だが、国を動かす銭を生む」


 異なる二つの色と質感が、一つの未来を形づくる。


 篤姫が茶を運びながら言った。

 「殿、子らは今日も“炭と砂糖の国”と呼んで遊んでおりました」


 藤村は笑みを浮かべ、深く息を吐いた。

 「子どもの遊びの中に、未来が映るのかもしれぬな。北と南、その両輪を繋ぎ続ければ、この国は止まらぬ」


 外には秋の虫の声。窓の外に広がる夜空の下で、炭の黒と砂糖の白が、確かに新しい日本の輪郭を描き始めていた。

秋風が江戸の町を渡り、評定所の障子を揺らしていた。広間の中央には大きな地図が広がり、札幌から台南へと伸びる赤線が一本の血管のように走っている。


 藤村晴人はその地図に手を置き、深い声で言った。

 「北の炭は国を動かす心臓の鼓動、南の糖は国を潤す血液。二つを繋いでこそ、この国の体は生きる」


 重臣たちの間に、静かなざわめきが広がった。榎本武揚から届いた報告には、札幌石造庁舎の完成と、労働者住宅の改善による炭鉱労働効率の飛躍が記されていた。石炭の黒い煙が、いまや規律と秩序をもって立ち上っている。


 続けて読み上げられたのは、台湾からの文。近藤勇と土方歳三の筆で「住民との協働が進み、治安は安定、糖の収益も確実」と報告されていた。南国の白い砂糖は、もはやただの嗜好品ではなく、国家を支える収入源として積み上げられていた。


 勝海舟が扇を畳み、笑いながらつぶやく。

 「黒と白が揃ったか。……借金に追われていた頃が遠い昔に思えるな」


 渋沢栄一は机上の帳簿を示し、淡々と続けた。

 「炭鉱益四十万両、砂糖益二十五万両。外貨収支は劇的に改善しております。数字に偽りはありません」


 広間にいた者たちの眼差しは熱を帯びていた。


―――


 その夜、藤村邸の書斎。机の上には炭の塊と砂糖の結晶が並べられていた。黒と白、冷たさと甘さ。その対比を見つめながら、藤村は掌に乗せた。


 「炭は冷たくとも炎を宿し、糖は甘くとも銭を動かす。……国を支えるのはこの二つだ」


 篤姫が湯を運びながら微笑む。

 「子どもたちは今日も“炭と砂糖の国”と呼んで遊んでおりました」


 藤村は小さく笑い、窓外の闇を見やった。遠くに灯る江戸の火は、石炭に支えられ、砂糖で豊かさを得る人々の暮らしそのものだった。


―――


 数日後、列強の使節団が横浜で開かれた通商会議で口を揃えた。

 「日本は資源を自ら管理し、すでに欧州諸国と肩を並べている」

 「極東の小国ではなく、新興の資源大国だ」


 彼らの視線は変わっていた。もはや日本を“買う側”としてではなく、“取引する相手”として見ていたのだ。


 藤村はその報せを受け、静かに筆を取った。帳簿の余白に、一行だけ書き記す。

 「北の煙と南の甘味――これを絶やさず、国の命脈とせよ」


 墨痕は濃く、力強く紙を染めた。その筆跡のごとく、日本の未来もまた確かに刻まれつつあった。

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