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はるかな物語外伝2「一週間」  作者: 東久保 亜鈴
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第13話 帰宅

光一の運転する車の中で、春彦は始終ご機嫌だった。


好きな車の助手席に乗れたのと、この後、舞を迎えに行けると思うと尚更、笑みがこぼれてきていた。


「まあ、春ちゃん、ご機嫌だこと。」


春彦の様子を見て悠美は思わず笑みをこぼす。


光一の車が春彦のアパート前に着くと、悠美とキクが車から降り、光一が春彦の荷物をアパートに運び込んだ。


「悠美の荷物は?

 今日、ここに泊るんだろう?」


「うん。

 今日の分は、分けておいたの。」


そういって手提げバッグを見せた。


「車の中のスーツケースは、そのまま持って帰ってね。

 それで、スーツケースの中に制服が入っているんだ。

 くしゃくしゃになっちゃうから、家に帰ったら出して部屋に吊って置いて。」


「ああ、母さんに言っておくよ。」


「うん、じゃあ気を付けてね。」


「任しておけって。」


そう言って、光一は春彦を乗せ、病院に向かって車を走らせた。


悠美は、アパートに入ると、カーテンを開き、換気のために窓を開けた。


窓から冷たいが新鮮な空気が部屋中に流れ込み、よどんだ空気を吹きとばしていく。


「うーん、空気が美味しいわ。」


悠美は窓際で深呼吸した。


部屋の中は、舞を救急車で病院に運んだあと、入院や立花家に泊る準備で、アパートに戻った時にある程度片づけをしておいたので、綺麗なままだった。


「舞ちゃんと春ちゃんのお蒲団干したいなぁ。

 シーツも洗っちゃいたいけど、今、10時でしょ。

 乾かないかな。」


「悠美さん、乾燥機があるじゃない。

 それを使えば?

 乾燥機用の柔軟剤もあるから、大丈夫じゃない?

 それに布団乾燥機もあるし。」


キクが辺りを見渡していった。


「そうですよね。

 この際、お日様にこだわらなくても、洗っておいた方が気持ちいいですよね。

 うん、そうしよう、そうしよう。」


やることを決めると悠美の行動は早かった。


押し入れの中にしまってある舞と春彦の布団を取り出し、シーツや掛布団カバー、ピロケースをはがし、洗濯機の中に突っ込み洗濯をはじめると、敷布団や掛布団をベランダに並べた。


「さて、次は、部屋の掃除、掃除。」


あまりの手際よさに、キクは呆然としていた。


「いけない、いけない。

 つい、ぼーっとしていたわ。

 悠美さん、私も何か。」


キクは、悠美に話しかけた。


「キクさんは、冷蔵庫のチェックをお願いします。

 賞味期限の切れたものがあったら、捨てなくちゃならないし、そうそう、お米は大丈夫かしら。」


「わかったわ。

 こっちは私が引き受けるから、悠美さんはお掃除、お願いね。」


「はーい。」


悠美は笑顔で返事をした。


キクも悠美も前回来た時に冷蔵庫の中とか確認していなかった。


キクが冷蔵庫を開けると、中を見てショックを受けた。


冷蔵庫の中には、春彦ようと思われるプリントヨーグルトが少しだけ入っているだけで、他の食材はほとんどなく、がらーんとしていた。


野菜室もしおれた葉物と痛みかけたトマトが入っているだけだった。


「……。」


冷蔵庫を見て押し黙っているキクを見て悠美が不審に思い、キクの肩越しに冷蔵庫の中を覗き込んだ。


「え?」


悠美は、殺風景な冷蔵庫の中を見て、思わず声を上げ、次に米櫃の入っている台所の下を覗き込んだ。


そこには、申し訳なさそうな量のお米、日本酒の一升瓶の空瓶が数本転がっていた。


食器棚の下の棚にいつもはお菓子や煎餅が入っていたのだが、それも空だった。


「……。」


舞は、忙しさと寂しさから、春彦の分の食事は作ったが、自分は食欲がわかず、少しの惣菜、つまみの類とお酒で済ましていたのだった。


悠美やキクには、やつれながらも春彦にご飯を食べさせ、春彦の笑顔だけを楽しみに酒を飲んで、悲しみ、寂しさを紛らわせている舞の姿が想像できた。


「よほど、精神的に参っていたのね…。」


キクが、ぼそっと言った。


「私がもっとちゃんと様子を見に来ていれば良かった…。

 ちょうど推薦の面接やテストで最近、ここに来ていなかった…。」


悠美は自分が様子を見ていれば、もしかしてお腹の子もちゃんとしていたかと自分を責めた。


「悠美さん…。」


今にも肩を落として悔し泣きをし始めそうな悠美の肩に、キクはそっと手を回した。


「私もそうよ。

 たまに来ても、冷蔵庫の中とか、ちゃんと食事をしているのか確認していなかったの。

 仕方なかったのよ、全て…。」


「キクさん…。」


キクの言葉を聞いて悠美は顔を上げた。


「そうですね。

 今更、くよくよしても仕方ないですね。」


悠美は泣き笑いのような顔を見せ、キクに言った。


「悠美さん…。」


「ねえ、キクさん。

 私、少しお小遣い持ってきているので、掃除が済んだら、一緒に冷蔵庫がパンパンになる位、食べ物を買いに行きませんか?」


悠美のその言葉を聞いて、キクは大きく頷いた。


「ええ、そうしましょう。

 悠美さんは大丈夫よ。

 今日は、うちの人から軍資金をたくさんもらってきたから、うんとたくさん買っちゃいましょう。

 そして、冷蔵庫をいっぱいにして舞さんを驚かせましょう。

 ついでにお菓子とかもね。」


「はい、そうしましょう。」


悪戯っぽく笑うキクを見て悠美も元気になっていた。


その頃、病院ではサキが入院費、治療費の会計を済ませていた。


「お母さん、ごめんね。

 いろいろ世話を掛けちゃって。」


「何を言ってるのよ、水臭いこと言わないの。

 その性格が駄目なのよ。」


サキは、相談してくれれば今回のようなことにはならなかったのにと言葉に出しそうになったが、今の舞にはあまりにつらい言葉になるので、出かかった言葉を飲み込んだ。


「おかあさーん。」


病院の入り口の方から、春彦が笑顔で手を振りながら小走りに駆け寄ってきた。


「春彦。」


舞は春彦の名前を呼び、両手を広げ、春彦を抱きしめた。


「ほら、春彦、お母さん、まだ、ふらふらなんだから、力入れて抱きついちゃだめだよ。」


光一がそう言って近づいて来た。


「ふらふら?

 まあ、失礼ね、って言いたいところだけど、まだ力が出ないから本当のことね。

 光一、ありがとう、迎えに来てくれて。」


「どういたしまして。」


光一は、おどけるようにお辞儀をして見せた。


「おばあちゃん、会計、もう終わったの?」


「ええ、済んだわよ。」


「じゃあ、アパートに戻ろう。

 荷物は、これで全部かな?」


光一はそう言って舞の足元の着替えや日用品の入ってるバックを担ぎ上げた。


「あら、ありがとう。」


舞は、光一に向かって笑顔で礼を言った。


その笑顔は、悠美の様に人を惹きつけるいつもの舞の笑顔だった。


「さ、行こう。

 おばあちゃんも荷物は大丈夫?」


光一は、舞の笑顔に照れた顔をごまかすようにサキに声をかけ、そして4人は車に乗り病院を後にする。


「一週間、あっという間だったわ。」


舞は遠ざかる病院を見ながらつぶやいた。


舞にとっては、一人で今までの自分と向き合い、これから前を向いて生きていくことを考えていた貴重な一週間だった。


それもこれも、悠美の一言から気持が変わったのだった。


(まだ、春彦がいるんだからねってか…。

 その通りよね。

 この子をしっかり育てないと、繁さんたちに怒られちゃうわ、)


舞は心の中でそう言いながら、助手席で楽しそうに外を眺めている春彦の横顔を見ていた。


「そう言えば、悠美とお義母さんは?」


舞は、ふと気になって光一に尋ねた。


悠美はわかっていたのだが、キクまで来るとは病院で光一から聞くまで、舞とサキは知らなかった。


「ああ、二人なら、アパートを掃除して舞ちゃんを待ってるって、アパートで。」


「ええー?!

 悠美ならいいけど、お義母さんまでまさか掃除させてないでしょうね?」


舞は、驚いたように言った。


「それは大丈夫でしょう。

 悠美なら、キクさんを座らせて、全部自分でやるはずよ。」


サキが、大丈夫という顔で言った。


「そうね、悠美なら大丈夫か。」


舞は納得したようにうなずいたが、心の中は穏やかではなかった。


そして、アパートに近づくにつれ、舞は気持ちが重くなってくるのを感じていた。


その理由は、これから帰るアパートでお腹の子を流産させてしまった後悔と、それを春繁が怒っているのでは、また、手に抱くことが出来なかったお腹の子が舞を責めているのではという自責の念があったからだった。


(あなた、ごめんなさい。

 お腹の赤ちゃん、ごめんなさい…。)


いくら前を向いて生きていこうと心に決めても、やはりなかなか割りきれるものではなく、舞はそんなことを考えながら、車窓の移り行く景色を、ただ眺めていた。


アパートでは、洗濯、布団干し、掃除と全部悠美がやっていた。


キクは自分もやると言い張ったので、悠美ははたきをかけるのだけをキクに頼んでいた。


掃除が一段落すると、二人して近所のスーパーに買い出しに出かけ、大荷物をふうふうと息を切らせて買ってきて、冷蔵庫にしまったりするのが、重労働だったが、その甲斐があって、冷蔵庫の中、流しの下の収納庫、お菓子置き場と食べ物でいっぱいになっていた。


「光ちゃん、待ってればよかったですね。

 荷物持ちに。」


「ふふふ、でも、それじゃびっくりさせられないでしょ。」


キクは椅子に座って笑いながら言った。


「そうですね。

 でも、これだけあれば、2、3週間買い物行かなくても大丈夫ですね。」


「あら、だめよ。

 お野菜とか生ものは持たないでしょ。

 それはそうだけど、悠美さん、意外と力持ちね。

 お米とか重たくなかった?」


「ええ、大丈夫ですよ。」


「そんな、華奢な腕で。

 さすがは、若さね。」


悠美は細身だったが、意外と力持ちで、重たいものは自分が持ち、かさばるけど軽いものをキクにと分担していた。


「さあ、そろそろ帰って来るわね。」


時計を見ると、昼の1時を回っていた。


「きっとお腹をすかせて帰って来るんじゃないかしら。

 春彦ちゃんも、舞さんも。

 お湯を沸かしておこうかしら。」


そう言ってキクは立ち上がり台所に立った。


「そうですね。

 じゃあ、私は買ってきたお弁当とかケーキを並べていますね。」


悠美はそう言ってキクの横で台ふきんを濯ぎ、テーブルを拭いて、スーパーの袋から買ってきたお弁当や総菜を並べ始めた頃、1台の車がアパートの前に止まり、春彦達の声が聞えてきた。


「あ、帰って来た!!」


悠美とキクは顔を見合わせ微笑んだ。


「光ちゃん、車大丈夫?」


車から降りたサキが光一に尋ねる。


サキは、路上駐車を気にしていた。


「ああ、ここに止めておいても道幅広いから、大丈夫だよ。

 それに、何かあればすぐにどければいいから。」


光一は、トランクルームから舞の荷物を出しながら答えた。


「ねえ、お母さん。

 早く家に入ろうよ。」


「はいはい。」


春彦に手を引かれていたが、舞はアパートに入るのを躊躇うように足取りが重かった。


サキたちはそんな舞を、まだ体の調子が悪くいつものように歩けないのだろうと思っていた。


「ほら、春彦、お母さんはまだ調子が戻っていないんだから、引っ張っちゃだめだよ。」


光一が、笑いながら春彦に言った。


しかし、舞は部屋に近づけば近づくほど、心が重く、足取りも重くなってくる。


どうしても、滅多に怒ったことのないというか、一度も怒ったことのない春繁の険しい顔を想像していた。


(あなた、本当にごめんなさい。

 大事な赤ちゃんを…)


そう思っているといきなり春彦に後ろから背中を押されていた。


「ちょっと、春彦。

 そんなに押したら…。」


そんな舞の気持ちを知らずに春彦は途中から舞の後ろに回り背中を押して、玄関の前に連れてきて、そしてドアを開け、中に舞を押し込んだ。


舞は、顔をそむける様に背中を押す春彦の方を振り向いていた。


「舞ちゃん、お帰りなさーい!」


玄関ドアに一歩踏み込んだ時に、悠美の明るい声が聞こえ、舞は、悠美の方に振り返った。


舞の眼に飛び込んできたのは、部屋中に日の光が差し込み、その中で、優しく微笑む悠美だった。


そこは悠美だけではなく、春繁やお腹にいた赤ん坊が舞の帰りを喜んでいるような温かな光に包まれた部屋だった。


「た…、ただいま…。」


舞が、玄関を上がったところで立ち尽くしていると、悠美が舞のところに歩み寄り、そっと舞を抱きしめた。


「舞ちゃん、お帰り。

 みんな、待っていたわよ。」


「悠美…。」


舞は一瞬声が出なかった。


「悠美…。

 ごめんね、そして、ありがとう」


「何、謝っているのよ。

 舞ちゃん、謝ることなんか、何もないわよ。

 一生懸命、頑張っていたじゃない。」


「悠美…。」


舞は年下の従妹が自分にとって誰よりも心が許せ、自分のことを救ってくれるかけがえのない存在だということを痛切に実感し、目頭が熱くなるのを感じていた。


二人のやり取りを聞きながら、キクやサキは目頭が熱くなるのを感じた。


「さあ、皆さん、お腹が空いたでしょう。

 お弁当で申し訳ないのですが、お昼にしましょう。」


「まあ、用意して頂いて、申し訳ございません。」


サキは丁寧にキクにお辞儀をした。


「舞ちゃん、食べ物は大丈夫なんでしょ?」


「そうね、まだ、刺激が強いものは控えてくださいって言われているけど、他には特に大丈夫。」


「じゃあ、座って、座って。

 春ちゃんは、唐揚げの入ったお弁当買ってあるわよ。

 手を洗って、座って食べましょうね。」


てきぱきと指示する悠美に、皆、当たり前のように従っていた。


キクも一週間悠美と暮らしていたので、それが当たり前のようになっていた。


それから、舞を囲み、春彦、悠美、キクにサキ、そして光一とにぎやかな昼食の食卓になった。


話しはもっぱら、悠美が泊まっている間の春吉の話で盛り上がっていた。


「そうなのよ、あの人ったら、毎日毎日、悠美さんのことをぼーっと見とれちゃって。」


「ええー、なんでぇ。」


「それは、お前がドジばっかりするからだろう。」


「ひどいな、光ちゃん。

 ドジらなかったわよ。」


「そうですよ、悠美さん、てきぱきとお手伝いしてくれて、それはそれは大助かりだったんですから。」


「えへへへへ。」


「お義母さん、そんなに褒めると、この子は直ぐに頭に乗りますからだめですよ。」


「舞ちゃん、ひどい。」


大笑いする一同を春彦はお弁当を食べながらニコニコして見ていた。


昼食が済み、一休みすると、まず、光一とサキが車で帰って行った。


最初は、キクを送って行くと言ったが、キクは夕飯の買い物をしていきたいから電車で帰ると辞退した。


「さあ、じゃあ、私もそろそろ帰りますね。」


「お義母さん、いろいろとすみませんでした。」


頭を下げる舞の手を取ってサキはニコッと笑って言った。


「気にすることないわよ。

 いつでも、お手伝いに来るからね。

 悠美さん、いろいろありがとうございました。」


キクは、悠美の方を向いて頭を下げた。


「そんなキクちゃん、気にしないでください。」


「こら、悠美。

 お義母さんを“ちゃん”付しないの。」


慌てて注意する舞を、キクは制した。


「いいのよ。

 悠美さんが“ちゃん”付するのは、親しい人だからでしょ。

 私、その方が嬉しいわ。」


「えへへへ。」


「まあ。」


照れ笑いする悠美に舞もつい笑みを漏らした。


その夜、悠美の作ったハンバーグをお腹いっぱい食べた春彦は、舞と悠美のいる安心感と疲れから、そして自分の布団という3点が揃い、布団に入ってすぐに寝息を立てはじめた。


「まあ、春ちゃん、もう寝ちゃった。

 春ちゃんも、いろいろあったから疲れちゃったのね。」


悠美はそう言いながら、春彦の掛布団をかけなおしていた。


「でも、悠美が一番大変だったんじゃない?

 疲れてない?

 体調は大丈夫?」


「大丈夫よ。

 それより、晩酌は?」


「え?

 ああ、今日は止めておくわ。」


「でも、退院祝いに一口位なら…。」


「あら、悠美も言うようになったわね。

 じゃあ、ほんの一口だけ飲もうかしら。」


「うふふ、そうじゃなくちゃ。

 ちょっと待っててね。

 湯呑でいいかしら?」


「ええ、何でもいいわよ。」


甲斐甲斐しく用意をする悠美を見て、舞は何だか不安になっていた。


何か悠美の姿が透けて見えるような気がして。


「はい、お待たせ。」


悠美が湯呑に入れた日本酒を舞の前に置いた。


「わあ、ありがとう。

 上げ膳据え膳ってこのことね。」


「大げさな。」


笑う悠美に舞はもう一度訪ねた。


「ねえ、あなた、体調大丈夫よね?」


「何言っているの。

 大丈夫よ。」


「私…、あなたまでおかしくなったら…。」


舞は、目頭が熱くなるのを感じた。


「舞ちゃん、何泣いているのよ。」


「泣いて何ていないわよ。

 久し振りのお酒で、酔っただけよ。」


「大丈夫、私が舞ちゃんと一緒に春ちゃんを見ててあげるから。」


「あら、いい人が出来たら?」


「その時はその時。」


悠美は寂しそうに笑った。


「ごめんね。」


「ううん、舞ちゃんも寂しいもんね。」


「まったく。」


「だから、二人で頑張ろうね。」


「そうね、じゃあ、これからもよろしくね。

 悠美と話をしていたら元気になったわ。」


「わたしも。」


二人はお互いの顔を見合わせ、微笑んだ。


その夜は雲一つない穏やかな満月の夜。


月の光が、まるで春繁の優しい視線のように、3人のいるアパートを優しく照らしていた。




それから1年経ち、春繁の一周忌が済んだ数日後。


春吉の家で舞の怒号が木霊する。


「な、何ですって!

 いくらお義父さんでも言っていいことと、悪いことがあります!!」


「そうよ、あなた。

 なんて言うことを」


キクも舞の肩を持つ。


「わからん奴だな。

 だから、もう、春繁のことは忘れて、他に幸せを見つけろと言っているんだ」



事の発端は、一周忌の法要が終わり、いつものように舞が春彦を連れて、遊びに来ている時だった。


いつもなら、直ぐに舞と酒を飲みはじめ愉快で楽しい宴席になるはずが、その日は珍しく真顔で春吉は姪に話しかけた。


「なあ、舞さん。

 春繁のことを好いてくれてありがとう。」


いきなり頭を下げる春吉に舞は面食らう。


「お義父さん、どうしたんです?

 何か、悪いものでも召し上がった?」


「いや。

 舞さんと付き合い付き合い始めてから、春繁は人が変わったように明るくなった。

 なあ」


春吉がキクに同意を求める。


「そうですとも。

 本当に明るく活き活きして。

 舞さんに結婚を申し込むときなんて、面白いくらいに落ち着かなくて。

 ‟どうしたの?‟って問い詰めたら、結婚を申し込むのだけど、断られたらどうしようって、言うのよ。

 付き合って何年も経って、うちにも平気で遊びに来ているのにって。

 そうしたら、それとこれとは違うって。

 遊びじゃなくて、凄くまじめなことなんだからって言うのよ。

 まあ、本当のことだけどね」


「へえ、そんなことが…」


(確かに、プロポーズの時、凄く真剣な顔をしていたなぁ)


その時の春繁のそれまで見せたことのない真面目な顔で「結婚してください」と言った姿を思い出し、顔をほころばせる。


「それでな…」


春吉の重い声に、舞ははっと身構える。


「舞さんも、まだまだ若い。

 どうだろう、1周忌も過ぎたことだし、そろそろ、気持ちの整理がついたころだと思う。」


「お義父さん、どういうこと?」


「もう、春繁のことを忘れてもいいのではないか?

 舞さん、美人だし、いい男がすぐに現れるだろうに。

 新しい幸せを見つけてもいいのではないか?」


「いやですよ、お義父さん。

 私には、繁さんしかいないですって」


「慰謝料は、我家にあるだけだす。

 それに、春彦はうちで引き取る。」


「あ、あなた。

 何をいきなり?!」


キクが驚いた声を上げる。


確かにここ数週間、なにか考え込んでいるように見えていたが、まさかそんなことを春吉が考えているとは、キクにもいっさいわからなかった。


「流産した子もきっと、春繁が舞さんの次の幸せを考えて、連れて行ったのだろう」


その一言で、舞の怒りの炎を点火させる。


それは生まれて初めてと思えるくらいの怒りだった。


「な、何ですって!

 いくらお義父さんでも言っていいことと、悪いことがあります!!」


「そうよ、あなた。

 なんて言うことを」


「うちの人が、お腹の子を連れて行ったですって?!

 よくそんなことが言えるな。

 鬼畜生!

 このくそ爺。

 うちの人が、うちの人が、そんなことする人ですか。

 あんた、それでも繁さんの、うちの人の親ですか。

 あきれてものが言えないわ。

 このくそ爺」


「く、くそ爺だと?!

 お前の方が、わからずやだろう。

 生活に困らないようにお金を渡すって言っているんだ」


「手切れ金のつもりかよ。

 爺。

 私と繁さんの仲を金で引き裂くつもりか。

 よくもよくも、お腹の子まで侮辱してくれたわね!」


目を吊り上げ真っ赤な顔をして怒号を発する舞に手が付けられないと、春吉は春彦の方を向く。


「春彦。

 お前はいいだろ?

 おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らして」


「あ、あなた、そんなことを」


「お…」


そこで話の意味が分かった春彦は、涙をいっぱい溜めた顔をする。


「お父さんは、人殺しじゃない。

 お母さんのおなかにいた子供を、僕の妹か弟を勝手に殺して連れて行く人じゃない」


そこで、春吉は初めて自分の言ったことの誤りに気が付く。


「は、春彦…」


「春彦、帰るよ。

 こんな人でなしの顔なんか、二度と見たくない」


戸惑いを見せる春吉を後目に、舞は春彦を急き立て、春吉の家を出る。


「ま、舞さん。

 待ってぇ」


玄関を出たところでキクが追いつく。


「ごめんなさい。

 あんなことを言う人じゃなかったのに、とんでもないことを口にして。

 堪忍して」


振り向いた舞の顔は怒りではなく、寂しそうな顔をしていた。


その顔を見て、キクは息をのむ。


そして、舞はゆっくりとキクに深々とお辞儀をして見せる。


それを見て、春彦もぺこりとお辞儀をして見せる。


顔を上げると舞は、キクに背中を向け駅の方に向かって歩き出す。


そして、二度とキクの方を振り返ることはなかったが、春彦は舞と手をつなぎながら、何度か、キクの方を振り返っていた。


キクも、掛ける言葉が見つからず、その場で立ち尽す。


その間を、赤とんぼが何も知らずに飛び交っていた。


はるかな物語外伝2「一週間」をお届けしました。

春繁かいなくなり、その悲しみと悠美との一週間が春彦の心に大きな影響をもたらせました。

その影響について、続きは本編で紹介していきます。


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