クラスペディアのイヤリング①
「ふぅ……こんなものかしらね」
その女性はすみれ色の髪を頭頂部でお団子にして、そのお団子の下からさらに髪の毛が腰まで垂れ下がっていた。鳥の羽根の刺繍が施されたマーメイドスカートのワンピースの裾が風でゆらゆらと揺れている。窓から入ってくる森の春風は爽やかで、緑の匂いがした。
漆喰の壁に囲まれた部屋の中には天井まで届きそうな木製の棚が所狭しと幾つも並び、その棚には色とりどりの鉱石や鳥の羽根や花が硝子の瓶におさめられて並んでいる。すぐにでも使えるように並び方は工夫され、瓶の中身たちで美しい色相環を描いていた。まるで虹の輪っかである。
「あー……やっと終わった……引っ越し完了!」
彼女は思い切り腕を天井に向かって伸ばすと、そのまま背中から後ろにあるベッドへ倒れ込んだ。「ふぅ」と大きく息をひとつ吐き出し、新品おろしたての羽毛布団に身を預ける。骨組みが丸見えの天井を見つめていると開放的な気持ちになれた。かつて自分を押し潰すように存在していた天井は今は何処にもない。やはり天井の無いように設計してもらって正解だった。羽を伸ばせる場所があることで色々なことが上手くいく。彼女はそういった質だった。
「疲れたし……ちょっと寝るかな……」
そば殻の入った硬めの枕を手繰り寄せ、彼女は頭を枕の上に置いた。ザクザクと頭を動かす度に鳴るそば殻の音が心地よい。窓から入ってくるそよ風と陽射しの奏でる子守唄に彼女の瞳は次第に細まっていき、終いには瞼が閉じてしまった。
窓の近くに飾られたクリスタルのサンキャッチャーが日光を屈折させて、板目の床にプリズムを描いている。骨組みの木から吊るされたシーグラスが風に煽られ、揺れて、軽くぶつかり、しゃらんしゃらんと穏やかな音を立てていた。それ以外の音といえばベッドですっかり眠りこけている彼女の寝息くらいなものだ。
無駄な音が何一つない静かな場所。
彼女が望み続けて止まなかった場所。
やっと手にした場所。
その代償は決して軽いものではなかったが、自分を犠牲にするよりはマシだった。
「……これでやっと、アンタらしくいられるな。ヴィオラ」
突如現れた雄孔雀のように派手な身なりの青年は、夢の中にどっぷり浸かっている彼女にそう語りかけた。
❋❋
ヴィオラが引っ越してきた森は近くの村の名前を取って「テランの森」と呼ばれていた。一般的な森とは一線を画するそこは、村に住む人々たちが材木や木の実やキノコを採取し、流れる小川に釣り糸を垂らして魚を獲るなど、非常に人と森の距離が近い場所であった。彼らにとってこの森は畏敬の念を抱く場所であると同時に生活圏の一部なのである。
しかし森の中に住むほどの気概は持ち併せていない。森はあくまでも出かける場所であり、定住する場所ではなかったのだ。そのためヴィオラが森の奥に家を建ててほしいと村の大工に頼んだときは多くの人々が驚いた。どこからかやって来たよそ者が村ではなく村近くの森に居を構えるという話は村中へあっという間に広がった。
最初こそこんな田舎にやってきたヴィオラを怪しむ者も多かったが、家が出来るまでの間泊まっていた宿の主人の子どもたちは見知らぬ土地からやってきたヴィオラに興味津々であった。ヴィオラがあまりにも外に出ないものだから、子どもたちは不思議に思い泊まっている部屋に侵入した。もちろん、ヴィオラが部屋を空けている合間に。
ヴィオラが泊まっている部屋に置いてあるのは備え付けのベッドに椅子に机、それ以外に彼女の持ち物と思われる大きめのトランクが二つ。その片方は机の近くに開いたまま置かれていて、机の上は布を敷いた上にキラキラと輝く石やそれらを加工するための道具が転がっていた。
「あら、私の仕事に興味があるのかしら?」
戻ってきたヴィオラに子どもたちは怒られると危惧したが、ヴィオラは穏やかに笑うばかりで怒る気配など微塵も感じられなかった。やはりこの人は不思議な人だと子どもたちが感じていると、ヴィオラは使っていた椅子に座って彼らを手招きする。
「こっちにおいでなさい。もっと近くで見ていいわよ」
子どもたちはその言葉に一気に笑顔になり、駆け寄るとヴィオラが机に向かって作業する様子をじっと見つめた。ヴィオラの真剣な眼差しに質問することすら憚られたのだ。石ノミと木槌を駆使して輝く石をざっくりと理想の形に加工し、金属ヤスリで粗く角を取ると最後は紙ヤスリで石に曲線を与えながらピカピカに磨き上げる。太陽の光を翳すと眩しく光る石を見てヴィオラは満足げに笑った。
「できたわ。ほら、ご覧なさい。石の中に何か光るものがあるでしょう?これは日光石というのよ。日光石は日の光を閉じ込めてある石なの。日の光を砕かないようにするのが難しいところなのよ」
そうヴィオラから解説を受けた子どもたちはしばらく呆けたあと、「魔宝飾技師さんだ!この人は魔宝飾技師さんなんだ!」と大騒ぎをしながら廊下を走り回り、階段を下り、村の広場まで走っていった。
ぎゃいぎゃいと騒ぎ立てる子どもたちは何事だと大人に問いかけられ、先程見たものを全て大声で話した。
「魔宝飾技師!あのよそから来たおねーさんは魔宝飾技師さんなんだ!」
「魔宝飾技師?!」
「魔宝飾技師だって!?」
するとそれを聞いた老人から若者までが宿に殺到。その様子を見た他の村人も殺到。一番驚いたのは宿の主人だ。狭い宿に村人のほとんどがやって来るなどただ事では無い。彼らの目的の人物になっているヴィオラは「……はぁ」と、この大騒ぎに呆れるしかなかった。
こんな田舎に魔宝飾技師がいるのはとんでもない事なのだ。殆どの魔宝飾技師は王侯貴族に仕えるか輸出用の魔宝飾を作るために大きな街に住んでいるからである。しかもヴィオラは旅行のためにこの村に滞在しているのでは無い。森の中とはいえ、村の近くに定住することが決まっているのだ。
村の人々はヴィオラをよそ者というだけで奇異の目で見ていたことを詫び、望むならならずっとここに住んでいいと告げた。ヴィオラはその言葉に笑顔で「ありがとう!」と答え、そんなヴィオラを宿の主人の子どもたちは「おれたちのおかげだな!」と言いたそうに陰からその様子を見ていた。
それからヴィオラは村の人々から注文を受けて魔宝飾を作るようになったのである。
グッドハーブニング!如月霜子です!
一話のみならず二話までお読みくださりありがとうございます。今回はヴィオラがこれまで住んでいた場所から引っ越し、周囲の人々とどう打ち解けたのかをさらっと描きました。彼女が以前どこにいたかは……まあ後々ということで(笑)
魔宝飾技師は一話にある通り、国家資格になってからはなりたい人は多いもののなれる人が非常に少ない職となっています。そのためこんな田舎くんだりにいるのはこの国において珍しい事なのです。
だから手のひらを返したように歓迎されるという()
ではまた次のお話で会いましょう!さよなら〜!