【022】代表、当たり前に回避する
閣下は「ワインでも……」と仰いましたが、劇薬をかけられる可能性もあるので、液体攻撃は全て回避することに ―― そう決めたことを、側にいるディートリヒ大佐に告げる。
「劇薬攻撃ですか」
いつもは上官口調ですが、ただいまわたしは少佐ではなく閣下の妻……という立場なので、大佐の言葉使いは丁寧になっております。
「はい」
他に側にいるのはハインミュラー。
こいつは大統領夫人の護衛なので。もう一人の護衛であるエサイアスは、仲間たちと一緒です。ハインミュラーが側にいる理由? それはコイツがブリタニアス語を話せないから。いや、エサイアスがあまりにも流暢にブリタニアス語を操れるので残ったというべきだ。
「大統領夫人に付き従ってブリタニアスに行くと聞いてから、急いで勉強したんだ」とエサイアスは爽やかに笑っていた。ハインミュラーもエサイアスと一緒に命じられたのだが……頭の良さがな。ただハインミュラーの気持ちは分かる。というかハインミュラーが一般的で、エサイアスは語学に関して閣下寄りなのだろう。
これは生まれ持った才能だから仕方ない。
わたしとハインミュラーは狙撃に特化しているから、語学能力が! そういうことにしておく! エサイアスは銃器の扱いも得意だけどね。
「劇物入手の伝手があるとは思えませんが」
悪意を持ったヤツに「香水でもかけてやればいい」と硫酸入りの瓶を手渡されている可能性だってある。
「彼女たちを使って攻撃をしかけてくることは、あると思うのですよ。言葉は悪いのですが、貴族令嬢は自らが起こしたことがらが、傷害であるという自覚すらないでしょうし、なにより液体を調べるということをしないと思うのです」
「たしかにその辺りの行動に関しては、無責任であり無知ですね」
「はい。そこでわたしは避けますので、かけようとしてくる相手を前もって確保しなくても大丈夫です。失敗してからの確保に関しては、大佐にお任せいたします」
「こっちが下手に動かないほうが、回避しやすいということですか」
「貴族がグラスを振り回すモーションは、きっと遅いでしょうから、思わず制止したくなるかもしれませんが」
バカにしているわけではなく、軍人と貴族女性との間には、そのくらいの身体能力の差があるのだ。
「……」
「……」
わたしは絡まれやすいように、ディートリヒ大佐とハインミュラーとともに、人気のないバルコニーに出て庭を眺めながら待機しているのだが……来ない!
「……来ませんね」
事情を聞かされているハインミュラーがそう呟くと……まるでそれがフラグだったかのように、バルコニーの下から男女が言い争う声が聞こえてきた。もちろんブリタニアス語です。
このバルコニーは左側に庭へと通じる螺旋階段がついているので、
『やめて! 離して!』
『誰も助けになんかこないさ』
助けに行こうと思えば助けられる……階段がなくても飛び降りて助けにいけますが、はてどうしたものか状態。
『やめて! 叩かないで』
確かに叩いた音は聞こえてきたが、温いわー。激昂している男が女の頬を張った場合、こんな音では済まないはず。
まあ、その……物語ならその程度なのでしょうが、ガチの男性の暴力は一撃で女性の抵抗力を奪えるわけでして。音だって「パン」なんて軽いものじゃなくて「ごすっ」みたいな、骨まで殴られたような音がするわけで。
殴ったあとも「いや、離して」なんて言えてる辺り、なんというのかな……本気出してないなあ。
「ハインミュラー。見てこい……気を抜くなよ」
「はい」
ここで相手に乗るのは、わたしが貴族令嬢とやり合う! という目的があるためです。ほんと、気を付けろよハインミュラー。
……で、どうなったかと言いますと、ハインミュラーが階段を下りてそちらを目指すと、口論していた男性のほうは急いで立ち去り、女性が震えながら抱きついてきた。が、ハインミュラーは無視して階段を昇り、女は「待って! 待って!」と言いながらついてきた。
元気ですね。
口論していた女性ですが、わたしと同い年くらいで、ひじょうに婀娜っぽい。襟ぐりの開いている胸の谷間は思わず触りたくなるような感じ。
真紅のバッスルスタイルドレスで、その艶めかしさを更に際立たせている。
腰は細く、出るところはでているが華奢という、世の男性の理想のような体型。顔ももちろん色気がある。
『助けてくださり、ありがとうございます』
いや、助けておりませんが。
婀娜っぽい女性は頭を下げると、
「あっ……」
か細い声を上げて、いかにも貧血ですという感じで、そのまま倒れ込んできた。
手を出して抱きとめてもいいのだが、ナイフでも持っていたら困るので、さっと身を避けると、案の定、婀娜っぽい女性は踏みとどまった。
『いい加減にしろ』
『ぎっぃぃ……』
ただ茶番が許されたのはそこまで。
ディートリヒ大佐は女性の腕を掴み、容赦なく捻りあげた。先ほど下から聞こえてきた殴る音とは違い、ガチの捻りあげです。
捻りあげられた女性の手から何かが落ち ―― 線状細工が施されたブローチが床に転がる。
かなり大きめなエメラルドがはめられている、立派なブローチだが、ディートリヒ大佐に腕を捻りあげられている女性のものとは思えなかった。
彼女が身につけている装飾品とは、傾向がまったく違うのだ。
このような場には、一式揃った宝飾品で出席するのが普通なので、落とし物を持っていたということなのだろうか?
『わざわざスリを夜会に連れてくるとは、公爵夫人も困ったものだな』
ディートリヒ大佐に腕を捻りあげられている女性が、痛みで見開いていた目を更に見開き体を硬直させた。
『気付かれていないとでも思っていたのか?』
ディートリヒ大佐の冷笑が怖いわー。見下す感じが凄い。これは怖い。
更に捻りあげているのに力を込め、婀娜っぽい女性あらためスリは、うめき声をあげながら床に膝をついた。
「近づけないと知った公爵夫人が、嫌がらせとして妃殿下に泥棒の濡れ衣を着せようとしたのです。そのブローチはこいつの雇い主の公爵夫人の捨て石のものでしょう」
泥棒の濡れ衣!
身分が低いといわれるのは構いませんが、泥棒をしたと言われるのは御免だ! わたしは泥棒などしない! 神に誓ってもいい!
共産連邦の装備はぶんどるけど!
あれは盗んでいるのではない! 作戦行動だ!
大体誰が宝石なんて盗むか!
閣下がたくさん用意して下さり……あまりの煌めきに目眩を覚えるくらいだけどな!
宝石が欲しかったら、閣下に頼むに決まってるだろうが!
「捨て石ですか」
「ええ。公爵夫人のブローチが盗まれたと騒ぎになり、万が一看破された場合、公爵夫人の立場が悪くなるので。公爵夫人は”そのブローチは、アーチャー家の家宝よ”と宝石の出自を明らかにして、妃殿下の立場を悪くしほくそ笑むでしょう」
スリはロスカネフ語は分からないようだが”アーチャー”は聞き取れたらしく、またもや驚きの……先ほどまでの婀娜っぽさは鼻水が垂れている顔には残っていない。
「家宝ですか」
なんで家宝って知ってるんだろう?
「この夜会でしたら、家宝を身につけて出席しても、なんらおかしくはありません。なにせ十年ぶりの女王と皇太子両名が出席する夜会ですので」
そうなのかー。
というわけで「庶民に濡れ衣を着せて、名誉を貶めるべくスリを雇い、取り巻きの家宝を持たせ、わたしの懐にその家宝を忍び込ませてから、夜会の場で騒ぎ立てる」という攻撃を仕掛けられましたが、物理的に身を避けて回避しました。
「リリエンタール伯妃殿下の懐に、異物を忍ばせることができると思っている時点で、情報収集不足といいますか……」
ハインミュラーが語尾を濁したが「バカだな」と言いたかったのだろう。それを濁したのは正解だが、お前だってキース大将閣下がいるフロアでボイスOFFに、暴行未遂の容疑をかけようとしただろうが。ある意味、お前の方がバカ……というより「ねえよ! それはねえよ!」だったけどな。
反省しているみたいだから、もう二度と触れはしないけれど。
「妃殿下はお戻りください。わたしはこれを閣下に」
「え?」
「え?」
わたしとハインミュラーが「そこまでしなくても良いのでは?」と思わず声が漏れた。
「殺したりはしない……と思いますので、ご安心ください」
思うだけですかー。たしかに思うだけなら自由ですが、その自由は本当に自由なのか?
「皇太子妃に貴族が窃盗の濡れ衣をかけるなど、ブリタニアスの王室としても問題ですので。放置しておくわけにはいかないのです『立て、ボニー』」
名前まで割れていることを知ったスリは、震えながら立ち上がり、ディートリヒ大佐に引きずられ階段を下りていった。
「戻るか」
「かしこまりました」
ハインミュラーと二人で会場に戻り、仲間内でワインを一杯飲み ―― 足が縺れまくっている侍従に耳打ちされた首相が、顔を青ざめさせた。
申し訳ない、首相。
でもわたしが悪いわけではないといいますか……確かに、わたしが誘ったわけですが……泥棒の濡れ衣、もしくは泥棒はないわー。
そこまでして名誉を貶めようとする人と、仲良くする気にはなれないなあ。
閣下と女王陛下さまが戻ってこられ、
『泥棒、出て来なさい』
いきなりそのように仰った。
女王陛下さまの表情はお怒り……本当にお怒りなのかどうかは知らないが。いきなりの女王陛下さまのお言葉に、周囲がざわめく。
その中から一人の、太めとかぽっちゃりとかでは誤魔化せない、体格の女性が歩み出てきた。年齢は閣下と同世代くらいと思われる。
有能悪役令嬢なら、貴族のことを全て覚えているのでしょうが、わたしには無理です! 自慢にもなりませんが!
おそらく公爵夫人と思われる人物が、自信満々に口を開こうとしたところに、
『この会場にセイヤーズ一世を盗んだものがいる』
女王陛下さまのお言葉。その言葉に推定公爵夫人の動きが止まった。
えっと……セイヤーズ一世って……誰?
ブリタニアスにそんなお名前の王さまはいなかったよなー。
そもそも人を盗んだら、それは誘拐だから、言葉として違うよね。それともブリタニアスでは誘拐も窃盗と表現する? いや、違うよね。
『セイヤーズ一世に近づけるものなど、限られているからな。クロムウェル、クィン、スターリング夫妻くらいか。身体検査を受けてもらうぞ』
スターリング夫妻と閣下が仰った瞬間、推定公爵夫人は心底驚いた表情を浮かべ ―― ワイズ司令官が連れてきた憲兵たちが近づき、
『離れなさい! わたしを誰だと思っているの』
スターリング公爵夫人が当然の叫びを上げるが、
『これは! 陛下、スターリング公爵夫人が隠しもっておりました』
『嘘よ! わたしじゃないわ!』
憲兵の一人がたかだかと光り輝くものを掲げた ―― でっかいダイヤモンドだった。……ああ! この世界のカリナン一世みたいなものか。
……絶対、スターリング公爵夫人は盗んでないと思いますけど……。
『泥棒はいつもそう言う』
『まったくだ』
アウグスト陛下とリトミシュル閣下の息の合いっぷりといったら。
憲兵からセイヤーズ一世を受け取ったワイズ司令官は、女王陛下さまの御前に膝をつき恭しく差し出した。
『鑑定させなさい。ブランカ、お前には失望した。チェスター、おまえもブランカ同様に失望した』
女王陛下さまのお言葉から察するに、公爵夫人だけではなく、公爵も嚼んでいた模様ですね。
『こんなケチのついたものを、教皇に献上するわけにはいかぬな。まったく、わたしがわざわざ手配を整えてやったというのに』
セイヤーズ一世を手にしているワイズ司令官が、ガクガクし出し、
『ひゅっ……』
スターリング公爵が、変な声を上げてひっくり返った。




