【269】花嫁、女主人として夜会に出席する
わたしが閣下の婚約者として出席する初めての夜会。
もっとも「婚約者」として出席する夜会は、あと三回しかないんですけどね。……でも一ヶ月弱で三回夜会に出席って多いか。
本日の閣下のお召し物は燕尾服。青色の大綬に、ネックレスっぽい勲章、他に徽章タイプの勲章を五つほど付けられている。
わたしはと言いますと、バッスルスタイルのイブニングドレス。
ボディスとトレーンはロイヤルブルーの絹ベルベット。スカート部分は水色の絹サテンを金色のレースで飾っている。現代人なら”ベルサイユ宮殿の夜会ですね!”って言っちゃうデザイン。
イブニングドレスなので胸元ががばーっと開き、わたしの逞しい大胸筋が露わに……なりそうだったのですが、閣下が用意してくださった大ぶりのダイヤモンドとサファイヤの首飾り……首だけじゃなくて胸元まで飾ってくれるので、そちらに目が行くこと間違いなしの逸品。サファイアの一つがね、わたしの握り拳くらいあるの! 他のサファイアも、まあ大きいの。
あまりにも凄すぎて、ちょっと辞退したかったのですが、
「夜会ゆえ大きく胸元を開くのが礼儀だが、わたしはイヴの肌を男に見せたくはないのだ。だから胸元を大きく隠すネックレスを作った。美しき肌を守るための鎧だ。是非身につけてくれ」
装飾ではなく武装だと言われたら、装備しないわけにはいかない。そうでしたね、夜会は戦場でしたね。本当の戦場ならば鎧を身につけずとも勝てる可能性はありますが、夜会に不慣れなわたしは、鎧を身に纏う必要があるのでしょう。
夜会を開くのはベルバリアス宮殿。
ドレスと同色の長い手袋をはめ、閣下と腕を組み出席者が揃った会場へ ―― 会場入りすると、一斉にフラッシュが焚かれ眩しかった。顔も引きつってる感じするけど、知らないわー!
会場には陛下と腕を組んでいるユスティーナと枢機卿の正装、緋色の衣をまとったボナヴェントゥーラ枢機卿閣下、そしてキース中将やヴェルナー大佐、ヒースコート准将がいる。あ、ユルハイネンもいるー。
そっか、隊長に就任したから、夜会の護衛はユルハイネンが担当するんだな。ま、わたしと違って裕福な准男爵の息子なんだから、夜会っぽいものは得意だろう。
写真撮影が終わると、記者たちは会場から出され、閣下が夜会を始めると宣言なされた。
さて、ここからが初仕事。
「ご婚約おめでとうございます」と言いに来る相手をぼーっと眺めるという、簡単なお仕事。わたしは閣下と腕を組んで立っているだけでOK。更に言うと閣下と直接会話が許されているのは正式には三人だけなので、すぐに終わる。
「クローヴィス、リリエンタール、やっと公衆の面前で婚約を祝うことができ、嬉しくおもう」
まずはユスティーナと腕を組んでやってきた陛下が、そう仰ってくださった。
「妃を世に知らしめることができ、わたしが誰よりも嬉しく思っている」
「そうであろうな」
「エフェルクも新たな伴侶を得たようだな。エフェルク、妃の名は?」
閣下がご存じなのは、この会場にいる誰もが知っているのですが、あえてこういう会話なのです。
「ユスティーナ・ヴァン・サロヴァーラだ。ユスティーナ、リリエンタールに挨拶を」
ユスティーナは陛下と組んでいた腕を解き、わたしと似たり寄ったりのかちっとしたカーテシーをした。もちろん言葉は発しない。まだ婚約者でしかないユスティーナの身分では、閣下と直接話をすることはできないのだそうです。
「イヴの友人だと聞いている」
閣下がわたしの方を見たので頷き、
「そうか。妃の友人ならば、わたしも話をしたい。よって、いかなる時でもこのリリエンタールに直答することを許そう、ユスティーナ・ヴァン・サロヴァーラよ」
そのように仰ったら、会場がこれ以上ないほどざわついた。
「恐悦至極に存じます」
ユスティーナの声が若干震えていたが、頑張れユスティーナ! もうちょっとで終わりだ。
わたしも閣下と組んでいた腕を解き、閣下がユスティーナの手を取り挨拶を受け ―― ユスティーナの王妃冊立が確定した。
閣下が手を離し、立ち上がって陛下と再び腕を組んだユスティーナの顔は「任務遂行したぜ!」って感が。
なあユスティーナ、わたしが言うのもなんだが、もうちょい軍人感しまおうぜ。完全に二○kgの背嚢を背負って障害三○km走を終えた顔になってるぞ。
陛下が下がられ、ボナヴェントゥーラ枢機卿閣下がやってきて、
「アントニウス、神に愛を誓う相手は、お前の隣に立っているこの美しき娘なのだな?」
やはり知っていることを聞く。
公式の場での発言というのが重要なのですよ。婚約破棄小説なんかで「公式の場でいきなり破棄すんな!」となるのと同じく、陛下や枢機卿閣下が臨席している夜会で直接発言すること、それが公式発表なのです。
「そうだ。イヴ・クローヴィスという」
「挨拶はしてくれないのか?」
「朕の妃に膝を折れと言うのか? ボナヴェントゥーラ」
「お前の正式な妻となっていたら言わない。だが今は婚約中だ」
「断る」
「分かっていたさ。この娘に膝を折らせるなど、お前が許す筈ないことを。娘よ手を」
わたしは立ったまま腕を差し出し、ボナヴェントゥーラ枢機卿は騎士の如く手の甲に軽く口づけた。もちろん枢機卿閣下なので立ったままですよ。
「膝を折らせたほうがマシだった……って顔しているぞ、アントニウス」
「わたしをからかうとは良い度胸だな。異教徒の帝国を唆して、攻め込ませるぞ」
「悪い悪い。だがお前の妃があまりにも美しくて、枢機卿といえども、その手に触れたくなったのだ」
「わたしの妃は美しかろう?」
「ああ、美しい」
枢機卿閣下に宗教戦争起こすぞ! って脅しをかけるのは止めて下さい閣下。って閣下もまだ枢機卿閣下だったわー! いいの? いいの?
「イヴ、心配することはない。わたしとイヴァーノのいつもの会話だ」
枢機卿同士の会話にしては、危険過ぎませんかー。
さて正式に閣下に直答を許されている最後の一人、キース中将がお越しに。
「クローヴィス、おめでとう」
閣下を飛ばしてわたしに声を掛けてきたのですが……まあ良いみたいです。
「ありがとうございます、キース閣下」
「ああ、幸せにな。まったく、公の場でわたしが、あなたに祝福を述べねばならぬ日がくるとは、思いもしませんでした」
「予想していない出来事があるからこそ、人生とは面白いのだ」
「あなたにとって、クローヴィスは予想外の出来事でしたか」
「そうだ」
「はぁ……あなたがルース皇帝ならば良かったと思う日はある。あなたがルース皇帝ではなくて良かったと思う日もある。……わたしはあなたのことが誰よりも嫌いです、総司令官閣下。ですが死ねと命じられれば喜んで死にましょう。二十年近く前にあなたに言った本心ですが、今も変わりませんね」
「分かっている」
「ですが、不思議なことに幸せを願うことはできます。直接的な祝いの言葉をわたしから聞いても薄ら寒いでしょうからこれで」
キース中将の蟠りは、簡単に消えるもんじゃないからなあ。
あの感情は閣下個人に対してじゃなくて、ルースという国家に対するもので、専制君主というのは国家を背負うものだから、国が消滅しようとも簡単に消えはしない。
そんなキース中将が、この場にやってきただけでも最大限の譲歩だと思いますがね。もちろん地位とか責任とかある人なので、来ないという選択肢はないと……思いたい。
「わたしはお前から、左ストレートを食らわされると思って来たのだが、穏便に済んで良かった」
「左ストレートがご希望でしたら、今からでも入れますが。その際には、隣にいるクローヴィスに間に入ってこないよう、説得して下さいよ。わたしも可愛い部下は殴りたくはないので」
キース中将はそう言い、去って行った。
なんだろう。おめでとうは言われていないのに、めっちゃ閣下のことお祝いしているのが伝わってくる。
三者三様のお祝いが終わり ―― 閣下に直答出来る人たちの挨拶が終わったので、オーケストラが音楽を奏でダンスが始まる。
閣下主催で、婚約者お披露目なので、わたしと閣下が最初に二人きりで踊るよ!
貴族令嬢のような柔らかな優雅さなど持ち合わせていないわたしを、ユスティーナが心配げに見つめる。
心配すんな、ユスティーナ。心配されても優雅さの欠片も湧いてこないから!
閣下の手を取り、ポジションを。ステップを失敗することはないので、閣下の足を踏むこともない。
足を踏んだら男性側のリードが悪いとかいいますが、踏んで許されるのは、抱き上げた時軽くて重みを感じない「羽毛みたい」と言われるヒロイン系女子だけであり、わたしみたいに気合い入れて踏んだら、軍靴を履いている敵(男性)の足の骨がばらばらに折れるようなヤツには許されませんので。
閣下とわたしが一曲踊り終えると、儀礼としての拍手が起こり、皆さんも踊り出す。ユスティーナ頑張れよ! そしてユルハイネン、キース中将をお守りしろ! もう既に女性に取り囲まれてるぞ!
わたしは閣下と三曲連続で踊り、次は枢機卿閣下と。
枢機卿閣下と踊っていいのかな? と思ったが、閣下も枢機卿なので、大丈夫なのでしょう。
四曲目が終わると、同じく三曲続けてユスティーナと踊った陛下と踊る。
夜会で陛下と踊る日がくるなんて、想像もしていなかったなー。
陛下と一曲踊り終え、閣下とアイコンタクトを取り、キース中将救出へと向かう。
「キース閣下」
わたしが声を掛けると、渋々ながら女性たちがキース中将から離れる。
「どうしたクローヴィス」
「ダンスの誘いに」
「ああ、済まんな。本来ならわたしから誘わなくてはならないのだが、ちょっと動けなくてな」
「お気になさらずに。どうぞ」
手を差し出したらぺしょんて叩かれた。
「エスコートするのは男からだ。しかし久しぶりだな、夜会で踊るのは」
キース中将が差し出した手……が、容赦なく格好良い。手を引かれ ―― 陛下の時も思ったけど、キース中将とも夜会で踊る日がくるなんて、思ってもみませんでしたわ! そのことを告げると、儚く微笑まれたのだが、この至近距離でそれは条例で禁止していただきたい所存であります。
「そうだな。わたしも、ツェサレーヴィチ・アントン・シャフラノフの妻と踊る日が来るとは思わなかった。ロスカネフの平民孤児が、ロスカネフの庶民出の皇太子妃と夜会でワルツを踊るなど、二十年前のわたしに伝えたって信じないだろう。時代は変わるものだな」
「お嫌ですか?」
「いいや……なあ、クローヴィス」
「はい、閣下」
「幸せになれよ。これは命令だ」
「……謹んでお受けいたします」
そんな会話をしながらキース中将と一曲踊り、踊らなくてはならない相手との踊りは終了。あとは、アイヒベルク閣下を通して閣下に希望を述べ、許可が出た相手と踊ります。許可を出すのはヒースコート准将とヴェルナー大佐だけだとも仰ってましたが。
その二人、ヴェルナー大佐がわざわざ許可を取ってわたしと踊ろうとするかなあ? と思うので……
「クローヴィス」
「はい、ヴェルナー大佐」
反射的に敬礼してしまった! ヴェルナー大佐の右口角がくいっと上がってる。これ「ばーか」って言っているヤツだ。
「リリエンタール閣下から許可は取ってきた。踊っていただけませんか?」
「よ、よろこんでぇ……」
「ぴしっとしろ、クローヴィス」
「はっ!」
「もうわたしは、教官でもなんでもないんだ。ただお前と踊りたいだけの男だ。叱りはしない、気楽に踊れ」
「!?」
ヴェルナー大佐、どうなさったんですか? 優しい態度と口調とか、ヴェルナー大佐らしからぬ……不安になるから止めてください!




