【267】花嫁、闖入者により目的を果たしたが気付かないで帰る
「マリーチェは王弟妃として連れてきた。マリーチェにはいかなる国の君主の妻も務まらぬ。あれは王位継承権を持つが、即位するつもりのない優秀な男の妻の座においてのみ、その意義を持つ」
閣下はユスティーナの問いにさっと答えてくださったのだが……どういう意味だろ?
「マリーチェは王女だが、王妃は務まらない。教育云々ではなく、性質の問題だ。王女に生まれたものが全て君主の妻を務められるわけではない」
陛下も軽く頷かれた……そっか、王妃向きの性質じゃなかったのね。
「先代王ヴィクトリアは王女として生まれたが、女王の素質はなかった。それは悪くはないが、ヴィクトリアは女王として即位し、精神的にかなり追い詰められてしまった。それを見かねてガイドリクスが退位を勧め、即位を決意した。となれば、王妃に向かぬマリーチェをガイドリクスの配偶者にしておくわけにはいかぬ。よって離婚させた」
「そのようなことが、あったのですか……」
ユスティーナにはヴィクトリア女王の一連の騒ぎは、伝えていないようです。まあ必要ないっちゃあないよね。そのうち戻ってきたとしても、ヴィクトリア女王は降嫁するわけですし。
「ヴィクトリアは精神的に参ってしまってな。必死に女王を務めた姪だったが、耐えきれず……ただ精神を病んだというのは外聞も悪く、あの子が快復し戻ってきた際に、暗い影を落とすだろうと思い、体調不良ということにしたのだ」
この辺りはたしかに真実を語る必要はないような……語るとしたら、ヴィクトリア王女が戻ってきてからかなー。
「色々と問題があるので、異国の保養所へと送った」
「国内にいるのでは?」
「影武者だ。誰も自分のことを知らぬ異国で、娘らしい毎日を過ごしているようだ」
「大分良くなったと聞く」
ヴィクトリア王女、元気になったみたいだなあ。
「そうでしたか……お会いできる日を楽しみにしております」
「さて、マリーチェとガイドリクスの結婚だが、兄王よりも優秀な弟王子というのは厄介なものだ。兄王はいつも弟王子の二心を疑わねばならぬ」
ん? それは閣下ご自身の経験則でしょうか? でも閣下はあまり疑われている感ないような……わたしが知らないだけで色々あったのかも知れませんね。
「陛下と先々代陛下はそのようなご関係だったのですか?」
「いいや。ガイドリクスと先々代王の仲は良好であった。だが兄弟仲が良好であろうが、周囲は無責任に波風を立てたがるもの。ガイドリクスは容貌、頭脳、武芸、軍事、人望など全てにおいて先々代王を易々と上回っていた。そのことを先々代王が疎ましく思うことはなかったが、無責任に煽るものは多かった。そこでマリーチェだ。あれは大国の王女ゆえ、王妃として冊立することはできるが、アディフィン王家の血が入った子が王位継承権を持ったらどうなる? アディフィン王国が王位継承権を求める可能性が跳ね上がるであろう」
「実際マリーチェと結婚するまでは、ロスカネフ貴族が兄から王位を奪わないかと仄めかすことはあったが、マリーチェを妃として迎え、その危険性を密かにリリエンタールに流してもらった結果、簒奪などという話題は聞かなくなったのだ」
お決まりの王宮ドロドロ劇があったのですね!
そんなこと、陛下はおくびにも出さなかったわけですが……きっと女王時代も、マリーチェさまの背後の脅威で、陛下の即位の声を小さくしていたのだな。
そう思えば、マリーチェさまにはお世話になりました。
陛下の妻としていて下さるだけで、我が国のドロドロがサラサラとまではいきませんが、ほどよいくらいになってたんですね。
「これは大国の王女にしか務まらぬ役でな。そこらの小国の王女や自国の貴族の娘などでは、毒を盛られて交代させられてしまう。その点、マリーチェは大国の一つアディフィンの王女であり、一応わたしの姪ゆえ、ロスカネフ貴族どもも大人しくするしかなかった。どうした? フロイライン・サロヴァーラ」
「マリーチェ殿下は、リリエンタール伯爵閣下の思慮の賜だったのですね」
ユスティーナの表情が完全に”この人、すげー”になってる。
「思慮というほどでもないがな。よい機会なので伝えておくが、フロイライン・サロヴァーラの王妃冊立に関して、わたしは賛成した。数多の王妃を間近で見てきたわたしが断言しよう。お前は立派にガイドリクスの妃を務め上げることができる。ただお前に問題があるとしたら、一人でなんでもしようとし、ガイドリクスに問題を告げるのを遅らせてしまうことだ。問題は早期にガイドリクスと共有し、ともに解決策を練るがよい」
「ありがとうございます、リリエンタール伯爵閣下」
数多の妃を間近で見てきたって……閣下しか言えない台詞って感じですわー。
ユスティーナは陛下の前妃のことについて納得したらしく、わたしと二人で庭の散策へ。もちろん護衛とかサロヴァーラ侯爵とか懐刀なリースフェルトさんも一緒です。
「わたしもこの邸に来たのは二週間前なんだけどね」
「そうなんだ」
「陛下の近衛を悪くいうわけじゃないんだけど、近衛二人とイヴならイヴのほうが上よね」
「やめろーティナ」
そして近衛の二人、笑顔で頷くなよ! リースフェルトさんのその笑顔! 殴りたくなるわー。
近況を話しながら庭を散策し、アフタヌーン・ティーの用意が整ったので……と報告をうけ、そちらへと足を向けていると、玄関のほうから波のようにざわつきが広がってきた。
「なんだと思う? ティナ」
「この感じ、闖入者よね」
「だよな」
遠くに見える近衛の動きから、予期せぬ訪問者だろうと判断し、ドレスをたくし上げて閣下と陛下の元へと急ぐ。
「少佐、待ってください!」
近衛のお前等ズボンなんだから、遅れるな!
真珠の長いネックレスが跳ねるのも気にせず閣下の元へと馳せ参じる。
「閣下、陛下、ご無事ですか!」
「大丈夫だイヴ。心配させたせいで、ドレスの裾が乱れてしまったな」
閣下は闖入者には我関せずといったご様子で、芝に膝をつきわたしのドレスの裾を直してくださった。
ばたばたという足音が近づき ――
[アントニウスが跪いている彫刻が妃か。これは美しい]
黒衣にオレンジ色のストラをなびかせた、失礼ながら吃驚するほど顔の濃い男性が駆け込んできた。
わたし知ってますよ、黒衣にオレンジ色のストラって枢機卿の格好だって。
[落ち着いてください、ボナヴェントゥーラ閣下]
一緒にやってきたアイヒベルク閣下がボナヴェントゥーラ閣下って……!
閣下は全く気にせずわたしのドレスの裾を直してから立ち上がる。その頃、やっとリースフェルトさんや近衛とユスティーナが戻ってきて目を剥いた。
そりゃそうだ。枢機卿閣下だもん。
「閣下、ありがとうございます」
「気にすることはない。わたしのことを心配して、駆けつけてきてくれたのであろう?」
「はい! わたしにはそのくらいしかできませんので!」
「可愛らしい娘だ」
閣下は頬にキスをして下さり ―― ボナヴェントゥーラ閣下をも交えてアフタヌーン・ティーとなりました。ティーセットの周囲を取り囲む、近衛に私兵に司祭の集団。カオスですわー。
「なにをしに来たのだ、イヴァーノ」
「お前の式を挙げるために決まっているであろうが、アントニウス」
「式まではまだ一ヶ月はあるぞ」
「いきなり戦争などが起こったら、たどり着けないと思ってな」
「たどり着けなければそれはそれで良かろう。主がそう定められたのだから」
「いや、主が啓示してくださったのだ。早く行け、さすればアントニウスと確実に会えると。主がアントニウスに会うよう命じられたのだから、神の僕たるわたくしが従うのは当然のことだ」
ユスティーナの動きがぎこちない。わたし? ああ、ユスティーナよりぎこちないよ。二人とも完全に壊れる寸前のオートマタの動きで、紅茶を口へと運んでおります。
陛下はさすが陛下、枢機卿が側にいようとも優雅な笑みをたたえ、気品溢れる動きでユスティーナの前に、お菓子を置かれたりして緊張を解しておられます。
わたしは隣に座っている閣下が、片手をぎゅっと……恋人握りのようにして握っていて下さってます。恥ずかしいけれど、それ以上に安心できると言いますか……。
サロヴァーラ侯爵は立ったままで、いつの間にかドレスに着替えてきたエリザベト嬢も侍女のように立って側に控えております。
ドレス持ってるなら、最初から着てこいよ!
「ところでアントニウスは、なぜ跪いていたのだ?」
閣下が跪いているのって目立ちますよねー。
「闖入者に気付いたイヴが心配し、駆けつけてくれたのだ。その際にドレスの裾が乱れてしまったので直していただけのこと」
「……そうか! グリエルムスとアウグストゥスから聞いた通りの娘だな」
「あれたちから何を聞いてきたのだ?」
「お前が共産連邦の奴らとやり合っているのを、心配してちょくちょくグリエルムスとアウグストゥスに情報はないかと聞いていたのだそうだ。二人とも心から心配している娘に、驚かされたそうだ」
閣下がわたしのほうを見たので、肯定の意を込めて頷く。
「神の寵児、常勝不敗、完璧の極致、青き血の統治者、完璧の称号を数多く持つお前だが、お前が死んでも誰も悲しまぬ。それは嫌われているからではない。お前の死は主のご意志以外にあり得ないと、我ら凡人は知っているからだ。だから人はお前を心配することはない、お前は完璧だからだ、アントニウス。だがその娘はお前のことを純粋に心配し、危機に駆けつける。それはお前が欲しかったものであり、世の誰もがお前に与えられなかったものだ。美しき娘よ、清らかなる乙女イヴよ。この完璧なる孤独に沈む男の柔らかな寝床になってくれるか」
乙女という年でもないのですが、ここでそれを言うほどわたしも馬鹿ではないので、握っている閣下の手を持ち上げ、自分の胸元にあて、
「この鼓動が止まるその時まで、いかなることがあろうとも、たとえアントン・ヨハン・リヒャルト・マクシミリアン・カール・コンスタンティンが常勝不敗でなくなろうとも、完璧ではなくなろうとも、わたしは側におります」
枢機卿閣下にはっきりと返事を返した ―― 握っている閣下の手に少し力が籠もったので、わたしもちょっと強めに握り返した。
「よく言ってくれた!」
枢機卿閣下が立ち上がり、わたしと閣下の握っている手を両手で包まれ、
[完璧と言われていたが、完璧ではなかった男が遂に完璧になった]
笑顔でそのように言われた。
[我が妃は主が与えてくださった奇跡であることは、わたしも自覚しているぞ、イヴァーノよ]
その後、枢機卿閣下はユスティーナにも色々と話し掛けてくださり、気付いたら帰宅時間になったので侯爵邸をあとに ―― エリザベト嬢にどやぁ! するの忘れた……。ま、まあ仕方ないよね、途中で色々あったしさ。
「下宿楽しみだな」
「修道院に行け、イヴァーノ」
「いいじゃねえか、アントニウス。俺とお前の仲だろう。晩飯なに?」
「お前とわたしの仲は知らぬが、今日はミートボールにマッシュポテトとベリージャム添えとカレリア・パイだ」
「楽しみだな。ワインはつくのか?」
「ワインは持ち込みだな」
「ワイン積んできたから、飲もうなアントニウス。妃もいける口だと聞いたが」
「誰から聞いた」
「グリエルムスとアウグストゥス」
枢機卿も乗った馬車で帰途につきながら、どやぁ! は諦めることにした。枢機卿閣下がお越しになって機会を失ったということは、主がそれをお望みにならなかったということなんだろう。都合良く解釈している自覚はあるけど、それでいいかなーって。
そして下宿の食事、食べるおつもりなのですね、枢機卿閣下。




