【217】少佐、信頼して告げる
書斎に入るとそこには「これ、サンドラに見せたら駄目なヤツだ」と絶叫したい気持ちにさせてくれる、燕尾服姿のキース中将が!
止めろ! ヤメルンダ! 止めて下さい、その格好で出歩くのは!
親衛隊隊員が黄色い声爆撃で死んでしまう!
キース中将は軍服は当然のごとく似合っているが、フォーマルも着慣れていて格好良い。なにこの大人の魅力ってやつ。これでキース中将は私服まで隙がないんだから! もてないはずがない! くわっ!
「お呼びと」
内心はそうだが、言葉に出すわけにはいかないので、背筋を伸ばし後に手を組み答える。
「来たか。入ってこい。リースフェルトもな」
部屋には燕尾服のキース中将の他にタキシード姿のエサイアスもいた。
エサイアス、お前も格好良いぞ。両手でサムズアップして「格好良いぜ!」と声を掛けたくなるくらいに。
他には当たり前だが護衛の親衛隊が三名ほど ―― 小隊長のヘル中尉と小銃を担いでいるジェームズとアホカイネン。
憲兵隊からやってきた三人、特にジェームズとアホカイネンはキース中将の休暇中、マルムグレーン大佐と直接会っているのだが、リースフェルトさんが同一人物だとは気付いていない。あれだけ雰囲気が違っていたら、それも仕方ないか。
リースフェルトさんも書斎に入り、入り口のドアを閉める。
何用でございましょう? キース中将!
「そこに座れ」
キース中将が指をさしたので、書斎に置かれている一人がけのソファーに腰を下ろ……す前にサーベルを外す。
護衛なので座ることなど全く想定していない装備なので。
サーベルを外して座り、片手に持っていると、リースフェルトさんが近づいてきてサーベルを持っていってしまった。
わたしの武器! ……でもご安心ください。両ふくらはぎに一丁ずつ拳銃を忍ばせております。ガーター弾帯もしっかり巻いておりますので。ふふふ、護衛として抜かりはありません!
何時でも立ち上がれるように、足は開いて手は膝の上 ――
「軍服を脱いでも軍人だな、クローヴィス」
「ありがとうございます、閣下」
「ウルライヒ」
キース中将がエサイアスに指示を出した。なんだろう? と思っていると、エサイアスが目の前で跪き、
「イヴ・クローヴィス嬢、このエサイアス・ウルライヒと結婚して下さい」
そう言って手を差し出してきた。
おう、プロポーズだな、エサイアス。
プロポーズしてんのか、エサイアス。
……誰に? えっと、わたしにプロポーズしてるのか! エサイアスー!
エサイアスがまっすぐわたしを見ている。
うぉ、これはどういうこと? 落ち着け、落ち着け、考えろ……いや、考えをまとめる前に、返事を返さねば! 事情は後で聞けばいい!
「申し訳ありません、エサイアス・ウルライヒ殿。結婚のお申し込みは断らせていただきます」
お断りしかないんだ、済まんなエサイアス。
エサイアスは手を下ろし、プロポーズを取り下げてくれた。
「そうですか。非常に残念ではありますが、これからも友人として、また同僚として一緒に過ごしてもらえますか? クローヴィス嬢」
やめれー。クローヴィス嬢はやめるんだーエサイアス。でも正式な場なので「嬢」を付けるのは正しい。
よって拒否することもできん。そして室内にいる人たちの真顔ぶりが辛い。
若干表情が引きつりそうだが、ここは笑顔で返すのが礼儀。
「もちろんです、ウルライヒ殿」
エサイアスも笑顔で頷いてから、体をキース中将へと向け、深々と礼をした。
「閣下。お忙しい中、このような機会を設けてくださり、ありがとうございました」
うん、ガチのプロポーズでしたね。
結婚の申し込みは親にするのが一般的なこの時代。勿論当人同士で……というのもあるが、それは正式な扱いではない。
「構わん。正式な手順を踏んで付き合いたいという申し出を断るなど、上官のすることではないからな」
親や上司などの立ち会いの下、プロポーズするとそれは正式なものとなる。
二人の話しぶりからして、エサイアスが上官であるキース中将に頼んだようだ。わたしの事情を知っているキース中将だが、事情が事情だから場を設けないわけにもいかなかったのだろう。
それにしても、いきなりどうした? エサイアス。
「いきなり呼び出して悪かったな、イヴ」
「いいや、いいけど。いきなりどうした?」
「ん……俺さ、昔からイヴのこと好きなんだよ」
「そいつは知らなかった!」
マジか!
「そんな驚いた表情しなくても……いや、イヴに気付かれていないことは分かっていたけれど」
”イヴに”ということは、他に気付いていた人いたのか? いたの? 教えてくれ……教えられても信じなかっただろうなあ。
「す、済まない。その、なんか、その、仕事に精一杯過ぎて」
「在学中から好きだったんだ」
「士官学校時代なら、仕事以上に座学について行くのに必死で」
「普通は実科のほうが大変なんだが、イヴは実科は余裕だったもんな」
「そりゃまあ、座学も体力で乗り切ったようなもんだからな」
ジェームズとアホカイネンが肩を震わせている。なんだ、お前たちの笑いは。
それにしても……正直に言うと、エサイアスが自分のことを好きになるなんて、思いもしなかったからな。
だって相手なんて選び放題なエサイアスだよ?
粗ちん野郎みたいな、優良だけど瑕疵物件とは違い、正真正銘の優良物件だもん。それがわざわざ……いや自分を卑下すまい、それはわたしを褒めてくださる、閣下をも貶めてしまうことだ。
自惚れるつもりはないが、どこかに好きになってもらえるポイントがあったんだろう。根掘り葉掘り聞くつもりはないけど。
「それにしてもエサイアス。何故いきなりプロポーズをしようと? それも出先で」
交際ナシでプロポーズは、この時代的にはおかしくはない。でも出張先で夜に……というのは珍しい。
「それはイヴのことを好きで追ってきた人がいたから、これは先んじなくてはと考えて」
ああ、昼間のリースフェルトさんが副官になった偽裏事情のことか。それは設定だよ、エサイアス。
「閣下。お尋ねしたいことが」
エサイアスのこの雰囲気からすると、出張先でのプロポーズをキース中将に拒否されたら、実家のほうに申し込みに行きそうなので、この場で片付けることにしたのだろう。
本来なら実父が負うべき面倒を、キース中将がさっくりと処理して下さったのだが……真剣に求婚してくれた相手を騙すって……嫌過ぎる。
「なんだ? クローヴィス」
「この場をもうけた閣下のお考えを」
「先ほど言った通り、ウルライヒが真剣に頼んできたからだ。お前に惚れている貴族が現れたので、危機感を覚えての行動だ……まあ、遅すぎたがな」
「そうでしたか……閣下。小官は誠心誠意を持ち、作法に則り求婚して下さった方に対して、小官も嘘偽りなく答えたいと考えます」
エサイアスの気持ちに気付かなかったのは、わたしだから仕方ないとして、正式な手順で申し込まれたのだから、こちらも最大限の敬意を払いたいと思います。すなわち婚約していることを伝える ――
これが普通の人、例えばブルーノあたりならそんなことは考えないが、軍人なら大丈夫だろう!
「それに関して、わたしは止める権利はない」
「止める権利?」
「そうだ。わたしには喋る自由はないが、お前は自由だクローヴィス」
「そういう取り決めで?」
「まあな」
エサイアスたちが「なんの話」みたいな表情になっています。
ああ、そうだ。関係のない隊員たちは退出……いや、わたしたちが部屋を出ればいいのか。
「クローヴィス、少し待て」
「はい」
「これからクローヴィスがウルライヒに対し、重大なことを語る。それを聞くか、聞かないかはお前たちに任せるが、聞いたが最後だ……ということを伝えておく。聞くか? 聞かないか? 聞かないことを選ぶのであれば退出せよ」
わたしを制したキース中将が隊員たちにそのように告げた。ヘル中尉は少しだけ考え、部下二名を指さし ―― 二名とも頷いた。
「決して口外はいたしませんので、同席させていただきたい」
え? 聞くの? 聞いちゃうの?
もちろんお前たちのことも信頼しているけれど。
「なによりキース閣下が、小官たちに聞かせたいとお考えでしょう」
「どうしてそう考えた、ヘル」
「キース閣下のご性格から判断いたしました」
「そうか。たしかにお前の言う通りだ……よし、クローヴィス!」
「はいっ! 閣下。エサイアス、実はわたし婚約してるんだ!」
答えたら書斎の空気が止まった。
「えっと……誰と? って聞いてもいいのか?」
「ああ。相手はリヒャルト・フォン・リリエンタール閣下。諸事情があって公表していないが、ただ今婚約中なのだよ」
エサイアスがキース閣下の方を見る。隊員三名も同じく ――
「クローヴィスの婚約者は主席宰相閣下だ」
キース中将に念押しされた三人の動揺っぷりと言ったらなかった。キース中将を間近でみたサンドラみたいな声を上げてから硬直した。
やっぱり驚くよなー。どうしようかなー。と思っていると、キース中将が白い手袋を脱ぎ捨て、燕尾服の裾を華麗にたなびかせ一人一人に近づきビンタをかました。
「目は覚めたか」
部下の横っ面を容赦なく張っても儚いって、これどういうこと?
リースフェルトさんが脱ぎ捨てた手袋を拾い、キース中将に渡す。
「あの……」
なんとか立ち直ったエサイアスが声を上げ ―― キース中将が事情を説明してくださった。
その内容には、わたしも知らないことが多々含まれていました。
様々なことを聞かされ ――
「ネクルチェンコ隊の十名だけでは不安だったこともあり、お前たちを巻き込むことにした」
ヘル隊にもわたしの護衛を任せようと考えてのことだったらしい。
「クローヴィスの護衛については、これからわたしが説明する。クローヴィス、ウルライヒは下がれ」
わたしたちはヘル隊を残し書斎を出て ――
「わたしは少し離れておりますので、お二人でお話し下さい」
もちろん一緒に退出したリースフェルトさんが、小さなホールに差し掛かったところで突然そのように言いだし、少しばかり距離を取った。
「……」
「……」
よ、よく分からんが、ここで綺麗に別れるためになにかを……そもそも付き合ってすらいないから、別れるも何も……。でもなにかした方がいいんですね!
「ちょっと待ってくれ、エサイアス」
わたしはエサイアスに背を向けて、ふくらはぎに装着していた拳銃と弾帯ガーターを外す。
「エサイアス。踊ろうじゃないか」
振り返り手を差し出す。
「喜んで」
エサイアスは手を取り、わたしの手の甲に口づけてから手を握った。
エサイアスと踊るのは士官学校卒業以来だ。踊りながら思い出話をし ―― エサイアスの息が上がるまで話を続けた。
「はぁ……はぁ……本当は、……はぁ……もっと話したいが……さすがに……」
床に座り込んだエサイアスの肩を叩き、
「これからもよろしくな」
「ああ……こちらこそ」
汗だくで息も上がっているが、良い笑顔で答えてくれた。
これで良かったのかな? とリースフェルトさんの方を見たら”うわ”って表情だった。なんか間違ったのかなーと思いつつ、エサイアスに肩を貸し部屋へと送り届けてから理由を聞いたら、
「あれほどスピード感あるワルツを見たのは初めてで、あのスピードで五十分も喋りながら踊り続けられる体力に愕然としました。少佐を守るなら、最低でもあのくらい体力がないと駄目なのかと思うと」
溜息をついてから、サーベルを持ったまま、少々おどけたような表情を浮かべたリースフェルトさんには言えなかった。今からでも先ほどと同じ速度で、同じ時間踊り続けられるとは……とても言えなかった。




