【140】隊長、副官の無事を一応確認する
「クローヴィスの勤務時間が終わる前に片付けろ」
「そのつもり。そうじゃないと、大尉が心配のあまり駆けつけちゃうからね。クローヴィス大尉が本気で駆けつけたら、勝てるけど……ねえ」
室長の無害っぽい笑顔ですが、裏にはなにかありそうな。
「片付きそうなのか?」
「スタルッカ君の救出優先だから、もうじき片付くよ。陛下の暗殺を企む一団に関しては、少し泳がせて一網打尽にしようかなと考えているところ。だから今回は疑われないように、数名は捕らえるだけで済ませる予定」
わたしなどは、突撃して一網打尽にしてしまいますが、室長ともなると泳がせるという高等技術を使われるのですね。
「それでいい。ヴェルナーに陛下の身辺に注意を払うよう伝えておく」
「お願いしますね、キース中将。クローヴィス大尉が帰る前には、スタルッカ君を中央司令部にお届けするから」
ありがとうございます室長。
そして届けられたボイスOFFは……キース中将に叱られるんだろうなあ。
叱責されても仕方ないことだが……耐えろ。
「クローヴィス大尉。残り物で悪いけれど、このパン貰ってくれる。年甲斐もなく買いすぎて、余っちゃったんだ」
ソファーに立てかけられている、茶色い紙袋からバゲットは相変わらず顔をのぞかせている。
「ありがたくいただきます」
「底にクライブへの指令書が入ってるから、よろしく」
「警護対象を連絡役にするな」
なんと言っていいのやら。気にしなくて結構ですよ、キース中将。そしていつでも連絡係にお使いください室長。わたしの身辺というより、家族の身辺を守ってもらう相手なので、幾らでも連絡役を務めますとも。
「今回は特別ですよ」
「まあそういうヤツだよな。クローヴィス」
「はい、閣下」
「お前はオリュンポスで優勝を収めた場合、昇進することを……その顔じゃ知らないようだな」
「昇進するのですか?」
今まで女性はオリュンポスに出場したことがなかったこともありますが、我が国はメダルとは縁遠い国なので、そういうお話聞いたことないため存じませんでした。
「ロスカネフでメダル取った人いないし、オリュンポスでメダルを取った女性もいないから、分かんなくて当然だと思うよ」
室長がわたしの気持ちを全て代弁して下さった。
「確かにそうだが。とにかく優勝者は国から報奨金が出て、軍人の場合は昇進するのが一般的だ。本国も他国に倣い、優勝者には報奨金を出し、軍人は昇進させることになっている。優勝一つにつき一階級上げることになっているのだ。クローヴィスが二種目に出場し、どちらでも優勝を収めると、二十五歳の若さで中佐になる。二十年以上前に首席卒業したことが自慢のわたしの同期少佐にはとても耐えられない。それがお前の足を引っ張る理由だろうな」
……ふぉ! わたし二十五歳で中佐とか! 無理無理!
いやいや……でも、わたしが嫌ですと拒否するわけにもいかない。
初めての受賞者になった人物が、昇進を頑なに拒否してそれが受け入れられてしまったら、慣例になりかねないからね。その後の人たちが昇進したいのにできなくなる、などという前例は作らない。それがやる気につながると思うし。……わたしはやる気にならないだけであって。
だが世界的にもそうなら、黙って受け入れるさ!
「馬術代表は既に確定しているから、妨害のしようはないでしょ。だから射撃だけは阻止したいみたいだよ。一競技で優勝だけなら、ゾンネフェルトと同じ少佐止まり。それならまだ我慢できるみたい」
小さっ!
なんという度量の小ささ。あまりの小ささに引くわー、ゾンネフェルト少佐。
「女は劣っているのだから”准”の地位を経るべきだ」と力説して、出世街道から弾かれた男は違うわー。
ロスカネフ軍の階級は上から元帥・大将・中将・少将・(准将)・大佐・中佐・少佐・(准佐)・大尉・中尉・少尉・准尉・曹長・軍曹・伍長・兵長・上等兵・一等兵・二等兵となっている。
准将と准佐と括弧がついている理由なのだが、ロスカネフ王国士官学校を卒業した士官は、少尉スタートで准佐と准将という地位には就かない。
ヒースコート准将は元ルースの士官学校卒なので准将に。
室長は……よく分からないけれど、我が国の士官学校を出ていないと考えていいのでは? 別人として士官学校通ってたって言われても納得するが、多分経歴不詳にするために准将を経ているのだろう。
オットーフィレン准将は有爵貴族なので士官学校を出ていなくても、将官の地位まで出世したが、やはり准将を経なくてはならない。
キース中将は我が国の士官学校を出ているので、准佐や准将の地位には就かなかった。当然本国の士官学校を卒業した女性士官も、キース中将と同じルートで進むわけです。まだ将官になった女性士官はおりませんが……ああ! 女性士官の最高位は中佐だ。わたし、二種目で優勝したらそこに届いちゃうのか。
「自分より女性が高い地位に就くのが嫌なのですね」
「そういうことだ」
なんにせよ、それが嫌なら出世しろや、ゾンネフェルト少佐!
「でも笑えるよね」
「なにがだ? 局長」
「ゾンネフェルトはクローヴィス大尉のこと嫌っているけれど、実力は買ってるんだよね。オリュンポスに出場したら、優勝して自分の階級まで上がってくることを認めているわけ。だから部下に勝負以外で妨害し、代表から遠ざけろと命じてるんだもん」
ゾンネフェルト少佐にそんな認められ方されても、全く嬉しくありません。むしろ実力を認められないほうがマシです。
「唯々諾々として命令に従うハインミュラーも、クローヴィスに実力が及ばないことは分かっていると」
「そうそう。実力で勝てないことは、認めているんだよね」
死ぬほど情けないわ、ハインミュラー。
そんな弱メンタルを国の代表にしたくはないわー。
わたしもメンタルが強いとは言わないが、少なくとも上官に勝負前に妨害工作しろと言われたら、その上官殴って軍を辞める程度の気概は持ち合わせてるぞ。
そんなお話の後、
「時間が出来たら、一緒に食事に行こうね、クローヴィス大尉」
「帰りますよ、官房長官」
副官のベックマンさんに連れられ、室長は政府庁舎へとお帰りに。
それから三時間ほどして、ネクルチェンコ少尉と共にボイスOFFが司令部に戻ってきた。
「ネクルチェンコ少尉、迷惑を掛けた」
「いいえ、隊長。良い運動でした」
厳しい顔だが、笑うと……うん、やっぱり厳しい感じしかしない。
あと脇で「ぼすっ」っていう音と共に、ボイスOFFが腹を押さえて崩れ落ちた。理由? ああ、総司令官閣下の前蹴りが腹に入ってました。
呻き声を上げたくなるのは分かるが……ボイスOFFでお願いしたい。
「無事でなによりだ、ウィルバシー・スタルッカ」
容赦ない前蹴りでボイスOFFを沈めたキース中将の、部下の帰還を祝うありがたいお言葉です。
呻かれていると、わたしの神経に障るので、キース中将を「まあまあ」と宥め ―― 成功なんてしませんでした。
キース中将はボイスOFFの顎を握り潰すかのごとくに掴み顔を上げて、凄く静かに見下ろしている。
睨んだり、怒鳴ったりしないんですね。それなのに、なぜこうも恐怖を感じるのでしょう。
更にわたしはキース中将から帰宅するよう命じられ……この状態のボイスOFFを放置して帰るのは気が引けたのですが、
「帰宅しろ。命令だ」
「はい」
総司令官直々の帰宅命令が。
「大丈夫だと思いますよ、隊長。それでは総司令官閣下、小官は隊長をご自宅にお送りいたします」
「ああ。二人とも気を付けて帰れよ」
命令は覆すことができません。これを覆すとなると、キース中将に拳で立ち向かうしかないのですが。
「あまり酷いことはしないで……下さい」
キース中将ですので、酷いことはしないと思いますが……所詮軍隊で、片や中将で片や軍曹(元は中将)ですから。
「クローヴィス」
「はい!」
「パンを忘れるな」
完全に忘れておりました。さすが総司令官閣下はわたしと違って、視野が広いですね! がさごそと音を立てながら、パン入りの紙袋を抱え、部屋を後にする。それにしても、帰り辛い。
「心配は無用だと思いますよ、隊長。総司令官は、厳しい方ですが、度が過ぎるということはないとヒースコート准将から聞かされております」
ネクルチェンコ少尉が元上官の言葉を……キース中将を信用し、諦めて帰ることにします。明日、ボイスOFFに食事を奢ろう。




